ネクストバッターズサーク
1
私は須田菜矢芽という。
「ここをこう握って、ボールが来たらこう振り抜くんだ。」彼はそう手際良く教えてくれた。彼がそう教えてくれるのが、小学校の頃の私にとってはとても嬉しかった。少年野球という名目上、少女であった私はチームメイトは愚か、監督にさえも良いように扱われなかった。だけど彼、宮木大希だけは違った。少女の私にも、熱心にアドバイスをくれたり、試合でも代打で出たときなどは、ポンと背中を叩いて来て、にかっと笑って「頑張れよ」と言ってきてくれた。私はそんな大希を気がつけばいつも思い出すようになっていた。そしてあの活発さを思い出すたび、内気な方向へと向かう自分の心が、外へと放たれていくような気がした。そう、彼が私を陽気な人間にしてくれた。私はそして、中学にもなるとクラスでもトップのグループの仲に入れるようになっていった。だが、それはただの間違いであったと気がつかされる時が来た。
それは高校の時の話。それはまた、大希によって知らされたことだ。
2
私は髪を少し茶髪に染め、スカートを短くしていた。それは生徒指導の先生に歯向かう行為であったけど、それがまた楽しいと感じていた。今の私なら馬鹿馬鹿しいと思い、きっとそいつを軽蔑していると思う。そんなチャラかった私は、それこそ同じようなチャラい子達とつるんでいた。教室では人目も気にせず大声で話をしたり、人の噂話をおかずにご飯を食べたりしていた。それは小学生の頃の私から見ても異常だし、今の私から見ても封印したい自分だ。少なくとも誰かを見下していたし、それは私と大希君との大きな違いだと今なら分かる。だけどあのときの私はそんなことどうでも良かった。もしかしたらあのときの私は、大希君が恩人だということも忘れていたのかもしれない。だから今では、あのときの私は本当に私だったのだろうかとたまに思い悩む程だ。
そしてそんな高校2年生のある日の朝、転校生がやってくるという噂がたった。私たちは例のごとく「イケメンだと良いね」「でも前3組にきたやつ、根暗だったよねえ」「ああ、ああいうのは勘弁」とそんな会話をしていた。そして朝のホームルームの
時、彼はやって来た。
私は一目で分かった。先生に連れられてやって来た少年。それは宮木大希だった。小学校で一旦お別れし、もう一度会いたいと心のどこかで思っていた人。私は少し、ニコニコしながら黒板の前にたった彼を見る。しかし、何故だろう。昔の彼と、雰囲気が違った。にこりともせず、おどおどとした感じをしていた。私はだから、なんだ人違いか、という思いを感じながらニコニコ顔を元の素っ気ないのに戻した。
そして彼は、小さい声で自己紹介を始めた。
「初めまして。僕は宮木大希と言います。一旦茨城県に引っ越してましたが、実は出身はここなので、初めましてじゃない方もいるかもしれません。ともかく、よろしくお願いします」
そして彼は私の横に用意されていた机に近づいて座った。そして私はキョトンとしていた。
こいつが大希?小学校の頃、私が憧れていた人?
私は悩んだ。そしてふっと笑みを浮かべた。少女の頃の私と今の私とは違う。あの頃の憧れなんて今の私には関係ない。そう考えた。そして、隣のやつは、どうでも良いやつとなり、そしてあろうことか、根暗な奴と言うことでグループの話題の人となっていた。私もそれを面白可笑しく言い合いながら、裏で大希を貶しまくった。今思うとそれは後悔でしかなく、どうやっても償えないような罪であるような気がする。
だが、秋の幾日か、彼はまさかの展開を迎える。彼はまた、野球部に入ったのだ。いや、別におかしいことじゃ無いのだろうけど、あの根暗になった大希がまたあのグラウンドに立つと言うのが、とても信じられなかった。
私たちは帰宅部だった。それなのに関わらず用もなく放課後は学校内をウロチョロしていた。講習のひとつでも受けておけば良かったものの、あろうことか活動している部活に顔を出しては、気の向く知り合いにちょっかいをかけていたのだ。それでいつの日にかは野球部にも顔を出した。そこには小学校、中学校と同じ水城肇がいるのだ。肇は野球部の副部長で、眼鏡を掛けているがイケメンだと言われている。そんな彼に私はグループから抜け出して近くまで行き「肇、おひさー」と声をかける。すると彼はいつもなら「おう、須田」と素っ気なくも返して来るが、今日は声をかけても返事が返ってこなかった。バットを振るってはいたが余裕はあったらしく、彼はただ私を見て、まるで汚いものでも見ているような顔をしていた。私はなぜそんな顔をされているのかもわからず、再び「ねえ、肇」と呼び掛けた。すると肇は突然バットを地面に転がすと、突然私の方に走って来た。そして彼はどうしたのか、右手をグッと握って私の前でそれを思いっきり振るってきた。
「キャア」私は思わず声をあげる。そして目を瞑った、しかし痛みは来なかった。目を少しずつ開くと、拳は私の顔の前で止まった。私は怖いと感じたためか少し笑っていたが、彼はただ私を見て、本当に怒り心頭である主を無言で語りかけてきた。
「肇、ど、どうしたのさ?」私は出来る限り冷静を努めてそう尋ねてみた。すると肇は「いいさ、もうお前とは絶好だ。お前ほど心のない奴は始めてみた。見損なったよ」といった。
それはとてつもない罵倒だった。見損なったよ。それを10年来の友達に言われたのだ。私はヘナヘナと腰を落として、膝を地面に付けた。それを見て肇はどうすることもせず、歩き去っていった。不意に、それから自然に涙が溢れ、私は声を出して泣いていた。グループの人たちはそれを不思議そうに思いながら近寄ってきて「菜矢芽、振られたんだ。かわいそうに」と全く見当違いな慰めをしてきていた。私はその言葉を聞くなり、なぜか知らないけど走り出していた。今日はなぜかとても自分が醜い。そんな気がしていた。
肇がなぜ私に絶望したのか?なぜ私はここまで自分を醜く思ったのか?それはわからないようでいて実は分かっていたのかもしれない。不意に、肇と大希がとても仲良しだったことを思い出していたし、肇はいつも大希の悩みを見抜く才があったことも知っていた。だからこそ、私は自分を醜く思ったのだ。私は、感謝しなければならない人を馬鹿にして、その友人の気持ちまでグシャグシャにした。それは人生一の大失敗で、汚点であった。だからこそ、私は自分で片をつけようと、良い意味ではまた成長し直そうともがき始めたのかもしれない。
3
私はいつしか人を馬鹿にするグループを抜けていた。なぜ抜けたのかというと、なぜかちょっと前まで大好物だった人の噂話が、とても気分の悪いものと感じるようになっていたからだ。人を馬鹿にするような話を得意気にするそのグループの人たちの顔を見たくなくなっていた。それは不思議な話ではあるけど、もしかしたらそのグループの人たちはもともと私と友達だった訳では無いのかも知れない。そう思っていた。
私は堂々と野球部の見学に行けなくなってしまったので、誰もいない教室の窓辺から、一人で野球グラウンドを見ていた。いつも通り肇はピシパシと動いて、後輩とかにバットの振り方を教えたりしていた。不意に私は昔を思い出した。肇は正直私に野球を教えてくれなかったけど、今の肇はまるで昔の大希を見ているようだった。成長したんだな、私はふとそう思ってため息をつく。今の私はあの青春を殺そうとしているみたいだ。いつから私は、人見知りから元気な子となり、それが振りきられてただの不良となったのか?分からなかった。だが、ただただ頭には大希の顔が浮かんでいた。そしていつしかグラウンドから大希を見つけようとしていた。そしてグラウンドをずっと見回していると、不意に後ろから「ああ、菜矢芽」という声がした。振り返るとそこには野球のユニフォームを着た大希が立っていた。私は驚いたような顔をして見せると、彼は「ごめんね、ちょっとジャンバーを忘れてきてさ」と言っていた。そして彼は自分の机からジャンバーを取ると、静かに教室を後にしようとしていた。私は何か言わなきゃ、と思い悩んでいたが、大希は突然、「菜矢芽、そう言えば明後日誕生日だよね?」と訊いてきた。私は驚いた。大希が私の誕生日を覚えてくれていたことが不思議だった。
「う、うん」私はとても答えずらそうに言うと、大希は何を思ったのかとても元気そうな顔をして、それこそ昔のように陽気な顔をして「じゃあさ、明後日、肇と一緒に焼き肉でも行かない?もし家族と誕生日会をするなら、もちろんそっちを優先して欲しいけど。でも、もし大丈夫だったら久しぶりにまた3人で話でもしたい」と言ってきた。私はそんなことをいう大希を見ながら、何故?という心情ばっかりが浮かんできた。
「何でさ、大希。私が大希の陰口叩いてんの、知っているんでしょ?」そう言うと、彼はまた穏やかな顔で返してきた。
「良いさ、そんなこと。僕が内気になってしまったのが悪いんだ。結局、昔のような自分でも陰口は言われたんだから。それより、菜矢芽はどう思っているの?僕を」そう言うと彼は笑顔のままでいた。
「………懐かしい、友達」ぼそりと私は呟いた。すると大希は私の肩をポンと叩くと「まあ、懐かしい友達にこんな茶髪の人、いなかったけどね」と言ってきた。そんな受け応えは、まさに昔の大希だった。何故教室ではあんな静かに暮らしているのかが分からないほど元気な声だった。だから私は思いきって聞いてみる
「何で大希は教室ではいつも静かなのさ。今みたいにはっちゃけりゃ良いのに」そう言うと彼は笑顔を一回崩すと、静かに話始める。
「僕はさ、クラスではっちゃけてしまうと、どうしてもみんなとはっちゃけたくなっちゃってさ、本当に静かにしたい人まで巻き込んでしまうんだ。それで、それが独りよがりの思い上がりだって分かってからは、はっちゃけられなくなっちゃったんだ。結局は仲の良い奴とははっちゃけて、クラスでは誰にも迷惑をかけないようにいようとしているんだ」そういう彼はなんだか悲しそうだった。それと同時に、人を巻き込むことしか考えてなかった自分は考え方の違いに気がつく。静かにしたい人。そんな人が要ることを私は忘れていた。それは昔の私だった。私はいつだって独りを好み、少年野球もひとりぼっちで良かったとさえ思えていた。だがそんな私に光を差し込んでくれたのは、目の前の彼だ。そうだ、そう言えばそうだ!彼はいつだって奥手だった。私も野球を教えて貰ったとき、彼は絶対に「間違っていたらごめん」とか言っていたし、過剰なほど奥手だった。だけど彼は私をほっとかなかった。だから奥手であろうと何であろうと、できる限り明るく接してくれたし、それが私の勇気にも繋がった。
大希は、はっちゃけてるんじゃなくて、静かな人にも明るく接していたんだ!それは私が小学生の頃からそうだった。私はそのとき、自分と大希の大きな違いに気がついた。
「そうだ」私は呟いた。
「だけど大希。昔の君と今の君は違う。そんな大希は内気な奴じゃなかった」私はそんなことをいってしまった。
「内気、か。僕が内気になってしまったのは、きっと怯えてるからさ」そう言うなり彼は扉の方へと再び歩いていこうとして、そして振り返ると「明後日、来れるか?強制はしないけど」と言ってきた。私は反射的に「うん。いくよ。親、どっちとも仕事で遅いから」と答えた。すると大希はふっと私に笑みを送ってきた。
「それじゃあ、そこの焼肉屋、夕方の6時にとっておくから」彼はそういって教室から出ていった。だが、冷静に考えると肇とは絶好だと言われたばかりだった。
だけどそのときの私は無我夢中だった。大希に謝るには、このチャンスを無くしてしまいそうであった。それじゃあすぐ謝れば良いと思われるかも知れないが、まだ謝り方の整理がついていなかった。だから二日間で謝り方をとても真剣に考えていた。
だが、私には何故大希を悪くいうことをしていたのか?それが自分でも一番の謎だったので、謝ることの整理に大幅な時間が取られた。それでも、約束の日に私は、勇気を出してその焼肉屋を訪ねた。
4
「あ、あのお恐らく宮木大希っていう名前で席がとってあるらしいんですけど?」私は恐る恐るカウンターのお姉さんに尋ねた。もしあれが大希の嘘であったら嫌だな、なんて思いながらそう尋ねてみたものの、大希の性格上、そんなことをするわけないとは分かっていた。だからお姉さんが「あ、はい、宮木大希様ですね、それではあなたは須田様ですございますか?」と返してきたことをまあ当たり前だと感じながらも、ホッとしていた。
「はい、須田菜矢芽です」
「そうですか。それでは、こちらへどうぞ」お姉さんがカウンターから出てきて、私を案内してくれた。そしてたどり着いた場所には、もうすでに二人は来ていた。そこは円状のテーブルで、向かい合う様にいた。肉はまだ食べはじめていないらしく、水を二人で飲んでいた。私が静かに二人に近づくと、大希はそれに気がついて「やあ」と右手を上げて挨拶していた。肇は少し難しい顔をしていたけど、私はともかく「二人とも、遅れてごめん」と言う。すると大希は「まあ、座れよ」と言って私を二人の間の椅子に誘導した。私は恐縮ぎみに、その席に座ると両側に向かい合っている二人を見た。すると肇は私を見て「髪、黒く染めたのか」と聞いてきた。
「うん」そういって私は自分の前髪を人差し指と親指で摘まんでみる。何故私が髪を黒くしたのか?それは私自身昔に戻って二人に接したいと考えていたからだ。肇はそうか、と言うなり大希を見た。そして大希は少し合間を置いてから、「じゃあ取り敢えず注文するか」と言ってメニューを取って、テーブルの真ん中(の焼肉網を避けたところ)に広げた。まずはドリンクと一番肉を頼もうということで、三人ともドリンクはドリンクバーにして、お肉は牛カルビ3人前と高校生にしては奮発した出だしだった。みんな注文を済ますと、各自ドリンクバーに行って、大希はアセロラジュース、肇はコーラを持っていった。私は何にするかをじっくりと悩んだ挙げ句、大希と同じくアセロラジュースを持ってテーブルに戻った。
「あ、あの今日はありがとう。その、誘ってもらえて」私は三人がテーブルに揃うとそう言った。すると大希は「何いってんだ、今日は菜矢芽の誕生日じゃないか?友達としては、お祝いしたいに決まってるさ」そう言うなり大希は爽やかに笑った。
「な、なんでさ?」私は大希を見つめる。「私、大希の陰口を言っていたのに!大希だって知っているんでしょ?なんで大希は昔のように私に接してくれるのさ?」
「………。どうしてって言われたって、僕はこっちに来てからずっと菜矢芽を見てきたんだ。そして分かったんだよ。菜矢芽って、外見はチャラくなっちゃったけど、昔と変わらず優しい人だって」そう言うなり、ジュースを一口飲んだ。「もちろん、陰口を聞いたときはひどく落ち込んだけどね。それもきっと友達とのコミュニケーションのため必要だったんだろ?それに、友達が散らかしたお菓子の袋のごみとか、片付けてたの全部菜矢芽だったじゃないか。可哀想だと思ったけど、ごめんな、手伝え無くて」
そう言うなり、彼は頭を下げてきた。違う、何故大希が頭を下げるんだよ!やっぱり陰口で落ち込んでいたんだ!本当にごめんなさい!
そう言いたかったけど、それは声にでなかった。私は静かに唇を噛む。
「まあ、あんな引っ込み思案だった菜矢芽がこんな表に出る性格になってたのは驚いたけどね」
「…それは違うよ。あのグループは友達なんかじゃなくて、ただ一緒にいただけの連中だから、やっぱ私には友達は少ないよ」そう言うと、静かに笑って見せた。
「だけどさ、勇気があんま無かった、って僕がいうのも変だけどさ、そんな菜矢芽が校則を無視して髪染めるくらい勇気があるようになったのはすごいと思うよ?」
「それって、誉めてるの?」私は少しふざけたように返した。そんな返しに、不意に昔の自分が重なる。そうだった。昔の自分は、こうやって大希にからかわれたのを、こんな風に返して、それが幸せだと思っていたんだ。私は、不意に笑ってしまった。すると肇は、私を見て笑いかけてきた。
「なんだ、菜矢芽、今もそんな笑い方出来るんじゃないか。やっぱ菜矢芽は人を馬鹿にして笑うような奴じゃ無いよな?」肇はそんな台詞を挑戦的な口調で言ってきた。私はもう一度唇を噛みしめ、下をうつむく。
「待てよ肇。そんな言い方しなくたって良いじゃないか」そう言ったのは大希だった。だがそんな大希を手で凌いで、肇は淡々と喋り始める。
「菜矢芽、お前は知らないかもしれないがな、少年団に俺らがいた頃、大希が菜矢芽をフォローしていたのをな、実はみんな馬鹿にしていたんだ。あの頃はみんな子供だったからな、異性を貶すということが格好いいとさえ思ってたんだろう。だが、大希は菜矢芽をフォローし続けた。馬鹿にされようと、菜矢芽が上手くなるまで、必死にな。そう、お前に大希自身が馬鹿にされているという事実を隠してな」
そういって肇はコーラを口に含んだ。私はそんな話を初めて聞いたため、とてもビックリした。自身が貶されてまで私をフォローしてくれた?そんな、私はグループのみんなに貶されたくないから、誰かを貶していたと言うのに!
「それで俺らとは違う中学にいった大希だが、あの持ち前の明るさがうざがられて、苛められるようになったんだとさ。だから、出来る限り静かに生きようって決めて生活してるんだと。俺はそれがいいとも思わんが、お前はそんな大希を明るく貶したんだ。どんな残酷なことか分かるよな?」そういう肇は凄みのあった。私は後悔の念に押される。不意に涙が出てきてしまった。
「馬鹿!肇!」そう言ったのは大希だ。だが、それでも肇はその大希を手で押さえる。
「俺が言いたいのはだ、お前が昔のような人間性があるのかって聞きたいんだよ」そう言うと、私を睨んできた。私は一呼吸を置いてから、少しずつ話始める。
「私は、正直嬉しかった。誕生日にこうして大希が私を誘ってくれたこと。それに、大希が実は昔とは全く変わっていなかったこと。大事なことを隠して、自身を抑えてまでも人を大事にしたいっていう、ある意味不器用な性格もそのまま。だけど私も十分不器用だよ。あんなグループにいて、人をたくさん貶したけど、今は後悔しか残っていない。なんであんなにグループでワイワイやっていたことが、こんなに後悔の念しか残らないなんて。馬鹿みたいだ」私は目頭を少し拭く。
すると肇は私の顔を凝視する。そして、少し考えた後でもう一度、ゆっくり笑いかけてきた。
「嘘泣きならどうしようと思ったけど、本気っぽいな。そう思えるようになれたなら大丈夫だな」そう言うとなぜかとても安心したような顔をして、私を見てから大希を見た。そして、大希は心配そうな顔で私を見ていた。私が泣きっ面していたからだろう。本当に、心配性な奴。
そうしているうちにもカルビがやって来た。私は率先してカルビを焼いてやった。みんな青春期なこともあって、カルビ三人前は少なかった。それからホルモンやロースを頼んで、三人揃って冷麺を頼んだ。会話は高校の話よりは、今までのことを中心に話した。みんながどんな風にここまで過ごしてきたかが少しずつわかってきた。だが、肇は同じ中学にいたはずなのに、彼女いただなんて初耳だった。
会計は三人で割り勘した(私の誕生日だか二人が払ってくれるといったが、それも悪いのでそうしてもらった)。それから外へ出ると、もう外は暗くなっていた。少し肌寒くもあり、自分で手の甲を擦り合わせたりして温めていた。私たちは三人ならんで歩いて近所の公園に寄った。公園には誰もいなかったが、街灯が灯っていて明るかった。そこでいきなり大希は自分のバックからグローブとボールを取り出した。そしてグローブを私に寄越してきた。私はよくわからなかったが、そのグローブをはめると、大希はボールを持って少し遠ざかった。私はしょうがなくグローブを構えると、大希と向かい合わせになった。そうしてから、大希は「いくぞ」というと、その右腕を大きく振るった。そして、手元からボールがグンと飛んでくる。私は懐かしい感覚で、そのボールをキャッチする。三人だけの公園に、乾いたグローブの音がした。
ぱしん。
私はゾクッとした。なにかが全て戻ってきたような感覚だった。懐かしい音、懐かしい痛み。懐かしい掛け合い。その全ては大希によるものであって、その全てが懐かしく、それでいて今また同じ音、痛みを感じている。そうだ、大切なのは、これだった。信じられる友達からの贈り物を、しっかり受け止めること。それが出来なかった最近の私は、ただ一方になにかを投げつけていた私は、久しぶりに他の人の何かを受けた気がした。
私はそのヒリヒリする手からボールを取り出すと、それを素手でもキャッチ出来るくらいに緩く投げ返した。
「変わらない重さだね、大希……。堪えたよ」私はそういってもう一度涙を流していた。なぜか、私はゆっくりと無意識のうちに大希の方へ寄っていった。そして、思いっきり、両手で大希を抱きしめていた。
「お帰り、大希!」私はそう言った。私は、その時言いたかったことをようやく言えたのだった。すると大希は、「ただいま。そして誕生日おめでとう」と言っていた。
「よし、じゃあ帰ろうぜ」そんなひとときの中、突然緊張感のない声が響いた。それは肇の声で、まるでめんどくさそうな口調だったが、顔はとても笑顔であった。
5
私はその日は緊張していた。一番緊張していたのは、もちろん大希に決まっているのだけど、私もそれぐらい緊張していた。実は大希は中学生のときは野球を止めていたようで、高校になって肇の勧誘で始めたようだった。個性を殺してまで生きたという中学生活、高校の一年半を挽回すべく、彼はがむしゃらに練習していった。私は、彼の個性はうざがられるものだとしても、絶対にうざがる人よりも偉いことだと言うことを熱弁して彼に刷り込ませた。実際に根暗だとうざがりをしていた私が言うのだからなんて説得力があるだろう?
そしてその日は、彼が初めてベンチになる試合だった。もちろん初ベンチなんで、試合に出させてもらえる保証なんて無かったけど、それが緊張の種でもあった。私は早く大希の試合姿を見たかったから、いつ出るんだろうか?と試合前から心を踊らせていたのだ。
この試合は日曜日で、全校応援では無かったので行きたい人だけ行くという感じだった。だから私は新しく出来た友達たちと一緒に、相手の高校のグラウンドに応援に来ていた。
私はあの日のグローブを手に手にはめていた。そのグローブは、私が久しぶりに大希のボールを受けたグローブで、それは大希からの誕生日プレゼントだった。しかも新品であったのだから、大希はまあ大奮発してくれたなあ、と思う(正直キーホルダーとかで良かったんだけど)。
そしてついに試合が始まった。うちの高校が先行だった。友達はそれぞれ自分のファンの野球部の人を応援していた。それらはみんなスタメンだったので、ずっと応援しているに等しかった。私は同じ学校のチームとして、全選手に均等にエールを送ろうと頑張っていた。
それからうちの野球部は、順調に試合を繰り広げていった。相手はうちの高校のライバル校と呼ばれるような所であったが、7回が終わるまでにこっちが3点を取り、失点は0に抑えていた。
私は7回が終わり、8回のうちの学校の攻撃が始まるとき、祈った。どうか、代打でも代走でもいい。大希が出てきて欲しいと。
そしてその願いは叶うこととなる。7番バッターの所で代打に大希が出てきたのだ。私は思わず「やったあ!」と叫んでいた。回りの友達は、そんな私をどう思ったかは知らないけど、それが自分のことのように嬉しかったのだった。
帰り道、私は盛岡駅で友達と別れると、駅前の広場で大希を待っていた。そして、しばらくしてから大希は広場にやって来た。
「あ、お疲れ、大希!かっこ良かったよ!ヒット」そう言うと彼は少し照れぎみに頭を掻いていた。
「そうかなあ?」そう言い返してきた彼には、「そうだって」と言い返した。かっこ良かった。もちろん、大希よりも活躍した選手はいた。だけど私は、大希が一番かっこ良かった。贔屓しているみたいだと思われるかも知れないが、実際に私は大希を贔屓しているんだ。
「ねえ、大希。次はネクストバッターズサークルに入ることだね」そういって私は彼の腕を掴んだ。すると彼は 「うん、当たり前だ」と言って頷いた。私は、不意に唇を大希の側に寄せた。しかし彼はそんな私を「人目のあるところで止めてよ」と少し離してきたが、彼の顔は真っ赤だった。
そしてその日、私は大希に告白した。自分でも貶しておきながら告白するなんて馬鹿みたいだ、と思ったけど、大好きで仕方がない気持ちが込み上がっていたのだ。彼は少しの沈黙のあと、「いいよ」と呟いていた。
6
そんな高校時代、私は彼に救われた。だが同時に彼も成長していったのかも知れない。高校を卒業した今、私もようやくやりたいことが見つかった。大希も、やりたいことに向かって突き進んでいる最中だ。肇は、そんな私たち二人を見ていつも笑っていた。
「やっぱお前らは小学生の時から変わってないや」なんて言いながら。
ともかく私たちは、色々あったけど、遂に人生のネクストバッターズサークルに入ろうとしている所なのだ。