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カラダを持たない兄弟

 室内には、眠ったままとはいえ、数本の蝋燭が灯されていた。


 十五年間眠りっぱなしの皇太子。


 部屋は生まれる前から用意していたのだろう。十五歳には似合わない家具やおもちゃがたくさん置かれている。


 与えられた本人はそれで遊ぶことができないのに。


 天井から下げられた白いジョーゼット生地が、テントになって、皇太子の眠るベッドとその姿を隠している。

 医療器具のたぐいは見受けられない。


「僕なんかが見てもいいんですか?」

「お前さんがいないと始まらんじゃろ」


 クリストスが繊細な手つきでジョーゼット生地をかきわける。


 現れたのは、安らかな寝顔だった。


 やせ細っていると思ったがそうでもない。蝋燭の明かりで正しく認識することはできないが、肌はとても白い。

 髪の毛も伸び放題ではなく、定期的に鋏が入れられているようだ。


「意志が抜け落ちてるだけなんじゃよ。だから、目を開いている時もある。食事を与えれば口を開く。体の方は健康そのものじゃから、腹が空けばお腹は鳴る。排泄もする。ただ、意志表示がないのだ」

「それで、魂がないと」

「もし、本来あるべきミクロコスモスにたどり着けず、マクロコスモスをさまよっているというのならば、連れてきてほしい。本来あるべき場所に」

「でも、十五年も離れていた魂が定着するか、難しいですよ?」

「それは、皇太子の魂が見つかってからの話じゃ」

「それも、そうですね」


 黒髪の皇太子の眠る白いベッドの脇に腰を下ろす。

 アルケミー・ツールのエメラルドを、同じくエメラルド色の左目の(まぶた)にあて、心の中で兄の名を呼ぶ。


 ――スマラクト。


 今日はやけに機嫌がいいようだ。

 すぐに僕の意識は遠のいていく。




 ルビンの上半身が、力を失い、ベッドの上にうつ伏せになる。

 金色の髪が舞い、背中を滑り落ちる。手から、杖が転がり落ちる。

 

 しばらくして、彼は上体を起こし、頭に手を当てながら辺りを見渡す。


「大丈夫かね? ルビン君」

「俺を呼んだのは、じいさんだろ。間違えんなよ」


 そう言って、クリストスの顔を見上げる。


 金色だった右目も今はエメラルドに変わっている。ヘテロクロミアではなくなっている。


 ルビン、ザフィーア、そしてスマラクト。


 三つ子の長兄、いや、スマラクトを兄として、ルビンとザフィーアは彼の双子の弟。

 二つの身体――正確には一つの身体に三つの魂が宿ってしまった子供。


 ベルンシュタインが見つけ、体を二つに分けたが、その犠牲として、スマラクトは入るべき体を失い、本来であればマクロコスモスへと(かえ)るはずが、ゴーストにもならず、ルビンとザフィーアの身体を借りて、たまにこうして表に出てくる。


 普段は、二人が持つアルケミー・ツールのエメラルドの中で眠っていたり起きていたり、たまにマクロコスモスの果てへと足を運んだり。なのに、スマラクトの魂は消えない。


 スマラクトは一度大きく背伸びすると、皇太子が眠るベッドの端に腰かける。


「さっきから話は聞いてたから、細かい説明はなしにしたいんだけどさ」

 両のエメラルドの瞳でクリストスを見る。「まさか、皇太子の魂が見つからなかった場合、俺を皇太子の身体に入れるとか、そんなのは無しだぜ」


 スマラクトの言葉に、クリストスは「まいった」というようにため息をつく。


「さすがじゃの。こちらの考えもお見通しか」

「簡単すぎるだろ。問題としてはお粗末すぎる。魂のない体が一体あります。肉体のない魂が一個あります。都合良すぎるって」

「じゃが、スマラクト君、君はいつも言っているじゃないか、自分が弟たちの負担になってないかって」

「それはそれ、これはこれだ」


 まるで見せつけるように長い脚を組む。「ルビーとザフィーと俺は元々一つの身体で生きてた。それは今でも違いない。こんなにもすんなりなじむんだから。だけど、あいつらは俺みたいにこのミクロコスモスという肉の器から抜け出せない。俺は狭いと感じたらベルンが用意した石やマクロコスモスで羽をのばせる。だけど、弟たちはそれができない。ただの人間だから心配してんだよ」


「まったく、兄馬鹿だねぇ」

「馬鹿でけっこう。とにかく、俺が皇太子の身体に入るってのは無しだ。俺にも人権をくれるだろ? あんたなら」

「そうじゃな」


 クリストスはゆっくりと目を閉じる。


 合わない身体に押し込めるというのも酷な話。だが、スマラクトもルビンもザフィーアも、三人の誰もが王にふさわしいとクリストスは思っている。


「で、俺は皇太子のところに行って、早く目を覚ませって一発殴ってくればいいんだろ?」

「あのね、手荒な真似はしないでほしいかな」

「十五年も惰眠(だみん)むさぼってるやつにそれくらいしたって構いやしねぇだろ。ってことで、さっそく行ってくるわ」


 スマラクトはそのまま、上体をベッドに倒し、右手をヒラヒラと振って見せる。


「じいさん、長生きしてくれよ。んで、あんたが死んで、ミクロコスモスからマクロコスモスに還る時、飛び切り、すっげぇ風景見せてやるから」


 スマラクトがいつか話していた。


 ミクロコスモスとマクロコスモス、二つのコスモスの間にカオスが存在する。

 カオスという境界線。たまに、そこから人界では見ることのできない美しい景色が見えるという。


 スマラクトはそれを「イノセントコスモス」といった。


 何もない。

 終わりも始まりも。

 生も死も。

 男も女も。

 ただ光のようなものがある。

 でも誰もいないから影はない。


 スマラクトはたった一人、その場に立つことができるから一人分の影ができる。


 実体を持たないのに、影ができる。

 それだけで、自分の存在はこの宇宙に許されていると感じたという。


 ミクロコスモスとマクロコスモスの間。


 カオスの中。

 わずかな隙間。

 存在を確かめるための、スマラクトのためだけに用意されたような舞台。

 そんな景色を想像するだけで、まるで本当の孫の晴れ舞台を見ているかのように、クリストスの心は満たされた。


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