sect.7
前の時は、アルパカだった。
日々の生活にストレスが溜まり、耐えきれなくなると、毎回妙なことをしてきたが。
よい解決方法を見つけた。ラッコを見上げるんだ。
夏が終わった。結局何一つ面白いことは起こらず、ただひたすら無為に時間だけ過ぎていった、今年の夏。
本来なら、鬱々として出勤するところなのだが、うなされたついでで頭でもぶつけたのか。
心がなんだか軽くなって、風通しがいい。ついつい、愛想をよくしてしまう。
人に会えるのがそんなに嬉しいか。なんだ、休みのあいだ、一人で寂しかったのか。
そんな自嘲気味の自己分析が冷静にできるくらい、頭が冴えている。
「夏休みはどっか行ったの?」
おいでなすった。偉い課長さんである。
迷わず寄ってきた、休みのあいだ、話し相手がいなくて寂しかったのだろう。
「あー。それがですねえ。」
大げさに、残念そうな顔を作る。
「ラッコ、見に行くって言ってたじゃないですか。あれ。いないらしいんですよ。今、日本に、ラッコ自体が。」
へえ?と、意外そうな顔。
「俺たちが子供の頃、やたらいたじゃないですか。ラッコブームで。ラッコの歌とかあって。歌えますけど、ラッコの歌。」
いつになく饒舌なのは、語りたいからだ。人間は自負が楽しいと思っていることや、興味を持ったことを語りたがるものだ。今この時においては、
いくらでも語れる偉い課長さんの存在が逆にありがたい。許されるなら、彼のためにラッコの歌を歌って差し上げたいくらいだ。
「やっぱりいま、数も減ってるし。自然の。昔は人気者だってんで、たくさん飼われてましてけど、ほら。いま、いるじゃないですか、シーシェパード?とか。うるさいらしいんですよ。」
ジョバンニの親父が獲りすぎたせいですね、と続けようとして言葉を止めたのは、いい加減で偉い課長さんの反応に困惑の色が見えはじめ、理解が得られないであろうことか予想されたからだ。
何の気なしに振った世間話にまさかここまで食い付き、ラッコについて夏休み中に知り得た知識を余すところなく熱く語られるとは、予想だにしなかったのだろう。既に30分が経過していた。15時のおやつ休憩にしては少々、長すぎる時間だ。そろそろ戻らなくては、この後急いで仕事を片付けても取り戻しの効かないレベルで遅れが生じる。
ここからが本題なのに、と不満に思いつつも、彼の反応を見る限りこちらが求めている反応が偉い課長さんから与えられるとも思えないので、テキトーに話を切り上げて休憩室を後にする。
まず、初めに肝心なあの言葉について話さなかったのは何故だろう。
作業場に戻りながら考える。
ラッコの話題で反応をみて、探りを入れたのは、何故だ。
どうも、あの言葉。あれは、人前であまり無用心に口にしては危険な気がする。
あくまで理由もないただの直感だが、往々にしてこういう場合は自分の感性に従うのが正解である場合が多い。
本能の部分であれは、なにか―、やばいもの、本来触れてはいけないものなのではないか?と認識しているのだ。
それこそ、ラッコが減ったという話を聞いて、ジョバンニの父親の仕業だと疑うレベルの人間でなくては、信用して語ることはできない。
昨晩は、あまり眠れなかった。
深夜のおかしな時間にうなされて起き、とりあえずシャワーを浴びてテンションが上がってしまったのか、はたまた、仕事に行くのがそんなに楽しみだったのか。
それもある。新しく得たものを、早速試してみたくてワクワクしてしまった。
昨晩、いや、今朝という方が、正しいのか。
妙な夢を見て跳ね起きた後、軽い興奮状態にあったのか。
妙な決意を固めてしまい、とりあえず風呂から出て服を着たあと、冷静に考えてみれば、やりたいことは決まっているにも関わらず、あまりにそれの情報が足りないことに気がついた。
あの謎の男、ラッコゲイザーとは、何者。何をすれば、どうすれば、ラッコゲイザーになれるのか。
まずは、情報を得ることだ。情報といえば、インターネット。
迷わず携帯を開けてラッコゲイザーと検索エンジンに打ち込む。まるで、恋人の名前を書くように心が騒ぐ。
やりたいことをやるための、なりたいものに、なるための、とりあえずは第一歩。
新しくチャレンジできることがあるというのは、たとえいくつになっても、人生にとって一番素晴らしいことだ。と、イチローが言っていたことにする。この世界で一番尊敬するメジャーリーガーに言われては、仕方ない。そうなのだと思うしかないだろう。ああ、チャレンジって素晴らしい。
何かを調べたい時にインターネットというのはお手軽で、かなり便利な機械だが。それには、インターネットに載っていないものは調べられないという致命的な欠陥がある。
そして、インターネットに載っていないものは、どうやらそれは実在しないものなのではないか?とついつい決めつけて思い込んでてしまうというのが、現代人が広く抱えている病理である。
検索でヒットした毛深いラッコのオスが同士抱きあっている画像やら、毛深いラッコのようなオス同士が抱きあっている画像やら、毛深いラッコのようなオスが接客してくれる夜のお店やらを眺めているうちに。
当初の熱意があっという間に覚めていくのを感じた。
いや、今までが寝ぼけていたのでは、ないのか。深夜に目覚めてしまった変なテンションのままつい調べてしまったが、あれは結局ただの、夢。暑い中エアコンもつけず、仰向けの姿勢で寝ていて息が詰まった数秒の見せた、ただの悪夢。
人間の脳の中には普段忘れてしまっているような過去の出来事の記憶がちゃんと残されていて、同じようなシュチュエイションになると、その記憶がいきなり引っ張り出されてきたり、するものだから。
だいたいなんだ。ラッコゲイザーって。妙に語呂がいいから、気に入ってるだけじゃないか。
今自分のすべきことはむしろさっさと寝ることで、時間をやたら無駄に浪費しているだけ。ラッコゲイザーなんてものは、ありはしない。そこまで考えて、いや、と思い返す。
例えば日本には1億4000万人。世界には58億人の人間がいるが、果たしてその中に、自分の名前を検索エンジンに打ち込んで人となりを調べられる者が何人、いることだろう。
九割九分以上の人間は、ろくな情報が得られないであろう。
ではそれらの人間はこの世界に実在しないのか。
そんなわけはない。
それどころか、その一人一人が何者にも替えがたい、大切なたった一人の、そこにいるあなた。
こんな大切な人々が載っていないだなんて。インターネットなんてやっぱりろくなものではない。インターネットは、バカだ。
文明の利器に頼りすぎると、人はばかになる。
人間の一番上に頭がついているのは、考えるためだ。飾りではない。
どこかの誰かが書いてくれたものに頼っているだけでは、新しいものは見つからない。自分の頭で考え行動してこそ世界が広がる。インドまで走り抜ける。
今こそこの、人より少々良すぎる頭の使いどころ。考えろ。ラッコゲイザーとはなにか。ラッコゲイザーとは、なんだ。
おそらくは、「ラッコ」と「ゲイザー」の複合語。「ラッコ」はラッコだろうから、問題は「ゲイザー」だ。
ゲイザー。ゲイズ。ゲイ。ホモオシタオス。毛深い男同士で抱き合っているあれは関係ないはずだから、複数形ではない。
動詞のほうか。ゲイズ。見つめる。見上げる。ゲイザー。見つめる者、見上げる者。
「スターゲイザー」で、星を見上げるもの。スターゲイジーパイというイギリスの名物は、イワシが星を見上げている姿をイメージして作られた可愛らしい料理だと聞いたことがある。
「パワーゲイザー」で、飢えた狼。究極の怒り。ふーむ。
「スターゲイザー」、星を見上げる者。そこから転じて、天文学者。
するとラッコゲイザーとは、ラッコ文学者。ラッコ文学。なんだそれは。
ラッコの文学なんてばかなものを書く奴が、いるわけないだろう。
では、ラッコの文学者か。たしかに連中は眼鏡の似合いそうな顔をしているが、エンピツが持てるのだろうか。
なんとなく、タイプライターなら打てそうなイメージがあるが。
しかしそれは困る、人間はどんなに努力してもラッコにはなれない。
ラッコゲイザーになれないじゃないか。
だいたい、なりたいのはラッコゲイザーであって、ラッコではない。ふーむ。
閃きが訪れたのは、びりびりとひげを剃っていた時のこと。
結局ろくに寝ないまま朝を迎え、目覚ましがあと12分で鳴るというところで今寝たら二度と起き上がれなくなるのではないか?という危険を感じ、眠ることを断念。身支度を始める。
幸い、シャワーは浴びていたので寝癖を直すために軽く洗髪。洗顔と、ひげ剃りのみのショート・コースだ。
洗髪しながらもラッコゲイザーってなんなんだろう?と考え、その間に何度か意識が眠りに落ち、予想以上に時間を食った。
結局、通常コースと大して変わらない時間を要し、若干慌てながらひげを剃りつつ、頭の中はラッコゲイザー、ラッコ文学者、ラッコ文学。
文学、文楽、落語?落語。ラクゴ。ラッコ。
考えることに気をとられて、手元がおろそかになったのがいけなかった。
明らかにひげではない手応えの一瞬の後に、ヒリッとした痛み。すっ、と一筋の血が流れる。
なんだよもう、と顔をしかめつつ、傷を確かめるために鏡を覗く。すごいハンサムがいるな。いつも通りだ。傷をよく見ようと首を捻って、たいした深さではないことを確認。消毒だけしておけばすぐに血も止まるだろう。顔を戻す。ハンサム。
一瞬、何か違和感があった。なにか、見過ごせないものを、今の流れの中で見た気がする。
なんだ。妙に気になって、もう一度鏡を覗く。多少目が血走っているが、とんでもないハンサムだ。異常はないな。いや、さっきはたしか。こうやって。
同じように首を捻ると、視界の端に何かが映った気がする。本来なら、そこにないはずの、何か。
むう?と首を半ば戻すと、違和感の正体に気づいた。
これだ。鏡の中に、バスルームの天井が映っている。先ほど、ひげを剃りながら正面から見ていた時は、ハンサムと後ろの壁しか映っていなかった。だが今、首を捻って下から見上げるような角度から覗いてみると、鏡の中の角度も変わっていて、先ほどまでは映っていなかった、天井が見えている。
これだ。閃くものがあった。
見えていなくても、バスルームの天井は確かにそこに存在している。同じように、鏡の中にもたとえ見えていなくても、天井は同じように存在している。
たしかにそこにある、見えていないもの。見えていないだけで、ずっと前から変わらずそこにあったもの。視線を変えるだけで、それは実は見ることが出来るようになる。
あの日、中学生はラッコを見上げていた。同じように、今ここでも、視線を変えて見上げさえすれば、ラッコはガラス1枚を隔てて、音が漏れ聴こえるくらいのすぐそこにいる。
ラッコゲイザー。ラッコを見上げる者。そういうことか。
ラッコを見上げるのではない。見上げた時、そこにラッコはいるのだ。
そう、それがラッコゲイザーである自分の能力。
それに気づいた時、人はラッコゲイザーとなる。
鏡の中のハンサムは、既にただのハンサムではない。血を流したラッコゲイザーだ。
目を閉じる。踵を揃え、胸を張り、顎を引く。右腕を水平に上げ、「ラッコゲイザー。」
目を開く。気に入らない。若干、傾いている。まっすぐ立とうとすると、右肩が下がってしまうのは昔からの癖。袋も、右側が下がっている。まっすぐにするには、そう、意識して左肩を下げるように、自分の感覚だと、若干左側に傾いているように感じる、そこが、水平「ラッコゲイザー。」
ふーむ。練習が必要か。
明け方の空、朝焼けに向かい、自転車を飛ばす。
つい、練習に熱が入りすぎた。
苦笑しながらも、心が弾む。
なんだろう、早く仕事に行きたい。皆に自分のすごい発見を、いますぐ伝えたい。
自分の存在に悩むとき、自分の価値に迷うとき。
いつだって、人はラッコを見上げることができるのだ。それを皆に、伝えたい。
今日から、ラッコゲイザー。
ラッコを見上げれば、ラッコゲイザー。
さあ、あなたも一緒に、ラッコゲイザー。
レッツ・セイ、「ラッコゲイザー。」