もう一人の王子様
ルビンはまた馬車に乗っている。
工房のあったツヴァイトパオムからエアストパオムに戻ったのはわかる。
だけど、この道はフラメルの屋敷に続く道ではない。
行き先を聞いてもこたえてくれないし、ベルンシュタインは一人でプカプカ、パイプで煙草を吸っている。
気持ちはだいぶ落ち着いた。だけど、時折恐怖が浮上してくる。
自分が死にそうになったことに対してではない。あの装置に溜められた「材料」の正体。
あれは溶かされた人体。百体以上の人間がまじりあっている液体だ。
落ちた時に感じた。
――望まずして殺された。
分解された時の何人もの感情が、生きたルビンの身体に流れ込んできた。
たぶん、スマラクトの魂を受け入れる余裕がある分、身体は分解されても解体されななかった感情が入りやすくなっているのだろう。
冷静に分析してる自分に軽い怒りを覚える。
あの時流れ込んできた感情を思い出して拾い上げれば、自然と涙がこぼれた。
僕は弱い。
そんなふうに落ち込んでいると、杖のエメラルドが輝く。
――弱さと優しさは紙一重なんじゃね?
――ありがとう。
心の中でスマラクトに伝える。
「よし、着いたぞ」
ベルンシュタインの声で顔を上げると、アウグストの家に似た造りの屋敷が窓の外にあった。
鉄柵ではなく生垣。その内側にもたくさんの庭木が植えられている。
「物語の終着点が、物語の起点なんて、よくある話だよな」
ベルンシュタインは誰に向かって言うわけでもなく呟いて、馬車から降りる。
アウグストの質問に対し、ミヒャエルは笑った。おおいに笑った。
「その点に気づくとはさすがだね。いや、その質問によって君がどんな答えを得るのかしらないけど」
ミヒャエルは目じりに溜まった涙をぬぐう。「さすが北星の門、現時点において唯一紫を纏うことを許された賢者だ。だから君の炉心を燃料にしたかったんだよ。君は優れた錬金術師だ。そのくせ平凡なんだよ、ヒトとして。だから、私の言うことすることに口出ししてくるだろ? 皆が認める天才の反論だと、陛下も納得するよね。そういうのはいらないんだ。私に意見する者はいらない。私より優れた者もいらない」
アウグストはミヒャエルが何をしたいのか、答えにたどり着いて険しい表情になる。
「ミヒャエル・ローゼンクロイツ、お前は皇帝を傀儡とし、実権を握るためにこの炉心を造ったんだな?」
「その通り」
パン、と手を合わせる。「皇帝の一族にはこの外付けの炉心を与える。皇帝一族は賢者だと国民だと騙すためにね。皇帝は国民の前で錬成なんて行わないんだから、いらないと思うんだけどね。だから、これはいわば保険だよ。ちなみにかつての竜砲の再現もこれなら可能なんだ。地上に出して、射出口をイースクリートに向けるだけでいい。でも賢者なしではこの炉心は発動しない。そこで我々賢者の出番さ。炉心を与える代わりに少しは私たちの話を聞いてくれって、それだけだよ。ね、スマートな話でしょ?」
その笑顔は天使そのものだが、言っている内容は悪魔のそれでしかなかった。
屋敷の周りの小道を、ベルンシュタインの背を追うように歩く。
人の領分は小道だけ、それくらい植物の充実した庭だ。
まだすべての草花は生えそろっていないが、日中の暖かさで芽が出たものも多いようだ。
庭木は小さいものが目立つが、ケヤキなど、これから大きくなるものもある。
どうやら、この屋敷はここ数年のうちに建てられたものらしい。
突然、ベルンシュタインが立ち止まり、ルビンはその背に思いっきりぶつかった。
だが、ぶつかられた彼は気にせず、目の前の人物に深く礼をしている。
ちょうど建物の裏手だった。
クレモネスの北側の山脈の稜線がよく見える。
月光が照らす庭の中央に、ルビンとあまり歳の変わらない青年が立っていた。
「お前も頭を下げろ」
ベルンシュタインに強引に頭を下げられる。
その様子を見て、青年は口元に手を当てて上品に笑う。
ルビンと同じように色素の薄い髪が、月光に照らされて白く輝いている。
「夜分遅くに申し訳ない」
「いいえ、こんな夜更けでなければ会えなかったでしょう。ホーエンハイム卿」
ベルンシュタインに続いてその庭に立ち入る。
月光降る庭は、まだ花など芽吹いておらずともどこか神聖に感じられた。
青年がいる場所は足元に木の板が敷き詰められており、その上には丸テーブルと椅子が四脚。
どこからか、水の流れる音が聞こえる。
「ベルンシュタインで構わん。こっちは弟子のルビンだ。弟子と言ってもすでにアデプトなんだが、どうもパッとしない」
パッとしないってなんですか? 僕は発光しませんよ。
「卿は女性嫌いと聞いていたので、弟子が女性なのは驚きです」
「ああ、こいつはこんな成りだが男だ。モノは付いてる」
「これは失礼を。まあ、座ってください」
座ると同時に、煙草を取り出すベルンシュタインを、ルビンは肘で小突く。
「なんだよ」
「モノが付いてるとかいちいち言わないでくださいよ」
「変に色付きやがって。それともなにか? 第一皇子とお近づきになりたいとでも思ったか?」
「誰が色付き――は?」
「仲がよろしいようですね」
青年は、二人のやり取りに笑みを浮かべる。
「第一皇子ってなんですか?」
「目の前にいるだろ」
そう言って、ベルンシュタインは顎で彼を指す。
青年はコートの胸元に手を当てて言う。「挨拶が遅れましたね。私は、クレモネス第一皇子のギルバートと言います」
ルビンは慌ててお辞儀すると、次の瞬間にはベルンシュタインの頭を叩いた。「一国の皇子を顎で指すとか何考えてるんですか!」
「お前は本当に俺の母親か何かか!?」
「いいんですよ、ルビンさん……君?」
「よ、呼び捨てで大丈夫です!」
ベルンシュタインはマイペースで煙草をパイプにつけて吹かす。
「良い庭だ。これは夏が楽しみだな」
「ありがとうございます。アウグストに色々教わりながら一緒に作ったんです」
「そういや、あいつも土いじりが趣味だったな」
ベルンシュタインとギルバートはのんびり会話をしているが、ルビンは混乱の真っ最中である。
「和んでいるところ申し訳ないんですけど、第一皇子ってことは、皇太子ではないんですか?」
ルビンの質問に対し、ギルバートは嫌な顔一つせずに答える。
「私は、今のフィルラデウス三世の第一子として生まれましたが、側室の子だったうえに、ご覧のように炉心も、賢者としての素質も持ち合わせていない。第一に、この髪の色ですから」
「きれいな色だと思いますけど」
「ありがとう。だけど、歴代のクレモネス皇帝は黒髪なんだ。クレモネスの西側の特徴」
「そういえば、エリオット皇太子は黒髪でしたね。――異母兄弟ということですか?」
「そう、エリオットの上には私と、やはり同じく母親の違う姉がいます。そして、エリオットが生まれた後、十人の弟と妹が生まれました」
兄弟事情についてはクリストスに聞いていたが、てっきりエリオットが第一子だと思っていた。
それに、長男が王位を継ぐものだと思っていたが、そうでもないらしい。
自分から遠い世界の話だからしょうがないか、とルビンは一人納得した。
「ところで、お二人はなんで親しいんですか?」
「私がベルンシュタインに依頼したんです。IO計画を阻止して欲しいと」
「待ってください。僕はIO計画を下見しろって言われたんですけど」と言って、ルビンは横に座るベルンシュタインに顔を向ける。
「二つ同時に依頼が来たんだ。俺を半分こなんてできないだろ」
「じゃあなんで一緒に行動しなかったんですか?」
「久々の帝都でパーッとハメ外すために決まってるだろ。お子様は素直に課題をこなしなさい」
ベルンシュタインはまるで犬でもはらうように、シッシッとルビンを手で払う。
そんな子供っぽいことしてる師のほうがよほどお子様だと思うのだが。それを口にしてしまうと、「そのお子様の弟子は誰だ」とか言われそうだからと、ルビンは無視する。
「じゃあ、先生の所にはギルバートさんからの計画阻止の手紙と、アウグストさんからの計画協力の手紙の二通が来てたってことですか」
あれ?
「ギルバート殿下はなぜ、IO計画を阻止しようと思ったんですか?」
数時間前、皇帝に会った時、彼は皇太子が目覚めるなら自分の命など惜しくないと言っていた。
ギルバートの話も、血縁だとか遺伝だとかを重視している。
つまり、錬金術が使えるとかという問題は二の次。
なのにIO計画は国の事業?
ルビンが一人で首をひねっていると、ギルバートが口を開く。
「クレモネス皇帝は賢者でなければならない。でも、イースクリートとの停戦条約で賢者は国政に口を出すことはできない。矛盾していると思いませんか?」
「ええ」
「そう考える者は少なくない。厳密には、今の国政に対して口出しできなくて不満を抱える賢者が多いと言った方がわかりやすいですね」
「でも、国のトップである皇帝が賢者ならば……、あ」
ベルンシュタインが言葉を挟む。
「現皇帝は、素質はあれど賢者ではない。そして、皇太子は病弱で人前に出ることができないと国民に伝えてあるが、それが余計に不安をあおっている。このままいけば、賢者でない者が皇帝になる可能性が高い。この国の賢者はそのことに対して不満を抱えている。いや、現皇帝でさえ、位にふさわしくないと思っている連中は多いだろ」
その息子であるギルバートの前でもかまうことなく、ベルンシュタインは語る。「つまり、IO計画っていうのは、この国の賢者の抱える不満を解消する計画ってわけだ」
「でも、あの炉心は勝手に動くようなそんなものではないですよ、それこそ賢者が外側から力を与えるとかアプローチが――」
「国で造った炉心、その起動権が皇帝位とイコールになってしまったんだよ。今は製造にかかわっているやつらで起動権の奪い合いの最中。お前、殺されかけたの忘れたのか?」
「でも、僕はこの国の人間ではないし、王様とか興味ないですし」
「だけど良い炉心持ってるだろ。アイツらにとって、お前はあの炉心にとって良い燃料なんだよ」
燃料、そうやってたくさんの人たちがあのプールに落とされて、人の姿を奪われた。
「で、でも、イリスがそんなこと考えるなんて思えないです」
ベルンシュタインは黙って煙草を吸って、煙を生産するだけで何も答えない。
しばらくして、ギルバートが口を開く。
「彼女に罪があるとしたら、たぶんその起点は私です。そして私は罰を受けなければならない。イリスもそうです。でも、そうなる前にと思って手紙を書いたんです」
アウグストはミヒャエルに向かって吠える。
「貴様の私利私欲のためにイリスを、私の弟子を利用したのかミヒャエル!」
「それは違うよ。IO計画はの始まりに私は関与していない。本当だよ。彼女が勝手に考えたんだ。ただ、これは使えるなと思っただけ。皇帝を傀儡にするのにね」
「同じことだ!」
ミヒャエルは肩をすくめる。
まったく、ひきこもりを相手にするのは骨が折れる。
「アウグスト、元はといえば君の女性嫌いが発端でもある、とまあ、これは私の予想なんだけどね。君がもっと女心というものを理解していたら、あるいは、彼女の恋心に気づいていれば炉心は完成しなかったんじゃないかな。もしくは君が阻止していたか」
「恋だの女心など、今の話には関係ないだろ!」
「だから、事の発端だよ。なぜイリス君はこの炉心を造ろうとした? 計画書で触れられているね、インテリジェンス・オブジェクト装置は帝位の者、もしくはそれに準ずる者に与えると」
「つまり現皇帝、もしくは次期皇帝に――」
「次期皇帝、皇太子は身体はあっても魂を持たない。ならば末の、賢者としてやっと生まれた王女が次期皇帝? 女帝が妊娠するたびに王宮は嵐だね。妊娠期間中、公務を取り仕切れる優秀な宰相を探さなければならない。この国を複雑にしているのは伝統だよ。国を良くするためなら悪習を廃し、正すべきだと思わないかい?」
アウグストはミヒャエルの話を聞きながら思考を巡らせる。
IO計画の始まりはイリス。
炉心は皇帝にふさわしい者に与える。
悪習を正す。
つまり――
「インテリジェンス・オブジェクト計画、ちょうど、工房の製造が始まった頃です。この庭で私はイリスと話をしました。彼女は、女ながらにアウグストの元で修業を積み、アデプトになっていました。そして」
ギルバートは静かに目を閉じる。
まるで、その時の様子を思い出そうとしているように見えるし、逆に、思い出したくないようにも見える。
閉ざされた瞼の代わりに口が開く。
「そして、私に計画のすべてを打ち明けた後に言ったんです。『私があなたを皇帝にします』と」




