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sect.3

前の時は、アルパカだった。


日々の生活にストレスが溜まり、耐えきれなくなって、ついには妙な事をし始める。

事務方に呼び戻され、自分のいなかった3ヶ月の間に溜まりに溜まった雑用を片付け。それがまるで終わらないうちに、さらに日々増えていく雑用に追われ。

忙しいのは、嫌いではない。とりあえずやることがあると言うのは、ある意味で幸せな事である。

福沢諭吉という偉い方もそうおっしゃっていたと、柳川係長という偉い方が言っておられた。柳川このやろう。いや、柳川係長は関係ないか。

仕事であるから、忙しいことに不満はない。しかし、納得のいかない部分がある。

戻ってきた以上今さら文句を言うべきことではないが、話が違う、という思いが日々、つのっていく。

そんな時に、アルパカだった。

メキシコだかペルーだかの、山で飼育されているという。もこもこの不思議な生き物。ヒツジのような、ウマのような。

現地では昔から家畜として飼育されていたのだが、日本で知られるようになったのは、ちょっと前のこと。もこもこの可愛らしい生き物として、ブームになった。自分が知ったのも、やはりその頃。

ペルーだかメキシコだか。そのあたりの文化には、以前から興味を持っていた。高山での独特な生活環境。不思議な生き物。神秘的な、古代遺跡。空を飛ぶプロレスラー。若者が惹かれるのには、十分だ。

学生の時分には農学部のくせに何故かメキシコ文化学の講義に通い、それに関連してわざわざ、スペイン語まで勉強した。

部屋の中でも車の中でも、ジャカジャカかき鳴らすチャランゴや透き通るケーナの音にうっとりと沈み。

私生活でもケープを纏い、ボヘミアンな格好をしていたため、悪いガンマンと誤認されたのであろう、日常的に警察官の職務質問の対象となった。

卒業後の進路を考えていた頃、メキシコに留学し、サボテンの研究をする研究生の募集があった。

若干、本気で悩んだ。メキシコでサボテンの研究をする人生、悪くないじゃないか。

しかし、それだけ思い切れる勇気はなかった。海外なんて、北海道以外に行ったことがないのだ。初めてにしては、ハードルが高すぎ

る。スペイン語も、ソモス・ヒッターノスしかわからないし。貯金もないし。


心踊る夢のメキシコ留学。きわめて現実的な判断からそれを断念して以降もメキシコやらペルー、それら南米の標高の高いあたり、はるか地球の裏側に対する気持ちは憧れとして残り続けた。

たまに近所で開かれるメキシコ物産展に出かけては、かっこいいケープやら、かっこいいドクロやら、かっこいいプロレスラーやらを買い集めるのがちょっとした、趣味。

どちらかといえばオバサン向けのイベントである、それに若い男が毎回来ては「これ、メンズのサイズはないですかねー」と聞いてくるのが珍しかったのだろう。売り子のオバサンに顔を覚えられてしまい、ついには新しいプロレスラー持ってきたわよ、パンツが黄色のやつ。と黄色いパンツのプロレスラーをおすすめされる始末。

そんなおすすめのガラクタのなかに、ある時、見慣れない不思議な白い生き物を見つけた。

アルパカ牧場と手書きで書かれた簡素なディスプレイの中には、もこもこした可愛らしい動物の人形。

これ?流行ってるのよ、今。かわいいわよねー。思わず視線を止めてしまったのをめざといオバサンが見逃すはずもなく、たちまちにおすすめされてしまう。

そう言われてみれば、たしかに最近よく見かける気がする。流行っていたのか。

たしか、洗剤だか、セーターだかのキャラクターになっていたような。

もこもこアルパカ人形は少々お高いものであったが、買えないほどお高いものでもない。その微妙さが悩ましく、その場から動けなくなってしまう。

しばらく眺めていたが、結局、一番最初に目についたちょっと小首をかしげた一番可愛らしいと思える一体を選んだ。

もしかすると単に造りが甘くてゆがんでいたのかもしれないが、気に入った。

アルパカ牧場から一体だけ連れて帰るのは少々かわいそうで気が引けたが、もこもこアルパカ人形は少々お高いものなので、仕方ない。

また、機会があったらお友達も増やしてやろう。

そうして、機会がある度にお友達を買い足し、いつの間にか机の上がアルパカ牧場と化した頃。

自分の地元にアルパカ牧場があることを知った。


決断するのは速かった。入社以来初めての、有給の申請。それも、明日から。

会社は繁忙期だが、そんなことは関係ない。アルパカ牧場があるのだ。

机の上でも地球の裏側でもなく、他でもないこの自分の故郷に。

これは偶然ではなく、必然。呼ばれているのだ。行かねばならない。

嫌みは言われたが、申請は通った。

先の件もあって、こいつには少し休暇が必要と判断されたのかもしれない。

その日の夜には故郷へ帰っていた。

こういうちょっとおかしくなっている時は、妙に頭が冴える。いつもは発揮されない物事に対する積極性、思い切り。そう言ったものが、前面に出てくる。

何年かぶりに突然帰ってきた息子を、実家の母親はあまり動じずに迎えてくれた。

あるいは前回、何年か前に突然髪がオレンジになって帰ってきた時に比べれば、アルパカ牧場に行かねばならんのです、とトチ狂った

ことを言ってはいるが、大分マシだと受け止めて頂けたのかもしれない。

なんとなく、何か嫌な事でもあったのだろうと察したのだろう。ありがたいことだ。

翌日、待ちきれず、朝一番の電車に乗る。

アルパカ牧場、あれ、駅から大分離れてるっていうじゃない?駅から先どうするの?とさすがに地元民だけあり詳しい母親の疑問に「最近はコインパーキングでレンタカーが借りられるサービスがあるのですよ」と説明し、いや、運転はやめておきなさいタクシーにしろと厳命されたため、電車を降りてからは豪勢にもタクシーを使用する。

ちょっとしたブルジョワ気分で正直サイフ的には痛いが、母親には何かと心配をかけているようだし、そのくらいは素直に言うことに従う。

駅からはタクシーで、予想以上に野を越え山を越え。これは知られていないわけだ、客来ないだろう。潰れなければいいがといらぬ心配を始めた頃、ようやく到着した。

お兄さん、お電話頂ければ帰りもお迎えに上がりますよ。と名刺を渡され、ちょっとしたブルジョワ気分。悪くない。

とにかくにも、着いたのだ。

思えばいつも、やりたいことがやれなかった。

本当は、メキシコに留学したかった。

せっかく苦労して立ち上げたプロジェクトを最後までやり遂げ、胸を張りたかった。

いつも何かに遠慮して、誰かに気を遣って、本当にやりたいことはやらずに我慢してしまう。

だが、今回は違う。

憧れのアルパカ牧場が机の上でも地球の裏側でもなく、まさしく現実として目の前にあるのだ。

遂に、来た。

既に心は不思議な充足感で満たされているが、いや、これからだ。

あいつらに会うんだ。白くてもこもこで、不思議な生き物のあいつらに。

あわよくば、もふもふしたい。

居るんだ、この中に。

憧れへ向け、はやる心を落ち着かせるように、ゆっくりと歩を進めた。


アルパカ牧場の入り口には小さな木戸があり、近づけばなるほど、牧場の強烈な臭いがする。

ウマやらヒツジやらに近い生き物だ。当然それが数いるなら、ウマやらヒツジやらと似たような臭いがするだろう。

農学部出身の身には懐かしい臭いだ。

農学部に在籍してこそいたが、関係のないメキシコ文化やフランス文学の講義ばかり受講して、あとは農場で日がなヤギやダチョウを眺めてばかりいるインチキ学生ではあったが。

ノスタルジーに駆られつつ、木戸をくぐると、そこには広大な牧場が広がる。

柵で囲われた牧場には一面に牧草が生い茂り、緩いカーブを描いて続く農道の先には小高い丘がある。

心が踊っていた。

高原の涼しい空気が流れているとはいえ、夏の山の陽射しは強い。その熱が、こんなにも心地よい。

きらめく緑が輪郭をはっきりと浮かび上がらせ、輝いている。

もし心がもう少しだけ軽かったなら、幼い子供のように駆け出していたことだろう。

さあ、やつらはどこだ。

白くてもこもこの、とぼけた顔をした不思議な生き物。

牧場を見渡すが、見当たらない。

どこだ。どこにいる。見つからないぞ。

どこに隠した、もったいぶるんじゃあない。


それに気づいた時には、やつらは既に目の前に来ていた。否。最初から目の前にいたのだ。

最初はウマだと思っていた。なんだ、ウマもいるのか。アルパカはもっと奥にいるのだろうな。

次に思ったのは、いや、ラクダか?ラクダもいるのか、だった。

あちらに2頭、こちらに3頭。

灰色の地味な、みすぼらしく痩せこけた生き物。

不細工な下っ歯を剥き出しにして、ちっとも可愛くない生き物。

それが、それだった。

さっきから珍しい来客にわらわらと寄ってきて、荒い息遣いでブルルルと威嚇しながらエサをねだっている凶悪な連中。

どいつもこいつも、中途半端に頭と背中にだけもこもこの毛を生やしていて。

それが、妙なセンスでおかしな髪型に整えられている。

なんのつもりなのか、ちらほら、モヒカンがいる。挙げ句の果てには、ホーク・ウォーリアーにされている奴までいる。

明らかに、これをやった奴は遊んでいる。

その、おかしな髪型をまんざらでもないように見せつけてくる愛嬌たっぷりの陽気な連中。

それが、それだった。

白くてもこもこふわふわ、不思議な可愛らしさとは程遠い、それらがアルパカだったのだ。

そうだ。そうだった。

アルパカは高原の生き物、暑さに弱い。

気温が上がる夏には、毛を刈らなくてはいけないのだ。

刈られた毛からは毛糸が作られ、織物などに用いられる。物産展でよく見かけたアレになるのだ。

アルパカは家畜だ。ヒツジと用途は同じ。

夏に毛を刈り取るために飼育されている。夏のアルパカに毛がないのは、当たり前のことなのだ。

むしろ、目の前にいるこいつらこそが、アルパカの本体。真のアルパカ。

知識として知ってはいた。講義で習ったし、アルパカについても興味があったので、ご自身に大分調べた。

しかし、アルパカは夏に毛を刈らなければいけない生き物であること、今の季節が夏であること、アルパカ牧場にいるアルパカたちは当然、今の季節は毛を刈られていること、本来等号で結び付くはずのそれらが、まったく頭の中で関連付けられていなかった。

アルパカ牧場に行けば、白くてもこもこふわふわな不思議かわいい生き物がいて、あわよくばもふもふできる。そこから先に、思考が進まなかったのだ。


現実はあまりに非情だ。当たり前のことは、当たり前に起こるのだ。

アルパカが夏に毛を刈られる。夏のアルパカ牧場にはもこもこした白いのはいない。

当たり前ですね。

でも、いくらなんでもホーク・ウォーリアーにすることはないじゃないか。

おいホーク・ウォーリアー、お前もホーク・ウォーリアーにされて嬉しそうにしているんじゃあない。楽しそうだな。

クソ。これはこれで確かに楽しいよ、認める。

望んだものはなかったけど、目の前でさっき投げてやった干し草団子をもりもり食っているクレイジーな髪型の連中、正直、見ていてまったく飽きない。

さっきから写メ撮って、皆に送りまくってるしな。楽しすぎてがらにもなく、はしゃいでいるんだ。畜生。

結局、望みは果たされることなく、楽しかったからまあ、いいか、という妥協のもとに時は過ぎていく。

牧場の係員のおじさんが、ここは陽射しが強いですからね、帽子のかわりに頭と背中の毛は残してあげるんですよ、と説明している。

かっこいいでしょう?と、自慢気に。

お前か!お前のセンスか!

思わず顔をあげると、おじさんはニヤリと笑みを見せ、ほら、あんなこともできるんですよ、おもしろいでしょ、と離れた一頭を指し示す。

おじさんの指の先には、「バ カ」という文字の形に背中の毛を残して刈り取られたアルパカがいた。

言い知れぬ敗北感に襲われ、膝から崩れ落ちる。しばしの沈黙のあと、懐からタクシーの運ちゃんの名刺を取り出し電話をかけた。


アルパカを見るなら冬に見ろ。

これはよい勉強になった。

次の犠牲者を出さないためにも、広く教訓として広めて日本国民を啓蒙していかねばならない。

もし文部科学省大臣の立場にあったら、小学校からの必修項目として教育指導要項に組み込むところだ。

今日まで歴代の文部科学省大臣の無能さを呪いつつ、タクシーを待ち眩しい夏空を見上げる。

何故、いつもうまくいかない。

せっかく珍しく積極的に動いたのに、ほんのささやかな望みは結局果たされなかった。

妥協をして安い楽しみに流れる、まるで自分の生き方の縮図のようだ。

今日も浮いているあいつらにはどう見えているのだろう。

自分の存在に迷うとき、自分の価値に悩むとき。

人はラッコを見上げる、ラッコゲイザー。


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