9 「凜」という言葉が似合う
「本当によろしいのですか? 本当によろしいのですか?」
伊集院静はそう俺に尋ねる。大事なことだから二度聞いたのだろうか。
「囲碁部も新入部員入らなかったしな」
俺は、たまになら百人一首部の活動の手伝いをしても良いとお申し出たのだ。だって、一人で活動しているということ。昨日の涙を見てしまっては、何かしたいと思うのが人情ではないだろうか。
「感謝致します」と伊集院静は、襷を巻始める。よっぽど嬉しいのだろうか。そして、大石天狗堂のかるたを取り出し、裏の状態で札を畳へと広げる。
「佐藤様も、札を混ぜてもらってよろしいでしょうか」
え? 俺もやるの? というか、そしたら歌を詠む人がいないのではないだろうか? というか、俺は百人一首を覚えてないから、たぶん、勝負になどなりはしない。
「俺が歌を詠むから、それを取るというのは?」
「畏まりました」と、札を並べていく。心なしか、伊集院静は嬉しそうだ。部員が一年間自分しかいなかったということであれば、一年ぶりということなのだろうか。
「じゃあ、詠むよ?」と、札を並べ終わったのを見計らって俺は声を掛ける。
「あの……? 十五分の暗記時間があるのですが……」
「え? そうなんだ……」
いや、実は、競技かるたのことを俺は詳しく知らない。読み間違ったり、途中で咬んだりなどしたら、結構恥ずかしいかもしれない。
十五分の暗記時間。つまり、俺は暇な時間だ。読み札を適当に読んだり、シャッフルしてみたり、伊集院静の真剣な表情をしている。十五分で、百枚の取り札の場所を暗記するって、結構な作業な気がする。
携帯でセットした十五分が経過した。取り札を眺めていた伊集院静が前屈みになっていた姿勢から、背筋を伸ばし、そして俺に向かって一礼をした。そして、その顔を上げる。
その表情を見た時、俺はゾクッとした。「凜」という漢字が似合う。部室の空気が二、三度下がったのではないか。
いつものお淑やかな表情ではなかった。まぁ、大学生だな、というような顔でもない。薄く引かれた口紅が先ほどよりも鮮やかに見える。口元はクッと引き締められ、靨がくっきりと浮かんでいる。
長い眉毛は百合の花のようにしなやかに広がり、咲き誇っている。そして、瞳は鋭く輝いている。
そして、その瞳は俺を見つめている。
「あの……佐藤様?」と、首を傾げて俺を見ている。それは、俺が昨日まで見ていた伊集院静であった。
「あ。え? あ、あぁ。ごめん。じゃあ、詠むよ」
我を忘れさせたのが、伊集院静。
我に返らせたのも、伊集院静。
「『陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに』」
「あの『序歌』を最初に読んでいただきたいのですが……」
「『難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花』でございます」
「うん。今度までに覚えておくよ」
何故だか心臓が早い。今は、序歌を覚えられそうにない。たったの三十一文字なのに、不思議だ。『今を春べと 咲くやこの花』。どんな花が咲いたのだろうか。今はどうでもよいだろうに、何故かどんな花が咲いたのかが異様に気になる。
「『乱れそめにし 我ならなくに』」
俺は、下の句を詠んだ。