sect.1
前の時は、アルパカだった。
ストレスが溜まり、耐えられなくなると、毎回妙な事がしたくなる。
職務質問をしてきた真面目な警察官の方に絡んでみたり、とか。
最悪だ。ストレスを発散するために当たり散らすなら、誰だって良いはずじゃないか。
確実に反撃ができない立場にある人、こちらが一方的に理不尽な言葉をぶつけても怒れない立場にある人。そうだとわかっていて、その上で、狙った。
なんなんだ。言い返せない相手を選んでしか、怒りをぶつけることすらできないのか。
人間としての小ささ、男としてのあまりの度量のなさに自分で自分が情けなくなる。
お前のどこに、真面目に仕事をしていたおまわりさんをなじる権利があるというのだ。
あの人は、真面目に自分に任せられた仕事をなさっていただけじゃないか、それを邪魔して、嫌な気持ちにさせて。
あの人を馬鹿にできるほど、お前は真面目に働いているのか。仕事をなめてんのはお前自身だろうが。
家にたどり着いて一人。暗い部屋の中、自問を繰り返しては自己嫌悪に陥る。あんなことで少しでも嗜虐的な喜びを感じ、真面目なおまわりさんを見下していたと思うと恥ずかしくて恥ずかしくて、もう死んでしまいたくなる。
頭に血がのぼっている間は、大分無理を通しているとわかっていても、こちらにだって道理があるつもりでいた。
なにも、最初からいやがらせをしてやろうと思っていたのではない。ただ、放っておいて欲しかった。
それが叶わないならせめて、自分がいま、理不尽な扱いを受けているのだと訴え、理解して頂きたかったのだ。
いや、「お手数ですね、申し訳ないですね」と笑顔で言ってくれさえすれば満足だったのだ、ちょっとだけ、
こちらのとるに足らないプライドを満たしてくれさえすれば。
だが、無理矢理身体を張ってまで止まらされ、ついカッとなってしまった。
血圧が下がって冷静になって考えてみれば、それだってまだ、怒るようなことではない。
こちらが止まれば追いかけてはこなかったのだ。
わずかの我慢ができなかったせいで、こちらにあったはずの道理は引っ込みすぎて地球を突き抜け、はるか宇宙の果てまで飛び去ってしまい、
今頃は銀河を旅していることだろう。
結局、コンプレックスなのだ。
30半ばを過ぎて、非正規雇用の肉体労働。自分で選んだ道ではあるが、やりたくてやっているわけでも何か目的を持ってやっているわけでもなく、ただ、生活のため。
朝起きて「仕事行きたくねえ」と思い、「仕事やりたくねえ」と思いながら働き、「明日仕事行きたくねえ」と思いながら寝る。
「生活するのに必要な分の金が稼げるなら、正規だろうが非正規だろうが同じだろう。」
「自分には毎日パソコンの前で電話をとって名刺配って、そんな仕事は向いていない。」
「身体を使って、ああ、今日も頑張ったなって。目に見える成果が毎日上がらないと働いてる気がしない。」
すべて、正しい。本心でそう思っている。
だが、35歳。人に訊かれると契約社員という言葉で誤魔化してしまう、アルバイト従業員。
フリーターと人に言われると、「違う、定職に就いているから契約社員だ」と言い返してしまいたくなるが、実態はなに一つ変わらない、アルバイト従業員。
まともな勤め人ではない。人より自分は劣る。社会的地位が低い。そういった意識が、常に心の底に複雑な形の渦を描き、その様はまるで銀河の星屑のよう。
警察官というお堅い職業に就き、日々の職務を溌剌と遂行しているであろう自分より一回りは若そうな青年、
あまりにも自分とは違いすぎる人生を歩んでいる相手に不審者扱いを受けて、先ほどはそのコンプレックスが爆発してしまったというわけだ。
しかし、ここが難しいのだが、仕事をすること、働くこと自体は別に嫌いではないのだ。むしろ、好き。忙しくせかせか働くことに喜びを感じてしまう。
「仕事行きたくねえ。」「帰りてえ。」が口癖でこそあるが、いざ仕事となれば妙に張り切って、誰より真面目に働いてしまう。
本業の他に副業が2つ。3つの仕事のスケジュールをやりくりし、1日の労働時間は毎日12時間以上。
完全な「休み」は1ヶ月に2度程度、あるかないか。
もちろん生活の必要があってやっているのだが、こんな生活、働くの自体が好きでなければ続けられまい。
認めたくはないが、実はそれなりに、楽しい。充実している、とまでは言わないが、やることがいくらでもあるというのはある意味で幸せなことだ。
福沢諭吉という偉い先生もおっしゃっている。お札の肖像画になるような、偉い方だ。どうもなかなかご縁がないのか、長らくお付き合いができないのは残念だが。
では何故、日々ストレスがたまっていくのか。誤解を恐れずにはっきりと言えば、人より少々頭が良すぎるのだ。それが、そもそも全ての原因。
この、「少々」「良すぎる」という微妙な表現でしか説明できない部分がなかなか厄介なもので。
100点満足のテストで言えば、88点と言ったところ。当然、平均点をはるかに越え、むしろ全体で言えば上位に入るのだろうが、それだけ。
メダルがもらえたり、歴史に名を遺したりといった、何か特別なことができるわけではない。その程度の存在。
仕事に関しても、そう。
頭が良いから仕事の要領も悪くはなく、何でもソツなく、こなす。
しかし、所属組織の未来を左右するような大きな仕事が出来るとか、自分以外には絶対に替えが効かないような特別なスキルがあるとか、そういったものとなると、一切思い付かない。
本当にただ、「性能がちょっといい部品」である以外に長所がないのだ。
少々頭が良すぎるから、そういう部分が自分自身でよく理解できてしまう。
例えば、これがもし、もう少々頭が悪ければ。自分はまわりのバカどもとは違い、仕事ができるんだぞう!神に選ばれた特別に出来のよい人間なんだぞう!と威張り散らし、自分の能力に満足して日々楽しく暮らしていることだろう。
逆に、もう少しばかり頭がよければ、そのまわりのバカどもをよき方向に導き、皆が幸せに暮らせる神に約束されたユートピワを作り上げ、日々楽しく暮らしていたかもしれない。
だが、実際の自分は「人より少々頭が良すぎる」レベルなので、まわりのバカどもが「こいつらは使えないバカどもだ」と理解しつつも所詮は自分もそのバカどもと同じくくりの存在であり、せいぜい「使えないバカども」より多少賢いことにプライドをもって生きるくらいしかできない。
頭が良すぎるから、わかってしまうのだ。自分が「使える人間」の中にもし入ってしまったなら、まわりから「使えないバカ」だと扱われてしまうことを。
だから、誰にでもできる簡単なお仕事しか、やらない。
簡単なお仕事だからすぐに要領を掴んでまわりからも一目置かれるようになるし、なによりまわりがバカばかりだから、俺はこいつらより頭が良いのだとプライドを保つことができる。
結果、「つまらねえ簡単な仕事」をまわりの「使えないバカ」に腹を立てながら日々、「仕事やりたくねえ。」と思いつつ、何故か誰より真面目に一生懸命やっているわけで結局自分にはそれしかできないということにもはっきりと気がついてしまっている。
自分の欠点、小賢しさ、醜さがみえているのに、それを積極的に変えられるほどの頭の良さはない。
いつの間にか水の中にいることに気づいても、飛んだり泳いだりして脱け出すとはせず、沈んでいるだけしかしない、できない。とりあえずしばらくは死なないし、水の中はじっと沈んでいても案外なんか、楽しいから。
中途半端に頭が良いというのは、こんなにも不幸なことなのだ。
頭が良いことは幸福であり、頭の悪い者は無敵である。
中途半端に頭が良いと、ストレスが溜まるばかりだ。
そうして日々を無為に過ごし、何かを成し遂げることもなく、何か誇れるものを持つわけでもなく。
水面を見上げながら、届きもしない日射しに日焼けしてしまうと心配してみたり、ある日突然流が強くなって隠岐まで流されてしまうのではないかと考えてみたり。不満と不安に苛まれ、悶々と暮らす日々。
楽しそうに浮かんでいるあいつらにも、中にはこんな風に悩む奴がいるのかな。
沈んだり潜ったり回ったり、貝を叩いたりしない奴をみて、あいつらはどう思うのだろう。
自分の存在に悩むとき、自分の価値に迷うとき。
人はラッコを見上げる、ラッコゲイザー。