大いなる御技
グロいのが苦手な人はご注意ください
馬車をフラメルの病院の裏口に横付けする。
陽が落ち始め、とうに外来の診察は終わっている。
裏口に、あらかじめことの次第を伝えておいたクリストスと、数名の看護服に身を包んだ男たちが待機していた。
「担架を!」
馬車の扉を開けて、誰に向かってというわけでもなく叫ぶ。
男二人が厚手の生地を張った担架を持って駆け付ける。
広げられた担架の上に、二人を乗せる。
「熱は?」
クリストスが聞いてくる。
「三十九。これからもっとあがる可能性が高い。氷を用意してくれ。あと血液検査と生理用水と輸血。手術着を貸してくれ」
「君がメスを握るのかね?」
「ああ、じーさんは手術の様子を記録してくれ。あと、門下生で手の空いている者を呼んでくれ。正直、何時間かかるかわからない」
クリストスは髭を撫でて少し考えるが、頷き、小さく「わかった」と呟く。
「とりあえず二人の髪をそり落としておいてくれ。あと麻酔だが、全身麻酔はダメだ」
「局部麻酔かね? いくら脳に痛覚はないとはいえ……」
「熱で体力を消耗している。じーさんの麻酔術は信頼している。だが、つながっているのがどの程度血液が循環しているかわからないが、片方に麻酔が回って過剰摂取になるとも限らない」
「なるほどな。だが、切り離したあとなら循環はおこらん。頭部を閉じる時は別々に全身麻酔を施しても大丈夫ではないかね?」
「……そうか、頭部に臀部の皮膚を一時的に移植するつもりだったが、そのほうがいいな」
院内に入り、汚れた服や靴を脱ぎ、手を神経質なまでに磨いていく。
「ありがとな」
その言葉に、並んで手を洗っていたクリストスは一瞬動きを止める。
そして、これから大手術を行うとは思えない、のんびりとした笑い声を上げる。
「これはこれは、明日は吹雪かな?」
「何がおかしい?」
「君に感謝されるとはな。長生きはするもんじゃ」
「今まで俺をどんな人間だと思ってたんだよ。金も後で返す」
「気にするな。全ては人命のため。ワシが掲げる理念じゃからな」
人のため、人間の病や怪我の治療のために数々の人体実験を行ってきた。今だってそうだ。
矛盾している。
そう思ったが、あえて言い返さなかった。
それよりも優先すべきは双子の手術である。
三重のカーテンを施した抗菌室に入る。
菌を繁殖させないための低温も空調も保たれている。
抗菌室を維持しているのは、フラメル一門の者たちだ。まったく、錬金術様様だ。
クリストスが、始めに今回の執刀を担当する私を皆に説明する。
「長時間の手術になると思う。補助は少しでも疲労を感じたら他の者と変われ。俺に伝える必要はない。いいか、俺は完璧を求めている。どんな治療でもそうだ。治療は十全でなければ失敗だ。一つのミスで患者は死ぬ。それくらいの緊張感を持ってくれ。では、頼む」
手術台に置かれた二人の身体。
心臓の上には脈拍に応じて点滅する拍石、腕には血圧によって色が変化する圧石が置かれている。これらは医療以外にも様々な場で用いられる知能石だ。
「熱は?」
「三十九度五分、上がっています」
「睡眠薬の継続時間は?」
「体重から十時間は持つと思います」
「輸血準備できています」
「点滴確保しました」
始めに手術台に集まった補助は四人。それに緊急要員として、隅に二人控えている。
そして、手術着に身を包んでいるが、メスではなく、筆を握るクリストスがいる。
「一応酸素吸入器を用意しておいてくれ」
今は睡眠薬で安らかに眠る二人の前に立つ。
金色の髪はすべてそり落とされている。
――二人の身体に何かあったら俺が教えてやる。
――それはありがたい。
「これから手術を開始する。輸血を開始してくれ」
まずは二人の結合部分を観察する。
かろうじて瞼はあるが、閉じている。これは眼球もない可能性が高い。
深くつながっているのは顔ではなく頭部だ。
「局部麻酔。俺が右側に注射する。誰か、左の方を頼む」
一番背の高い男が注射器を手に、細い腕を持ち上げる。
「同じタイミングで打つぞ。二、一」
ゼロのタイミングで二人の額に打ち込む。
いくら痛みをなくす麻酔と言えど、注射の痛みまではどうにもならない。
痛みに、二人とも顔をしかめるが、泣きわめくこともしない。黙って目じりから涙をこぼす。
「麻酔時計をセットしろ。あと血圧のチェックだ」
壁にかけられた大きな計測時計の針が回り出す。
「クリストス、子供用の義眼サンプルなんかは用意できるか?」
「ああ、あるが、眼球の方も今やるのか?」
「いや、今は結合部分と頭蓋骨の生成と皮膚移植だけだ」
――頭が変な感じ。
――どれ。
麻酔を施した部分を小さいハンマーで叩く。
――痛みを感じるか?
――叩かれてる振動がわかるだけ。
――なら大丈夫だ。
「麻酔が効いてきたようだ。メスを頼む」
手を差し出すと、ゴム手袋にしっかりと押し付けられるように渡される。
さすが、医学に力を入れているフラメル一門の道具だ。刃を入れてもすぐに出血が起こらない。
だが頭部は血管が集中しているので、すぐに頭部手術用の血液の受け皿が赤で満たされる。
「ガーゼ」
ピンセットで刃を入れたところの血を圧迫止血する。
「鉗子」
シザープライヤで切開した部分を広げ、続いて薄い脂肪膜を除去する。
そして、現れた頭蓋を確認する。
新しいガーゼで血を拭う。
やはり、頭蓋は結合しているが、丸めた粘土と粘土をくっつけたように窪みが存在している。
「ノコギリ」
もちろん医療用だ。
骨を削り出すと、一人がその場を離れ、待機していた一人がすぐさま駆けつける。
人体をいじる時、顔を見なければ気分は悪くならないという者が多いそうだが、今はその顔面をいじっている。
ベテラン助手でも辛いだろう。
――頭が揺さぶられてる気分。酔いそう。
――吐けるなら吐いてもいいぞ。
「二人の熱は?」
「変わりません」
ノコギリを引く手が軽くなる。たぶん、脳まで達したのだろう。
今度は小さいモノを用意して、脳がどうなっているのか見るための小窓を掘り出す。
「今のうちにありったけのガーゼを持ってこい。輸血は大丈夫か?」
「まだ余裕があります」
「左の子の血圧が下がっています」
「しばらく様子を見てくれ。――強心剤を用意しろ。汗」
室温は普段だと寒いくらいに保っているのに、汗が噴き出してくる。
目は手元に向けられたまま。
それを遮らないように、補助が汗を拭きとってくれる。
そうこうしているうちに、頭蓋の一部がはがれる。
「トレイ」
差し出されたトレイの上にそれを置く。
まだ薄い。子供でなければ削り出すだけで輸血パック一個使い切ってしまっただろう。
「ガーゼをくれ」
ピンセットでガーゼを挟み、開いた穴に当てて血を吸い取る。
なるほど。
「クリストス、見てくれ」
筆を持ったまま、彼は穴を覗き込む。
「これは……」
すぐにあふれてくる血をガーゼで吸っていく。
「延髄じゃないのか? なぜ前にあるんじゃ?」
「最初に話しただろ。三人格だって。たぶん、双子の脳の結合によってもう一つの脳が出来た。その場合、左右左右でくっついているんだから、間のもう一つの脳は、普通の人間に当てはめれば後ろ向きになる」
「なるほど、じゃが、延髄がここにあるということは中脳と小脳がある」
「可能性は高い――一番小さい鉗子をくれ」
鉗子を差し込み、延髄をつかむ。
――お前、何か感じないか?
――いいや。五感のことを言っているなら、弟たちの身体でしか感じないよ。
「となれば」
慎重に鉗子を引く。
ゆっくり、ゆっくりと。
そして、どこにもつながっていない脊髄が簡単に出てきた。
ため息をついたところで、もう一人、補助が入れ替わる。
さすがに、奇形の手術はメンタルに来るか。
「たぶん、二つをつなぐ中脳と小脳を切除してしまえば、双子の身体には影響はない」
「だが、かなり細かい作業になるぞ。血管一本痛めるだけで失敗だ。やり直しはきかんぞ?」
「始めから覚悟はできている」
「……わかった」
クリストスは肩に手を軽く叩く。
そして、声を張り上げる。
「明かりが足りん! 蝋燭を持ってこい! あと、手術室管理の者にも空調と温度の変化に対していつも以上に気を使えと伝えろ! 精神的に辛い者は今すぐ補助を変われ。誰も笑いはせん。ここで心を痛めるな。強くなって次の手術に望め!」
手術室の雰囲気が一変する。
さすが、当主様が活を入れると気合が入るもんだな。
周りはしばし慌ただしくなるが、すぐに新しいノコギリを手にする。
先に切り離さなければならない部分に取り掛かる。
何も言わなくとも、輸血パックが交換される。
「左の子の血圧が下がる一方です」
「強心剤を、ハーフで生理用水経路に打ってくれ。右は?」
「大丈夫です」
つながった頭蓋の切除は完了した。
「クリストス、骨格医は?」
「今はおらん。頭蓋骨の複製か?」
「そうだ。脳の摘出が完了したらすぐに蓋をしたい。双子の体力が不安だ」
「それならわしがやろう。同じものを二つ用意すればいいんじゃろ?」
「頼む」
クリストスは記録を補助に頼み、切り取った頭蓋を持って手術室から出ていく。
双子の頭蓋の遺伝子情報を粉末カルシウムに転写して、本物とほぼ変わらない骨を作り出すのだ。
双子なのだから、結合部分は互いの結合していない部分を元に形成すればいい。
それよりも問題は脳の摘出だ。
「光を頼む」
照らされた幹部を覗き込む。
「すまないが、椅子はないか?」
たぶん、背の低いクリストス用の高さの手術台なのだろう。
低くて腰が痛い。
補助がすぐさま椅子を差し出してくる。
それに座り、新たにメスを手にし、慎重に刃を入れる。
何事も最初が一番緊張する。
だが緊張は集中力を高める。
周りの音が遠くなる。
クリストスの弟子たちも理解したようだ。
こちらから言わなくてもガーゼや、代わりのメスを差し出してくれる。
まさに連係プレーがなせる業だ。
俺やクリストスという天才一人がいたところで、この二人、いや三人の命は救えない。
助け合いが人を救うのだ。
だが、そういうのが鬱陶しくて、一人でもできることをこなしてきた。
一匹狼の強がりだ。
一人でなんでもできることがかっこいいと思っていた時期があった。
たぶん、この子らと同じ歳くらいの時だろう。
すでに先代ホーエンハイムへの弟子入りも決まっていた。
孤独を誤魔化すために周りを馬鹿にした。親でも見下した。
だけど、いくら天才だって、一人で出来ることなんてたかが知れている。
一人でなせる大いなる御業なんて、今は存在しない。
「そろそろ麻酔が切れる。もう一回打ってくれ」
こちらは手が離せない。
補助が「せーの」の掛け声で麻酔を打つ。
左の血圧は安定したようだ。
だがまだ熱が高いのが気になる。
しかし、熱が高いということは、この子らも無意識に戦っているということだ。
死に抗っている証拠だ。
自分も負けてはいられない。
頭から冷水をかぶりたい気分に駆られる。
中脳、小脳を少しずつ切り離しながら、メスの先で構成を行い、大脳の傷を塞いでいくという並列作業。
もう二度とやらないと思うと同時に、今しかできないという貴重性に対し、欲望が指先を動かす。
――脳の切除が完了した。
「トレイ!」
指先を入れて慎重にそれを取り出し、同じようにトレイの上に置く。
「クリストス! 頭蓋は完成しているな!」
「しっかり抗菌保存しておる」
「だったら蓋は任せる!」
「お前さんはどうするんじゃ!?」
中脳および小脳の乗ったトレイを受け取り、手術室の出口に向かう。「隣にももう一つ手術室があっただろ? 使わせてもらうぞ」
返事も待たず、抗菌カーテンの内側を通り、隣の予備手術室に駆け込む。
こちらもちゃんと抗菌も空調も行き届いている。
分娩などの際、子供に何かあった時の場合のために設けられた部屋だが、今度からは今回のような結合双生児の手術に使われる機会が増えるだろう。
――俺って、そんな気持ち悪いのが本体だったんだ。
「だったら綺麗なものに変えてやる。って、お前に決定権はないんだがな」
手術台の上に、切除した脳を置く。これはまだ生きている。
炉心に似た波長を感じる。
「人工的に脳を造る研究をしたことがあってな。その時に投げ出した案だが、お前にこそふさわしい」
――それは、
室内が錬成光で満たされる。
――ちょっと期待しようかな。
微かに、語尾が笑っていたような気がした。




