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sect.8

前の時は、アルパカだった。


日々の生活にストレスが溜まり、耐えきれなくなると、今はラッコを見上げている。

夏休み明け、初出勤のあの日。朝焼けの空にラッコを見上げて以来、何かにつけてラッコを見上げるようになった。

仕事中、思うように進まずイライラすると、ラッコを見上げてラッコゲイザー。

休憩中に偉い課長さんに捕まり、昔のゲームの良さについて延々と語らされ。ろくに休めずに作業場への階段を上る、かつてはガッデムと呟いていたそのタイミングで、ラッコゲイザー。

仕事でミスをしてやり直しになり、自分の担当の製造だけが大幅に遅れ、手の空いた皆が次々と何か手伝って欲しいことはないかと群がってくるのがうざい、さあ、ラッコゲイザー。

仕事帰り、何一つ悪いことをしていないのに、警察の方に呼び止められて防犯登録の確認を、ラッコゲイザー。

とにかく、ラッコをゲイザーするようになってから、精神的にゆとりができた。以前なら焦ったり、落ち込んだり、イライラしたり、そういう場面を、ラッコゲイザーで乗り切る。

これは、すごい発明だ。なんとなく、いまだに人に黙ってはいるが、ひょっとしてこれを自分の胸の内だけに留めておくのは、人類に対する多大な裏切り行為なのではないだろうか。

現代社会はストレス社会。現代に生きる現代人にとって、これほど革命的なストレスの解消法はかなり重大な意味を持つに違いない。これは電池も使わないし、誰も傷つけない。

もし人類がもっと心にゆとりを持てるようになれば、創造性の高い仕事により多くの時間を割けるようになり、文明は更なる飛躍を遂げることだろう。人々の心が穏やかになって、争いや憎しみのない、素晴らしい世界が訪れる。

ほら。あの人はまた、イライラピリピリしている。口をひらけば、あいつはバカだの使えないだの、悪口ばかり。

救ってあげたいな。救えるのは、このラッコゲイザーだけだ。

地球のためにも、ラッコゲイザーを広め、愚かしい行いを続ける人類を啓蒙し、導かなくては。


その日も、仕事帰り。コンビニの駐車場で缶コーヒーを飲みながら、人類の未来について思考を飛ばし、思わずラッコをゲイザーしていた。

どれだけそうしていたのだろう。我に返ったのは、いきなり後ろから声をかけられたからだ。

「(調べた)」

驚いて振り向くと、不思議な風体の男が三人。背が低く、ずんぐりむっくりで、背中を丸めて立っている。

三人ともトレンチコートに身を包み、今どき珍しい、山高帽。

怪しい見かけによらず、ひょっとしたら紳士、なのだろうか?

山高帽のリボンの色が一人一人ちがうことで、どうやら個性を出しているようだ。

しかし。このラッコゲイザーに気づかれずに背後に経つことが出来るとは、しかも三人。ただ者ではない。

「(七つの、特技。)」

ああ、やっぱりそうだったか。まあ、そんな気はしていました。

人には何か取り柄があるもので、案外、七つの特技くらいは皆持っているものなのかもしれないな。

あまりこちらが物珍しげにじろじろ見たものだから、気分を害してしまったのか。三人の不思議な男たちは、黙ってしまった。

不思議な連中だが、なんとなく、悪い連中ではない気がする。

とりあえず、非礼を詫びた方がいいだろうか。

いや。違う。これは。

こちらが話す番か。彼らはさっきから促すようにこちらを見ている。そうだ、彼らは最初に何と言った。聞かれたことに対して、こちらはまだ、答えていない。

「(調べた。)」

二重の意味だ。そう、たしかにこちらは調べた。ラッコについて。ラッコゲイザーについて。そして、彼らも調べたのだろう。ラッコゲイザーについて、やたらと調べていた者が、誰であるかを。

彼らが調べて行き着いた、ラッコゲイザーについてあれこれ調べていた者。それは、このラッコゲイザーで間違いない。

彼らにそれがわかるよう、明確に伝えなければ。

目を閉じる。踵を揃え、胸を張り、顎を引く。コツは、左肩を少し、意識して下げること。

息を吸い、一拍溜める。今。右手を水平に上げる。

「ラッコゲイザー。」

「(おおおおお。)」「(おおおおお。)」「(おおおおお。)」

伝わったか。練習した甲斐があった。彼らも喜んでくれているようで、何より。

コミュニケーションはとれるようだからいいのだが、どうも、彼らは語彙が少ないように思える。それが少々、厄介。

いや、そもそも、彼らは最初から、言葉を発してなどいない。

頭と言うか、心に直接、彼らのメッセージが伝わってきて―。いや、それも違う。

彼らは、彼らのことばでさっきから語りかけてきているのだ。

まるで、ガラス越しの水の向こうで、音が響いているような。

遠いような、近いような、聴こえているような、聴こえていないような。掴みどころのない、不思議な声。それが、彼らの言葉のようだ。何故か、それが理解できる。

彼らは新しい挨拶が気に入ってくれたようで、右手を上げ下げして、さっそく真似している。

どれ、もう一回やってみるかい?

目を閉じて、踵を揃えて。胸を張り、顎を引き、息を吸って。

一瞬止めます。今。

「ラッコゲイザー。」

三人の不思議な男が並んで、ちょっと右に傾いだ敬礼をした。


駐車場の片隅には、銀のハイエースが停まっていた。

男たちが不器用にひょこひょこ歩く。立って歩くのは苦手なんだろうか。男たちが歩くたびに、ぺたり、ぺたりと足音がするが、裸足か。靴、履こうよ。

ついてこい、と促され、男たちの毛深い風貌に一瞬、不適切なことをされるのではないかと警戒したが、どうも難しい話は通じない開いてのような気がするので、とりあえず大人しく着いていく。

突然現れた妙な男たちに興味があったのも、確かだ。

彼らはラッコゲイザーを探していた。そう、迎えにきたのだ、この、ラッコゲイザーを。これは、どういうことなのか。

駐車場の片隅、無骨な銀のハイエースの前で、彼らは立ち止まる。乗れ、と、首を向けて促している。

「(今日は3ヶ所。まわる。)」

参ったな、これからか。明日も早いんだけど。なるべく、朝までに終わらせてくれないかなあ。

三人は、小首を傾げて不思議そうな目でこちらをみている。

「(仕事。)」

はい、仕事ですか。仕事なんじゃ仕方ないですね。大人しくのりますよ、はいはい。

ゆっくりと走り出したハイエースの窓から通りをみていると、同じようなトレンチコートに山高帽の背中を丸めた男たちが、わりとあちこちでひょこひょこ、ぺたぺた歩いている。

たまに、銀のハイエースがすれ違い、あちらがラッコゲイザー。こちらもラッコゲイザー。

これから彼らも、仕事、か。夜勤なのかな。


ハイエースが用水路沿いのちょっとした公園に止まり、とりあえず降りると、水の流れる音。男たちはそちらに用があるようで、ひょこひょこ歩いていってしまう。仕方なく、追い掛ける。

コンクリートで護岸されている用水路は水際まで石段が付いていて降りられるようになっているが、彼らはおかまいなしに、さらに進んでざぶざぶと水に入っていってしまう。

みたところあまり清潔な水とも思えないし、靴が濡れてしまう、とりあえずコンクリートで打設された上を歩いて着いていくが、あ、それで、裸足か。と気がついた。

しばらく進むと小さな水門があり、鉄の扉の前で、彼らは立ち止まる。どうやら、開けたいらしい。しきりに撫でたり、引っ張ったりしている。

なんだか不器用な連中だな、車は運転できるくせに。

苦笑しながら、どれ、ちょっと貸してみろ、と近づく。ははあ、こういうタイプは。ほらここについてるハンドルをこうやって回すとたいてい、ほら、開いた。

「(おおおおお。)」「(おおおおお。)」「(おおおおお。)」

喜んでくれるのは嬉しいのだが、そこまで大袈裟に感心されると逆にこっちが恥ずかしい。珍しいのか、彼らはハンドルを不思議そうに、しきりに回したり、引っ張ったりしている。

どれ。もう一回やって見せるから。次は自分たちで開けてご覧よ。

扉を閉じ、ハンドルを回す。開けるときは、ほら、逆に、こっち。一番近くで見ていた男の手をとって、一緒にハンドルを回してやる。ほら、開いた。

「(おおおおお。)」「(おおおおお。)」「(おおおおお。)」

彼らのミッションは完了したようだ。三人が整列する。

こちらも気をつけの姿勢をとり、互いに敬礼を交わす。

「ラッコゲイザー。」

礼儀正しいんだな。


二件めも同じようにすんなり進んだのだが、三件めは少しばかりてこずらされた。

用水路に降りる階段が、金網で塞がれてしまっている。

扉には閂が降りており、南京錠で施錠され、簡単には開けられそうにない。

一人なら金網を登って越えてしまうところだが、水の中に入って水門の扉を開けてくるのは彼らにやってもらわないと。靴、濡らしたくない。

彼らは一斉にこっちを振り向き、なんとかしろと促している。

頼られては、仕方ない。しかし、作業ズボンのポジションに入っているカッターやドライバーでは、金網を開けるのは難しい。

何かなかったかとカバンをあさると、見覚えのある裁ち鋏が出てきた。たしか、どこかの現場で、片付けをした時に落ちていて、落とし物として事務所の方に渡そうとおもいつつ、忘れてしまったものだ。本来の用途てまはないが、刃も厚いし、いけるだろう。

金網を挟み、噴ッと力んで力をかける。どうだ。

切断はされなかったが、凹みができている。時間はかかりそうだが、これならいけそうだ。

何回めかの噴ッのあと、バツンという今までにない手応えがあり、切断に成功した。少なくともこれをあと、十数ヵ所。指には既に、水ぶくれが出来てヒリヒリしている。

面倒くさいが、こう期待されては仕方ない。

指の皮がたちまち破け、最後にはハサミが根本からひん曲がってしまったが、45分ほどで彼らが一人、屈んで通れるくらいの穴を空けることに成功。水門の扉を開け、本日の任務、完遂。

用水路の隅にハサミを埋めて弔い、ラッコゲイザーと敬礼をする。

明日からは道具、持ってきた方がいいな。既に明日も彼らと仕事をするつもりである自分の積極性に苦笑しつつ、帰路についた。


その日から、ラッコゲイザーとしての本格的な活動が始まった。

昼はちょっとハンサムなだけが取り柄の、くたびれたアルバイト工員。夜はラッコゲイザーとして、謎の破壊工作。誰にも秘密の二重生活。

朝起きて、仕事に行って、家に帰って、寝て、ラッコゲイザー、朝起きて、仕事に行く。いつ寝ているのか不思議に思うが、合間に「朝起きて」「寝て」「朝起きて」が挟まるので、どっかしかのタイミングで寝てはいるのだろう。

「仕事」にも、大分、慣れた。そもそも頭のデキは悪くないのだ、たいていのことはすぐに要領を掴み、そつなくこなせるようになる。七つの特技の、ひとつ。

彼らは相変わらず正体不明で何が目的なのかもはっきりしないが、他人に秘密でよくわからないことをしているというのは何だか特別な事をしているように思えて、楽しくなってしまう。

おそらくだが、彼らの活動は犯罪、に関わるものなのだろう。それだけは、ともに活動しているだけでも直感的にわかる。

しかし、それさえもが、自分は秘密の反社会的な活動をしているのだという背徳感を高めさせ、ますます活動にのめり込むようになってしまう。いく。

何より。彼らは自分を頼り、必要としてくれている。人は生きていく上で、愛されること、頼られること、評価されることの3つを他人に求め、そのうちの2つ、愛されること以外は、とりあえず働いていれば満たされるのだという。

まさに今、生活の中で、それを実感している。こんなに毎日が充実しているのは、何年ぶりだろう。

さあ、今日も「仕事」が始まる。ハイエースから降りた先で、整然と整列した男たちが迎える。

大分、数も増えた。案外器用な彼らはすぐに貸してやった道具が使えるようになり、今では以前よりずっと、大規模な活動が可能になっている。

彼らの正面で立ち止まり、右手を水平に上げる。

「ラッコゲイザー。」


しばしの時が過ぎ。

夏が終わり、秋の風が吹き、冬の足音が聴こえ、年の瀬が近づく頃。

深夜、無人のスタジアム。球場の外には、整然と並べられた銀のハイエースが数十台。

一人、暗いマウンドに立つ。瞬間、かっ、とスポットライトが照らす。

「ラッコゲイザー。」

「(おおおおお。)」「(おおおおお。)」「(おおおおお。)」

沸き立つ歓声。スタンドには一斉に立ち上がった、色とりどりのリボンを巻いた、山高帽。その数、数百か、数千か。

「諸君。」スタンドを見回す。次第次第に歓声が収まり、しん、と静まる。朗々と、芝居の台詞を読み上げるような、よく通る声。

「我々の活動は、既に九割九分以上を達成し、、間もなく完成の時を迎えようとしている。」

「ひとえに。諸君らの日々の努力と、懸命な奉仕の心の賜物である。組織の長として。まず、礼を述べたい。」

自然に、台詞がわき上がってくる。

自分の意思で喋っているのではないような、不思議な感覚。

「いよいよ、間もなくなのだ。地上は愛と安らぎに満ち。憎しみと争いのなくなった世界は、新たな法の支配のもと、さらなる段階へと進化を遂げることだろう。それを、我々が。諸君らが、成す。」

「地上に新たな光を。愛と安らぎ、恒久の平和を。」

「世界に正しい導きを、ラッコゲイザー。」

「(おおおおお。)」「(おおおおお。)」「(おおおおお。)」

歓声が、果てしなく続く。

そうだ。遂にここまで、来た。

間もなく。新しい年を、迎える。


















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