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プロローグ
「失礼ですが。」
「何をして、おいでですか。」
何ってお前。これが遊園地に出かける格好に見えるか?
思わず声に出して毒づいてしまったのは江戸っ子だからでも気難しい職人を気取っているからでもなく、既に今月3回目の職質だったからだ。
これで三週連続、週イチのペースをキープしていることになる。なんなんだこれは。
だから、最初は聴こえないふりをした。
涼しい顔で無視して自転車を漕ぎ続けていたのだ。
お互い、本日この場では関わり合わない方が幸せだろう。誰も傷つけない、大人の解決方法だ。
それなのに、必死で走って追いかけてきて、並走して。
最後にはこっちの自転車の前に自転車の鼻っ面割り込ませてきて。
さすがに腹が立つ。そこまでのカーチェイスを演じておきながら、薄っぺらい作り笑いして話しかけてきやがって。
見ていたぞ、お前。一度通り過ぎてから、わざわざUターンして追いかけて来ただろう。
これだけ人がいるのに、ピンポイントで狙ってきたのはどういうことなんだ。ファンなのか。ファンだからそんなに必死に自転車とばして追いかけてきたのか。
いくら追いかけてきても今はプライベートだから、サインはしねーぞ。
空気読めよ、最初に無視された時点で察しろ。
一瞬でこれだけの不満点が並び、怒りがふつふつと沸き上がる。次々と相手を罵倒する言葉が心に浮かんでくる。
それなのに、意を決して発した「遊園地に出かける格好に見えるのか?」のあとは、まるで言葉が続かない。
なんだ、今のが精一杯の手向かいなのか。そう嘲笑されているようで、目の前でまるで気にしてないですよ、と相変わらず作り笑いを
顔に貼り付けたままの警官に対する敵意がさらに高まる。
人は、自分が不利だと感じると攻撃的になるものだから。
しかし。これでも。一時期よりはかなりマシな状況になったのだ。
ボヘミアンな格好をして歩いていた頃は、それこそ警察をみたら捕まると思えと言うくらいの頻度で「お声かけ」をされていた。
あまりにも捕まる頻度が高いので、一計を案じ、作業着のまま通勤するようになってもう、二年経つ。
いつのまにか作業着姿がすっかり板に付き、歳も三十半ばを越え。見るからに現場仕事のオッサンでしかなくなり、「何をされている
んですか。」なんて間抜けな質問をしてくる輩が現れる頻度も減っていった。
早朝、または夕方。あるいは、深夜。
汚い作業着姿の汗臭い男が一人。
一目でわかるのだ、ああ、お仕事に行かれる方ですね、と。
それこそよほどのこと、例えば、自転車に乗るなどしていなければ、捕まらない。
気のきく人間なら「お仕事お疲れ様です。」くらいはアドリブで付け足してくる。こちらだってそう言う態度でこられればまんざら悪
い気もしない、自転車の防犯登録くらいは確認させてやるさ。
しかし、いるのだ。中には気の利かない人間というものが。
目の前の警官は、まるで言い返された内容が理解できていないような顔をして、ボケッとこちらが次の言葉を発するのを待っている。
お前だよ。いま、質問されているのはお前だ。お前がしゃべる番なんだよ。
遊園地に行く格好に見えるのか見えないのか、不思議そうな顔をしていないで、まずそれを答えろ。話はそれからだ。
だいたい。自転車に乗っていることがそんなに悪いのか。そんなにいけないことなのか。
警官が黙っているのでこちらも黙っているうちに、いま現在この場に直接関係の不満点 までもがどんどん関連付けられ、雪だるま式に怒りが膨れ上がってゆく。
何年か前の道交法改正以降、自転車は完全に悪者だ。駅前からは閉め出され、乗ることすらできない。
以前は「路側帯」だったところを青く塗っただけの、「自転車レーン」に追いやられ、トラックやバスに肩を掠められながら、
文字通り「肩身を狭くして」通行させられている。
挙げ句、住宅街で危険のないよう最徐行していれば不審だと言って、警官が寄ってくる始末だ。
これはもう、国家をあげて自転車を排除にかかっているとしか思えない。
警官横暴。官権横暴。権力者の独裁と暴走を許すな。
いよいよ怒りが国政レベルにまで届き、このままでは外交レベル、ひいては地球規模にまで向けられかねないため、悔しいが仕方なく、こちらから再び口をひらく。
「仕事だよ。それ以外に何かあんのかって。」
声が震える。言葉がぎこちない。これでは、普段はこんな口調でし
ゃべらない奴が精一杯、昔のマンガに出てくるリーゼントのヤンキーみたいなキャラクターを作って怒りを表現しているのが丸わかりだ。
情けない。緊張しているのだ、たかだかこの程度の、悪態をついたくらいで。
人の言うことに逆らったり、相手に不満を伝えたり、そもそも苦手なんだ、知らない人と話するの。
「あ、お仕事。」
なんだその反応。馬鹿にしてんのか。
こっちは精一杯の勇気を振り絞って、震えながら怒りを伝えているんだぞ。
いや、当然馬鹿にしているのだろう。汚い作業着を着て、錆びだらけの自転車に乗って。警官に不審者扱いされている三十男、いや、
もう四十の方が近いのか、とにかく。
こちらは絵にかいたような社会の底辺、世間の皆様に笑われない道理などない。そんなちっとも怖くない相手がぶるぶる唇を震わせながら、俺はワルなんだぞと強がった悪態をついて。見ている側としたらこんなに面白いものはないだろう。
「あのですね、いま、交通安全強化週間でして。」
「はぁ!?」
仕事関係ねーじゃねーか。これは心に思ったままの、「はぁ!?」という驚きの声を出せた。どうやら短い台詞なら緊張せずにちゃんと言えるようだ。わかってきた。
「いや、あの。最近自転車の事故とか実際多いんですよねえ。なんで、その、皆さんにお声かけというか。」
警官に若干の動揺が見られる。突然キレ返されるとは思わなかったのだろう。確かに、キレるような内容ではない。交通安全強化週間、けっこうなことじゃないか。
だが、許さない。こっちは今、腹を立てているんだ。
「ああ、確かに危ないっすよねえ。」
「歩道通行の際は、歩行者に危険のない速度で通行しなきゃいけないのに。」
「お構い無くとんでもないスピード出して追いかけてくる人とか、実際いるんですよねえ。」
「歩道内の左側を通行しなきゃいけないのに。右側を平気で走って。」
「歩行者の方がもしいたら、絶対事故ってましたよね、そんなことをする人がいるなんて、信じられないですよねえ。」
おお、なんだ。えらくスラスラ喋れてるじゃないか。コツが掴めてきたか。
短く区切ってゆっくりしゃべればいいんだな。ひとつひとつのセリフをゆっくり、かつ、相手に言い返すタイミングをあたえないよう、途切れずに。
よし、ここは「ゆっくり喋る人」というキャラクターでいこう。飄々として、つかみどころのない人格だ、余裕のある態度にみえてかっこいいぞ。
「挙げ句に並走して、幅寄せ。遂には前に割り込んで無理矢理停止。」
「なんなんでしょうねえ、マンガの影響なんですかねえ。」
「マンガ、流行ってますもんねえ、自転車の。面白いですよねえ、あれ。毎週読んでますよ。」
警官は黙ってしまった。自分の非を、法律に絡めてさもさも重大犯罪であるかのように責められているのだ、悔しかろう。
お前が本官の「お声かけ」を聴こえないふりをして逃げるから追いかけたんじゃないか。
「誰何されて逃走したもの」「警察官の職務質問を受けて逃走したもの」は現行犯逮捕できるんだぞ。
本官は職務をただ忠実に行っただけだ。
そう言い返したいに違いない。短く区切って、落ち着いてゆっくり言い返したいに違いない。
しかし、それは不可能だ。なぜなら、自分に非があることを一応の理のある言い分で指摘されてしまったから。
日本のルールでは基本的に先に悪者にされてしまったら、負けなのだ。
警官が黙ってしまったので、こちらも言葉が続かない。考えていたセリフのストックが切れてしまった。
せっかく調子が出てきたのに。もっとこいつを罵りたい。ねちねちいつまでもいじめて泣かせてやりたい。
だから、何か喋べれ。喋ってください。
「で?」
結局、先に口を開いたのはこっちだ。冴えないセリフしかでてこないのは、沈黙に耐えきれなくなって仕方なく発した一言だったからだ。
普段知らない人と話し慣れていないものだから、こういう時はどうしたらよいか、わからない。本当、一回一回のセリフが手探りでのトライ・アンド・エラーだな。
とりあえず、相手に話を進めるよう促してみる。
警官は黙っている。腐れ。
「だからさあ。」
「何か用事があるから追いかけてきたんだろ?こっちは用はねえんだけどな。」
「黙ってないで用件を言ってくんねえかな。気になって、夜眠れなくなっちまうだろ。」
「明日も早えーんだよ、夜眠れなくなったら困るだろ。お前、明日寝坊で遅刻したら責任とれんのか。」
あああああ、ダメダメだ。また昔のヤンキーに戻ってる。
無理に気の利いたかっこいいセリフを吐こうとした途端、このザマだ。わかってる、相手が黙ってるから本気で怒らせてしまったんじゃないかと、不安になったのだ。
怖いものだからこうやって、悪ぶった言葉を吐く。悪ぶった言葉がイコール昔のマンガのヤンキー口調な時点でもう、発想としてダメダメだ。
とにかく何か喋ってくれ。苦手なんだ、自分から話題振るの。
「あ、自転車の、防犯登録を、確認をですね。」
「はぁ!?」
お、うまいぞ。いいタイミングで被せた。「はぁ!?」は万能だな。
「ああー、はいはい。つまりあれだ、チャリ泥棒だと疑われちゃってるワケだ。」
「悲しいねえー、陽が昇らないうちから今まで、1日真面目に働いて。」
「やっと終わって、帰ってメシ食ってフロ入って寝る、それだけを楽しみにしてたってのに。」
「帰ることすら出来ずにこんなところで泥棒扱い。真面目に一生懸命働いてるのに、悲しいねえー。」
警官はまた黙ってしまった。いや、何か返せよ。こんなありがちなセリフ。言われ慣れてるだろ。
真面目にイラついてきて、ますます攻撃的に、早口になる。
ところどころ声が裏返って発音も変だ、ちゃんと言えていないのにもう、怒りのせいで止まらない。歯止めが効かない。
「見え見えなんだよ。」
「お前、文句言ってこなそうな、大人しそうな奴だと思って近づいて来たんだろ?楽な仕事しようとしやがって。」
「本当に違反してるやつ捕まえてゴネられるより、よっぽど楽に点数稼げるもんな。仕事なめてんじゃねーか。」
つい本音が出た。結局、これなのだ。
いくらでも他に人がいて、その中には平気で逆走してるやつ。スマホいじりながら乗ってるやつ。信号無視してるやつ。
目の前で見ているはずなのに、わざわざこっちを選んできた。
つまるところ、それが許せないのだ。
お前は見た目が悪くて不審な社会のゴミですよ、そう言われているように感じてしまう僻み根性が、こんなことをさせている。
さっさと防犯登録でも身分証でも確認させて、終わりにしたほうがよっぽど、お互いにとって幸せなのに。
「で?何やってるワケお前は。早く確認しろよ。明日早いって言ってんだけどなあ。日本語は苦手?」
めんどうくさくなってきた。もういい、確認させてもう帰る、フロ入る、寝る。
警官は無言で防犯登録の確認を始める。イラつくな。お前が確認したいって言うから確認させてやってるのに。なにイラついてるのをこれ見よがしに態度に出してるんだよ。
「おそれいりますが、身分証明書の確認だけ…」
「ああー、はいはい身分証明書ですね、どうぞどうぞ、早く確認してください。早く。」
本当はここでさらに難癖をつけてやりたいところだが、めんどうくさくなってきて。完全にこれは、とりあえず確認させてさっさと切り上げる方向にシフトしたな。
すぐめんどうくさくなって、イラついて放り投げる。こんなことだから、仕事も長続きしないんだ。
警官が無線で確認を取り始める。 登録番号と、住所氏名の確認。
だがどうしたことだろう。無線の調子が悪いのか、返信がこない。
わかる。こういう時に限ってうまくいかないものなんだ。
警官は明らかにイライラし始め、何秒かおいてまた、同じ内容を発信する。
が、返事がこない。
「あー、忙しいんですかねー。大変ですねえ、もしこれが緊急の報告だったら、どうするのかなー。犯人は逃げちゃうし、怪我人がいたら死んじゃうよなー。」
「カーラーの救命曲線て知ってますぅ?1分送れるごとに生存確率が50%下がるんですよねー。3、2、1、ピーン、1分、経過。あーあ死んじゃったよ?カワイソーに。」
「うるせえ。」と言っている。
「黙れ。」と言っている。
警官の態度が、表情が、手の動きが。
全身で「俺は悪くないのに」と訴えている。
ざまあみろ。こいつなら大丈夫だろうと人をなめてかかった報いだ。
もっと煽ってやる。もっとイラつかせてやる。
結局、三人目が死んで少し過ぎたところで確認が取れ、ようやく警官の彼はタチの悪い相手から解放された。
「ご協力ありがとうございました。」なんてセリフが今さら出るはずもなく、ブスッとふてくされて「確認とれました。もう大丈夫ですよ。」と一言。
バカが、そういう態度だから「いえいえ、おまわりさんも大変ですねえ、お忙しいのにこんなことで手間を取らされて。」と嫌みを言われるんだ。
「点数稼ぎ頑張ってくださいねー。」とトドメの捨て台詞を吐き捨て。
まったくその必要もないことでわざわざイラつく方法を選んだせいでさらにイラつくことになり、あまつさえ、相手までイラつかせて結局、最後に出てくるのがそんなありふれた冴えないセリフか。
二人の男は無駄なイライラを胸に溜めて、すっきりしないまま別れていった。