兄弟喧嘩
光の柱が天に伸びる。
その様子を、ルビンは工房に向かう馬車の中で見ていた。
御者が驚いたのだろう、馬車が大きく揺らぐ。
「あの光、過臨界!?」
ルビンが驚いている横で、ベルンシュタインは動ぜず、煙草を吹かす。
「いいや、装置が正常に発動したんだろ」
「発動したって――」
嫌な予感しかない。
「誰が発動させたんですか!?」
再び正常に走り出した馬車の中でルビンはベルンシュタインに問いただす。
「そんなの、行けばわかるだろ。それ以前に察しろよ」
「察したくないです!」
目視しただけで錬金術師一人分の命をかけた炉心の発動で起きた光だということはわかる。わからないほど子供ではない。
馬車が工房に到着すると同時に、ベルンシュタインを押しのけて、ルビンは先に馬車を下り、走り出す。
月明かりで、IO炉心のあった工房の一階部分が完全に消失しているのがすぐにわかった。
そして、向こうから黒いワンピースに身を包んだ、もう一人の自分が歩いてくる。
怪我を負っている様子はない。いたって平然。
それが、ルビンの神経を逆なでる。
「ザフィーア!」
ルビンはその名を叫び、胸倉をつかみ上げる。
「止めなかったのか!?」
「彼女が望んだことだ。それを妨害する権利なんて――」
ルビンは勢い任せにザフィーアの顔面を拳で殴る。
それでも飽き足らず、よろ付いた彼の身体を地面に押し倒し、馬乗りになる。
「ヒトひとり見殺しにしてなんでそんなに平然としていられるんだ!?」
「そういうお前はヒトひとりに何熱くなってるんだ!」
ザフィーアは口元を拭って、言い返す。「いいか、お前がイリスに対してどんな感情を抱いていたかなんて僕にはこれっぽっちも関係ない! 僕にとって彼女は自分の実験のためにたくさんの人間を殺した殺戮者だ!」
ザフィーアの言葉に、ルビンは言いよどむ。「それには、ちゃんと理由が――」
「理由? 理由があれば何人殺してもいいっていうのか!」
今度はザフィーアがルビンを突き飛ばして、胸倉をつかむ。
「彼女が望んだっていうことはそういうことなんだよ! これは贖罪だ! 彼女は最初から自分の命をかける覚悟で研究にとりくんでいた。それを止められる権利が僕らにあるか!?」
「だからって黙って何もしなかったとか、酷すぎるだろ!」
「だったらどうすればよかったんだよ! 言ってみろよ!」
ベルンシュタインがたどり着く頃には酷い状態だった。
ザフィーアはドロワーズが丸見えだし、ルビンはシャツのボタンがはじけ飛んで胸元がはだけている。
女の喧嘩は男のそれより見苦しい。
双子は男だが、一見すれば女同士の喧嘩だ。
目も当てられない。
新しい煙草に火をつけようとしたところで、光の粒が降ってくるのが目に留まり、ベルンシュタインは煙草を箱にしまってコートのポケットに手を突っ込み、空を見上げる。
やがて、双子も空から降ってくる淡い光に気が付き、言い争いを止める。
「これは……」
ルビンは雪のように降る光を右手に乗せる。だが、やっぱり雪のように掌の上で溶けてしまう。
「エリクシール?」
同じように光の粒を手に乗せながら、ザフィーアが言う。
エリクシールというのは、不老不死の薬とも言われているが、その実、エネルギーを圧縮し、液状化したものだ。確かに、エリクシールを傷口などに塗れば、その部分の細胞が活性化し、すぐに傷が癒えたりする。
だが、空から降り続ける白い光は少し違う。
「実のところ、IO計画っていうのは名ばかりで、本当は大規模な除染装置なんだよ」
ザフィーアの口調が変わる。
見れば、両目がエメラルド色に変わっている。
目の前にいるのはザフィーアの体を借りたスマラクトだ。
「……兄さんも、イリスのこと」
「ああ、見殺しにした。でもそれは彼女の望みだった。エリクシールの生成とそれを浄化剤に変え、雲の上まで一気に飛ばし、雪のように国土に降らせる。そのために彼女は自分の命を使った。それだけだよ」
「でも、そんな方法じゃなくて、もっと他の方法があったんじゃないのか?」
「何年か先、長い目で見れば命を犠牲にしなくて済むような理論を構築することができたかもしれない。でもこの国の汚染は深刻だ。除染についてはお前の専門分野だろ? しかも循環機能付きなんだぜ、あの装置」
ザフィーアの身体を借りたスマラクトは、親指で後ろを指す。「最初はプールや管にエリクシールの成分を染み込ませる必要があったが、あとは汚染物質をあのプールに入れれば簡単に液化され、炉心で自動的に浄化され、再び除染剤となって空に打ち上げられ、またこんなふうに雪みたいに降る。寿命はあるが、それは俺たち賢者に対する猶予だ。この装置の寿命がくるまでに、新しい除染装置を造れってな」
何も言えず、ルビンがうつむいていると、ベルンシュタインが頭をぐしゃぐしゃとなでる。
「湿気た顔してないで見てやれよ。まあ、俺は女の泣き顔なんてごめんだけどな」
言われて、ルビンは空を見上げる。
本当に雪のようだ。
だけど、月明かりに照らされても黒い影はできない。
一つ一つ、光をはらんだ粒が降ってくる。
とても美しい、イリスの涙だった。
同じころ、ギルバートも空を見上げていた。
ふと、イリスの声が聞こえたような気がしたからだ。
窓の外が明るい。
カーテンを開けてみると、光の粒が降ってくる。
慌てて庭に出て、小さな光の粒を掌ですくった。
光は、あっけなく手の上で溶けて、皮膚に染み込んだ。
イリスの気持ちが流れ込んでくる。
――あなたの隣で、もう一度夜光虫を見たかった。
綺麗な水と土がある場所でしか生きることのできない夜光虫。
夜光虫が増えたって、君が死んでしまったら、一緒に見ることができないじゃないか。
ギルバートは泣きそうになるのを必死にこらえ、ずっと言えなかった言葉を、空に向かって呟く。
「とても綺麗だよ」
光の粒は、夜が明けるまで降り続けた。
静かに、清らかに。




