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玉の緒よ  作者: 池田瑛
11/13

11 非接触型ICカード技術は、馴染みがあります

「ここで切符を買って、あの改札を通れば大丈夫だよ」


「切符に鋏を入れる方はいないのでしょうか?」


 いつの時代の話をしているのだ……。


「そういえば、朝はどうするの?」


「朝も公共の交通機関を利用しようと考えております。いつまでも親に甘えているようでは、私も佐藤様の婚約者として立つ瀬がありませんし」


 いや、伊集院財閥の令嬢だし、誘拐とかされる危険があるから、車で送迎された方が安全だと思うのだけど……。それに、甘えるといってもまだ、大学生だろうに。それに、部活動で着ている着物だって、『これは曽祖母が國與女大学に通っていた時に来ていたものです』とかさらりと言っていたけど、たぶん、その大島紬、百万円以上の価値だろうに。今日の結城紬だって……。

 いや、それよりも何が凄いって、いまだったら人間国宝と呼ばれる人しか作れないであろう着物を、しれっと着ていることだよな。着物は無形文化遺産なのだろうが、着ている着物も有形文化遺産級だと思うのは俺だけだろうか。珈琲のシミでも付けたら怒られちゃうよな……。


 そして、もっとも重要なのは、伊集院静が、振袖を着なくなったことだ。

 これは、ただの偶然だよな? 聞くに聞けない、重すぎる話題。


「それだったら、毎回切符買うのも大変だし、SUICAを使ったら?」


「SUICAですか?」と伊集院静は首を傾げている。電車に乗ったことがないなら、知らなくても当然であろう。


 夏に食べるあの西瓜ですか? と聞かれなくて良かったよ。

 

「それに通学なのだから、定期を買えば割安だな。大学で証明書を貰ってくれればあの窓口で買えるよ」


「明日、教務に問い合わせてみます。それと……窓口というのは、あの緑色の看板の窓口でございますか?」


「そう。あの、みどりの窓口」


「もし、SUICAを買ったら、こんな風に、切符をわざわざ券売機で買わないでもこうやって改札を通ることができる」とSUICAを使って改札を通る。


「なるほどです。非接触型ICカード技術を使っているのですか。確かに、これだけの多くの方が利用されているとなると、人の目で確認するのは難しいのでしょう」


 あれ、自動改札に驚くかと思ったけど……。そこは驚かないんだ……。そして、難なく切符を使って改札を通る伊集院静。


「どうかされました?」


「あ、いや。SUICAの機能に驚くかと思っていたけど……」


「以前、家の鍵はこの技術を使っておりましたので、馴染みが深いものでございます。もっとも、やはりカードが盗難された場合の安全性の問題から、非接触型生体認証技術を使う方式の鍵に変更になりました。たしか、私が中学の時でございましたでしょうか」


 さすがは伊集院家のセキュリティー。時代の最先端を行っていらっしゃる……。

 それに、伊集院家の地下を迂回するように地下鉄が掘られているのは、地下シェルターまで完備しているからという都市伝説があるのだが、本当なのだろうか……。ご案内しましょうか? などと聞いたら言われそうだからやめておこう。


 ・


「佐藤様。申し訳ございません。次こそは、頑張ります」


 伊集院静は、満員電車に乗るのをためらう。人を尻で電車の奥へと押し込むのに抵抗があるのだろう。既に、電車を三つほど乗らずに過ごしている。


「あ、あの……佐藤様、一つお伺いしたいことがあるのですが」と次に来た電車にも乗れなかった伊集院静は、俺に尋ねる。


「佐藤様以外の男性の方に、万が一肌を触れられてしまったら、佐藤様は私のことを不貞だとお思いになりませんか? 電車があのような状況だと、心配でなりません」


 痴漢は論外としても、不可抗力の部分が大いにあるのだが……。それに、まだ夫婦じゃないから、不貞も何もありはしない。しかし、そのあたりの観念は、やけに古風なんだよな……結婚、婚約の件もそうだけど……。

 

「大丈夫。そんな風に思ったりはしない。電車、来たね。次こそ乗ろう!」


 戸惑っている伊集院静の手を取り、電車の扉へと進む。だが、伊集院静の足が止まる。扉の脇に立っていた会社帰りらしきサラリーマンが立っている。それに警戒をしたのだろう。

 俺は、そのサラリーマンと伊集院静の間に体を入れた。すると、安心したのだろうか。伊集院静は足を進め、なんとか電車の中へと入った。

 電車の扉、伊集院静、そして俺。電車は揺れるが、俺が電車の扉のガラスの部分に両手をついて、体を支える。その両腕の間に伊集院静がいるというような格好だ。

 

 次の駅は、反対側の扉が開く。その次が赤坂だ。それも、反対側の扉が開く。このままの体勢を維持していれば大丈夫だろうと思っていた矢先だ。電車がブレーキを掛ける。

 たぶん、つり革に掴まらないでスマフォでゲームをしていた人だろう。一気に俺の背中に重みがのしかかる。ガラスの部分で支えていたのも悪かった。手が滑って力が入らなかった。

 俺と伊集院静の間にあったなけなしのスペースがその急ブレーキのせいで埋まってしまった。


「だ、大丈夫? 問題ない?」

 

「佐藤様なら、なんの問題がございましょうか」


 お互い、無言で過ごす。春の香りがしたような気がする。


 やっと赤坂だ。降りるには人が作る壁の間を通り抜けて行かなければならない。伊集院静の手を取り、そして開いた反対側の扉へと人を掻き分けて進んだ。


 駅のホームで俺はほっと溜息を吐く。こんなに緊張したのは久しぶりだ。


「電車というのは、乗ると幸せな気持ちになるものですね」と伊集院静は何故か楽しそうだ。


 いや……。満員電車で幸せになるって、あまり聞いたことないけど?

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