かみつき(後編)
中央の広場まであたしたち3人が辿り着くと、ストアに来ていたお客さんたちはすっかりパ
ニック状態で、そこには紫くらいの濃さのかみつきがいる事が分かったけど……パッと見、3
匹いるし、しかも後ろの方からも悲鳴が聞こえて、ママーッ! ママーッ! って子連れのお
母さんが犠牲になった声まで聞こえた……ちょっとマスター! かみつきは基本ランダムに発
生する と言ってたけど、これ絶対意図的だよね? 朧月さんをショッピングに行こうと思い
付かせたのもマスターの 介入 だよね? 実際、今朝の通話の時に、急だねと言ったら……
「うん! 今日になったら何か突然、思い付いたの!」
何て返事だったから、もう間違いないかな……さて、愚痴を言っていても仕方ないよね。
「みっちゃん……あ、あれ……」
かみつきたちが広場にいる来客たちを次々と食い漁り、その紫色の身体に血の色を滲み出さ
せているのを目の当たりにして、朧月さんがそう言いながら怯えているのを見て、宵空さんは
安心させようと、朧月さんを後ろからぎゅっと抱きしめていた。とりあえず、あたしは……
「ふ、二手に分かれよう! あたしは1人で、朧月さんと宵空さんが2人で!」
動揺して錯乱した人間でもこれくらいは言うだろうし、この周りに 参加者 がいても、こ
れなら大丈夫だよね? とにかくあたしは、誰の目にも届かない場所を目指す事にした。
「わ、わかった! 行こう、みっちゃん!」
朧月さんはそう叫ぶと宵空さんの手を掴み、走り出そうとした。だけど……
「ど、どっちに逃げよう!」
確かに逃げる方向は複数あるし、目の前には曲がり角もある……でも、立ち止まるのはよく
ないよ朧月さん……さて、呆れてないで、あたしも逃げないとね。そう思っていると……
「こっち……に!」
宵空さんが朧月さんの腕を掴んで走り始めようとした……その時! 目の前の曲がり角から
紫色のかみつきが唸り声を上げながら飛び出して来た。
「宵空さん……!!」
思わずそう叫んだあたしだけど、宵空さんは、さっきのレジで貰った袋の中から、あの買物
の中で、唯一黒かったフライパンを取り出し……かみつきの顔の部分を思い切りぶん殴った。
フライパンが当たるとそのかみつきは唸り声を上げ、その間に宵空さんは朧月さんを引っ張
ったまま別な道に逃げて、かみつきが動き始めようとしてたから……
「えいっ!」
あたしは傍にあった自動販売機から大急ぎで、スチール缶の飲料を何本か購入し、かみつき
に向かって投げた。やっぱり、瞬間的に痛みを与えて動きを止めるのが一番効果的だね。
更に続けて2本投げた頃には、もう朧月さんたちの姿が見えなかったので、魔法瓶9本入っ
たバッグは重いけど、あたしはもう1本の缶をかみつきに投げ付けると、頑張って走り始めた
今までの情報と観察の通り、かみつきは足の速さよりも、近くの獲物に飛び掛る時の方が素
早い。そして、まだこちらからはかみつきの姿が見えるのに、こっちに向かって来なくなった
これは、 半径何メートル以内に生物がいた場合、襲い掛かる みたいな感じで、視覚は無
さそうだね。そもそも目が無いし、鼻と耳も無いから嗅覚も聴覚も無いのかも……要するに、
五感の内、触覚しか無いのがかみつきで、舌はあるみたいだから味覚はあったりするかもね。
さて、他のかみつきとは遭遇せずに洋服売場に到着。お客さんはもちろん、店員さんもいな
い、そして今開けた試着スペースの中にも誰もいない……よし!
あたしは手に重たいピンクのバッグを持っているのを確認すると、 能力 の発動を始めた
今回使う能力は《流浪》。他の能力と違い、何回発動しても使い切る事は無いし、使った距
離に応じて再使用まで時間がかかるデメリットも、 強化 しているから半分に短縮できる。
そして、その能力とは 一度行った事のある座標点を指定して移動する事が出来る 。
その際には身に付けている物や 持っているもの も一緒に移動できるし、例えば、さっき
は朧月さんと宵空さんとしっかり手を繋いでおけば、使用者であるあたしが 行った事のある
場所 に移動する事も出来たけど、一緒に移動する重量に伴って、発動時間が延びて行く上に
そもそも、誰が 参加者 か判らない状況で、 能力 を使っちゃダメ。 参加者 たちが使
える能力は共通していて、 強化 と 弱化 をどのように振り分けたかで違いが出て来るん
だけど…… 能力の残り回数 も重要何だよね。さて話を戻そうか。
座標点は直接指定してもいいけど、頭の中でイメージした場所に飛ぶ事も出来る、だからあ
たしは、自分の家のあたしの部屋を思い浮かべて……はい、到着。
見慣れた部屋の風景に、見慣れたベッド。バッグの中の魔法瓶もちゃんと入ってる!
「あー、疲れたー!」
そう言うとあたしは、ベッドにぼふっと仰向けに倒れ込み、時計を見てみると、そろそろ夕
方だった。それから数時間経って、通信が入ったので出てみると。
「めいちゃん!! 大丈夫!? 生きてる!?」
通話からそんな朧月さんの元気な声が聞こえ、あたしも何とか無事だったよと伝えると……
「今日は……ビックリした……あんなの、が……いる、何て……」
宵空さんも一緒で、声も普段通りの落ち着い感じだし大丈夫みたいだね。3人とも怪我が無
かった事を確認し合い、通話を終えると、あたしはそのまま学校に連絡をして、こう伝えた。
「すいません……今もショックが消えなくて……明日は、学校休みます」
明日は月曜日である前に、最終日。絶対に外に出たくなかったから、いい口実が出来たね。
最終日
今日は学校を休んで一日中、家で過ごす。この家の中にかみつきが発生する可能性もあるけ
ど、そんな露骨な事を……マスターはするのかな? 少し考えてみようか……
今回のゲームが始まる前、マスターは言った。
「十日間、この街の何処かでかみつきが発生する。かみつきは最初は3匹、一日経つ毎に4匹
増加。最終日はそれ以上で、かみつきはそれぞれの時間が経つといなくなる。かみつきは今回
とは別なステージでも登場する」
だからあたしは今回、かみつきに関する情報とその性質を集められるだけ集めて、実際の検
証も怠らなかった。そして、最終日である今日、何もせずにやり過す余裕まで出来た……ここ
でマスターがそうは行かないよと、この家に意図的にかみつきを送り込む事が出来るかは、昨
日の大型ストアのように 参加者 を誘導し発生させた通り……ただ、ステージは全部で3つ
で、今回はいわば1面。マスターは何よりも ゲーム性 を重視する。序盤で寝ている 参加
者 を狙い撃ちでかみつきを仕向けるなんてハードな事、最初の面でやるのかというと……
「いや、それはない」
あたしはそう考えているし、そもそもかみつきの情報集めに専念したのは失策の可能性まで
ある。そもそもこのゲームはかみつきを倒す事が目的じゃないし、実際にかみつきは基本倒せ
ないものとして扱われているのは、今までの検証で判ってるし、手近な物を投げ付けるだけで
足止めが出来るんだから、ここまでする必要なんて無かったまである。
そう、あたしはかみつきの調査に専念するあまり、他の 参加者 について全く調査してい
ない。そんなあたしが、最終日に何もせずに過ごすという状況は、マスターに問題視されよう
がないのかもしれない……だからこうして家の中で過ごして、最終日をやり過ごす。
他の 参加者 たちの情報は、次のステージで調べればいいんだし……さて、そんな事を考
えていると通信が入る。時計を見ると学校では昼休みで、朧月さんが画像を送ってきたので開
いてみると、そこには、具合が悪くて学校を休んでいる事になっているあたしを元気付ける為
に、朧月さんがヘン顔をして、その隣には微妙な表情の宵空さん、隣でピースしてるだけでい
いからとでも言われたのか、その通りに真顔でピースしている桂さんまでいた。
3人とも同じクラスメートだけど、桂さんまで巻き込んでいるのはさすがは朧月さんと言っ
たところかな。とりあえず、メッセージだけでも送信。
「ありがとう……少しは気分が軽くなったよ……また、みんなで買い物に行こうね!」
お兄ちゃんと違い、死ななかった朧月さんと宵空さんとは次のステージでも会えるんだ……
暇が出来たら、また遊びたいね。そして、遊びたいと言えば……
お兄ちゃんは未だに行方不明のままだけど、お兄ちゃんに関する情報はある程度、常に取得
出来るようになっていて、現在の取得情報は 捕食による死亡 。お兄ちゃんがかみつきに食
べられて死んでいるのは三日目の時点で判ってた。だから、兄の死に関する真相が知りたいと
かみつきの情報を集める建前が出来たのはラッキーだったけど……
「兄妹ごっこ。やってみたかったなぁ……」
あたしはそうぽつりと呟いた後、ベッドから起き上がり、かみつきが家の中に出現してもい
いように身構える事にした。気が付けば時刻は15時、零時まであと9時間あるけど……
18時。月の出が始まる時刻、この時間から動きがあってもおかしくない。
20時。かみつきの唸り声と人の叫び声が遠くから聞こえ始める。
21時。生中継をしてるニュースサイトを開く。案の定、かみつきが集中して現れた所を映し
ていたり、局によってはレポーターが襲われていたりしてるのも見れた。
22時。どの局も家からは決して出ないで下さいという、アナウンスとテロップが繰り返され
ていた。これをマスターが言わせているのなら、家の中は安全。かみつきは、人の集まる所に
集中して発生しているようで、野球スタジアム、有名歌手のライブ会場、学校のグラウンド、
この3箇所だけで平均12匹くらいはかみつきが発生しているし、昨日の35匹と同じくらいの数
になる……一体今日は何十匹のかみつきが発生しているんだろう。とりあえず、マスターはこ
んな風に騒がしくするのが好きみたいだね。
23時。朧月さんから連絡が入り、宵空さんの家にいて、無事だという報告が来る。せっかく
だから、世間話と言う体裁で宵空さんの家の場所を聞き出す。
「色々と落ち着いたら。今度遊びに行くからね」
宵空さんにもそう伝えたけど、自分の家の場所まで話す事になったのは、失敗だったかな?
まぁ、その気になれば学校の先生からいつでも聞ける情報だったし……あと、朧月さんの家
の場所まで知る事が出来たし、その内、遊びに行けるといいなぁ……
マスターが 改変 していないものは、全て 本来 のまま何だけど……それにしても、い
いよねー、昨日みたいに女同士で遊ぶのって……本当に楽しかったなぁ。
零時。これにてステージ1クリア……と言うにはまだ早い。
今まで言ってきた通り、マスターはゲーム性を整える為、この世界に 介入 と 改変 を
行っている。だから一日の時間は午後6時からが夜で、午前6時以降が朝という扱い、月の出
入りもこの時間で固定されている。どんな季節になろうと、この時間帯は変わらない。
例えば、あたしの髪の色はピンクだけど、それはゲームを始める前にそう設定したからで、
その結果、お兄ちゃんの髪の色もピンクになった。本当、マスターの 能力 は凄いね……
1時。ニュースサイトを開くと、かみつきの大量発生も収まり、野球スタジアムと学校のグ
ラウンドには大量の赤黒い肉片が赤い煙を上げながら消えてなくなりそうで、有名歌手のライ
ブ会場に至っては再開の準備まで始めてる……どうやらもう、かみつきは発生しないのかもね
こんな時間じゃ遅いけど、夜食でも作ろうっと。
2時。開きっぱなしにしていたらライブが再開され、いい感じの曲が流れ始めた。あたしは
料理の下ごしらえが終わって、これから調理を始めるところ。ジュースもパッケージがピンク
色だからと密かに買っておいた、ピーチ味のドリンクもある。自分で設定した ピンクのもの
が好き に見事に引きずられてるよ……設定項目欄にあったんだよねー……
3時半。料理完成、作ったのはクリームソースたっぷりのパスタ。バジルもまぶして、少し
温めたお肉の缶詰を乗せて出来上がり。こんな時間に夜食は太ると言われても、そもそも明日
なんて無い。今日は街中が大騒ぎだったけど、次のステージになったら、何事も無かったとま
ではいかないけど…… 痛ましい事件でしたね で落ち付いている筈。ただ、お兄ちゃんのよ
うに死んだ者が生き返る事は無い。このステージで 参加者 が死亡していた場合、次のステ
ージには参加出来ないどころか、ゲーム上の死亡ではなく、実際に 死ぬ 。いわゆる残機な
しのライフ1。そのリスクを覚悟の上で 参加者 たちはこのゲームに参加しているの。
とにかく、もうお兄ちゃんに、会う事は出来ない。
4時。ライブ配信もクライマックス。何度もアンコールが続いてこの時間だから、さすがに
この曲で終わりだね。後片付けも終わって、後はのんびりこのライブ映像を眺めるだけかな。
5時。ライブ配信も終わり、もう撤収作業風景が映し出されるだけなので配信を閉じてから
しばらく経った。あと1時間で今度こそおしまい。本当に 参加者 の寝込みを襲うなんてい
う1面から殺しにかかるマネはしなかったね、マスター……
5時半。さっきも言った通り、この先、お兄ちゃんに会う事は出来ない。でも最後に少しだ
けでいいから、ほんの短い時間だけでもいいから……何をするでもなく、とにかく一緒に過ご
してみたかったな……ゲームの中での設定とは言っても、あたしお兄ちゃんの妹なんだよ……
6時数分前。
「 能力 《流浪》の発動開始。遡行時間は244時間、活動時間は24時間……終了後に戻る
場所は現在位置を指定……更に 他の全能力使用不可能ペナルティー を選択し発動終了後の
《流浪》の使用不可能時間を半減……これより指定した時間と場所に移動する!」
二日目
「ほら、朝よ。起きなさい」
よく知ってる声が聞こえてきたので、あたしは目を覚ました。昨日と言ったらおかしな話だ
けど、疲れは大分取れた方かな。
しばらくして、声の主を玄関まで送り届けると、再びその声の主は言った。
「 強化 しているからこういうのもあるとは思ってたけど……まさか最終日終了直前から飛
んで来た上に、そんな理由で来る何て……本当にこの後、あたしの身に何が起きたのよ……あ
言わなくていいからね。最終日から来たという事は、あたしは生き延びる事が出来たという事
なんだし。何でこうなるのかを……楽しみにさせてもらうからね」
そう言うと、目の前のあたしと同じピンクのツインテールをした、ピンクに白のチェックの
入ったスカートに、ライムグリーンのブラウスを着て、ココア色のショールを羽織った女の子
は、そのまま出発するかと思ったら、こちらを振り向き、再び口を開いた。
「それじゃあ、今日はあなたが帰る午前2時まで時間を潰しているからね。今日はかみつきが
7匹しか出ないし、 行った事のある場所 をとことん増やしておく。あなたもこの日はそう
していたんだよね?」
「うん、零時になってさすがに帰るかと引き返して、家についてそろそろ寝ようと思ったのが
2時だったから、丁度よかった」
あたしはあたしにそう答えると、二日目のあたしはこう言った。
「あーあ、まるであたしが 操られた みたいになっちゃったなぁ。しかもその相手が あた
し ……まさか過ぎるよ。さて、お兄ちゃんが起きる前にさっさと出発しますか」
「行ってらっしゃい」
そんな風にあたしはあたしを見送ると、まだお兄ちゃんが寝ている内に、料理を作り始めた
エプロンの色はもちろんピンク。さっき使った食材を避けて作ろうと思ったけど、ニンジン
ジャガイモ、タマネギ、そしてこの箱の中身……バジルもさっきたくさん余ってたし、使って
も大丈夫そうかな。別にタイムパラドックスというややこしい事は起きないし、《流浪》で過
去に移動した場合、その過去に行けるのは一度だけで、何度もやり直すという事は出来ないし
元の時間に戻った時、遡っている間に過ごした時間分、他の能力を使用不可能にして《流浪》
の使用回復までの時間を半減するかを選ぶ事も出来る……だから、 強化 した《流浪》は10
分前とか短い時間で戻って、事前にドアを開けておくみたいに使う感じになるかな?
今回は そんな理由 で使ったけどね。さて、そうこうしている内に料理が完成。10時にな
ったけど、お兄ちゃんがまだ起きて来ないから……その寝顔を見に行くとしますか!
お兄ちゃんの部屋のお兄ちゃんのベッドの前に辿り着くとお兄ちゃんが寝ていた……誰かさ
んのせいでピンク色になった髪をしていて、そろそろ起きそうで起きないまま、30分が経過。
日曜日だからお昼まで寝ててもいいけどさぁ……そろそろ声が聞きたいよ……こうして、お
兄ちゃんを眺めているだけでも夢のようだけど……せっかくこうして会いに来たんだから……
俺の名前は玉宮涼。有明高校二年の男子生徒で、今日は日曜日で学校は無いからと、こうし
て昼まで寝ようとしているのだが……何やら、何者かに身体を揺さぶられ、俺を呼ぶ声が聞こ
えて来た。こんな事をするのは家に1人しかいない。仕方ないので目を覚ましてやると、そこ
にはピンクのツインテールをした女子がいて、着ているエプロンまでピンク色だった。
俺が目を覚ました事に気付くと、そのツインテールの子はたちまち表情が明るくなっていき
もう、そのまま泣くんじゃないかって、思っていると……本当に泣き始めてしまった。
昼前から何事かと面を喰らいながら、俺は妹の明の大粒の涙を手で拭ってやると、その手を
両手で包んで、頬を擦り寄らせてきたかと思うと、まだ涙が滲んでいる目でこう言ってきた。
「おはよう。お兄ちゃん……そろそろお昼になっちゃうよ? 早く食べないと朝ごはんじゃな
くなっちゃうよ? 今日はねー、レトルトだけどカレーを作ったんだよ……ニンジンは苦手だ
った? バジルも使ってスパイスも追加したから、ただのカレーじゃないんだよ?」
明に言われた通り、その自慢のカレーを食べると、これがとても美味しく、一緒に後片付け
したいと言うので手伝った後、その日は何をするでもなく、一日中家の中でだらだらと妹の明
と一緒に過ごして、妹を寝かし付けた後、零時になる前に、俺は眠りに就いた。