はねつき(前編)
第二章 はねつき
本日より我が高校の夏休みだ。さて、どうやって過ごすべきなのか……私はそう考えながら
帰路に着いていたのだが…… それ は余りにも突然、訪れた――
背後から大きな音がした後、パラパラと小さな石が落ちるような音が聞こえ、振り返るとそ
こには、ちょうど大型犬くらいのサイズだろうか? 目の前にはピンク色と言うには、血の滲
んだような色合いが目立ち、その表面には血管のようなものが浮き出ているのか、単なる模様
なのか金色の部分があり、その胴体からはドラゴンのように逞しく大きな一対の翼を広げてお
り、それが地面に突き刺さっていた。手足は無く、尾はトカゲのように伸び、首は蛇のように
細長い。そして今、その大きな翼で飛び上がる事で、地面から頭を引き抜いた為、どんな顔か
も分かった。顔は縦に長く、ワニの口のような顎は強靭に見え、閉じた口のラインは歪で、牙
が見えたり見えなかったりと不恰好なものだ……そして目は一つしか無いものの、その顔の半
分近くを占める程に大きく、それに獣の目のような縦に細長い線が入り、その瞳は信じられな
い程、赤く発色しており、見ているだけで恐ろしいとさえ思える色をしていた。
そして、その真っ赤な一つの目で私を捉えると、次第に翼を羽ばたかせながら、こちらの方
に突進してきたので、私は咄嗟に横に飛んだ。回避方法はこれで正しいらしく、その後も何度
も横に飛びながら、少しずつ進み……私を 見かける度に 突進して 追い掛けて来る ので
ここで私が 見えなくなったら どうなるのか……それを試す為に、何とか回避を繰り返し、
この一つ目の羽の化物が比較的遠くまで離れた時を見計らい、傍にあった建物の中に入る事に
成功した。もしも、この化物が 対象が見えている時 、 その方向を目指して来る のだと
したら……こうする事で、追い掛けて来なくなる筈である。
この予想は的中し、建物の中に入り暫く進むと、追って来る気配はなかった。咄嗟に入った
建物は空き家のようで、私は疲れた身体を癒そうと部屋を探し始め、階段をいくつか上り、辿
り着いた部屋の戸は鍵が開いていた為、中に入れたが、それだけではない。至る所が見栄えに
影響する程、傷んではいるが、落ち着くには十分なソファが部屋の中にあったのだ。
私はそのソファに腰掛け、夏の日差しが照らす大きな窓の方をぼんやりと眺めながら、その
まま一眠りしようとしていると……窓の向こう側から見える、青い空の向こうで何かがこちら
を目掛け、迫って来ている事に気付いた為、私は慌ててそのソファから離れたが……その直後
と言えよう。先程と同じ一つ目の化物が窓を突き破り、そのままソファに激突して来た。この
部屋の高さなら空からも見えたという事か……どうやら、これが 今回 の化物……
私がそう思っていると、その赤い一つ目の化物は大きく口を開き、襲い掛かって来た。
「 はねつき 」
そう言い終えるか終わらないかの内に、私は――
八月一日
時刻は零時くらいか……夏休み最初の日曜日も、何もせずに終わってしまったな。しかし、
夏休みの宿題に一切手を付けていないというのは、さすがに感心出来ない。まぁ、もう寝てし
まったものは仕方がない、明日に期待しよう……さて、鳥のさえずりが聞こえて来た、そろそ
ろ起き上がってどこかに出かけて欲しいんだが……そして3時間が経過し更に4時間か、もう
10時くらいか? いい加減、起きてくれよ……桂眉子[かつら まゆこ]。お、ようやく起き
たな。さて、マユがその眠そうな目を擦った後、手を伸ばし布団を掴むと……おい、二度寝は
許さんぞ、とっておきの目覚ましを今、くれてやろうか……俺はマユが布団を掴む為に伸ばし
たその手で、傍にあった通信機器を 掴ませ 、通話相手一覧からマユのクラスメートを 選
択させ 、 かけさせる と……早速、その相手が出たようだな。
「お、桂。どうしたんだ急に? 何か用でもあるのか?」
その男性の声を聞いたマユは、眠そうな顔が一気に吹き飛んだような表情をした後、叫んだ
「ひ、ひ、ひ、ひ! ひむろ……くん!! な、何で……???」
マユに取っては朝、目が覚めるとクラスの男子に通話をしていて、その相手は何と……とい
う状況だ、取り乱すのも無理はない……さて、せっかくだ、 こうさせる か。俺はマユの口
を 動かさせ 、こう 言わせた 。
「えーとね……お昼ごはん、どうしようかと思ってたんだけど、何かイマイチ思い浮かばない
から氷室くんに相談しようかなーって。もしよかったら、一緒に食べに行くのもアリかな?」
マユは自分は何を言っているんだという表情をしていると、氷室はこう返した。
「そうだなー……天気もいいし、あそこのカフェにでも行こうか。結構普通の食事も扱ってる
所だし。うぉおお! 何か麦茶とか飲みたくなって来たぜ! んじゃ、オレ先行ってるわ!」
そう言うと氷室は通話を切り、マユは何が何だか分からないという表情をしながらドタバタ
し始めた。マユからすれば、この状況は一大事に他ならないからな。
「あー、どうしようどうしよう! 何で、何で!? 何で私、朝から氷室くんに通話かけて、
お昼ごはんの約束取り付けてるの!? 待って……ちょっと待って!! やっぱりやめたと言
おうにも、氷室くんに通話をかける何て……絶対ムリ!! って何で私、着替えが終わってる
のー! これじゃ、今すぐにでも出発出来ちゃうよー!!」
諦めろマユ。お前はこれから氷室新[ひむろ あらた]と待ち合わせのカフェに行く為に
外に出る んだ。家の中で過ごされても、何も得る事が出来ないからな。
お前の髪はベージュのポニーテールだったな。さぁ、グレーのキャミソールに紺のデニムジ
ャケットを羽織り、脚のラインが引き立つピッチリとしたセルリアンブルーのボトムスが今日
のお前の服装だ。これでも女らしさアピールが出過ぎないようにしたんだぞ?
さて、観念したのかヤケになったのか、マユは氷室のいるカフェへと向かった。久しぶりに
外に出たものの、めぼしい物は見当たらず、マユはそのまま真っ直ぐカフェに到着した。
そして、短髪とは言えない程度に、その銀色の髪を少しは伸ばした、氷室を見付けたが……
「カケル。お前は何を頼む?」
氷室の隣には、緑髪で眼鏡をした氷室の友人、鶴木駆[つるぎ かける]がいた。年頃の女
子から食事の誘いを受けて、仲がよいとはいえ、男友達を誘って来る……これが氷室新である
だが、マユに取っては二人切りという状況を回避出来たからか、大分落ち着いたようだ……
さて、マユ。何を頼む? オシャレなデザートを頼み女の子アピールか? 食欲の赴くまま
ヘビーなメニューを頼んで2人を引かせるか? 俺はどちらでも構わんぞ……とにかく、 外
に出る 、そして周囲の情報を集める……それが一番、 今 の俺に取って重要な事だからな
「ひ、冷やし中華!」
「じゃあ、オレも同じの」
「では私は期間限定の、トロピカルマンゴーソーダフロートを頂こう」
冷やし中華の流れをその眼鏡をクィッとする動作で断ち切るかのように、最後に鶴木が言っ
た。お前が一番、女の子アピールしてどうする……あと店員よ、カップル用のストロー持って
来ないでくれ。マユよ……アイスが美味しそうだからとスプーンを向けて迷うな……とりあえ
ず一口貰って美味しい! と満面の笑みを浮かび始めたぞ……氷室は麦茶を頼んで、豪快に飲
み干しては、美味い! もう一杯! と追加注文をしたか……まぁいい、鶴木もいるんだ、マ
ユにちょっと喋ってもらうぞ。俺はマユにこう 言わせた 。
「何か唐突に思い出したんだけど、こないだヘンな化物がいっぱい出て来た事あったよね。そ
の時にね、内の高校の生徒かな? 目の前で消えちゃった気がしたんだよねー……」
さぁ、鶴木駆。お前が 参加者 なら、この話は無視出来ないはずだ。 参加者は全て有明
高校の生徒 ……そして、この話の 能力 は使い勝手がいい分、通行人に目撃されてもおか
しくない。とりあえず俺はマユに呆然と鶴木の方を 眺めさせ ながら鶴木の顔をうかがった
だが、鶴木はハート型のカップル用ストローでトロピカルマンゴーソーダフロートを味わっ
ているだけのようだった。ここは、話の流れを変えておくか。
「そう言えばさ、2人はこの後どうするの? 私、今日は出掛けたい気分だなー」
マユにそう 言わせる と氷室が答えた。
「んー、オレは一旦帰るかなぁ。適当に夏休みの宿題でもやっておくよ」
「私は家で読書でもしよう。宿題を進めるのも大いにありだな」
鶴木は無駄に眼鏡を光らせ、そう言った。ふむ、鶴木も氷室と同じくらいの髪の長さか……
どうやらここで解散のようだ、帰り際に鶴木に話しかけられる事もなく、寄り道をしように
も、もう新しく行く所も限られている。せいぜいコンビニで映画のチケットの購入をするくら
いだな……さて、それも済ませたし帰ろうかマユ。
八月四日
「あ、まゆちゃん!」
何とかマユの一番苦手な英語の宿題を終わらせ、今日は珍しく自分から外に出たマユが散歩
をしていると、クラスメートの朧月瑠鳴[おぼろづき るな]に遭遇した。
朧月は爽やかな青系のワンピースに、そのやたらと長い金髪によく似合う麦わら帽子をして
いてなかなか無防備だが……マユの方もヤバイ。マユは強い赤みのコーラルカラーのキャミソ
ールに、柄が南国テイストの黄色を基調としたスカートを履いているんだが……あのな、マユ
キャミソールの生地が薄過ぎて、ブラが透けてるぞ……基本的に白くて、フリル部分が水色の
ブラジャーが少し近付けば全部見えるぞ……今度氷室と会う時、その服装で行ってやろうか?
「シースルー……マイブームなのかな?」
よくぞ言ってくれた宵空満[よいぞら みちる]。だが、こんな夏の日に、黒いフード付き
パーカーに黒と見せかけて辛うじて青いボトムス、胸元を少し開けてグレーのティーシャツを
見せているのは、地味と見せかけた静かにオシャレな装いだが……暑くないのか?
「え?」
マユが不思議そうな顔でそう言うと。
「ブラ……ばっちり見えちゃってるよ……まゆちゃんってば、だいたーーん!!」
朧月がそう言うと、マユの顔が徐々に赤くなっていったかと思うと……遂には叫んだか。
「え、え? えーーーーー!!!??」
本当に、その格好で出歩くのは正気か? と思ったぞマユ……気付いたようで何よりだ……
「ど、ど、ど、どうしよう! 朧月さん!!」
マユがそう言うと、朧月は手を振り上げ、何かを確信したかのような声でこう言った。
「かき氷、食べよう!」
つい先日行ったカフェに3人は向かう事となったが、その道中で、宵空が雑貨屋を見付けて
入ったかと思うと、濃いえんじ色のジャケットを持って出て来たかと思うと、マユに着せた。
「とりあえず……これで」
赤めのコーラルと意外と相性の悪くない色合いで、南国スカートが目立ってしまうのは仕方
ないが応急処置としては十分だろう。さて、宵空が前述の発言をした後、マユが感謝の気持ち
を述べ、目的のカフェに着いた。さて、まずマユが注文した。
「このトロピカルマンゴーソースかき氷にするかな」
「じゃあ、私たちはこれ」
しばらくすると、トロピカルマンゴーソースかき氷と宵空が注文したハニーミルクソースか
き氷が運ばれて来て……宵空がそのかき氷をスプーンですくい上げると……
「はい、あーん」
宵空がそう言うと、朧月が口を開け、ぱくりとそのかき氷を食べると、宵空はそのスプーン
で自分もかき氷を食べ始め……それが、2人仲良く適当な頻度で繰り返され、やっとそのかき
氷が無くなったかと思うと……
「すみません。抹茶あんみつかき氷、ひとつ」
宵空が更に注文をした。まだ2人で食べたいらしい……ならば、そのかき氷が来る前に。
「そう言えばね、こないだヘンな化物がいっぱい出て来た事あったよね。その時にね、内の高
校の生徒かな? 何か目の前で消えちゃった気がしたんだよねー……」
とりあえずマユに 言わせて みた。すると、2人の表情が変化し、宵空が口を開く……
「あー……あの時かぁ。結局アレ、なんだったんだろう」
「あの時、食べられちゃっても、おかしくなかったんだよね……生きてて、よかったよ……」
宵空に続き、朧月が元気の無い表情になったが……どうも2人は 化物がいっぱい出て来た
に反応したようだ。ここは更に押しておこう。
「宵空さん朧月さん、その化物と実際に会ったんだよね? どうやって対処したのかな……」
あまり尋問するような口調にならないように、やや漠然とした口調で 言わせた ところ。
「何か投げ付けるなり、ぶつけるなりすれば、少しは動きが止まるけど……あの時は、前にも
後ろにも、そういうのがいたりする状況だったから……」
「思い出したら、気分悪くなってきた……」
朧月の顔色は見るからに具合の悪いものになっていた。さすがにこの席で、これ以上踏み込
むのは無理があるか、そう思っていると……抹茶あんみつかき氷が到着した。
「抹茶! あんみつ! オリエンタル!」
そのかき氷を見た途端、朧月が目を輝かせるようにそう叫び、顔色はすっかりよくなり、宵
空も、黙々とスプーン1本で、朧月と自分の口にかき氷を運ぶ事を繰り返し始め……
「あ、まゆちゃんごめん。何の話してたっけ?」
朧月のその変化に、宵空も少し苦笑いを浮かべていた。ここは話を締め括ろう。
「ま、過ぎた話をしても仕方なかったね。今ではそんな化物も見かけないし……」
マユにそう 言わせた ところ、特に反応は無く。しばらくして再びマユに 言わせた 。
「そう言えば、宵空さんと朧月さん。最近見たい映画とかある? 私、迷ってるんだよねー」
すると、宵空の口が開く。
「ローニン・リザード……かな?」
「あ、それ私も気になるー!」
宵空と朧月が言っている映画なら、コンビニのポスターで見かけたな……全身が鱗で覆われ
顔までトカゲの浪人が中央で刀を構えており、その周りを人間の浪人たちが取り囲む感じのポ
スターだった……とりあえず、さっきの席でのお詫びにチケットを手に入れておくか。
「それにしても最近、暑いよねー」
マユがそう言った。これは マユ自身が さらりと自然に発したものだ。
「暑いよねー……でも! お日様を浴びていると……何か力が沸いて来る気もする!」
「光合成でパワーアップ。悪の組織アメフラシを討て」
「全米が泣いた特撮戦隊が遂にこの夏、日本に上陸!」
「その名も」
「植物戦隊……!!」
宵空が合いの手を入れるように朧月の流れを繋げていたのだが、なにやら朧月から次の言葉
が出て来ない。そして、その光景に黙って圧倒されるだけだったマユに対し、朧月は言った。
「んー、いい戦隊名が思い浮かばないや……何がいいと思う? まゆちゃん」
そんな気はしたが、やはりアドリブだったようだ。とにかく、こんな調子で盛り上がった後
解散の流れになり、その日は他に、何も起こらずに終わった感じだな。
八月五日
夏休みの宿題も、マユが英語の次に苦手な教科を何とか終えたところだ。最初の時もそうだ
ったが、マユを机の前に いさせる のは骨が折れる……さて、宿題も進み、ローニン・リザ
ードのチケットも何枚か確保した。これを昨日の2人に渡せば、食事時に嫌な事を思い出させ
たお詫びのような事は出来るだろう……そして今マユが見ているのは前作である ローニン・
クラブ だ。ローニン・リザードはリアルさを追究した着ぐるみを使った、CGなしの実写映
画なのに対し、ローニン・クラブの姿は店で売っている両足を広げた蟹をそのまま使用し、江
戸の時代を舞台に、ローニン・クラブの前に次々と現れる浪人たちと戦う内容だが……台詞の
度に蟹の身体が揺れて、違和感しか無い男性の声が入る光景は……何と言うか、アレだな。マ
ユがこれを見た後、一体どんな気持ちになるのやら……さて、ここで今後の事を考えていこう
今ではそんな化物も見かけない ……俺はマユにそう 言わせた 。 前回のステージ
では、時間経過により色が変わる化物、 かみつき が街の至る所で出現し、それを十日間続
け、最終日には大量発生したわけだ。そして、 今回のステージ の内容は…… アイツ に
よると、こうだ。
「夏休みの間 はねつき が発生。はねつきは参加者をその目で捉えると追い掛けて来る。は
ねつきは夜になると視力を失う。はねつきたちは、このステージにしか出現しない」
その、はねつきに未だに遭遇していないのは幸運と言うべきなのか……かみつきが地上タイ
プで 噛み付き 、だったように、はねつきも 跳ね付き 、と考える事が出来そうだな。
参加者 をその目で捕捉し、追い掛けて来るのは 他の参加者 の特定の決め手になるが
そうなると、 マユの中にいる 俺を その目で捉える 事は出来ない……だとすれば今回は
俺に取って好条件なのかもな。今回はこのまま マユの中 で過ごせばよさそうだが、それだ
と 能力 が使えないな……本来は 能力1回分 を使い この状況 にするんだが…… 初
期設定 の選択項目に 最初から《寄生》している というのがあったので、俺は迷わずこれ
を選び、 マユに《寄生》した状態 で、ゲームを開始した。《寄生》の 能力 は強力だ。
まず、宿主の意識と動作を乗っ取り、意のままに 行動させる 事が可能になり、宿主に
能力 のようなものがあれば、その 能力 も使う事が出来るが…… 参加者 に《寄生》し
た場合 抵抗 された時に、追い出されてしまう。 参加者 が 死亡 した状態なら、 抵
抗 されずに《寄生》が可能となり、その際は自分の 能力の残り使用回数 を維持したまま
参加者 の まだ残っている 、 能力 を使う事が出来るが……《寄生》している間は
宿主の能力しか使えない のが問題だ。おまけに、かみつきのような時間経過で消滅する宿主
は貴重な 能力の使用回数 が一気に無駄になってしまう……
《寄生》はまず、対象に 入り込み 危なくなったら 脱出 する……脱出後は《寄生》の
使用回数が残っていれば、すぐに 参加者 の姿に戻れるが、その回数自体が《寄生》は入り
込みと脱出で2回分消費する、脱出と入り込みの 乗り換え も2回分消費で、《寄生》は3
回、 強化 していれば5回、 弱化 だと1回の使用回数……つまり、 弱化 した《寄生
》は入り込んだら残り0回、そうなるともう脱出は出来ない上に、 強化 していても残り回
数が0になれば同じ事だ。つまり《寄生》を最後まで使うと 脱出 出来なくなる……この救
済として、《寄生》は残り回数1になった場合、それで 使い切った と扱う事も出来る。つ
まり 弱化 していれば最初から残り回数1となり、使う必要は無くなり、こうして最初から
《寄生》しておいて、 脱出 で残り回数0にする事も出来る……俺は 強化 を選んだ、そ
して 入り込み の1回分が浮いた事で3回目の 脱出 まで可能となった……やはり 強化
するなら、 自分の能力 に限るという事だろう。
さて、そんな事を考えている間にローニン・クラブもいよいよクライマックスだ。釜茹での
刑にされながらも、辞世の句を詠み上げる光景は、あの時朧月が言った オリエンタル なの
かもしれないな……さて、明日はどうするか。このままマユの中にいれば安全のようだが……
八月六日
今度は大丈夫だ。マユは赤めのコーラルのキャミソールの下に青みのある白のワンピースを
着て南国スカートを履き、適当に出歩いている。陽気な夏の日差しもある事だ、こうして気ま
まに散歩するのも悪くないな……さて、マユがそんな風に歩いていると、道端に ハンカチ
が落ちていた。何の変哲もない白のハンカチで、特別な刺繍が施されているわけでもない……
俺が 拾わせる までもなく、マユが自分から拾い上げ、それを眺めていると……
「あのー」
突然、女性の声が聞こえたのでマユが振り向くと、そこには白のワンピースに麦藁帽子とシ
ンプルな装いだが、その長い、薄めのオレンジ色の髪が、夏の太陽の光を浴びて輝いているだ
けでも、目を惹かれるものがあった。マユがその女性を眺めていると……
「この辺に……白いハンカチが、落ちていませんでしたか? 何の特徴も無い、ごく普通の白
いハンカチなんです……さっき落としたのに気が付いて、こうして探しているんだ……」
その女性がそう言い終えると、マユは拾ったばかりのハンカチを差し出し、こう言った。
「もしかして……これですか?」
その女性はハンカチを見ると、マユからそのハンカチを手に取り。こう答えた。
「はい……この白いハンカチです。失くしたと思ったら、もう見つける事が出来ちゃった……
あの、ありがとうございます……」
オレンジの髪の女性が、そう言うと、そのハンカチを大事そうに両手で包み、胸に引き寄せ
何か、物思いに耽るような口調で淡々と語り始めた。
「このハンカチは……ただの安物で、まだ何の思い出もない白いハンカチ……だけどやっぱり
道端に置き去りにしちゃうのは……かわいそうだから……きっとこのハンカチだって、待って
いる間、寂しかったんだと思う……見つけてくれて……本当に……」
さっきから思っていたが、この女性は何故こうも、その時の感情に浸っているかのように話
すのだろうか……このまま感謝の気持ちの言葉を述べると共に涙まで流してしまいそうだ。
「ひ……な、ちゃん」
そこに突然、か弱い小さな声が聞こえ、その声がした途端、ヒナと呼ばれた女性は口の動き
を止め、声がした方に振り向き、マユもそれに続き、目の前にはヒナと呼ばれた女性ほど伸び
てはいない、淡めの水色の長い髪に麦藁帽子を被った、白いワンピースを着た女性と言うには
あまりにも幼く見える少女が、こちらに向かっていた。最初はとぼとぼと歩いていたのが、次
第にその足の運びは速くなり、やがて駆け足となり――
「ひな……ちゃん!」
そのままヒナに飛び付いた。ヒナはその幼い少女の後頭部に手を当て、その淡い水色の髪を
優しく撫でながら、ゆっくりと……その声色をとても優しいものにしながら、こう言った。
「あぁ……そっか、そうだよね……ごめんごめん、さくちゃん……置いて行っちゃったね……
もう、大丈夫だよさくちゃん。わたしはここにいるよ……もう寂しくなんかないよ……だから
そんな顔しなくていいんだよ、さくちゃん……」
そんな2人を見ているとヒナの口調も相まって、まるで幻でも見ているかのような気分にも
なり、この夏の強い陽射しを受け、その幻もこのまま溶けて消えてしまいそうだと思えるほど
目の前に広がるその光景は、とても弱々しく、儚いものだと確信してしまいそうだった。
さて、サクと呼ばれた少女は、マユに一礼すると、ヒナと一緒に横に並んでそのまま去って
行くかと思うと……突然ヒナがくるりと振り返り、元気な声で叫んできた。
「さっきは……ありがとうございます! わたし……アサヒナです! アサヒナマシロです!
有明高校二年、アサヒナマシロです! ……あなた、は?」
不意討ちを喰らったかのような気分になったが、マユも思わず叫び返してしまった。
「か、桂眉子です! 有明高校一年……現在、夏休みを満喫中!」
マユがそう言うと、アサヒナは口元で微笑み、そのまま息が漏れたような小さな声で言った
「そっか……まゆちゃん、かぁ……」
そう言うと、アサヒナとサクは、マユの元から去って行き、マユは俺が 引き返させる ま
でも無く、家に帰った……これは好都合。俺はマユに以前作成させた、お手製の有明高校の学
生名簿を開かせ、二年生の学級の中からアサヒナマシロを探し始めた……すると、朝比奈真白
[あさひな ましろ]の名前を見付けただけでなく、サクと呼ばれた少女の顔写真も同じペー
ジで発見出来た。この淡い水色の髪にこの幼い顔……間違いない。朝比奈とサク……2人はク
ラスメートであり、サクの名前は朔良望[さくら のぞみ]だった。
さて、ここで俺は頭を抱える事になった。このクラスのページには……俺の 参加者 とし
ての顔写真も掲載されている……そう、つまり朝比奈真白も朔良望も俺のクラスメートという
事だが……それはまだ 完全ではない 、世界はまだ、この俺を 認識し終えていない 。俺
がマユの中から 脱出 した時、少し経てば俺は 鹿々身剣也[かがみ けんや] としてこ
の世界に 現れ 、俺は 最初から 、 有明高校二年の男子生徒 として 存在していた
ものとして 扱われる ようになり、その時にはクラスメートたちの事も 事前に知っていた
情報 として 入り、他のクラスメートからも 以前から親しかった 、 面識があった 、
最初から そうだった と塗り変わる……そう、つまり今の俺は、ゲーム開始前の待機状態が
長引き、 配置前 の状態。このページにある、伸ばし気味の赤い短髪の有明高校二年の男子
生徒は、まだ ゲーム内に出現していない ……だが、今回のはねつきをやり過すなら、この
ままマユの中にい続けるというのも手だ。はねつきが傍にいても、俺は襲われる事無く、他の
参加者 を割り出す事に専念出来る……そして、何よりも――
こんなに……何気兼ねなく、気ままに宿主にちょっかいを出して、好きなだけだらだらと過
ごす事が出来る……それはとても居心地がいい……こんなの 生まれて初めて なんだよ……
ほんと、この ゲームに誘って くれた、 アイツ には感謝しているぞ…… アイツ に
…… ゲームマスター には――
八月七日
気付けば夏休み2回目の日曜日だ。とりあえず、マユ……覚悟はいいな?
マユは赤めのコーラルのキャミソールの下に青みのある白のワンピースを着て、紺のデニム
のホットパンツ……ではなく、ただのデニムのパンツで勘弁してやった。そして、今から見に
行く映画は……原作の無いオリジナルアニメだ! さすがにローニン・リザードはやめておい
たぞ……チョイス自体がアレな上に、見た後は微妙な気分になる気がしてならない……最後に
ローニン・ライオンというのが出て来て、互いに飛び掛った所で終了……何て事になったら、
どんな気分で今日一日を過ごせばいいんだってなるぞ……とにかく、鶴木が来てもいいように
チケットは3枚持って来てある。出発前に通話で確認した通りなら、氷室も映画館に向かって
いるはずだ……場所はかみつきが大量発生した大型ストア内の映画コーナーだったな。
そうしてマユが映画館へ向かって外を歩いていると……思わぬものに遭遇する事となった。
大型犬くらいの大きさのものが道路に首から突き刺さっていて、その翼を羽ばたかせ飛び上
がる事でその首を引き抜いたので、マユに正面まで 急いで向わせ その大きな赤い瞳と 目
が合った かと思うと、ゆっくりとその一対の翼を羽ばたかせた後、飛び上がり、そのまま吸
い込まれるかのように、夏の青い空の中へと消えて行った……
参加者 を見失ったか……? この近くに 参加者 がいるのかもう逃げ切った後か……
「何……今の……?」
今回の化物 を目の当たりにする事となったマユは、思わずそう言葉を漏らした。さて、
その化物の姿は大型犬くらいの大きさの胴体から長い尻尾と長い首が伸び、頭部はワニのよう
な形と言えそうだ。その大きく閉ざした口は、のたうつようなラインを描き、所々牙がはみ出
しており、手足が無く、翼はドラゴンのように大きく広がった立派なもので、一つしか無いそ
の瞳は、頭部の半分に迫るほど大きな目玉だが……問題なのは色の方だ。
胴体の表面はピンクに血を滲ませればこんな色になりそうだが……それに加え、血管のよう
に浮き出た、あるいはそういう模様の金色の部分が所々にあり、そんな色合いで恐ろしく真っ
赤な瞳をしている上に、猫の目のように縦に筋の入った眼球だから更に気味が悪いだろう……
だがこれは 背中側の色 で、その反対側、つまり 下から見える色 は……丁度、夏の青い
空と同じような色だ……横から見ればその境目も見えるが、こいつは厄介だな……
なるほど、 羽付き 、だったわけか……後で双眼鏡でも買って空を眺めてみるか……だが
下側の色が空と同じ色では、よほど目を凝らさないといるかどうかも分からないぞ……
さて、この後マユは氷室のいる待ち合わせ場所に到着し、互いの挨拶も終え氷室が言った。
「駆も誘ってみたけど、来ないんだよなぁ……何か用事があるみたいでさ」
氷室と二人切りという事を再認識したマユは、すっかり緊張してしまった。それでも何とか
映画コーナーまで辿り着くと……空いている席が上手い具合に 隣同士 だった。
「ちょうど真ん中の席が開いてる何てな……ツイてるな! オレたち!」
氷室がそう言うと、マユは口をパクパクさせながらも、何とか声に出してこう言った。
「うううう、うう、うん……きょ、き、今日は……よ、よろしくね! ひ、氷室……くん」
まぁ、俺はマユと一緒に夏休みを過ごしながら、他の 参加者 を探ってみるさ……今日の
氷室に対する行動に関しては、マユに任せよう。