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エピローグ

 とんぼ返りとはまさにこのことだ。


 一か月の滞在予定がたったの二泊三日? ありえないだろ。


「帝都で買い物がしたかった!」

 

リーフレアへ戻る馬車の中でルビンは声を荒げる。「せめてあと一日くらい滞在しても罰はあたらないでしょ!」


 紫煙を吐きながらベルンシュタインは言う。


「よそ者は早々に立ち去る。これは俺のポリシーだ」

「先生のポリシーなんてどうでもいいですから!」


 一方、工房で一人見張り番をしていたザフィーアは見事に風邪を引き、今はルビンの肩を枕に寝ている。


「本とか色々買いたかったのになあ」

「本ならザフィーアが買い込んでたぞ」

「見て絶句ですよ」


 見事に恋愛話ばっかりだった。


 恋心を勉強したいって。


 作家さんには申し訳ないけど、本で恋心って勉強できるのだろうか?

 というか、ザフィーアは少し抜けている。


 恋愛について勉強したかったら先生に聞けばいいのに。

 僕らが彼から女性の服を与えられた理由。僕らがそれを素直に着ている理由。


 後者は単純に着なれてしまったこともあるけれど、やっぱり女の子である兄さんが僕らの身体を使う時、可愛くあってほしいから。


 スマラクトは逆に、僕らの性別にあわせて乱暴な言葉使いだけど。


 前者は、やっぱり僕らと一緒。スマラクトに対しての贈り物。

 初めて本気で恋をした相手への。


 恋した相手が肉体を持ってないとか、悲恋でしかない。


 今回だってそうだ。


 しばらく恋愛モノなんてこりごりだ。

 馬車が小石を踏んで跳ねた拍子にザフィーアがくしゃみをした。


   *


 泣き顔が嫌いだった。


 私の記憶の中の母はいつも泣いていた。

 (なぐさ)めようとすると、始めのうちは私を抱きしめ、声を出して泣いた。


 だけど、それは次第に無視へと変わり、(しま)いには暴力に変わった。

 泣きながら、クッションや、畳んだ扇で私を叩いた。


 理由は聞かなくてもわかっていた。


 私の髪の色と、賢者としての素質がまったくないからだ。


 父は賢者を生むために、たくさんの女性を(めと)った。

 癇癪(かんしゃく)持ちな母はすぐに離宮に、私共々追いやられた。


 ――私は悪くない、お前のせいよ!


 そう言って、母は泣くのだ。怒りながら泣くのだ。己も悪いのだと、子供に向かって怒りをぶつけてしまう自身を責めて、悲しみにくれてはまた涙を流した。


 母が死んだのは、もうそろそろ春が来ようかという時だった。


 日当たりの悪い離宮。どことなく陰湿な雰囲気が支配し、お化け屋敷と言われても信じてしまいそうな、そんな宮殿で自ら首を吊って死んだ。


 私は、泣けなかった。


 母を悲しませてはいけない。母を怒らせてはいけないと、物心つく頃には泣くのをこらえるようになった。

 だから、母が死んでも泣けなかった。


 それどころか、少し清々(せいせい)した。そのことを、子供ながらに残酷だと思いもした。

 でも、母がこれ以上悲しまず、涙を流さずに済むならと、棺に収まった母の乾いた頬に触れて、安堵した。


 自分の母親がそうだったからかわからない。


 やはり、他の兄弟の母親たちも、自分の子が賢者ではなかったことを嘆き、悲しんで涙を流しているせいか、女性の泣き顔が怖かった。


 母に暴力を振われ、慰めてくれる侍女たちが、感極まって涙を流すのさえ、私は受け止めることができなかった。


 だから、王宮で彼女に出会った時、心を引かれた。


 王宮内で迷ってしまったのはわかる。それでも泣いて助けを呼ぶでもなく、必死に涙をこらえ右往左往する姿に、自分を重ねた。泣くのをこらえている少女を、女性を見るのは初めてのことだった。


 思わず笑みがこぼれた。


 似た者同士だと。


 彼女は賢者で、私は普通のヒト。


 出会いは偶然だったけど、それ以上の何かを感じた。

 賢者とは、私たちと全く違う存在だと思っていた。

 正直なところ嫌悪(けんお)していた。賢者なんて存在がなければ、私も母も、王宮で父と一緒に暮らせたのに。


 賢者と言う存在が、私を孤独にさせた。


 だけど、賢者だった彼女が私を孤独から救い出した。

 彼女は、好奇心が旺盛(おうせい)で、下着が見えそうになるのも構わず、よく駆け回り、いろんなものを観察した。


 短い夏を一緒に歩いた。


 図鑑に載ってない花や草や虫を、離宮の庭で時間が許す限り探した。


 一緒に夜光虫を見た時、「なぜ光るの?」という彼女の問いに、私は素直に答えられなかった。

 その頃、私は「恋」というものを知っていた。


 夜光虫が光るのは、プロポーズなんだと知っていた。

 自分が誰に恋をしているのか知っていた。


 だけど、私は光ることを許されない、光ることを許されない虫かごの中の虫。


 虫かごの中で、つがいになれず死んでいく。いや、もうすでに標本にされた虫だと思っていた。だけど、死骸は恋なんてしない。だから、きっと蘇ったんだ。


 彼女が蘇らせてくれた。賢者の力などではなく、笑顔の力で。


 表情豊かな彼女が好きだった。自由な彼女が好きだった。

 そして、最後にようやく泣き顔を見た。

 その涙が、母が流したものと同じものとは思えなかった。


 純粋に美しいと思った。


 泣き顔だって、自分のために泣いてくれている、それだけで愛おしいと感じた。


 君の涙は美しい。


 今日は、弟のエリオットのお披露目式、本来であれば王位継承権をとっくに破棄した私でも王宮に行かなければならないのだが、大事な日だからと言って断った。


 今日は彼女の涙が降る日。


 そんな日に、お披露目式をやるほうが悪い。

 正午、ツヴァイトパオムの装置から、光が天に上り、やがて清らかな涙が落ちてくる。


 汚染されたこの国を癒す希望の涙。


 光の粒が舞う空を、花々の咲き乱れる庭から見上げながら思う。

 君の名の花を植えよう。アイリスを。

 アウグストと一緒に、土作りから初めて、アイリスの庭を作ろう。

 君が流す涙で清めた土で、君を咲かせよう。


 君だけじゃないよ。


 アウグストから手渡された、彼女の遺品であるアルケミー・ツール。首に下げたそれを強く握りしめる。


 私も愛していたよ。

 今でも愛しているよ。


 私の気持ちを伝えるために、君の種を植えよう。


 そして、また一緒に夜光虫を見よう。

 私たちは夏に出会い、夏に別れ、夏に再び会う。


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