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エメラルド、ルビー、サファイア

 その後、手術室に取って返すと、すでに頭蓋骨がはめられていた。

 さすが、毎日メスを握っている人間は違う。

 頭蓋骨をはめる作業のためだろう。二人の間の距離が広がっていた。


「足りない皮膚はどうするかね? 人工皮膚の用意もあるが」

「そうだな。麻酔もまだ数時間持つ。人工皮膚を使わせてくれ」

「わかった。縫合は君ひとりでやるか?」

「……この手術に関わりたいんだな」

「当然じゃ」


 そう言って、満面の笑みを浮かべてみせる。


「なら右の子を頼む」

「わかった。ところで、名前はどうするんじゃ?」

「名前?」


 補助が人工皮膚と縫合セットを運んでくる。

 クリストスが手袋を新しい物に交換しながら聞いてくる。

 慣れた手つきで針を手にする。


「右と左じゃかわいそうじゃろ」

「だったら、じーさんが縫合するほうがルビン、俺のはザフィーアだ」

「ルビーとサファイヤか。確かに君は宝石錬成の研究もしていたようだが、何か意味があるのかな?」


 口と手、両方よどみなく動く。


「ま、あとで詳しく話すよ」


 あとは互いの手元に集中し、双子の一度目の手術が終了した。


 二人、いや、三人の身体は切り離された。


 本人たちの了解を得てのことではない。体を持たない長男の希望で手術を勝手に行ってしまった。

 しかし熱で意識がないと思っていたのが、実のところ二人とも馬車の移動中には意識はあって、全てを聞いていた。


 ――自分たちの身体はどうなってもよかった。だけど、自分たちが別々の身体になることで、お兄さんが消えてしまうのが怖かった。


 三人そろって兄弟馬鹿ときたもんだ。


 まったく幸せすぎる兄弟だ。


   *


 ルビンとザフィーアは術後、抗菌室に入れられた。

 術後の感染症防止のためと、熱病のせいだ。


 だが、感染症防止のための抗生物質が効いたのか、二人が目を覚ます頃には熱もすっかり下がっていた。


 目が覚めるのはザフィーアの方が早かった。

 目が覚めたかと思ったら、今度はルビンと一緒のベッドじゃないと嫌だと騒ぐ。


 それでルビンのベッドに一緒に寝せてやったら、今度はルビンが目を覚ました。


 二人の意識が回復したのは手術から大体二十時間後くらいだったという。

 そのとき俺は疲労困憊(ひろうこんぱい)で、患者用のベッドで患者よろしく爆睡しているところだった。


 起こしに来たのはクリストスだ。


「双子がね、お兄さんに会いたがってるそうじゃよ」

「せっかちだなあ。まあ、今までずっと一緒にいたんだから、突然いなくなったら不安になるか」


 大きな欠伸が出る。疲労はだいぶ抜けていた。


「じゃが、双子らにあの姿を見せるのは刺激が強すぎるんじゃないかと思ってな」

「だとしたら、その姿を望んだ本人に双子の説得をさせるよ」

「それもそうじゃな」


 冷水を一気に飲み干し、双子の部屋へと向かう。


 懐中時計で確認したところ、時刻は正午過ぎ。たぶん、給仕の者に兄のことを聞いたのだろう。


 しかし、脳の手術をしたというのにとんでもない回復力だ。


 体内に創造の炉心を抱える賢者は、自身の身体も創造物ととらえ、ひとたび傷を負えば、自己修復機能が働くため、一般人に比べれば傷の治りなどは早い。


 つまり、双子の炉心は問題なく今も機能しているということだ。


 扉を開け、抗菌カーテンを開く。

 一つのベッドに横たわる同じ顔が同じ言葉を発する。


「「お兄さんは?」」


 見事に重なった声。


「そう(あわ)てるなよ」


 まだ幼いのにすでに美をはらんだ顔立ち。

 今は頭部の半分は包帯で覆われている上に、毛も剃り上げられているが、美人であることには変わりはない。

 そして、包帯に隠れていない金色の瞳は(にご)りない。

 剃り落した髪の色も金で、肌の色素も薄い。


 たぶん、イースクリートに近いフィアトパオムあたりの貴族の血が入っている。


 貴族に奇形児が生まれた場合、多くはすぐに殺して生まれなかったことにするらしいが、フィアトには、イースクリートの聖始祖信仰を続けている人間は少なくないという。


 その信仰に照らし合わせれば、どんな理由があろうと殺人は罪。だからイースクリートの法に「死刑」という文字はない。


 フィアトパオムはフュンフトパオムに続き、汚染度が高い。


 生んだ母親は――どうでもいいか。この子らを捨てたのだから、親になることを放棄したのだからそんな人間の心情など気遣ってやる義理はない。


 ベッドに近づきながら声をかける。


「どこか、違和感とか痛いところとかないか?」

「兄さんの顔が見える」


 左目を包帯で隠したほう――ルビンが言う。


「お兄さんがいない」


 右目を包帯で隠したほう――ザフィーアが言う。

 なるほど、頭部がつながっていたせいで、お互いの顔を見ることができなかったのか。


「ところでお前たち、普段なんて呼び合っていたんだ?」


 勝手に名前をつけておいてなんだが。


「ただ声をかけるだけ」


 ザフィーアが答える。


「いつも一緒だから、呼ぶ必要もほとんどないけど」


 そう言うのはルビンだ。


「だけどお兄さんは違うよ。いつの間にかどこかに行ってたりするんだもん」

「ずるい」

「ずるいよね」

「そうやってずるいずるいと言うわりに、兄貴の行方は気にするんだな」


「だって」と言って、ザフィーアはメスを入れた右のこめかみのあたりに触れる。「お兄さんの居場所がなくなっちゃったんだもん」

「僕たちがつながってたところがお兄さんの家だっていってたから。家がなくなっちゃったから、お兄さんは戻ってこないの?」


 鼻声でルビンが聞いてくる。


 もう一つの魂の居場所を、二人はちゃんと理解していたのか。

 それを教えたのが本人である可能性は高いが。


 一人用のベッド、大人用とはいえ、廊下を移動できるように作られたそれは、子供二人が寝てて定員オーバー。

 だが、足側のスペースは余裕があるので、そこに腰を下ろす。


「お前たちの兄さんには新しい家を用意してやった」

「お兄さん、家出しちゃったの?」


 泣きそうな声で言うルビンに対し、ザフィーアが「引っ越ししたんだよ」と言う。


「そう、引っ越ししただけだ。そして今もいる」


 両のパンツのポケットから、それぞれ取り出し、双子の前に差し出す。

 双子は、そろって両手を恐る恐る出してくる。

 水をすくうような形をしたそれぞれの両手の上に、新しい家を置く。


「きれい」

「宝石?」


 双子の掌の上で、エメラルドが輝いている。


   *


「人工的に脳を造る研究をしていた時、脳についてずいぶんと研究した。その時、脳というものが酷く(もろ)い、とても人間にとっての重要箇所だとは思えなかった。いくら頭蓋骨で守られているとはいえ、今回の手術みたいに簡単に穴はあけられるし。石で殴れば砕けるだろうし、高所から落ちれば木端(こっぱ)微塵(みじん)だ」


――体で重要な部分って心臓だと思ってた。


「それも間違いじゃない。というか、不必要なものなんてないんだ。ただ、人体を維持したり、動いたり考えたり、行動のすべてを司るのが脳だ。脳は一秒でも血の流れが止まれば細胞が死ぬ。つまり、身体を動かすための指示系統に不具合が起きるんだ。数分程度ならリハビリでまた死んだ細胞を生き返らせることはできなくとも、新しい細胞を作って(おぎな)うことができる。だが、それが何十分と続けば、臓器に対しての指示が途絶え、人は死に(いた)る」


――だから、簡単に壊れないような脳を作ろうと思ったの?


 枕の上に置いたエメラルドが輝く。

 取り出した中脳と小脳を使い、エメラルドを錬成したのだ。


 肉を鉱物に。

 骨を鉱物に変えるのは簡単だ。

 しかも錬金術を用いなくとも理論上は可能だ。

 だが、前者は錬金術でなければ不可能だ。


「錬金術におけるグレート・ワーク、大いなる御業の最たるもので、賢者の石の生成というものがある」


――なにそれ?

「実のところ、俺もよくわからん。それがあれば不老不死の薬が作れるとか、純金を生み出せるとか、なんでも生み出せるとか」


――まるでおとぎ話だね。

「そう、おとぎ話。だが、賢者っていうのは解けない問題が目の前にあると解きたくなる。そういう(さが)を持ってるんだよ。俺も、まだ若い頃に一度挑戦してみたんだ。生成能力の増幅剤じゃなく、外付けの頭脳。人工知能とでも名付けようか。俺は、賢者の石ってものは人工知能だと思って、それを造り出そうとした」


――だから脳の研究をしたんだ?

「そういうこと。それで、脳を動かすのには血流が必要不可欠だということはすぐにわかった。だが、思考はどこで行われているのかがわからなかった。思考しているのは魂なのか? それとも脳なのか?」


――今回手術して魂が宿るためには脳が必要だってわかったじゃん。

「いや、魂が宿ったから脳が作られたのか、脳があったから魂が生まれたのか、そこまではわからなかった。次に、トリスメギストスの感覚球について考えた。感覚球ってのは、ホムンクルスって人造人間がいるんだが、その魂の代わりとして使われているものだ。人間の持つ五つの感覚から生み出した疑似魂。これを元にして作ったホムンクルスの性能は一気に上がった。思考性がアップしたんだ。自分で考え、判断して動く。だから、魂と五感が全く無関係でないということはわかった。だけど、感情を生み出すまでには及ばなかった。まあ、感情は二の次だ。とりあえず感覚球の理論を使って人工知能を生み出そうとしたんだが、感覚球っていうのはあくまでも人間としての身体があってこそなんだ。熱を感じる、痛みを感じる、光を感じる。脳みそに感じろって言っても体がないんだから無理だろ?」


――そうだね。俺も弟たちの身体から抜けると匂いとか寒さとか感じなくなる。

「そこらへんにたどり着くまで、そんなに苦労はしなかったし、時間はかからなかった。だから、それからが本番だってところだったんだろうけど、なんでだろうな。やる気がなくなっちまったんだ」


――諦めたの?

「ああ、諦めた。キッパリとな。すでに錬金術師としては一人前になってたし、人工知能を生み出すことが自分に必要なことか? ってな。でも、お前たちに会って、人工知能を作ろうとした、その研究は無駄じゃなかったなって。研究なんて九割がた無駄なんだよ。だけど、何年越しだろうな。無駄のままで終わらなくてよかったなって、もう一度研究を始めようかって気になった」


――よかったね。

「ああ、ありがとな」


   *


「光ることが頭の中と同じなの?」


 窓から差し込む光に、エメラルドを当てながらザフィーアが質問してくる。


「光ることというか、光を取りこんで内側で乱反射することで脳内の血流と同じ現象を起こしている」

「らんはんしゃってなあに?」


 ルビンが聞いてくる。


 先ほどから宝石で作った疑似頭脳の説明をしているのだが、二人から(ひょう)のように質問が降ってくる。


――二人とも、聞いてばかりいないで少しは自分たちで勉強することを覚えろよ。


 全くその通りだ。


「でも、勉強するのはお金がかかるんでしょ?」

「本なんて買えないよ」


――孤児院でも簡単な勉強はできるんじゃない?


「いや、クレモネスの孤児院は食わせるのと、寝床を与えるくらいしかしない」

「じゃあ、先生が教えて」


 ザフィーアが見上げてくる。


「わからないこと教えてくれるの?」


 少し引っ込み思案気味だと思っていたルビンまで。

 二人の言葉に、脳に直接語りかける声が笑う。


――先生だってさ。先生?


 アデプトになり、師とは死別し、ホーエンハイム当主になって十年近くなるが、弟子なんて取ったことがない。そもそもとる気なんてまったくなかった。


 というか、手術後のことを全く考えていなかった。

 ただ三人に分けることに夢中だった。


 いっそ、このままクリストスに預けるか? 二人とも炉心持ちだし、アデプトになれるだろう。

 そしたら、今度はクリストスの病院なり、彼が出向しているというローゼンクロイツの大学で仕事をもらえば生きていける。


 でもなあ、こういうのを愛着っていうんだろうなあ。

 初めて主治医になって、執刀までして、魂の入れ物まで作ってやった。

 そのうち、家に三人――いや、二人増えても大丈夫かなんて勝手に想像して。


 ――完敗だ。


「わかった、お前たちみんな俺のところで錬金術師になる勉強をしろ。お前たちには錬金術に必要な炉心がある」

「お金ないよ?」


 ルビンの言葉にザフィーアが頷く。


「それはお前らが一人前になってから、それぞれ稼いで返せばいい。ただ――」


 二人の手元からエメラルドを取り上げる。「このエメラルドはお前たちが一人前になった時、錬金術師としてアデプトという(くらい)になった時に返す。兄さんを返してもらいたかったら勉強に(はげ)めということだ」


――強引だなあ。


 その声は言葉に反して笑っている。


「一人前になれるまでお兄さんに会えないの?」


 ルビンが泣きそうになる。


「そんなことはない。もう少し体力が回復したら、眼球を移植する。その眼球はこの石の一部で生成しているところだから、瞳を埋め込めば前みたいにお前たちの中に兄さんは帰ってくる――っと、」


 俺が引き取るのだ、大事なことを忘れていた。


「名前がないと不便だ。お前はザフィーア、お前はルビン」


 名前を決めた時点で、もしかしたら心の隅でこの三人を自分で育てたいと思っていたのかもしれない。


「そして、お前たちの兄さんはスマラクトだ」


 ザフィーアとルビンは名前を呼び合ってはしゃいでいた。


 サファイアとルビーは同じ化学組成。

 エメラルドは同じくアルミニウムを含むが硬度も比重も二つには劣る。


 勉強していくうちに、あてずっぽうで名前を付けたことがばれるだろうが、それくらい言えるようでなければ、俺の――ベルンシュタイン・モルゲンロート・ホーエンハイム・アポステルモルゲンの弟子ではない。


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