足りないオトコ
誠心誠意、僕にできる最高の笑顔を浮かべている。
まあ、無理やりだけど。
リーフレアとクレモネスをさえぎる国境検問所。
兄さんから聞いた時は「まさか」と笑い飛ばした出来事が、今己の身に降りかかっている。
この様子を兄さんがリアルタイムで見ていたらたぶん鼻で笑うはずだ。
検問官たちが、こちらが提示した書面を見ながら、あーでもないこーでもないと言い争っているうちに、懐中時計を盗み見る。
足止めをくらって約一時間。
後ろで待ってくれている馬車の御者さんもだけど、クレモネス側でも待っているんだろうなあと思うと気が重くてしょうがない。
そもそも、いままでの生活は、この格好で苦労したことなんてほとんどなかったからなあ。
濃緑の制服に身を包んだ、絵本に出てくるドワーフみたいなおじさんが、何度目かわからない話し合いを終えて、こちらに引き返してくる。
「やっぱり他に身分を表すような何かないとだめだよ、嬢ちゃん」
喉の奥に常に痰を抱えたガラガラ声で明らかに酒焼けしてるけど、飲んだくれて仕事しない悪い役人ではない。だからなぜだか手間を取らせて申し訳ない気持ちになってしまう。
「ですから、僕は男なんですって」
「そりゃ、さっきから聞いてるけどよ。見た目がよぉ」
「こ、これはですね」
身につけたスカートの裾を軽く摘まむ。
白のブラウスに濃紺のロングスカート。上は黒のベルベットジャケットに、首元には貝細工のブローチにシルクレースのスカーフ。
足元は薄手のソックスに少しヒールの高い革ブーツ。
そして前髪以外は伸ばしっぱなしの、腰まで届くほどの長い金色の髪。
――女性にしか見えない。
「でも、身体的特徴の部分にヘテロクロミアって書いてるじゃないですか」
「その点はなあ、簡単に偽造できるもんじゃねぇしなあ」
左右で色の違う瞳。
通常、その色の違いは濃いか薄いか程度で、色相の違いまでは及ばないのだが、自分の瞳は、はっきり違う。
左目はエメラルド。右目はゴールド。
「珍しい身体的特徴は合致してるんだから――」
「でもどう見ても『嬢ちゃん』だろ?」
「だーかーらー」
僕だって、これが女性の格好だなんだって知ったのここ数年の話なんですよ。
先生が買ってきた服を何の疑いも感じず着てた僕も悪いとは思うけれど。
「それに、声だってよ」
ドワーフおじさんの言葉に、眉間に寄った皺を指先でほぐす。
カストラート、この明らかにアウトドア派で宗教芸術に興味のなさそうな彼に教会音楽の歴史なんて語ったところで――ともかく時間の無駄だ。人を待たせた状態なのだから、ここは手短に済まさなければならないのだ。
「わかりました」
検問所の小屋に足を進めながら意を決する。「裸になってモノを見れば信じてくれますよね?」
「え、い、いや、そうだけど……」
ドワーフおじさんが追いかけてくる。
「それじゃあ、俺たちが服を脱げって強要したとか、」
「あとでそんなことを国の偉い人には話しません。とにかく僕は早く検問を突破しなければならないんです。相手側も待たせてることですし」
「でもさすがに脱ぐってのは――」
「だったら触ります?」
「はぁ!?」
なんでそこで金塊掘り当てたような声を出すんです?
「ともかく、僕が男だってわかればここを通してくれる、そうなんですよね!?」
「お、おう」
「だったら脱がすなり、触るなり好きにしてください!」
その言葉に他の検問所職員も呆気にとられていた。
なんだ君たち、男に触ったことがないとか言うのか?
先導されて検問所の小屋に入りながら、財布の中身を思い出す。
男物の服を一式買うくらいのお金、持ってきてたかなあ? 珍しい本とかツールとかあったら買おうと思ってたのに、服になんてお金かけたくないなあ。
身体検査はたった数分で済んだ。
その後、杖越しに兄さんにそのことを話したら、「自分はすぐに服を脱いだからそんなに時間かからなかったよ」って。
だったらそう言ってくれよと、動き出した馬車の中で僕は頭を抱えた。