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プロローグ

 綺麗な髪だと思う。


 金より薄い色。まるで甘酸っぱいレモンクリーム。

 目の色も薄い。まるで湖に張った厚い氷のような色。肌が白いのはこの地方特有のもの。だけど、周りより白く感じるのは普段外に出ていない証拠。


 満月の夜。

 王宮の裏側に設けられた庭園を歩く。


 数日で終わる、短い夏。


 一年の大半を雪に閉ざされる、時間の止まる国。

 止まった時間の中で育つものは少ない。


 この国は錬金術師――賢者の国。


 長い冬で、ろくに植物が育たない土地で生きていくためには産業が必要だった。他の国との貿易が必要だった。


 錬金術師たちは産業の知恵を民衆に与えた。


 ただの製鉄程度ならば、賢者の素質がない者でも行える。

 そして、人々が集まり、国と呼べるだけの大きさになった。

 国とは、王がいて、民がいて、法があって成り立つもの。


 錬金術の大家、トリスメギストス、フラメル、ローゼンクロイツ、ホーエンハイムの四つの家から王を選定することになった。


 しかし、その中でももっとも優れ、有力であったホーエンハイムは王位にも民草にも法律にも興味はないと言って国を去る。


 残った御三家の中から王が選定されることになる。


 だが、時代の流れとともに、錬金術師の血は薄れた。

 国が豊かになればなるほど、賢者の出生率は低くなった。

 まるで、もう国に錬金術師が必要ないとでもいうかのように。


 だけど、皇帝は賢者でなければならない。


 現皇帝は、賢者を生むために、錬金で有名な家の令嬢はもとより、錬金術師として素質のある女性を見境なく側室に向かえては子作りに励んだ。


 だが、生まれ育った十三人の王女と皇子のなかで、始めから錬金術師として必要不可欠な炉心を持って生まれたのはたった二人。素質を見出されたものは三人。


 目の前を歩く彼は、そのどちらでもない、期待外れの子。ただの人。


 歴代皇帝は黒髪であるのに関わらず、彼の髪はそれを否定するような眩しい光の色。


 その色を血のつながった父でありながら忌み嫌い、あまつさえ生んだことさえ自身にとっての汚点であると、彼は離宮に送られ、人目から遠ざけられた。


 彼と出会ったのはたまたまだった。


 父に連れられて訪れた首都エアストパオムの王宮は広く、迷うのは必然だった。

 そんなところを助けてくれたのが彼だった。


 たまたま、用があって本殿にいたのだと言う。


 現実主義者となった今の私ならば、あれは偶然だったと思う。

 だけど、たまに現れる理想主義な私は「運命」という。


 「運命」、なんて甘美な言葉だろう。


 賢者は運命を否定する。いや、運命さえも必然に変えなければならない。変えてこその賢者。

 でも、出会いは数式ではない。だから、彼との出会いは純粋に運命だったと思いたい。


 そんな彼に手を引かれ、庭園を奥へ奥へと分け入っていくと、やがて城壁の石の重なりがしっかり見えてくる。


 堅牢な石の城壁。それは人の手で、たくさんの岩を重ねて造りあげたもの。

 国民が汗水を流して造った「守り」の中にそれはあった。


 数日で失われる花々の楽園。


 小川のせせらぎが聞こえてくる。

 手入れの行き届いた花壇はどんな貴族の屋敷のそれよりも広く、素敵だった。

 名前も知らない、月光に照らされた花々。夜風が夏の匂いと共に花の慎ましい香りを運んでくる。


 前を歩く彼は立ち止まると、ランプの明かり調節する。


 明るくしたり、暗くしたり。


 すると、せせらぎが聞こえるほう、その草むらの周りに小さな光が瞬いた。


 小さな黄緑色の光。

 葉にくっついて夜風に揺れるに任せるものもあれば、宙を舞うものもある。


「……きれい」


 思わず、言葉が口を突いて出る。

 その一言で満足したのか、彼は「よかった」っと微笑み交じりに呟く。


「夜光虫は綺麗な水でしか育つことができない。だからもう見れるのはここや、もっと北の山の中だけ」


 綺麗な水、それはいともたやすく高級品になった。

 製鉄や錬金術、それらの工房から流れ出る廃水が人体はおろか、自然界において有害なものであると判明したのは最近のことだ。


 いや、知っていても気にも留めていなかった。


 すべては国の発展のため、錬金術の発展のため。他の工房を出し抜くために致し方のない犠牲。

 だが、そうやって無視してきたものはやがて、奇形児として賢者の前に姿を現した。

 賢者の中には錬金から離れ、人体に目を向ける者も少なくはない。


 というのも、錬金における大いなる御業(グレート・ワーク)の中には「不老不死」も含まれ、人体と無関係な研究ではないのだ。


 普段は錬金の研究を行っていても、そこにいたる前段階で人体学を修める。


 そのまま医者に転じる者もいるわけだが、そこで奇形の原因は工房から垂れ流される失敗品――汚染水であることは容易に知れた。


 後天的に体に異変をきたす者もいた。


 賢者でなくとも、その末端、ただ火を起こすために雇った男でさえ、その熱と光で目をやられ、失明などという話は珍しくはない。


 それならばまだマシなほう。亜鉛や水銀で蝕まれた者の寿命は一気に縮まる。


 だが、すべては錬金術のため。

 大いなる御業(グレート・ワーク)が完結に至れば、どんな病も奇形も簡単に治せる。


 どんなに憎まれようとも――恨まれることは賢者にとっての誉れなのだ。


 小さな光をゆっくりと点滅させながら、満月の光の中を漂う夜光虫。


 こんなに美しい生き物を生み出す賢者を私は知らなかった。

 こんなにも美しい物を絶滅させようとしているのが賢者だとは知らなかった。


 ただ、立派な賢者になったら、こんな幻想的な景色をもっとたくさんの人に見せることができると純粋に思っていた。


 その時はまだ気づいていなかったから。


 幼さゆえの浅はかな、ひと時甘いの夢。

 美しいものを生み出すことに犠牲が必要だって、これっぽっちも知らなかった。美しいものは何もしなくても、ただそこにあるのだと、あり続けるのだと愚直に信じていた。


 失われることはない。


 だけど、たくさんのテキストを読み、学んでいくうちに知って、絶望する。


 永遠なんてこの世にはない。永遠を手にする方法があってもそれは今の人の手では届かない果てにある。


 夜光虫は瞬く。

 そして死んで土に還る。


 ひと夏の幻想。限られた命の輝きだからこそ、なおのこと美しい。


 できることなら、もっとたくさんのはかなさを見たかった。


 もっとたくさん知りたかった。


 でもいい、これでよかったと、最後の時に心で呟く。

 あなたと一緒に見た景色はこれで守られるから。


 隣で、ずっと一緒に見ていられないのが悔しくて涙が出てしまうけれど。


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