まがつき
まがつき
「鹿々身さん」
俺が目の前のかみつきと あかつきが赤い心臓になってから放つトゲ への対処をする最中
……突然、背後から玉宮の声が聞こえた……《流浪》で俺の後に移動し話かけて来た結果だが
「 赤いトゲ とでも呼んでおくか……刺さって10秒後に2秒で溶け失せるが、突き刺さる際
深くめり込む性質がある……ガラスなどの薄いものはそのまま貫通し遮蔽物には出来ないな」
俺は玉宮にそう報告した。 あかつきが赤い心臓 になり、赤い渦を発生する際、その傍に
も あかつき がいた場合、発生する赤い渦同士が合体し 大きいかみつき の出て来る規模
の赤い渦へと変化する……普通に考えれば、この場に留まるのは危険だが……俺も玉宮も こ
のかみつき には用がある……そんな中、《流浪》発動直後の玉宮が俺の腕を掴みこう言った
「 大きいかみつき を誘導しました。あそこの屋根の上まで《流浪》で一緒に避難を……」
さっき赤い渦が合体していたな……俺は玉宮も対象に《流浪》で移動し、その後こう言った
「やはり 大きいかみつき はパワーが違うな…… あれ をここまで弾き飛ばすとは……」
玉宮が連れて来た 大きいかみつき と激突した勢いで 問題のかみつき の身体は高く浮
き上がり、落下の衝撃で派手に潰れたな…… 大きいかみつき が走り去ると、玉宮が言った
「身体の至る所から足を生やせるのでお腹も背中も無さそうですが……一応、仰向けですね」
「物を掴む為の手が無く足しか無いんだよな……そして生き物を食らう為の大きな口はある」
「あそこのかみつきはその口で……本当にご協力感謝します。無意味な行為ではありますが」
かみつきをいくら攻撃しても倒す事は出来ない上に、こいつは出現から20分で溶けてなくな
る大きさ……だが俺も玉宮もその時間内に 赤いトゲ を誘導し、1本でも多くこいつに当て
何かのカタキのように痛め付けようとしていた……俺は こいつ が誰のカタキなのか呟いた
「朧月を食らったかみつきだ……それを知った上で見過ごす何て、出来ないさ……」
「本当ですね……そのかみつきが今もいる、そう思うだけで……憎しみが込み上げて来ます」
不毛ではあった。だが何かをせずにはいられなかった……俺と玉宮は目の前の朧月のカタキ
に 赤いトゲ が当たるようにかわし続け、そのかみつきも遂に、一片残らず溶け切った……
「現在時刻は零時26分……2時までどう過ごすか考えるか……」
「鹿々身さん。桂さんの通信機器と、朧月さんの髪の束……あたしの家に置いて来ていい?」
ここから玉宮の家はマユの家より近いようだ……今の玉宮は言葉の最後が少し弱々しかった
……周囲への警戒は続けているが、まだ悲しみに浸りたい気持ちなんだな……俺はこう答えた
「では、さっきの四角い一軒家に移動するか……俺はその近辺で過ごしながら、鶴木と次の集
合場所を決めておく……余裕があれば食べ物や飲み物を頼むか、体力の補充と気分転換だな」
それから俺と玉宮が四角い一軒家まで《流浪》で移動し、玉宮がまだ使用可能なマユの通信
機器と朧月の髪の束を回収し、次の《流浪》が使えるまでの間、玉宮の通信機器に鶴木の連絡
情報を登録する運びとなり、《流浪》が発動出来る頃になると玉宮は自分の家へ向かった……
俺は今から朧月の通信機器で鶴木に連絡を入れるが……マユの……桂眉子[かつら まゆこ]
の遺品である通信機器が朧月瑠鳴[おぼろづき るな]の遺品にもなるとはな……では連絡だ
「鹿々身か。よい時に掛けて来たな……今なら何とか話せそうだぞ」
鶴木駆[つるぎ かける]が通話に出た。さて俺……鹿々身剣也[かがみ けんや]、玉宮
明[たまみや めい]と鶴木の3人が共通して行った事のある場所と言えば……まずはここだ
「夏祭りで花火を見た場所を集合場所にしようと思うが……お前の今いる場所から遠いか?」
2時になる前に《流浪》でもう一度移動出来る状況にしておきたいな……《流浪》再使用ま
での時間は10メートルで10秒……1時間だと3.6キロメートルだ……さて、鶴木が答えたぞ
「ふむ、この場からならば……せいぜい3キロ程度であろう」
「よし、玉宮もそこに向かうよう連絡する…… あかつきと赤いトゲ は常に警戒しておけ」
鶴木との通話を終え、まだ《流浪》で戻っていない玉宮とも連絡が取れ、3人とも無事に夏
祭りで、あの大型のはねつきが現れた場所に集合出来た……現在時刻は零時58分になっていた
「あたしが1時50分、鹿々身さんが1時58分、鶴木さんが1時42分に《流浪》が使えますね」
「して玉宮よ。そのバスケットの中には一体……何を詰めて来たのだ?」
玉宮が3人の《流浪》の再使用までの時間を報告する中……鶴木が玉宮を見て、そう尋ねた
「料理中も あかつき は発生してたので簡単に済ませました。バジルなどのハーブにタマネ
ギやニンニクを入れて種々の香辛料を加えて作ったグリーンスムージーと、隙を見てスライス
したバゲットの上にチーズを乗せて焼いた何ちゃってピザ……飲み物はいいのが無くて……」
そんな会話をする中、 赤いトゲ は飛んで来たが、俺も玉宮も鶴木も当然のようにかわし
た……さすがにもう容赦しないようだな……玉宮はバスケットの中から袋を取り出すと言った
「スムージーが結構辛いので、水分も摂れて食感も楽しめる……そんな飲み物代わりの食べ物
が無いかと考え始め、すぐ浮かんだものの見事に切らしてて……そんな時、急に玄関のチャイ
ムが鳴ってセールスが押しかけ……クジを引かされ残念賞と言われて、手渡されたのが……」
「その袋に何本も入っている 新鮮なキュウリ というわけか……」
玉宮に続き俺はそう言った。さすがの アイツ も料理中の安全を保障しなくなったかと思
った矢先、ハズレと称してキュウリを与えたのか……屋敷の冷凍庫に下処理済みで小分け状態
の あさりが入っていた 事もあったな……電気もガスも水道も未だに使えるようだが、 赤
いトゲ が飛び交う部屋の中、隙を見ては料理していたのか玉宮は……ここで鶴木が発言した
「有難く頂くとしよう…… あかつき は赤い渦を発生させ、地面に落ちたかと思えば奇怪な
物体が浮き出て回転を始め棘を放つ上に、付き纏うように姿を現す……全く、面倒の一言だ」
赤いトゲ は事前に気付けば、かわせない速度ではない上に 割れたあかつき の中から
出て来てから 赤いトゲ を放つまで、元の高さまで浮き上がり緩やかに回転を始め、その後
変形が始まりやっと一本目の 赤いトゲ を放つ為、猶予も多い……ある程度厚みのある対象
に刺さると一気にめり込む性質があるが……近くにもう1体いるのを見落とせば、命取りだな
「貫通するかめり込むかは 厚み で判定してるみたいですね。包丁とフライパンは貫通しま
したが、フタをした鍋だとフタは貫通し判定2回目である底の方ではめり込みました……つま
り 赤いトゲは障害物を一度だけ貫通可能 という事になります……お味はいかがですか?」
玉宮はそう報告したが、家の中に あかつき とその赤い渦から、かみつきも出て来る状況
でそれを調べながら料理していたのか……玉宮ならやり兼ねないな……スムージーから頂こう
「……辛過ぎるとまでは言わないが、かなり強めの辛さだな……香りが強烈だが、ピザのよう
なバゲットとの相性も抜群だ……口の中が辛くなり過ぎた時はキュウリで緩和……美味いぞ」
俺は味の感想を述べた。少々キツイが、辛さを求めるならばこれくらいはあってもいい……
「うむ。これしきの辛さ……耐えられ、なくは……おの……れ……味はよいというのに……」
鶴木はスムージーよりもキュウリの方を頻繁にかじりながら、そう唸った……甘さに酸味と
苦味が巧みに割り振られたスイーツに舌が馴染んでいれば……辛いものは、そりゃ苦手だよな
「ご堪能頂けてるようで嬉しいですが 赤いトゲ は容赦なく飛んで来ますね……では少し」
そう言うと玉宮はまだスムージーやバゲットの入っているバスケットを手に下げ、歩き出し
た…… あかつき が参加者の位置情報を元に出現する 以上、1ヶ所に留まり続ければ続け
るほど 、あかつき は同じような場所に赤い渦を発生させ、 赤いトゲ もより多く飛んで
来る……出来れば常に走って現在位置をズラしたいが、今は3人もいるので死角は補える上に
ここは起伏のある地形が多い何も無い草原だ……食べ歩きをする余裕も多少はある。 まがつ
き の光で辺りは照らされ、明るい赤から暗い青への光の変化は相変わらず緩やかで落ち着く
「何とか食べ切ったぞ……この瑞々しいキュウリが無ければ完食には至らなかったであろう」
「スムージーの量も考えると普通に1食分だな……しかしキュウリが1人1本ずつ残ったか」
しばらくすると鶴木に続き俺は言った…… 赤いトゲ をかわしながら食べ歩きをし、現在
時刻は1時13分。前述の通り あかつき が密集して発生しやすい状況だが……玉宮が言った
「 あかつき が発生させるのは小規模な赤い渦で、 あかつき が落下する前に赤い渦同士
がある程度重なっていると合体するのですが……それが今まさに、目の前で起きてますねー」
遠くの方で一度は起きていたが、遂に進行方向で遭遇したか……赤い渦同士の合体は水滴と
水滴が1つになる際の挙動と似て、それがややゆっくり行われるのだが……観察よりも避難だ
「横にある坂道を駆け上がるか……しばらく高い位置で移動を続け、危ない時は低い位置だ」
俺はそう言ったが3人ともキュウリをいい音でかじってるのは妙な光景だ……周囲は明るく
3人で 赤いトゲ などを常に警戒し、赤い渦の位置も厄介な位置には発生しなかった頃……
「な、何だあれは!! 黒い物体が……飛んでいる……? いや 大きいかみつき か!?」
坂を下り低い場所でしばらく行動していると……鶴木がそう叫び、坂の頂上から 大きいか
みつき が勢いよく飛び出して来た……何が起こったかは察しは付くが玉宮が解説してくれた
「 大きいかみつき は本当に真っ直ぐ加速して進むんですね……十分に助走を付け、坂の頂
上に達するまでの勢いで飛び上がってしまいましたか……未だに高度を上げてますねー……」
その後、頂点に達したかみつき選手は大きな音と震動と共に落下し、その衝撃で身体全体が
幅広く潰れていた。それから時刻は1時24分になったが……状況の変化を鶴木がこう報告した
「性懲りもせず、 あかつき が現れ、また赤い渦を発生させおって……ぬ、何だこれは!」
あかつき が出現し、赤い渦を発生させた……ここで問題となったのは……玉宮が言った
「赤い渦が……激しい音と泡を立てて…… 沸騰 ……してる……?」
音自体は水が沸騰する時と変わらない……むしろ音で あかつき の出現がすぐに判るよう
になるが…… あかつき は同じような場所に発生しやすい為、その後は赤い渦の沸騰音があ
ちこちから聞こえるようになり、 かみつき も大きな唸り声を上げながら出現するようにな
ったが……それよりも、 まがつき が上空での膨張速度を早めた事の方が気掛かりだぞ……
零時前のような点滅はしないが、明滅の周期はかなり短くなり、何かが起きる前触れかのよう
に、辺りの景色が激しい赤と重たい青を素早く往復し始めた……さすがに落ち着かない光景だ
「1時42分になりました。結局この沸騰は……何やら騒がしくなっただけみたいですね……」
「上空より迫り来る まがつき 、荒々しい泡と音を放つ赤い渦……洒落た状況ではあるな」
玉宮と鶴木がそう言ったが……この時刻は鶴木の《流浪》が回復する時間だ……俺は言った
「では、 まがつき 到着の瞬間をどこで眺めるのか……決めるとしよう」
「有明高校の屋上にてその瞬間を間近で眺めるのも一興……もっとも、あの屋上は今頃……」
「赤い渦やら、かみつきやらで溢れ返ってるでしょうね……ところで鹿々身さん。この辺りか
ら、もう少し先に進んだ所にある学校には足を運びましたか?」
「あの学校か? 校門の前だけなら横切ってはいるが……」
鶴木の言葉に玉宮が返した後、玉宮が俺に移動先の場所を提案したので俺はそう答えた……
玉宮の言う学校はここからそう遠くなく、《流浪》を使っても25分もあれば再使用可能になる
距離だ……もう少しで玉宮も《流浪》が使える……悪くない考えだなと俺が思っていると……
「その学校なら屋上まで移動できます……そこから まがつき の様子を見るというのは?」
その提案には大いに賛成だが他校の校舎の屋上にどうやって行ったんだ玉宮……俺は答えた
「決まりだな。《流浪》は玉宮に頼むとしよう……その時はこの辺りで一番高い場所からだ」
低い場所から高い場所への移動は傾斜を持つ……その傾斜を抑えれば少しは移動距離も縮ま
るだろう……それから時刻は1時50分となり、俺と玉宮と鶴木は手を繋ぎ、玉宮が《流浪》を
発動し、鶴木は《流浪》を使用可能、俺はあと8分を要する状況で、その校舎の屋上に到着だ
「今日の18時から上空に出現していた、この赤い月こそが…… まがつき だったんですね」
「この忌々しい月には散々悩まされたものよ……しかし膨張ではなく接近していたとは……」
玉宮に続き鶴木が一層大きくなった まがつき を見上げながらそう発言し……俺も言った
「そんな、 まがつき もあと10分で有明高校に到着だ……そろそろ全体像が見えるかもな」
「 有明[ありあけ]高校 の方角はこっちなので……」
屋上で玉宮が身体の向きを変えながら、その方向を示そうとする中……鶴木が大声で叫んだ
「いたぞ!! 遂に地上まで降りて来たか まがつき め……しかし何という存在感よ……」
俺もこの目で、その姿を捉えたぞ……表面は月面のような球体で、新鮮な血が赤い光を放ち
鮮やかな青さを帯びたような不気味な色……それが今、有明高校の上空でその身を晒している
「時刻は1時58分30秒……周囲はまだ安全みたいです。ではその瞬間を見ておきますか……」
玉宮がそう言った後、 まがつき は赤く発光したその身体で有明高校を押し潰して行った
「な、何!? 急に暗くなった……だと?」
鶴木がそう叫んだのは、 まがつき が有明高校を完全に押し潰し、身体の半分が地表に埋
まった直後だ……突然、 まがつき の光が消え失せ、辺りは夜2時本来の暗さを湛えていた
「今のは……光?」
玉宮が言ったように、 まがつき が光を放ち、夜の闇の黒を赤で塗り潰した……その瞬間
まがつき の内部に 何かの影 が映り、 動いた ようにも見えたが……鶴木が発言した
「またも光を放ったか……!!」
まがつき が放つ赤い光は、夜の闇を満たすと消え去り、再び赤い光を放っては夜の空間
に広がって行くが……内側に現れる影の動きを見ていて、音が聞こえそうな気がした俺は……
「 心臓 でも入っているのか……?」
そう思ったのか微かに呟いたのか……その判断が始まるよりも鶴木の叫び声の方が早かった
「ぬ!? この光は……!!」
一瞬ではあったが……今度は赤い光ではなく、あの不気味な青い光が夜の闇に広がった……
「今ので まがつきの 表面にヒビが入りましたね……再び青い光を放ち、更にヒビが……」
玉宮がそう言ってから青い光は何度か続き、その度にヒビは広がり、その隙間から漏れ出た
真っ赤な光が、夜の闇の黒の中で痛々しい模様を描いていた……そして亀裂は大きくなり……
「音が……聞こえましたね」
玉宮がそう言った直後、 まがつき の外殻の亀裂は一気に広がり、中の赤い光が次々と光
の筋となって外へ出て行き……次の瞬間、力強い鼓動が辺りに鳴り響き……その音の衝撃で吹
き飛ばされるかのように外殻の上部は砕け……今は視界が暗く、中から大きな物体が浮き上が
り始めた事しか判らないが……月面のような外殻の内部にいた、 まがつき の中身が夜の闇
に解き放たれたようだな……次に聞こえた鼓動は連続し、眼下の風景は明るさを増し始め……
「金色の輝きの混じった赤い煙……だと」
その姿が闇に紛れた まがつき の足元を中心に発生した赤い渦を見て俺は言った……赤い
煙が分厚い壁のように発生し、煙による金色の輝きでやや見通しがよくなる中、鶴木が叫んだ
「なん、という……何という……規模なのだ!!」
一気に発生した大規模な赤い渦により周囲はある程度、明るくなったが、 まがつき が上
空から赤い光で夜の闇を照らしていた頃の明るさには程遠い……だが、この校舎の屋上から見
てこの大きさ……どう軽く見積もろうが半径1キロメートルでは利かないぞ……未だに赤い渦
が煙を吐き出す中、 まがつき が鼓動の間隔をどんどん狭めて行く……聞いているこっちの
脈拍まで上がりそうで落ち着かないな……俺がそう思っていると、その心音が突然途絶え……
「な、何事だ!!」
「身体が……吹き飛ばされてしまいそうな量の……光と音が……」
「明る過ぎて……何も見えないとは……な」
鶴木も玉宮も俺も……突如 まがつき が放った、世界全体を血よりも鮮やかな赤で染め上
げ兼ねない閃光と、街全体を地震のように激しく揺らす轟音に圧倒された。音が収まるに連れ
赤い光は弱まって行き……光を出し切ると今度は、鮮やかな青みを帯びた黒い光を放ち始めた
「収まったか……いや待つのだ!! あれを見ろ……」
暗闇が訪れ辺りが静かになるや、鶴木が叫んだ…… まがつき は足元の赤い渦に照らされ
その身体は回転し、どんどん加速しているのが判ったが……半径2キロ近くはある赤い渦が、
回転する まがつき に吸い上げられるように集まって行き……やがて細長い煙の束になった
「周囲の あかつき や赤い渦の発生を警戒してますが……またもや大規模な赤い渦が……」
参加者3名 が屋上に集結し まがつき の動向を観察している状況だが……玉宮の言う
通り、常に 赤いトゲ が飛んで来る危険性がある……だが、これだけ同じ場所に留まり続け
発生したのは、 まがつき の足元の異常規模の赤い渦だけだ……これは、せっかくの イベ
ントシーン を気兼ねなく堪能してもらおうと アイツが配慮 しているからだろうな……本
当にこの ゲームマスター は不意討ちをまるでして来ない……昨日俺が、大型ストア内で赤
い渦をやり過ごそうとした時、発光する玩具を次々と置いていたが……そういう不意討ちしか
する気が無いのかもな……俺がそんな事を考えている間も まがつき は凄まじい速度で回転
を続け、再び発生させた巨大な赤い渦をその身に吸い上げ、赤い煙の柱も次第に太くなり……
「その鼓動をまたも忙しなく響かせ周囲の赤い渦を取り込み始めたか、 まがつき よ……」
鶴木が言うように、 まがつき は赤い渦を取り込む際、鼓動を加速させていた……再び半
径数キロの赤い渦を吸い寄せ始めた今も同様だ……その動作は更に何度か繰り返され、 まが
つき は今や分厚い煙を纏いながら猛烈な回転を続けている……最早、煙の束と言うより……
「 竜巻 だな……これは」
俺がそう言った直後、 まがつき は再びあの衝撃波と錯覚するような力強い心音と……世
界全体を赤で染め上げそうな眩い光を同時に放った……この光を直視すると目がやられそうだ
が、 参加者 である俺と玉宮と鶴木にその心配は無い。この音と光の量は驚異的ではあるが
な……その赤い光も大分落ち着いたが、今度は完全な夜の闇にはならず、見える景色全てが血
に染まったような赤を放っていた……この街全体に まがつき の赤い光が定着したと考える
べきか……その光景に黒というには鮮やか過ぎる青い光が、 まがつき の鼓動の音と共に放
たれ、景色はその都度暗転した……さて まがつき の姿だが……ここで俺は、玉宮に尋ねた
「玉宮。竜巻となった、 まがつき の規模は……どれくらいに見える?」
「直径5キロメートルに迫りそうです……左に渦巻いてるようですが……動き始めましたね」
では まがつき の観察を切り上げる頃合だ……早速、 屋上に 赤い渦が発生したな……
「用心しろ! 上空にヤツが…… あかつき がいるぞ!!」
鶴木がそう叫んだが、 あかつき が発生させた赤い渦の場所は屋上の隅。縁の部分が空中
にはみ出てはいるが、中央部分の足場が確保されている為、あの位置に発生出来たわけか……
「 あかつき が落下しましたが……渦の部分を地面とみなしている為か転げ落ちませんね」
玉宮がそう言った後、 赤い心臓 も出て来たが……発生させた赤い渦の規模が広いな……
「そろそろ下に降りる事も検討だな……赤い渦から出て来たのは…… 大きいかみつき か」
今まで あかつき が発生させた赤い渦から出て来るかみつきは普通の大きさ……こうして
大きい方が出て来るのは初めてであり、屋上は一気に危険な場所と化したが……玉宮が言った
「では場外に連れて行きますね」
この学校の屋上はフェンスの無い立入禁止の場所で、最初に加速する方向を誘導してしまえ
ば簡単に落とせる……とは言え、一連の玉宮の手際は鮮やかだった…… あかつき を見るか
「 赤い心臓 も回転方向は左か……そして棘の1発目は意に介す必要の無い方向だな……」
鶴木がそう言った後、2本目も見当違いの方向に発射され、 3本目のトゲ は玉宮に向か
いそうだが……やはりズレていたな……それよりも 赤い心臓 だ……まだ体積を残している
「鶴木。4本目は完全にお前を狙っているぞ……5本目は俺か……」
俺はそう言った……狙われていると判れば問題なく回避出来る発射速度なのは相変わらずか
……そして今の5本目で 赤い心臓 は消滅……玉宮が刺さった後のトゲの観察を行っていた
「10秒経過。溶け始めて無くなるまで2秒……変わったのは発射本数と赤い渦の規模ですね」
玉宮がそう報告したが、 トゲに2回狙われた 事は確かだ……俺がそう考えていると……
「ぬぉあっ!! 今度は一体、何なのだ……!?」
鶴木が驚いたが、この校舎全体が少しの間揺れ……すぐに玉宮が現場へ向かい、俺も後を追
い、そこにあったのは……地面に対し鋭角に突き刺さってはいるが、全体が半分減り込んで1
メートル……つまり 全長2メートルの赤いトゲ が屋上に突き刺さっていた……先端は鋭く
このサイズだと不透明な鉱物のような質感が、その赤色を強く際立たせるな……玉宮が言った
「20秒経過。表面が溶け始めましたが……ゆっくり何ですね……周囲の警戒をお願いします」
玉宮は屋上に飛んで来た 巨大なトゲ の観察を始めたが……かなりズレた位置に刺さって
いるのが気掛かりだ……狙ったのが大分前なのか、この方向に発射されたのは偶然なのか……
「ほぉ……次第に透明度を増し、宝石とも言える美しさを見せ始めたな……この大きな棘は」
「40秒経過。青い煙を出しながらトゲは見る見る透明に……1分経過。一気に溶けましたね」
鶴木と玉宮がそう報告したが、次の あかつき はまだ現れていない…… 巨大なトゲ は
地面に刺さって20秒後に溶け始め、その後40秒かけて溶け切るが……しばらくは表面がやや多
めに溶ける程度で、透明度が変化しなくなった辺りで一気に激しく蒸発する……真っ赤で不透
明な鉱物が透明度を上げながら溶け、青く鮮やかな黒い煙を出しながら水滴となって行く様は
単に氷が溶けて水になる光景とはかけ離れていた…… 巨大なトゲ に関して鶴木が言及する
「何なのだこれは……これ程まで大きな棘が飛来するとは……放ったのは まがつき か?」
そう考えるのが妥当だな……落下後に中身が現れ回転しトゲを放つ…… まがつき の行動
は あかつきと同じ ……だが全てが規格外だ。これが このゲーム最後のボス なのか……
「あそこの赤い渦にはまだ、かみつきが残ってますが…… まがつき が通った場所は……」
玉宮がそう言った…… 大きいかみつき はあのパワーで直進し、周囲の建物もお構いなし
に突き破っていたが…… 直径5キロメートルに迫りそうな竜巻である、まがつき の破壊力
はそれを絶する……周囲の建物は巻き上げられたかと思うと、その赤い雲の中にたちまち飲み
込まれ、そのまま砕け散ったのか遠くに吹き飛ばされたのか……それすら判らぬ内に地表は大
きく抉られ、その爪跡には まがつき の赤い光が定着し河のような有様だ。所々に立っては
弾ける大きな泡と色のせいか溶岩を彷彿とさせ、その輝きは明滅までしている……俺は言った
「 まがつき は今、反対側に遠ざかっているが……あれに巻き込まれたら、ひとたまりも無
いぞ……進行方向に法則性があるか調べるなら今の内だが、ランダムの可能性もあるな……」
まだ見ぬ 残りの参加者 を追尾している可能性もあるが、狙う対象をランダムに切り替え
その度に進行方向が変わる事も考えられる……追尾型かどうか調べたいが、方法と余裕が……
「ぬ!? 黒い影がこちらを目指し、向かって来るぞ……またも、あの 巨大なトゲ か!」
「こちらには届きませんね……それに形状が丸く……校舎の壁にぶつかり、地面へ落下……」
俺がそう考えていると 巨大なトゲ ではない何かの飛来を鶴木が報告し、玉宮が危険性を
確認し大きな揺れが発生する中、現場へ向かったので俺も後を追い……その物体を見下ろした
「表面が溶けていて赤黒く、脚が好き勝手な方向に何本もある……ここまではかみつきだが」
俺はそう言ったが、問題は口が3つは見える事だ……かみつきの口は1つ……玉宮が続けた
「何でしょうか……この 大きいかみつき同士がくっ付いたような塊 は……」
少しの間眺めていると、塊の一部が抜け出し、その後も他の部分が抜け出し、最終的に……
「なるほど、 大きいかみつきが5匹一緒になっていた わけか……」
「となると 大きいかみつき 5匹分の重量が、今後は上空から降って来るという事ですね」
俺と玉宮がそう言いながら、さっきの あかつき が残した赤い渦を確認するが……かみつ
きの姿はまだ無い…… 大きいかみつき団子 がこの屋上に激突する可能性が常にあり、あの
渦にはまだ 大きいかみつき がいる可能性もある……団子が振って来た時と重なれば脅威だ
「現在時刻は2時31分。さっきの 大きいかみつき を5匹くっ付けた団子 だが……やはり
まがつき が吐き出したと考えるのがよさそうだな……あそこの赤い渦も引き続き警戒だ」
俺がそう言った矢先、問題の赤い渦の中から、普通サイズのかみつきが2匹出て来た……片
方は白いが、この場には 参加者 しかいない為、対処の条件は同じだ。さて、玉宮だが……
「では下に落としますね」
既にかみつきの傍まで移動していた玉宮がそう言うと、屋上の端から端へかみつきに自分の
後を追わせ……勢いよく屋上から飛び上がり、2匹のかみつきが自分を追って壁から十分に離
れている事を確認したのか、姿を消し……次の瞬間、玉宮が俺の近くに現れたので俺は言った
「この屋上に移動してから40分が経過……流石に《流浪》は再使用可能になっていたか……」
一度誘導すれば後は離れるだけの 大きいかみつき に対し、小回りの利くかみつきを確実
に屋上から落とすのは厄介だな……脚を伸ばし壁に貼り付き移動まで出来るのが、かみつきだ
「これで屋上自体は安全な場所に戻りましたね……ですが3時間以上ここで粘り続けるのは」
「無理だろうが、この状態が長く続けば、それだけ逃げ回る時間が減る……警戒を続けるか」
玉宮に続き俺はそう言った…… まがつき を眺めれば、相変わらず赤い光を明滅させ、抉
られた地面の光も周期は異なるが明滅し、荒れ狂う竜巻に乗った まがつき の力強い鼓動が
轟く……そこに時折また違う周期で、黒く鮮やかな青い光が音も無く訪れる……鶴木が言った
「む? まがつき の鼓動が……何だ? 次第にその周期を早め……慌しくし始めたぞ?」
「どんどん早くなっているが……青い光が何度も発生するようになったな……音はしないが」
「 まがつき を覆う竜巻の回転速度も上がってますね……風の音も激しくなって来て……」
俺と玉宮が続けて発言し……現在時刻が2時40分である事を俺が確認した、次の瞬間だった
「ぬわぁあ!!」
「景色が……青く……暗く……」
加速を続けていた、 まがつき の鼓動が一瞬だけ途切れたその直後、青い闇が赤い光を飲
み込むかのように音も無く広がり……さっきまで血のように真っ赤だった風景は、不気味で鮮
やかな青が充満する暗い闇の中に閉ざされ……この急激な変化に鶴木と玉宮が圧倒されていた
「闇が晴れて来たが、青く深い闇から真紅の赤い光か……急激だな。さて何が変わった……」
俺はそう言いながら辺りを見渡した……さっきの鮮烈な赤い光のように、周囲に青さが定着
したわけではない…… まがつき の鼓動の周期が元に戻ったが竜巻の回転速度は目に見えて
速くなり、さっきまで微かに聞こえていた風の音は、今や暴風の真っ只中にいるような激しい
音を出し、人間と動物のどちらか定まらないが唸り声のようにも聞こえる……吹き荒れる風で
建物のガラスなどが大きく揺れているが、 参加者 である俺たちは服も髪も微動だにしない
……風向きや風圧を考慮する必要は無いという事だな……そう考えている内に、玉宮が言った
「この距離から見ても目に見えて速い移動速度……間近で見たら、どれだけあるのやら……」
「咄嗟に《流浪》で移動し、 まがつき の傍だった場合……その身は最早、手遅れよ……」
「方向転換してはいるが、ここから見て遠ざかっている…… 参加者の追尾 はしないのか」
玉宮と鶴木の言うように、こうして遠くから まがつき の位置を把握している場合はまだ
いいが、外の状況が判らない屋内から《流浪》を発動し、その移動先に恐ろしい速さで竜巻を
回転させる まがつき がいる怖れがあるという事だが…… まがつき は 参加者 の位置
とは無関係に移動している方が厄介だ…… まがつき が接近しているかどうかは、音で判ら
ない事も無いからな……序盤の《流浪》は 参加者 である事を隠す為に満足には使えず 参
加者 の目星が付き始める中盤は特に慎重な発動を心掛け、終盤の《流浪》は……誰が 参加
者 か判明し、再使用時間を念頭に使うものかと思いきや……迂闊には使えない状況だとはな
「やれやれ、 ゲームマスター も最後に途方も無いものを用意したものよ…… 最終兵器
の名実を欲しいままにする恐るべき……む、あそこに見えるは…… あかつき か! そして
向こうに見えるは…… あかつき だな!! いずれも屋上の中央寄りの位置にいるぞ……」
鶴木が叫び声で報告した。しばらく現れなかった分、一気に来たか……5発に増えた 赤い
トゲ を放つ 赤い心臓 が2体同時……かみつきが、いつ出て来るか分からない上にサイズ
違いで複数出て来る可能性もある……この屋上に留まるのはもう危険だな……放棄する頃合か
「これに 巨大なトゲ が加わるのが今の状況だ……屋上の入口が塞がれない内に下へ……」
俺がそう言い始めた途端……突然、目の前が真っ黒で鮮やかな 青色の霧 に覆われ……そ
の色が更に濃くなった水溜りが足元に現れ、霧は勢いよく左に旋回し、水溜りからは黒く青い
大きな煙の塊が吐き出され……思わず俺が声を出しそうになった時……叫んだのは鶴木だった
「うぬぉおう!?」
その叫びが終わる頃、青い霧の流れは緩やかになり青黒かった煙は急激に赤く変貌し、煙の
中は金色の輝きが目立ち始め、足元の水溜りも血のように真っ赤になっていた……なるほどな
「何かと思えば赤い渦か……発生の瞬間は青黒い煙で旋回し、その後は赤い煙となるわけか」
「そして相変わらずの規模です……煙が厚く視界が危うかったですが今は背丈の半分程度……
屋上の入口は見えますし、校舎内に入りますか……この学校自体がダメになったら各自、任意
の場所へ避難した後、比較的安全な所に集合したいですね……通信機器で連絡は取れますが」
俺に続き玉宮がそう言った……別々の場所に《流浪》で移動してリスクを分散し、移動先の
安全確認もそれで出来るが……全員が危険な場所を引く可能性もある……ひとまず俺は言った
「建物の中で行動する際は上の階から逃げて行くぞ。 まがつきの放つトゲ で建物の土台を
壊される可能性もあるからな……さて あかつき が2体とも落下したな……下へ降りるぞ」
俺がそう言いながら屋上のドアを開こうと手を掛けた時……青かった渦を見て鶴木が叫んだ
「待つのだ鹿々身!! 今しがた発生した赤い渦の中より、奇妙なものが這い出て来たぞ!」
「何やら あかつき の中から 赤い心臓 が出て来る際に引き千切ろうとする、青い液体に
……似てるどころか、質感も光沢の強さも完全に同じですね……大きさは中型犬くらい……」
「余裕があれば観察しておきたかったな…… 赤いトゲ が来ない内に急いで下に降りるぞ」
赤いトゲ は1回目の遮蔽物を強度関係なしに貫通するが、ドアや建物の壁くらい十分な
厚さがあれば1回目でも止まる……玉宮の後にそう言った俺はドアから校舎に入るよう促し、
3人揃って階段を駆け降り始めた……さっきの 青い物体 は気掛かりだが、あの状況ではな
「そろそろ 赤い心臓 が全てのトゲを発射し終えた頃だな。校舎内で行動か……窓の傍での
赤いトゲ の奇襲……天井にも発生する赤い渦…… まがつき の接近は風の音で警戒だ」
俺はそう言った。屋敷の時はしてやられたよ……今立っている床も下の階からすれば天井だ
「鹿々身さん。窓に……」
そのまま下の階の廊下を移動していると……玉宮が外側の窓を指差しながら、そう発言した
「これは黒……いや、青い光沢の目立つ泥のような物体……それが窓に貼り付いているぞ!」
俺がその姿を見ている間に鶴木がそう言った……さっき観察し損ねた…… 青い物体 だな
「この窓の外側に、べちゃっという音を立てながら現れました……赤い渦の中から出て来るだ
けでなく、 かみつき団子 のように まがつき が吐き出してる可能性もありますね……」
玉宮が自分の考えを述べた……まずは、この 青い物体 を悠長に観察出来るか辺りを……
「背後に現れたか あかつき よ!! だが、階段はすぐそこだ……出現場所を誤ったな!」
鶴木がそう声を張り上げたが、出現直後ならば階段を降りる必要は無い……俺はこう言った
「いや……このまま走り抜けるぞ、鶴木は後ろのトゲを見ていてくれ……観察は見送りだな」
かみつきはある程度まで離れると対象を捕捉しなくなる……遠くへ行けばトゲの対処だけだ
「 赤い心臓 もこれで消滅です。 参加者 を狙って来たのは2発目と最後の5発目……」
それから、ある程度の距離を取り、飛んで来た 赤いトゲ は2本ともかわした……玉宮の
報告と併せ 5発中2発は必ず参加者を狙う ようだな……さて教室が続く場所に辿り着いた
……全員1クラスずつ中に入り、《流浪》の移動先に登録しておいたが……ここで俺は言った
「これで5クラス目か……とても気の抜ける状況ではないが、この教室で少し休憩と行こう」
「そうですね……1ヶ所に留まる時間は増やしておきたい……教室の窓は 赤いトゲ の貫通
対象で、 まがつき が接近してないかの警戒も怠れませんが……形だけでも休憩しますか」
どこにいても あかつき は現れ…… 巨大なトゲ がこの教室に直撃する可能性まである
……だが玉宮の言う通り、逃げた先はすぐに潰すよりも活かした方がいい……鶴木が発言した
「束の間の休息か……よかろう。せっかく窓があるのだ、外の様子を眺め……む、早速か!」
鶴木も休憩に賛同したが休む間も無く、 赤いトゲ が飛んで来た……1発だけでは終わら
ず、何発も撃ち込まれ、少し前までは平面だった窓ガラスが今では穴が開きヒビだらけだ……
「一気に殺風景になりましたねー……赤い渦が発生するまで、窓にヒビがどこまで入るやら」
玉宮がそう言った後、その窓ガラスは更に悲惨な事になった……今度は黒い物体が飛来し窓
に激突……さっきまであった穴とヒビの模様は全て砕け散り、大きな1つの穴が出来……黒い
物体が教室の中に入って来た。かみつきは赤みを帯びた黒い身体をしているが、コイツは……
「青く反射する黒い液状の物体か……粘り気も強いな……だが、悪くない時に来てくれたよ」
一見すると黒だが、光沢の青がとても鮮やかだ……今のところ目も鼻も口も見当たらないが
その身体は確かに流動している……この教室に赤い渦が発生するまで……じっくり観察するか
「移動速度はかなり遅いですね…… 参加者 が目の前にいるのに飛び掛って来る気配さえ」
「む、動きが止まったぞ。これは……板か? 外へ伸ばして何が目的なのだ? ……いや、あ
れを見るのだ! 遠くから同じ板が伸びて来たぞ!! あそこに同じヤツがいるのか……?」
玉宮に続き鶴木が言った……観察出来る状況は続いているが……問題の板同士が合流したな
「平板だった表面が形を歪め…… 組み付く ように、互いを接合しようとしてますね……」
玉宮がそう言った後、 青い物体 は暴れるかのように変形を繰り返し……接合を終えると
互いを繋いだ 細い道 を形成していた……色合いも光沢も変わらずだが、ここで玉宮が窓ガ
ラスの破片を拾い上げ…… 細い道 に投げ付け……そのガラスの破片は……弾き返されたか
「では窓ガラスで引っ掻いてみます……結構硬いですねー……強度の方はどうでしょう……」
そう言うと玉宮は2つ目のガラス片を手元に置き、手近な机の足を両手で持ち振り上げ……
細い道 に勢いよく叩き付け、手放した…… 細い道 は流石に折れたが……やはり液体か
「そこまで頑丈ではありませんでしたが……砕ける瞬間は液状になる何て、変わってますね」
落下する 青い物体 と机を眺めながら玉宮はそう言った……足場にするには脆いようだな
「ふむ……互いを見付けると 組み付く ように道を形成するか……かみつきは 噛み付く
はねつきは 羽が付いている ……ならばこの 青い物体 、 くみつき と呼称しよう!」
鶴木がそう発言したが……異論は無いな。では、引き続き周囲を……少し前に見た光景だな
「この青い霧は……教室全体が赤い渦に覆われましたね……移動するなら2つ隣の教室が無難
でしょうか? あたしは まがつき の位置が確認できないか、見て来ようと思うのですが」
玉宮がそう言う間に、青い霧はたちまち真っ赤な煙に金色の輝きを放つ、赤い渦へと変化し
た……青い内は人間の背丈を越える煙の高さだが、今や柵程度の高さになった……俺は答えた
「そういうわけだ鶴木、2つ隣の教室に移動するぞ……玉宮。移動先が変わったら連絡する」
「了解した。2つ隣だな……無論、その教室も安全である保証は無いが……先に行ってるぞ」
鶴木はそう言うと《流浪》を発動し、姿を消した……では、俺も教室の入口まで移動するか
「ただいま戻りました。地上には急なカーブが描かれ、遠く離れた位置に まがつき の姿を
確認……これから近付いて来る可能性もありますが……この教室は、まだ使える様子ですね」
「現在時刻は3時22分。見ての通りの状況だが……今後の事を話し合えそうではあるな……」
《流浪》で偵察を終えた玉宮に俺はそう言った……2つ隣の教室は赤い渦もなく、きれいな
光景だったが、今や窓ガラスは穴とヒビだらけ……教室の真ん中辺りで下向きに刺さった 巨
大なトゲ は青黒い煙を放ちながら表面が溶け、この透明度なら一気に溶ける頃……さっきま
で鶴木が驚きながらも次々と飛んで来る 赤いトゲ をかわしていたな……その鶴木が言った
「玉宮よ、よくぞ無事で戻った。気が付けば3人で馴れ合い、この窮地を乗り切る流れとなっ
ているな……此度の ステージ 開始の折は 参加者 を1人ずつ始末してゆく意気込みだっ
たというのに……ぬぅ、またも棘が飛んで来たか……もはや形ばかりの休息も叶わぬな……」
これで偶数発目だ…… 赤い心臓 の放つ 赤いトゲ は最後である5発目に加え、4発目
までに必ず1発が 参加者 を狙う……よって3発目があった場合、近くに別な 赤い心臓
がいて累計4発目の 赤いトゲ が控えている…… 巨大なトゲ の法則性は未だ掴めないな
「やはり5時過ぎまで共同戦線を続けるか……その頃には、 まがつき が吐き出すものが増
えている可能性もある……その確認を優先しよう。では、この校舎で粘れるだけ粘るぞ……」
「鶴木さん。大型ストアには行った事がありますか? 今のところ、その周辺は無事でした」
俺が改めて宣言した後、玉宮が鶴木にそう尋ねた……あの横長の建物も まがつき が通れ
ば一気に砕け飛ぶ……その後に出来る赤い光の溜まり場も、少し触れただけでヤバイだろうな
「 ステージ1 でかみつきが大量発生した、あの場所か? 振り返れば行ってはおらぬな」
鶴木は案の定、そう答えた…… ステージ1 は他の 参加者 に狙われる危険性が薄い為
その間に《流浪》で移動出来る場所を増やしたかどうかの差がここで出る…… ステージ2
の昼間は上空に はねつき たちがいて満足には出歩けない状況だったが……俺の場合は は
ねつき に認識されない状態……出歩き放題だった。しかし玉宮はこの 隣町の学校 の屋上
にまで足を運んでいたのか……思えば俺は、建物の高い場所に行く事を完全に失念していたな
「屋敷の方も無事でしたが……この2つは次の行動場所として有力ですね。周囲に異状なし」
玉宮がそう報告した…… ステージ2 のボスは最後の1時間、その全身を金色に燃え盛る
炎で包み込んでいた…… ステージ3のボス である まがつき も5時に攻撃的な変化を見
せる可能性が大いにある……その有無を確認してから 命の奪い合い を始めても遅くはない
「な、何なのだ!! この揺れは……?」
「これは……近いですね。何かが崩れ落ちたような音……かみつきの唸り声も聞こえました」
鶴木と玉宮が異状を報告すると俺は教室のドアから廊下に顔を出し、素早く左右を確認した
「窓を背にした左側の天井と廊下が崩れていた……こんな芸当 かみつき団子 くらいだな」
顔と身体をすぐに教室の中に戻し教室の窓の方を向きながら、俺はそう報告した……進んで
来た廊下と天井に穴が開いた状況だが…… 大きいかみつき 5匹分の重量でここまで出来る
ものなのか? 既にヒビが入り、ダメ押しが加わったのなら可能性はあるが……その時だった
「ぐぉう! この青い煙は……いや、しかし教室の大半にその煙が及んでいない……だと?」
「窓を背にした右側の教室片隅を中心に発生してますねー……縁の部分がここから見えます」
鶴木と玉宮が休憩時間の終わりを告げた……本当に赤い渦は地形を無視して発生するな……
「この教室は放棄……左の廊下に見事な穴が開いているが、その先は階段だ……では走るぞ」
俺はそう言って、3人で教室を飛び出した……廊下に開いた穴は足の踏み場が無い程の崩落
だが……その先は 既に行った事がある場所 ……その穴を目の前にした鶴木が、こう叫んだ
「飛び移るには大きめの穴だが……《流浪》を使うまでよ! ぬ、あそこに見える白き影は」
「前方に白いかみつき……後ろには黒いかみつき……近くに赤い渦が発生してましたか……」
様子を見ずに《流浪》を使っていれば、白いかみつきに対応出来なかったな……俺は言った
「飛び降りるぞ。着地する前に左右の安全状況を確認したいが……すぐ傍にいそうだな……」
走った勢いのまま3人で下の階へ飛び降り、左右を確認……左の道には 大きいかみつき
右の道には…… 大きいかみつき が2匹か……足場はあるな……着地直後、俺はこう叫んだ
「《流浪》を使うぞ!! この先にある階段へ……上の階の方だ!!」
次の瞬間、全員が《流浪》で階段まで移動したのを確認した……下の階のこの場所は、まだ
《流浪》で移動出来ない為、間違う心配は無い……《流浪》に登録される条件は、使用者の現
在位置を基点とした、ある程度までの視界の範囲……双眼鏡などで遠くを見ても、範囲外だな
……さて、階段まで移動したが周囲が安全だった事に安堵する間も置かず、俺たちは階段を駆
け降りた……下の階は 大きいかみつき を発生させた赤い渦が近くにある……よって降りる
階段は2階分だ……屋上で下を覗き込んだ時、この校舎は4階建てだった……3階の様子を素
早く捉え、2階まで降り……飛んで来た 赤いトゲ を当然のように全てかわし、俺は言った
「現在時刻は3時39分……ここから先にある階段と教室を全て回るぞ……風の音にも警戒だ」
「複雑な地形では普通のかみつきの方が厄介です……あのまま3階にいたら、かみつきが穴を
通って追い掛けて来てました……屋上から地面と違い、床一枚では索敵範囲内の距離ですし」
俺と玉宮はそう言った……かみつきは絶えず色んな方向から脚を生やしては引っ込める……
狭い通路でも身体を変形させ、入り込む事が可能だ……この変形は 大きいかみつき も行う
「この渦は一体……規模がひと回り小さく、 青いまま だと……?」
「煙の流れも緩やかで……渦が教室の外へ出ているので くみつき が板を伸ばせてますね」
教室を回る内に、奇妙な渦を目撃した鶴木と玉宮がそう言った……これは興味深くはあるが
「他の教室が残っていて、今は階段を目指したい状況だが…… くみつき専用の渦 かもな」
俺がそう発言して教室を去った後、降りて来た階段から次の階段までの間にある教室全てが
3人とも《流浪》で移動可能な場所となり、 青いままの渦 を観察する機会も何度か訪れ、
この渦からは くみつき しか出て来ない、という説が有力になった…… 青いままの渦 の
発生の瞬間も確認したかったが……教室を移る度、赤い渦の出現する頻度が上がって行き……
遂には廊下で赤い渦に挟まれた……まだ無事だった階段付近へ全員が《流浪》で移動し、階段
を駆け降り、今や校舎の1階にいる……2階ではあまり粘れなかったな……さて鶴木が言った
「《流浪》で次の教室に移動するや、すぐに赤い渦だ……それが移動する度に続くとは……」
「地上に近くなった分、 赤いトゲ の数も凄かったです……狙ってないトゲも紛れてたり」
「おまけにこの廊下の両側の天井には赤い渦が3つある状況だ……もう校舎で粘るのは無理だ
な……現在時刻は3時55分……せっかくここまで降りて来たんだ……玄関から外を目指すか」
鶴木と玉宮が発言した後、俺はそう言った……玄関の場所は2階の教室で下の様子を見た時
確認済み……目の前には玄関に続く廊下があり、赤い渦も無い……下駄箱まで何事も無く辿り
着き、既にガラスが突き破られていた為、順調に校舎の外には出られたが……玉宮が報告した
「……凄いですね。白と黒のかみつきが大きさも併せて4種類揃って入り乱れ、一目で10匹以
上いると分かる数が校門までの間にうじゃうじゃと……ここを突破するのは……無理ですね」
「ずっと校舎内で行動していたからな……中途半端な近さで出現した赤い渦の中身が溜まった
結果だろう……玉宮。大型ストアの屋上まで行く事は出来るか? まずは、そこに移動しよう
……1階で粘っていたら、このかみつきたちが次々と、廊下や教室に顔を出していたな……」
まがつきは常に参加者の位置を知っている ……だが赤い渦が 参加者 の足元に直接発
生したのは未だに数回……ある程度出現位置がズレると考えていい……そのズレが勢い余って
気が付けばこの有様だ……この学校で行動を続けるのも限界だな……俺の質問に玉宮が答えた
「行けますよ。高い所で まがつき の所在を確かめたいですね……直ちに移動しますか?」
「いや、その前に鶴木にこの学校の屋上入口のドアの裏側に運んでもらう……それからだな」
出来るなら同じ高さから移動した方がいい……俺は少し呆然となっている鶴木にこう言った
「では玉宮の《流浪》で大型ストア屋上へ行く前に……鶴木。お前に、この学校屋上の階段側
まで運んでもらうぞ……俺は避難がすぐ必要な状況に備え、《流浪》を発動待機させておく」
鶴木が返事をするまで、少し時間が掛かった……この量のかみつきだ。圧倒もされるか……
「……あ、相わかった!! ならば皆で手を繋ぎ合い……いざ、その場所へ移動するぞ!!」
《流浪》は使用者が接触している対象を指定すれば、その重量に応じて発動時間は延びるが
その対象を一緒に運ぶ事が出来る……自身の重量を免除した全ての重量分の時間経過後は発動
待機状態になり、経過時間の半分の間は使用者が 大きく動かない限り その状態は維持され
新たに接触した対象の重量を追加する事も可能だ……こうして鶴木に《流浪》で運んでもらい
ながら、自分の《流浪》の発動待機状態を維持する事も出来る……さて、屋上手前の階段に到
着……状況が危険なら俺の《流浪》で即座に避難だが……ドアから屋上を覗いた玉宮が言った
「屋上にはヒビが入り 大きいかみつき が何匹もうろついてる状況……では移動しますね」
ドアの近辺に限れば、玉宮が俺と鶴木を《流浪》で運ぶまでの時間は十分に確保された状況
だ……玉宮の《流浪》は何事も無く発動し大型ストア屋上に到着……辺りを見渡し俺は言った
「抉られた地面の跡を辿れば まがつき の所在は判るが……上手い具合に離れた位置だな」
大型ストア以前に、この一帯自体が無事だった……だからこそ まがつき の残した光景が
より悲惨なものに映る……巻き上げられ落下した建物の残骸の群れが、抉られた地面で明滅す
る溶岩のように泡立つ真っ赤な光の中へ沈み……沈むのを逃れた残骸は散乱し、周囲の被害を
更に広げていた……そもそも、 まがつき が抉る地面の規模が黙って4キロあるのがな……
「 まがつき は……なかなか遠くですね。あたしはまだ、ここで粘ろうと思いますが……」
まがつき が放つ、その力強い鼓動が風に乗り……辺りに響き渡る中、玉宮がそう言った
「現在時刻は4時7分。1時間後には共同戦線を解除する可能性もあるが……ここからは各自
別行動と行こう。鶴木、地上に降りるなら一緒に端まで行き《流浪》で運んでくれないか?」
俺はそう提案した…… 参加者 がここに来た今、この屋上も 大きいかみつき団子 やト
ゲですぐにヒビだらけになるだろう……玉宮だけ残れば、次の集合場所に使える可能性もある
……鶴木がここに来るのは初めてだが地面が見えれば地上への移動は可能だ……鶴木が答えた
「ここで佇むのも得策では無いな……まずは貴様を地上に送り届けてから行く先を決めるか」
ここから地面までの距離なら再使用もすぐ可能……そして俺は玉宮に顔を向け、こう告げた
「じゃあな玉宮。お前との共同戦線……なかなか楽しかったぞ。5時以降はどうなる事やら」
「こちらこそ、ありがとうございました鹿々身さん……これ以上酷くならないといいですが」
玉宮がそう答えた……それから俺は鶴木と一緒に屋上の端まで行き、鶴木の《流浪》で地面
へと移動し、自分の《流浪》を温存する事が出来た……さて、鶴木にも何か言っておくか……
「では次に相見える時は敵同士……という事だな、鹿々身よ。私からも感謝の言葉を贈ろう」
鶴木に先に言われてしまったな……では俺も振り向き、こう答えよう……顔が少し緩んだか
「そう……だな」
俺はそう一言だけ放ち《流浪》を発動。鶴木とも別れ、大型ストアを後にした……この周辺
に まがつき がいないなら移動先の候補は多い……よし、少々遠いが……あの場所にするか
「 まがつき から遠いだけあって、この店は無事だったようだな……他の店はどうだ……」
そう口に出したかは定かではないが、《流浪》で商店街に移動した俺は、目の前の雑貨屋を
眺めていた……この雑貨屋はマユが薄手の赤いキャミソールで出歩いた日、朧月瑠鳴[おぼろ
づき るな]がかき氷を食べようと提案した後、宵空満[よいぞら みちる]が間に合わせに
濃いえんじ色のジャケットを買った場所だ……その朧月もマユも、もう死んでしまったな……
宵空も無事か疑わしい……そう思い出しながらも俺の目はすぐ傍のかみつきの姿を捉えていた
普通のかみつきだが距離は近い……かみつきの唸り声は後ろからも聞こえ、振り返った次の
瞬間、別のかみつきを捉えたと同時に 赤いトゲ が迫っている事に気付き、即座に横に跳び
回避すると……そのかみつきの後ろで、何かが落下し……大きな音と震動が辺りを駆け抜け、
俺が地面に着地する頃には、その何かが…… 大きいかみつき だという事が判った。
その 大きいかみつき の真上には、 あかつき の発生させた赤い渦があり……もしやと
思い、再び横に跳んだ結果……案の定、 赤いトゲ が地面に突き刺さった……最初に見た、
かみつきの後ろにも あかつき が発生していたわけだが……問題なのは2つの あかつき
が 上空に出現していた事 だ…… あかつき や赤い渦が発生するには、ある程度面積のあ
る足場が必要……向かいの店までの間隔が狭いこの商店街に天井は無いが……その空間を く
みつき たちが繋げていた……網目状と言うには、まばら過ぎる……始点となる高さもバラバ
ラで水平とは無縁の様相だが、道と道が何度も交差し、合わさったその部分は均一な広がりを
見せ……それが、 あかつき たちの足場となるには十分な面積となっていたんだな……
目の前には、かみつき……その後ろ上方には くみつき が形成した足場の上で浮かぶ 赤
い心臓 ……背後に至っては、かみつきと……やや奥の上方に同じく 赤い心臓 ……その下
では 大きいかみつき が今まさに突進を始める体勢か……挟み撃ちとは、よくない状況だ。
前後の 赤い心臓 は最後に俺を狙うトゲを発射するが……他のトゲが俺の方向に来る場合
も考えた方がいい……射出時のトゲの向きでその予測、体積の減り具合で残り本数も判るが、
少し遠いな……目の前のかみつきも飛び掛かって来る距離になった……かみつきは一定距離ま
で対象に近付くとその脚で飛び跳ね、口を開けながら対象を 頭から噛み付こうとする ……
その時の瞬発力は脅威……今ならそれは回避出来るが、俺が跳んだ方向に 俺を狙うトゲ が
飛んで来る可能性の他に、 俺を狙っていなかったトゲ が俺の胴体を直撃する可能性がある
……それを運良く逸れたとしても、今度は 大きいかみつき の突進……ここは商店街、逃げ
込む店の候補はあるが、どこがいい? 最も危険の薄い行動を選びたいが……猶予は一瞬だ。
《流浪》が使えれば、近場の屋根の上に移動するだけで済む……だが最小限移動の10メート
ルでも再使用可能まで10秒……今回俺が移動した距離は1キロメートルを悠に越えている……
《流浪》の弱点 を見事に突かれたな…… 移動先が危険な場合であろうと、即座に能力を発
動する事が出来ない ……長距離移動が瞬時に可能だが、それが仇となる 能力 だ……
店の中に逃げ込むなら2階建ての店だが……目の前の雑貨屋は1階建て……後ろの店はまだ
一目見た程度で、もう一度振り向き確認したいが…… 大きいかみつき が間もなく突進して
来る……前進した方がいい……後ろの情報は捨て、前の 赤い心臓 の動向を見ながら逃げ込
む店を見定めた上で、最初に左と右のどちらに行くか判断……博打だな。次の一瞬に映る光景
で、その決断を下す他無い……俺がそう考えを巡らせ、目をより凝らそうとした瞬間だった。
突然、視界が青くぶ厚い霧で覆われ、周囲の状況が確認出来なくなった……だがこれで、か
みつきたちの視界が遮られる事にはならない…… 一定の距離内に対象がいる かが、かみつ
きの行動条件……俺の目の前にいるはずの、かみつきは今頃……口を大きく開けて俺に飛び掛
かって来ている……赤い渦の煙の高さが人の背丈以上になる青い煙である間は、ほんの短い間
だが……この博打に行くしかない局面で……次の行動を判断する為の一瞬を遮られたのはトド
メ以外の何者でもない……もはや、お手上げだな……その手を上げている暇さえ無いんだが。
この青い霧が赤い霧になった頃、俺はかみつきに頭から食われている……もしくは 赤いト
ゲ に胴体を貫かれているだろう……闇雲に駆け出し、そこが店の入口でなければ 大きいか
みつき に吹き飛ばされ、よくて踏み潰される……いずれにせよ 死亡 だな。ここはマユと
朧月と宵空が一緒に過ごした縁のある場所……そうだな、ここが俺の ゲームオーバー地点
になるのも……悪く無い、か。さて、かみつきがその人間のような歯で俺の胴体を捉えた……
お別れだな…… この世界 共々……この上下の歯が閉ざされた時、俺の生涯も幕を閉じ――
……る事になっていただろう…… この能力 が無ければな!!
参加者全員が能力を出し合い 、それを ゲームマスターであるアイツ がゲーム用にカ
スタマイズし…… その5つの能力を参加者5名が強化・通常・弱化を行い、アイツが用意し
たステージに参加 し、その 5つの能力を切り札に命の奪い合いをする ……それが この
ゲーム ……《寄生》である俺にも《流浪》が使え、他の 参加者 も《寄生》が使える……
参加者は各条件に基き5つの能力を発動出来る ……俺の割り当ては、鶴木の《分裂》を
弱化 し残り回数は最初から0…… 玉宮のものと思われる能力は強化 、《流浪》は 通
常 、 俺の能力《寄生》は強化 し、あと4回使える……鶴木がバスケットの中に《寄生》
した時、銃弾が発射されるよりも早くバスケットの中に《寄生》出来たように 能力の発動は
一瞬 で……まだ《流浪》が使用不可の状態であろうと 他の能力の使用は可能 ……既に俺
は 他の能力 を発動済みだ……では博打の答え合わせも兼ねて、周囲の状況を見て行くぞ。
まず、かみつきが空中で歯と歯を衝突させ、その音が辺りに響き渡った…… 能力 を発動
していなければ、ここで俺の胴体は両断…… 死亡 していたな……前後にいる 赤い心臓
はまだ体積を残している……まだ最後のトゲが発射されていないのは今、俺の右側の地面に刺
さった 赤いトゲ を見て判った……赤い渦は本来の煙の高さになったが、それでも柵の高さ
……商店街の建物の足元がよく見えないな……一番近い2階建ての店は右側で、後ろの方では
その反対側か……駆け込むには遠かったな。前方の あかつき が発生させた赤い渦が 大き
いかみつき を吐き出すように落下させた…… 大きいかみつき は後ろにもいたが、突進状
態になる前に 俺を見失った 為、今も背後でうろついている……新しく出た 大きいかみつ
き だが、 俺に気付く事も、俺にぶつかる事も出来ない ……そして今、最後の一本となっ
た 赤いトゲ が、 俺を狙う事も無く どこかへ飛んで行った……さて博打の回答だが……
一度、左側に跳び、霧が赤くなる頃には右側に2階建ての店がある事に賭け、走り出す……だ
な。前方の 赤い心臓 の最後のトゲが放たれるまでの猶予もあった……最初に右に跳んでい
たら 赤いトゲ の流れ弾が刺さっていた上に、かみつきの反応に間に合わなかった可能性も
あるが……発生した赤い渦の中心を探すか…… この能力 はそれが余りにも簡単に出来る。
この能力 の発動は1度切り…… 通常 は24時間、 強化 なら、例え ステージ2は
ねつき であろうと そのステージの最初から最後まで発動状態を維持する事が出来る ……
弱化 した俺は6時間……発動が解除される条件は 自分の意志で解除する …… 外部か
らこの能力が解除される事は決して無い ……さて、赤い渦の中心が判った……赤い渦の端か
ら端へ移動し、その真ん中に立つだけでいい……ここは前方にある2階建ての店の中……厳密
に中心に立つと店の壁の中に入ってしまう為、少しズレた位置にいるが、目の前には 大きい
かみつき ……店の天井が低いので四角形になっている……どうやら、この店に入るのも正解
では無かったようだな……こんな形状だが 大きいかみつき もかみつき同様、四方が壁に囲
まれていようと、身体中から自在に出し入れ出来る無数の脚で対象を追い掛ける事が可能だ。
今、目の前にいる 大きいかみつき は 俺に触る事が出来ない ……そして 俺も、この
かみつきに触る事が出来ない ……よって2階へ続く階段を塞ぐ、この 大きいかみつき は
素通りだ……階段などの地形はすり抜けない為、こうして登れる……かみつきには歯茎があり
ピンクに血を塗りたくったような色合いと光沢だが……口の裏側でも、それは同様だったな。
参加者 には適用されないが、かみつきに取って赤い渦の範囲内は そこに障害物があろ
うと通り抜けられる場になる が…… この能力 は 使用者と同じ位置にある物体 を……
すり抜けるというより 使用者が存在しないものとして扱われる だな……更に使用者は あ
らゆる存在から認識されなくなる …… まがつきは常に参加者の位置を知っている が、そ
の まがつき でさえ、例外にはならない……発動中は、 いかなる存在からも自分の存在は
無いものとして扱われる状態になる ……それが、 この能力 ……《潜在》だ!!
自分という存在を完全に隠す とも言える この能力 は、 他の参加者探し に打って
付けだ……ある程度、 参加者 が絞れて来た頃に使い、そのステージは情報収集に徹し 能
力発動の現場 を押さえる事も出来、それを 誰にも気付かれず に行える…… ステージ2
はねつき の最後に出て来た 大型はねつき が全力を出していた場合でも、《潜在》なら確
実に切り抜けられる。《潜在》発動中は 相手から自分への干渉が出来なくなる が、 自分
も相手への干渉が出来なくなる ……それも 一切 だ……食事を楽しむ事も、誰かと話す事
も、目の前にある全ての物に触る事も出来なくなる……こうして通信機器で現在時刻を確認出
来るのは、あくまでも アイツの配慮 ……この状態になると、目の前にあるものは そこに
在るだけ ……目に見える全ての物は手からすり抜ける結果となり、障害物を無視して通れる
……全ての存在が自分にとって無関係の存在となり、 自分以外の存在は全てウソ だという
疑念が沸いて来そうだ……終盤の 逃げ切り手段としてはこの上無い能力 だが……この状態
だと、 他の参加者への攻撃手段を失ってしまう ……それが《潜在》の弱点とも言えるな。
階段を登り終え店の2階に来たが……今の俺が2階の窓から顔を出し、外を通り掛かる人物
に向かって叫んだとしよう…… その声が届く事は決して無い 。例え相手の耳元で、どんな
に大きな声で叫ぼうが、その叫び声は この世界に取って存在しない声 ……《潜在》は余り
にも 隠密に特化し過ぎた能力 だ…… ゲームの能力 としては、発動中は 死亡 リスク
を完全に回避出来てしまう為、1回限りなのは頷けるが……改めて言おう、 参加者全員が能
力を出し合い、その能力をアイツがゲーム用にカスタマイズし、参加者5名がその5つの能力
を使って命の奪い合いをする のが このゲーム だ……よって 《潜在》が自身の能力であ
る参加者が5名の中にいる …… 5つの能力 は《流浪》のみが複雑な改変が施され 他の
4つ はある程度の改変はあれど 使用回数を制限されただけ だ……俺と鶴木の 能力 は
単なる生態が能力とみなされた ……《潜在》の 能力 が 本来の能力 と大して変わら
ない場合、これは狩猟目的で使う 能力 ではなく…… 自分が捕まらない為の能力 だ……
しかし、相手はともかく……何故、 自分も触ってはいけない ? 相手に気付かれさえしな
ければ、自分が相手に触られるリスクを残しても、自分が相手に触れる恩恵は大きい……何故
こんな、 自分の存在を完全に否定する能力 を…… 世界から自分自身を殺すような能力
を使っているんだ……? 《潜在》が この能力 を緊急時にのみ使っているのか、常時発動
していて稀に解除している程度なのかは判らない……だがもしも後者だった場合、それは余り
にも……そんな考え事もこの店を出る頃には終わり、俺は次の目的地を定め……歩き出した。
目に映る障害物は虚像も同然……店を出る際は普通に飛び降りたが、地面の感触では無かっ
た……どこまでの高さなら飛び降りても平気かを知りたくはあるが……こうして垂直な建物の
壁を地形とみなし、歩いて登る事が出来る為、目的の場所を確認した俺は、今登った建物を駆
け降りた……ある程度の高さからは飛び降りたが 地形から足を離すと重力の影響を受ける
ようだな…… 空中では飛ぶ事も留まる事も出来なかった ……走る事は出来たが、基本的な
移動は徒歩になるわけか…… この状態 なら心置きなく、あれを観察出来る……さて、辿り
着いたな。現在時刻は4時24分……俺の目の前にあるのは直径4キロメートルはあるであろう
まがつき が通って抉られた地面に出来る…… 赤い光の溜まり場 だ…… まがつき 同
様に明滅しているが周期は一致していない……新鮮な血液が不気味な青さを湛えたような真っ
赤な色合いなのも同じで、それが溶岩の如く粘着性のある泡が音を立てては至る所で弾け……
そこに遠くから まがつき の鼓動が聞こえては力強く鳴り響き、混ざり込む……大きく抉ら
れた地面は傷口のようで、血が流れ出ているような光景に見えなくも無いが、まずはその辺の
石や建物の残骸を拾い上げ、この溶岩の中に放り込みたいが……それが出来ないのが《潜在》
だったな……通信機器は現在時刻を確認する為の操作のみが許され、通話は出来ない……普段
の状態で溶岩の上に立つと、どうなるのか……今の俺に知る術は無いが、風の感触や温度は感
じる事が出来る……この肌で感じる通りの熱さなら、腕や身体を浸けても大丈夫そうだが……
《潜在》を発動中の為か、見えないガラスでも敷かれたかのように平面的な手応えしか無く、
地形と認識されているのか立って歩けるな…… 有明高校 とは反対側に歩けば まがつき
の進行方向を辿れるが……徒歩で追い付けるはずが無い……《潜在》を解除する気が無い以上
もう6時まで実質的に ゲームに参加する事は出来なくなった ……つまり やる事が無い
……こうして明滅する光溜りの上を歩きながら、 まがつき が巻き上げた建物の残骸を眺め
漫然と過ごすだけだ…… 《潜在》の発動中は他の能力が使えない ……《流浪》が使えれば
今まで行った場所を振り返りながら過ごす事も出来たが……本当に 自分を孤立させる能力
だ……《寄生》である俺は他の生物の体内で過ごすが、五感を共有出来る為、余り退屈しない
……だが《潜在》は 自分が触れもしないものが視えるだけ だ……触覚は一応、壁の感触が
あり、五感は揃っているが……故に苦しむ。目の前に食べ物があり、その香りに魅せられても
それを食べる事は出来ない……誰かを見かけても自分が気付かれる事は決して無い……際立っ
た刺激は何も得られず虚無の感情だけが募って行くような時間の中をただ歩き続ける……最早
何かの罰としか思えない……そんな風に 《潜在》の能力の持ち主 が過ごす日々を考え続け
た結果……やるせない感情が押し寄せて来てしまった……時刻を見れば4時32分か……残り1
時間半を切ったが、5時過ぎにまた何か変化が起きるかもな……俺には何の影響も無いという
確定された事実を踏まえると、寂しいものがある……そんな気分で明滅する光溜まりを歩いて
いると……突然、光溜まりの上に切れ目を入れたかのように光が漏れ出し、線を描き始めた。
光溜まりが青みのある赤に対し、目の前を走る線の光の色は黄緑色……全ての線が閉じられ
大きな紋様となった時、その形には見覚えがあった為、俺は気兼ね無く、文様の中央目指して
歩みを進め、そこに辿り着くと…… メニュー画面 に直接、次のメッセージが表示された。
「《潜在》を6時まで解除出来なくなっても構わない……そんな貴方は空の旅へご招待! 行
先は……着いてからのお楽しみ!! キャンセルしたい場合、このマークから離れましょう」
……だと思ったよ。この紋様は俺が深夜の大型ストアで、 アイツ から貰った蛍光式ルー
ビックキューブのマークと同じだ……黄緑色の光まで一致している……ではこの場に留まると
するか……すべき行動が何ひとつ無くなった、この状況で……この誘いは、本当に有難いな。
明るさを保つ範囲で若干明滅をしていたマークの上に俺が立ち続けていると……その黄緑色
の光が更に強まり……紫色のタイルが俺の足元から浮き出て来て、《潜在》発動中の俺を乗せ
てしまうと更に浮上を続け……タイルの紫は赤みも青みも均等に感じ、コンクリートのような
質感で、表面の一部が削られていた。なかなかの高さまで浮上したタイルが停止すると、鮮や
かな紫色の光の線がタイル全体に走り、縦横6マスの格子状に区切り始めた……このタイルに
刻まれた図柄は蛍光式スライドパズルと同じだが……線が閉じられた次の瞬間、タイルは紫の
色と図柄の刻みは変わらないまま、透明なプラスチックのような質感になると、今度は36枚に
分割され、隅にあった彫り線の無いタイルの1枚が各辺の中央から紫色の光の線を伸ばし始め
線が各頂点に合流したかと思った直後、そのタイルは消え失せ……黄緑色の光の線が残った。
大抵の建物なら見下ろせる高さまで来て停止した1片が欠けたタイルだが、残る35枚のピー
スが急速にシャッフルされると前方に動き出し、独りでにパズルを解き始めた……いずれの動
作にも音は無く、目的地に着く頃には解き終わりそうだが……俺の足元に黄緑の線だけのピー
スが来ても足場の感触が残った為、落下の心配は無いか……では、空の旅の景色を楽しもう。
忙しない足元を他所に飛行するタイルは時計回りの軌道で大きくカーブを描き続け……少し
速めだが高速という程でもない……眼下に広がる光景には まがつき の残した爪跡が度々目
に付き、風を切る音と感触が身体を震わせる…… まがつき の放つ鼓動の音が次第に大きく
聞こえるようになり、 まがつき が視界に入った時、光溜まりとは異なる周期で明滅してい
るのを確認している矢先……今までも何度もあったが、あの 青い光 が放たれた……上空か
ら眺めていると、赤い空間の中を青い波紋が静かに広がって行くような光景で……ここで足元
を確認したが案の定、パズルは遠回りに解かれていて、まだ時間が掛かりそうだ……乗物の軌
道も常に まがつき が視界に入るようになり、隙間の大きい蚊取り線香のように時計回りの
円周が狭まって行く軌道を描いている……結構な頻度で高度も変動し、その際はタイルが少し
傾き、今までは緩やかな角度と速度だったが、ここへ来てその傾きが急になり速度も上がり、
乱高下やや手前だ…… まがつき の通った跡である光溜まりを見る時間が増える結果となり
建物の残骸が溶岩のような光の池の中へ呑まれて行く様を景色が目まぐるしい中、観察出来た
……溶岩の如く泡立っている光だが、燃焼や融解の類は起きていない……手を突っ込んでも害
は無さそうだが……足元のパズルが完成し刻まれた図柄が元に戻った……もう、 まがつき
との距離も近い……このタイルも まがつき に接近する為か、加速を始め……なかなかの速
度に達した途端急降下し、そのまま急浮上した丁度その頃、俺の足元の感触が無くなった……
なるほど、スライドパズルが完成すると消える仕組みだったか……俺は急降下した長さの中腹
辺りで身体を放り出される事態となった……この高さと速度なら地面には激突せず、 まがつ
き の中に突入だな…… まがつき か……飛び回っていた間も まがつき は赤い渦と同じ
所々で夕陽の色が反射したような金色の輝きの混じった少し青みのある真っ赤な煙を纏い、竜
巻のような勢いで左回転し……直径4キロメートルを悠に越えるそれは、根元にある街並みを
呑み込んでは巻き上げ粉砕し……あの規模で目に見えて動いているのが判るという事は、相当
な速度で移動している…… 大きいかみつき を5匹に固めた黒い団子、 くみつき であろ
う青い泥、竜巻の間から時折放たれる 全長2メートルの赤いトゲ ……それぞれが少なくな
い頻度で吐き出され、さっきも立ったままタイルに乗った俺を直撃するコースで かみつき団
子 が勢いよく飛んで行った……そんな まがつき の中へ、今まさに入るのか……間近で見
た煙は分厚く、眩い光を放つ火砕流のようだ……積乱雲がそのまま竜巻になったような規模で
荒れ狂う暴君、 まがつき ……その渦の中心部には一体、何があるのか……実に興味深い。
現在時刻は4時58分……中は血のように真っ赤な光で満たされ何も見えない……そう思いな
がら顔を上げると、 まがつき は 青い光 を放ち、あの速度で左回転している為、形状は
確認出来ないが、この見え方……ここは まがつき の真下と言うには幾分手前の位置か……
通信機器の表示と俺自身がハッキリ見えるのは そういう配慮 だな…… メニュー画面 に
は表示すべき情報が発生するまで何も表示されない為、これは助かる……しかし、あの勢いと
高さで突入したからには竜巻を抜け まがつき 本体に激突しそうだったが、その次の瞬間に
はこうして、 まがつき の傍で地に足を付けていた…… シンボルエンカウント処理 と捉
えておこう……周囲が竜巻で閉ざされた真っ赤で何も見えないこの空間で…… まがつき が
鼓動を放ち、その力強い音を響かせる……そんな中、 メニュー画面 にメッセージが届いた
「 まがつき見放題カメラ 。 まがつき の内部でのみ活動可能、高度制限あり。 まがつ
き 専用の撮影モード搭載。カメラが見た風景をそのまま操縦者の視界に設定する便利機能。
使用期限は転送から千秒程度…… まがつき を思う存分、眺めたい貴方に欠かせない逸品」
次の瞬間、俺の目の前に手で掴める程度には分厚い黒い箱が現れ、円でくぼんだ部分が両側
に2ヶ所あり、その中央にはそれぞれ1本のスティックが伸びていた……箱の先端には銀色の
アンテナが伸び、横に倒すスイッチやボリュームコントローラー……つまみだな、ボタンも複
数……黒い箱を両手で持ち、親指の腹を両側にあるスティックの上に乗せた途端、空中に少し
見覚えのある形状の物体が出現した。何かの生物を象った外見で大きさは手の平に少し収まら
ない程度……背面はとても赤く、腹の色が夜の闇に溶け込みそうに黒い……口は閉じられ所々
に牙がはみ出し、1つしかない目玉は金色で、ワニの顔を短くした感じだが……要は夏祭りの
夜に現れた 大型のはねつき をデフォルメした形状の飛行機……質感はプラスチックだ……
羽根の裏側などにプロペラがあり、スティックを倒すと機体も動いた……それからスイッチも
一通りいじり、大体の操作方法は判って来たが……本当に多機能だな……では実践と行こう。
黒い箱を手にしてから メニュー画面 には YAMITSUKI12′18″51 と残り時間
が表示され…… ステージ2ボス の名前は やみつき で、この機体はそれを象ったという
事か……左右にあるスティックを上下と左右に動かす事で4種類の機体制御が可能だが……こ
の 操縦スイッチ を横に倒せば 直接操縦 で機体を直接動かせ、次に 視界スイッチ を
横に倒し、間接から 直接 に変更……これで やみつき が視ている光景は、そのまま俺が
視ている光景になる……では、 まがつき の全体像を見に行くか…… やみつき の高度を
上げ まがつき に接近だ……絶えず高速で回転する まがつき だが……この ズームのつ
まみ をマイナス……左側に回せばズームアウト……距離を変えずに出来るのも妙だがな……
今度はこの最初は右に振り切れている スローのつまみ を左に回すと、 まがつき の回転
速度がその分だけ遅くなり、表示時間も同じ分だけスロー状態になる……不可解極まるが、と
にかく そうなっている ……このつまみを左に振り切っても速度は0にはならず、手を放す
と右端まで戻って行く……更に 撮影モードのスイッチ を横に倒せば、眩かった まがつき
の発光をオフ に出来る……いやはや、 まがつき見放題カメラ とは言ったものだな……
あれから まがつき の周囲を飛び回っているが、2キロメートル以上先で回転する煙の壁
と まがつき 自体が回転する音が聞こえ、落ち着かない……その騒音もこの4方向に倒せる
スイッチをこの方向に倒せばオフ……残る3方向で、それぞれ違う音楽が騒音に代わって流れ
る……スイッチを中央にすれば騒音に戻るが……ここで、表示時間の数字が一瞬膨張し、上に
吐き出されるように金色の文字で +03′20″00 と表示され、昇りながら次第に薄れて行き
消え去った……カメラの機能を実際に活用した事で、ボーナス として制限時間が200秒延
長されたんだな……この残り時間表示も、このスイッチで非表示に出来るが……俺はある方が
有難い。 まがつき の動作自体を眺めるべく、半分の位置にしていた スローのつまみ を
左端まで振り切ると…… まがつき の表面に尖った形状の物体が見えた……つまみを少し右
に回し観察した結果、その物体はやがて迫り出し、両端の鋭いトゲとなって放たれ…… 赤い
トゲ と判明した直後、 やみつき が操縦不能になったが、一時的なものだった……程なく
遠くから見たリプレイ映像が メニュー画面 に表示され、今のトゲが やみつき を射抜く
かのように腹部を直撃し通り抜け、その間 やみつき は停止していた……機体に損傷は無く
物理的に貫かれてはいない……これは、 やみつきが障害物と重なった場合、停止ペナルティ
がある と捉えるべきだな……今後は 赤いトゲ に注意だ……と思ったが、射出頻度を見る
に、 やみつき がトゲに当たる可能性は低く、無理に回避を意識するよりも観察に専念した
方がいいな……機体へのダメージは無く、少し止まるだけだ…… まがつき の観察を続け、
全体の形状が判って来た……全体的に卵型をベースにした形状で、色は発光無しで見ても恐ろ
しい程、真っ赤な色に不気味な青みを帯びた色合い……手足の類や目や口も見当たらず、 赤
い心臓 と同じく岩石のような質感で、心臓の膨らんだ部分を乱雑に繋ぎ合わせたような形状
も一致…… 赤い心臓 よりも膨らんだ部分は多いが、数え切れない数ではない……だが一番
小さい膨らみのサイズだけでも相当だ……表面に血管が浮き出ているわけでもなく、止まって
いれば無機質な彫刻にも思える まがつき だが、ひとつの膨らみが膨張して収縮すると、そ
れが別の膨らみで連鎖的に続く……その動きと力強い鼓動が放つ印象は 生物 そのものだ。
そんな、 まがつき を写真に収める事も出来る…… やみつき の1秒は60フレームだが
その1秒60枚から12枚をランダムに抽出する ランダム撮影ボタン 、短時間だが動画として
再生出来て3回連続の延長が可能な 連続撮影ボタン があるが、やはり押した瞬間にボタン
の音と感触を味わいながら撮れる 撮影ボタン が一番だ……今はその 撮影ボタン を連打
している……これだけでも立派な玩具だよな……最初に黒い箱を手にした時はスイッチとボタ
ンの多さに困惑した…… やみつき と視覚を共有すると手元が見えなくなる……だが 視覚
スイッチ の形状は特徴的で他のスイッチやボタンも覚え易い配置で、すぐに覚える事が出来
た…… まがつき は回転している為、全体の把握は頂上と底を往復するだけで事足りる……
形状の情報はもう十分だが、 まがつき が巨体過ぎるせいか、 赤いトゲ を射出する度に
体積を減らしている実感が無い……そういえば騒音をオフにしても鼓動はしっかり聞こえたな
……そろそろ騒音も発光も戻し、本来の まがつき の姿を見ておくか……その赤は余りにも
眩く、生物のように身体の至る所を膨らませては縮ませ街全体に響く鼓動を放ち、一面に広が
る赤い世界に時折、青を解き放つ…… 最後のステージ を彩る、 巨大な舞台装置 だな。
残り時間が04′42″38になったか…… 直接操縦 のスイッチを倒し 間接操縦 に変更、
これで メニュー画面 には やみつき を少し俯瞰した映像が半透明で表示される……手動
で操縦する場合、左スティックの上下で機体が前後に動き、左右だと機体は左右に向く……右
スティックの上下は機体が上下に動き、左右は機体が左右に傾く……だったな……残り時間は
この操縦に挑みながら過ごすか……玉宮なら最初の数分で、この やみつき を自在に操縦出
来るな……玉宮がどの 能力 の持ち主かを判断する状況証拠は揃い過ぎている……例えば、
この2本のスティックで やみつき を思い通り動かすには…… 手先の器用さ も大事だが
何よりも…… それを動かすと対象がどうなるかの理解 が重要だ……棒の上に籠を被せ、そ
の下に餌を置き獲物を誘き寄せ、棒に括り付けた紐を引いて捕えるという罠があるが……いざ
獲物が掛かって紐を引く際、その力が弱過ぎれば棒は動かない、強過ぎれば棒は籠まで一緒に
引っ張ってしまい、いずれも失敗に至る……そういう 力加減 を玉宮は少しの試行でものに
してしまう……夏祭りの輪投げの時がそうだ……最初は外していたのではなく、どの力まで投
げれば、どこまで飛ぶかを探り、それを見付けてしまえば後は、思うがままの場所に輪を投げ
入れる事が出来ていた……玉宮なら前述の棒の紐を常に一定の力加減で引く事が出来るだろう
……俺が玉宮を校舎で鶴木と遭遇させた時、玉宮は手榴弾を武器にしていた……手榴弾はピン
を抜き、狙った場所に投げてこそ武器として機能する……焦ってピンを抜くのが遅れたり、的
外れな場所に投げてしまうリスクの他に、自滅まであるが、その懸念要素が玉宮には一切無い
…… あらゆる道具や仕掛けを意のままに扱えるようになる ……それが玉宮の持つ 能力の
本質 だ…… このゲーム では 能力の対象は指定した1つのみ、発動は一度限り に変更
され、 この能力の弱化 は 通常 では対象に出来た生物が 能力の対象外 になり、 強
化 ならそれが まがつき であろうと対象になる……発動するには その対象と至近距離
であるのが条件だ……《潜在》で まがつき の内部に入り込んでも尚、地上から、 まがつ
き の底の部分までの距離は遥か上空……よって、 まがつきはこの能力の対象に出来ない
……玉宮なら、この やみつき を自在に動かせるだろう……その やみつき は今、 まが
つき の表面に激突し、回転で移動している他の隆起部分との連続ヒットを避ける為か、その
場には留まらず大きく上に弾かれ、操縦可能になるまでの時間も長いな……そして速度0から
加速するまでやり直し、このタイムロスは大きい……激突が起きない操縦を心掛けるか……
残り時間01′29″47……1分半を切ったか……ぎこちなさは残るが動かしたい動作と一致す
るようにはなった……最後にこの、 まがつき の周囲をきれいに1周して終わりたいものだ
……せめて半周だけでも……そう思っていると操縦が安定したからか、残り時間の数字が膨ら
み +06′40″00 という金色の文字が吐き出された……一気に余裕が出来たな……音楽は落
ち着いたものにしていたが激しい音楽に変更し、勢いづこう……残る1曲は男女混声の合唱曲
……やたらと感情的で集中力を乱されそうだったぞ……ここで急に、残り時間の表示が止まり
俺自身も動けなくなったが……次の瞬間、 やみつき の周辺映像が メニュー画面 全体ま
で拡大され、半透明ではなく鮮明に表示されると、 やみつき の周囲に金色の輝く粒子が集
まり始め……どのような形状を目指しているか判った途端、金色の粒子は弾けるように散って
行き……そこには黄金の輝きを放つリングの姿があった……完全な曲面ではなく、平面を繋ぎ
合わせ、正面から見ると多角形に見えるリングだ……光が集まる時と弾ける時にそれぞれ効果
音があったそのリングは やみつき の胴体を前後に両断するような位置に出現していた……
残り時間表示と俺の身体が動くようになったのはその直後だ…… ゴールドリング と呼んで
おくか……サイズも大きく、 まがつき の外周を1周した目印にするには打って付けだな。
スタートとゴールの位置は明確になったが、 まがつき の表面は隆起した部分が膨張と収
縮を繰り返し、次にどの部分がそうなるか判らない……今へこんでいる部分は次に一気に隆起
する可能性がある為、高度を保ち真っ直ぐ飛ぶだけでは隆起に激突した時のタイムロスがかさ
む……それに まがつき の外周だけでも相当な距離だ……今はトップスピードを維持し や
みつき の周りには一回り大きい デフォルメされていない、やみつき の姿をした金色の炎
が見えては薄れ、デフォルメ機体の やみつき を覆っている……この高速状態が維持出来れ
ば間に合いそうだが速度が出た分、操縦が難しいな……今は全画面で周囲の状況が鮮明に判る
ものの、 まがつき は左回転……視界の右から突然、大きな塊がやって来る状況だ……咄嗟
の回避は難しいが、映像が鮮明になってから まがつき の回転速度が明らかに低下し、反応
出来なくもない速度になったのは…… そういう事 だろうな……時間はあと03′18″05か。
右から来る障害物を回避し切れず上空に弾かれた時も何度かあったがトップスピードを維持
している時間の方が長い…… 玉宮の能力 について語ろう…… 5名の参加者 の内、本当
の意味で 能力 と言えるのは《流浪》と《潜在》だけだ……俺の《寄生》、鶴木の《分裂》
は 生態上の行為 に過ぎず、それをゲーム用に手を加え回数制限を設けた…… 玉宮の本来
の能力 は回数制限が無い……現に玉宮は その能力 を無制限に使っている……スライドパ
ズルを解いている間、もう片方の手が暇だからと、けん玉を一度も落とさずに素早い手付きで
好き勝手に動かしていた……それも無意識同然でだ…… 一度その感覚を掴んでしまえば、そ
れを自在に動かせるようになる ……人間の手の形状と動作は複雑だ……それを玉宮が自由に
使える時点で 自身の能力 を存分に振えてしまう……それも ゲームの能力 を発動せずに
だ…… 自分の身体を動かしている だけだからな……さて、所々危なかったが……見えて来
たぞ ゴールドリング が……このリングは まがつき から、そこまで離れてはいない……
よってリングを潜るには高度を下げる必要がある……リング自体は大きく、内側のすぐ傍を潜
るだけなら簡単だ、そもそもこのリングは1周した事の目印……上を通過するだけで十分……
そんな考えをリングの中央に新しく出現した、小さな虹色のリングの輝きが遮る……角ばった
部分は一切無く、曲面のみで構成されていて、 やみつき が潜るには大きさが少々ギリギリ
だな……こんな代物を見せられてしまったら……この速度を維持していれば、 そのタイミン
グ まで、あと僅かだな……あの レインボーリング を潜る為にはどれくらいの入力でどの
スティックを倒せばいい? どのように仕掛けを動かせば自分が望む結果を得られるのか判っ
ていても、 その仕掛けへの力加減が確実に出来る とは限らない……それが確実に出来るの
が玉宮で、俺は中央のリングを潜る可能性もあれば、リングの上か下を潜る可能性もある……
決断すべき瞬間が迫る最中、視界の右側に例の障害物が見えた…… レインボーリング を潜
れるタイミングは今だ、と思っていた矢先にだ……今ここで降下すると、この障害物にぶつか
る可能性がある……衝突するかは微妙な速さだ…… やみつき がリングに近付く頃には通り
過ぎている可能性もある……潜る事自体を諦める、それも選択肢になるが……今、俺がやって
いるのは ゲーム だ…… 参加している方のゲームは命懸け なのに対し、こっちは失敗し
ても何のペナルティーも無い…… 負けた という結果が突き付けられるだけだ……もう一度
言おう、これは ゲーム だ……それも 二度と訪れる事の無い、一度限りの勝負 だ……リ
スクが無いからこそ、全力を注ぐ事が出来る……その全力の結果が形に残らないものであろう
と、 勝利 という結果を掴む事が出来る……よって俺の次の行動は……もう決まっている、
スティックも既に倒した……後は結果を見るだけだ……さて、 玉宮の能力名 についてだが
……俺がこの黒い箱を手にしてから、 やみつき にずっと行っている事もそうだが……問題
の障害物は やみつき が降下した際、上手い具合に収縮し激突の危険は去っていた……あと
は レインボーリング を潜れるかどうかだ…… 玉宮の能力 は、 あらゆる道具や仕掛け
を意のままに扱えるようになる …… 一度その感覚を掴んでしまえば、それを自在に動かせ
るようになる …… 力加減の調節 は副次的だな…… ゲーム内 では対象が実行可能な範
囲で、 その対象を意のままに操れる能力 となった……さて、 やみつき の身体がリング
の傍……要するに、 玉宮の能力 は《操作》だ……ここで勝負の結果が明らかになったな。
隆起した障害物が収縮し、 やみつき が通った瞬間は互いの距離が絶妙……つまり余裕が
無く、浮上が遅ければ激突していた……微調整の為、緩やかに浮上したが焦って急浮上してい
れば、こうして レインボーリング の中央を潜る事も無かったな…… ゴールドリング が
最初に弾けた時と同じ効果音で幾多の光の粒子となって砕け散り、 レインボーリング の姿
が薄れながら拡大を始めたのは、その後だった……何かが広がって行くような効果音も聞こえ
るが、この音は…… ゴールドリング 出現時の効果音を逆再生した可能性も……そう考える
内に レインボーリング は消え去り、 やみつき を朧げに包んでいた炎の勢いが増して行
き、影の濃さも中心部の やみつき が見えないほど鮮明になった……この間、 やみつき
以外の映像内の時間は停止した状況だが……炎の動きも同じように停止したと思った次の瞬間
その炎の影が デフォルメされていない、やみつきの姿 になると映像内の時間は動き出し、
リングを潜った瞬間のポーズのままだった やみつき も完全に浮上し、全身を炎で包み始め
たが……その炎は金色ではなく、鮮やかに輝く七色が炎の中で漂う虹色だった……操縦を続け
ようにも手元にあった黒い箱は消滅し、残り時間の表示も消えていたが……俺の身体は問題な
く動かせたので腕を楽にし、 まがつき の周囲を優雅に飛び交う、 やみつき の姿を眺め
る事にした…… プラスチックの飛行機にデフォルメされた、やみつき と違い、 このやみ
つき は首も尻尾も翼もよく動く……それが縦横無尽に空を駆け、時には急降下し急浮上……
見ていて気持ちがいいな……そんな光景がしばらく続くと思っていると突然 メニュー画面
が青紫色の煙を上げ始め、紙が燃えるかのように綻び始め朽ちて行き……紙の下に隠れていた
かと思える様相で残り時間が現れ、少し大きめに 00′00″39 と表示されたかと思うと……
次の瞬間、俺の足元には不気味な青さを少し帯びた真っ赤な光の池が広がっていた……溶岩の
ように泡立つそれは明滅し、表面には建物の残骸が浮かび散乱し、粘着質のある泡と、それが
破裂する音の中で揺れ動き……やや遠くから、さっきまで散々聞こえていた騒音がするが……
その方向には、 まがつき がいて、建物を粉砕しては巻き上げながら移動していた……あの
荒れ狂う竜巻の中にさっきまで俺はいたんだな……今や外に放り出された状況か……現在時刻
を見れば5時32分……《潜在》中だが アイツ には聞こえる仕様……まずは、こう呟くか。
「すっかり、楽しませてもらったよ……」
そして俺は少し大きめで感情の込もった、叫びと言う程では無い声量で……こう言い放った
「 ゲームマスター ……!!」
それから俺は、 まがつき のいる方向を目安に歩き出した……《潜在》発動中の為、建物
の残骸が直撃する位置に来ても通り抜けるだけだ…… まがつき が途中で大きく逸れる事は
無く、俺の歩みは直進となった……遠目で見ても まがつき は恐ろしい速度で移動している
……同じような場所にすぐ戻り、それが次第に早まっているような軌道に思えて来た……この
まま6時まで観察してみるか……現在時刻は5時48分……以前、拠点にしていた屋敷の残骸を
少し前に見かける……巻き上げられてから上空に飛ばされるのが早かったのか、粉砕されずに
大きな残骸で浮かんでいた為、一目で判った……更に進むと、学校の表札の一部を見付けたが
……これは、 まがつき が 有明高校 に到着する際に避難した隣町の学校のものだな……
遠くの まがつき はある程度の範囲を往復しているようにも見えた……現在時刻が5時57分
になったが、やはりか…… まがつき はさっきの空飛ぶスライドパズルが描いた蚊取り線香
の軌道を地面の抉り残しが無い形で描き、最初は 有明高校 を出発し、その周辺から遠ざか
り……最後には戻って来る軌道だったな……つまり 有明高校 から離れた場所にある光溜ま
りの外側を進んで行けば被害を受けない……最終的には 有明高校 を中心に、何十キロメー
トルにも及ぶ、湖のように広大な光溜まりが出来上がる軌道だ……現に俺の周りには地面が無
く、あの不気味な青みを帯びた真っ赤な血がそのまま溶岩になったような光景が建物の残骸が
あるとはいえ、延々と続いていた……どこを見ても、どこまで行っても……世界の全てがこう
なってしまったのだと錯覚しそうな程、広がっている……光溜まりの外側を進めば、いずれ陸
地に辿り着くが、最早その必要は無い……現在時刻が5時59分から……6時になった。これで
俺は 生存 か……そう安堵すべきか考え始めると、 メニュー画面 にメッセージが届いた
「 ステージ3あかつき 、まもなく終了……ここまで生き延びた貴方を 特等席 へ御招待
互いに危害が加えられる事のない会話出来る場所へ……このメッセージが閉じたら移動開始」
今までのメッセージは履歴で確認出来る為、この OK のボタンを押さなくても遠からず
閉じられる為、キャンセルは出来ない……ではボタンを押して 特等席 とやらに移動するか
「来てやったぞ…… ゲームマスター !! 絶えず飛来する 赤いトゲ 、次々と厄介な存
在を生み出す赤い渦……幾度と無く死を覚えたが……運は私の味方だったようだな!! 目の
前には まがつき の姿があるが……こんな所に連れて来て、一体何を披露する気なのだ?」
鶴木駆[つるぎ かける]。 ゲーム内では有明高校一年 で短めの緑髪に眼鏡を掛けた、
見ての通り元気な声で叫ぶ、威勢はいい男だ……何だかんだで 生存 していたようだな……
「目の前にいるのは、 まがつき ……あたし以外の 参加者 はいない? それとも……」
玉宮明[たまみや めい]。 ゲーム内では有明高校一年 でピンク髪のツインテール……
玉宮も鶴木も自分だけが連れて来られたと思っている様子だな……俺に2人が視えるのは有難
い 優遇措置 だ……《潜在》が強制解除されていないのも俺が好きな時に解除出来るという
事……今解除しても互いに視えはしないがな……状況は俺と玉宮と鶴木が まがつき を取り
囲み、地上を見下ろすように、かなりの高さで上空に浮かんでいる…… まがつき は 有明
高校 と思われる地点で獰猛な回転を続け、空を覆う雲は まがつき の纏う煙と同じ色に染
まっているが……その雲の間から不意に、白い光の筋が1つ、また1つと雲を突き抜け増えて
行き……遂には大きな穴を開け、光の束となって、 まがつき を照らし始めた…… まがつ
きは6時の朝日を浴びるまで止まる事は無い ……その朝日を浴びた今、 まがつき は一体
どうなってしまうのか……次の瞬間、 まがつき が纏っていた積乱雲のように分厚い煙が、
一瞬で蒸発してしまった……最初から無かったかのように跡形も無く……ここで鶴木が叫んだ
「な……何!? あれ程まで在った規模の竜巻が……一瞬にして消滅しただと!? それに何
だ、これは……か、身体が……吸い寄せられる……!!」
まったくだ…… まがつき は竜巻の部分を含めれば直径4キロメートルは下らない……回
転している為、1ヶ所に日光が当たっただけで全体に当たる事にはなる……だが余りにも……
あっけ無さ過ぎる……鶴木だけでなく、俺と玉宮も まがつき の傍に急速に引き寄せられた
「これが まがつき の本体……竜巻の外側から結構移動したけど、近くで見れる何て……」
玉宮がそう言ったが、1キロメートル近くは移動しただろうな……高さも調節され、 まが
つき を程よく見下ろした位置だ…… まがつき は例の真っ赤な輝きを放ってはいるが……
「赤き輝きを放ち独楽のように回転していたとは興味深いが……回転が弱まっておらぬか?」
鶴木が言うように朝日を浴びた、 まがつき は急激に回転速度を落とし、全体の形状が把
握出来るまでになった……陽の光に照らされても、やはり不気味な青さを帯びた真っ赤な岩石
に見えるな……その色と同じ光を今も放っている、 まがつき だが……ここで玉宮が言った
「相変わらず、鼓動の音が力強い……それに、どんどん早く……あれ? 何だかやけに……」
まがつき の鼓動は早さを増して行ったが……このリズムはおかしい。その鼓動に混じり
一定周期で訪れていた 青い光 が、壊れた電灯が点滅するような不安定な周期で光るように
なった……俺は少し前に、 まがつき が鼓動する様子を観察していた……だからこそ膨らむ
箇所が、まるで出鱈目なのが判る……同じ場所が何度も続けて膨らんだり、過剰に収縮したり
……こんな事は一度も無かったぞ…… まがつき の表面は乾いた岩盤のような質感だったが
艶やかな光沢部分が至る所で確認出来た……表面が少し溶けたのだろうか? 朝日を浴びた事
により、 まがつき の身に変化が起きている……そして乱れる鼓動が一瞬だけ収まると……
「ぬぐぁわぁ!!」
「相変わらず、すごい光の量を放つなぁ……声も聞こえる……これは男性……それとも女性?
複数の声が別々に聞こえる感じもするけど……何だかとても、苦しそう……」
鶴木が驚き玉宮はそう言った…… まがつき は陽の光に苦しむかのように不気味な悲鳴を
上げ、その悲鳴が弱まると赤い光も弱まり……また同じ悲鳴を上げ、強烈な赤い光を放つ……
それが何度も繰り返される内に、赤い光の強さも声の大きさも、次第に弱々しくなって行った
「弱って来たのかな……でも、部分的な膨張と収縮は続いてるし、さっきより激しくなってる
……なんだか分厚い袋の中に入った何かが暴れ回るのを眺めてる気分になる光景だなぁ……」
「流石の貴様も叫び疲れたようだな まがつき よ! ぬ。な、何なのだ……この声は!?」
玉宮が淡々と まがつき の様子を述べる中、再び鶴木が驚いた……玉宮は先程、男性と女
性の悲鳴が混ざって聞こえると報告したが……もう赤い光を放つ力が残っていない程、勢いを
失ったかに思えた、 まがつき の叫びに……獣のような野太い唸り声が加わり主張を強めて
行き、金属音のような高さの鳴き声まで聞こえるようになった…… まがつき の足元は例の
光溜まりが広がっているが……唸り声は液体の中から何かが表面まで込み上げ、気泡となった
時の音と言うのが手っ取り早く、金属音の鳴き声は微かに聞こえる程度……光溜まりも朝の日
差しを浴び、激しく沸騰しているのが、この高さからでも判った……やがて玉宮がこう言った
「何て言えばいいのかな……聞いている、あたしまで痛々しくなって来る……そんな声を上げ
ながら、中にいる何かが外へ出ようと暴れ回るかのように表面をボコボコさせて、最後の力を
振り絞って、辛うじて内側から輝いてるような感じになってて、 青い光 は相変わらず乱暴
に点滅を繰り返してるし……おまけに一度に膨らむ大きさが何だか全体的に……って、え?」
「ぬぉうわぁ!! どうしたのだ、 まがつき よ!! 身体の一部を自らの半分……いや、
それ以上に膨らませ……一体、何をする気なのだ!?」
鶴木が声を張り上げそう叫んだが、 まがつき の様子は一目で異常だと判るな……今まで
何度も身体の一部が膨張してはいたが、この膨らみ方は尋常では無い……それも人間の男女の
声が入り乱れ、獣の低い声に金属の音が耳元を過ぎる状況下でだ……身体の一部が膨らみ始め
それが自分の身体と同じ大きさに迫りそうな、 まがつき の姿は異様な存在感を放っていた
「破裂と言うより爆発……あのやけに鮮やかな青い液体が、決壊したダムから溢れ出す勢いで
……他の膨らみの部分も次々と……この液体が まがつき の血液なら、まさに血だらけ……
今も 青い光 を壊れたように放って身体全体で暴れ回ってるなぁ……そんな姿なのに……」
「地上に広がる赤き光の中へ、その血を注ぎ、滴らせるか……その瞬間を間近で見たいものよ
……もっとも、この高さで、それを見るのは叶わ……おぉ、これは……気が利くではないか」
玉宮と鶴木が報告したが、 まがつき の周囲にあった竜巻の直径は黙って4キロメートル
…… まがつき 自体の直径もキロメートルの単位が使える規模はある……一番大きな膨らみ
が破裂し、中から重たく粘着性があり黒いようで鮮やかな青い光沢を放つ液体が地上の光溜ま
りへ、滝のように注がれて行ったが……鶴木の言うように目で追えば、地上の光溜まりと合流
する際の様子が メニュー画面 に表示された……真っ赤な光に青い液体……2つが混ざれば
紫色になるのが自然だが……結果は、光溜まりが固まり始め……岩石のような質感になり、注
がれる青もお構い無しで最初から持っていた青みと真っ赤な色を維持していたが……安定した
明滅の周期は見る影も無く乱れに乱れ、悶え苦しむかのように沸騰する岩盤と化し……遂には
その岩盤も異常に膨れ上がった部分が出来、膨らみが破裂すると、 まがつき と同じ青い血
を吐き出した……破裂する岩盤の膨らみは次々と生まれ、今や真っ赤な岩盤が沸騰し、至る所
が膨らんでは弾け、青い液体を吐き出す存在と成り果て……その間も膨らみ過ぎた部分の出血
が続く まがつき の青い血液が、沸騰する岩盤に幾度となく降り注いでいた……だが、更に
「本当に……もがいてるのか苦しんでるのか……色んな生き物の声を出しながら、叫びながら
……どんどん血を流し続け……身体全体で暴れに暴れて変形を繰り返して……そんな姿を宙に
浮かべ続け……また、その赤い身体のどこかが膨らんで……え? この色って…… 青 ?」
玉宮がそう報告し、 まがつき の身体の一部が再び、自分の身体の半分以上の大きさに膨
らんだが……その膨らみは、やや青みのある真っ赤な色ではなく……どす黒いようで鮮やかな
青色になっていた…… まがつき の血液と同じ色だが内出血と考えればいいのだろうか……
「内出血で青くなった膨らみが破裂したか。吐き出された血液の色は…… 赤 だと……?」
鶴木の視線は上へ下へと忙しく、玉宮はこの まがつき の変貌を固唾を呑んで凝視してい
る……よって今、呟いたのは俺だ……朝日を浴び続けた、 まがつき が、血の色まで変化し
た事になる……青みのある真っ赤な色は知らない色では無いが……この異変に鶴木も気付いた
「い、一体……どうしたのだ!! まがつき よ……貴様の血液の色は青では無いのか!?
膨らんだ箇所が次々と青黒くなり、赤を吐き出している……何が起こっているというのだ!」
それは俺が聞きたいぞ鶴木……さて、青い血を吐き出しながら沸騰する赤い岩盤に、 まが
つき の赤い血液が合流する様子を眺めていたが……大きく亀裂が走るような音と共に岩盤が
突き出し、放射状に枝分かれするような形でどんどん広がって行き……所々が太く、細い箇所
もある、この外見は……まるで 血管 だな……その変わり果てた岩盤が太陽の光に照らされ
ると……硬い岩盤が出したとは到底思えない、体液を湛えた柔らかい何かが潰れた時のような
音と共に隆起部分が一斉に割れ、本物の亀裂が入った……割れた部分は青い血液が地面まで、
にじみ出たかのように染まり、吐き出される血の色は赤かった……まだ岩盤になっていない光
溜まりに赤い血液が来ると沸騰が激しくなり、色も次第に薄くなって行き……泡だらけの部分
が形成された頃にはその形が定着し、赤い色味をある程度残した透明感の強い集合体となった
「 まがつき の身体の一部が膨らんで……その部分がまた膨らんで……その膨らんだ部分の
一部が膨らんで……今度はその膨らんだ部分の一部が大きく膨らんで……もう、何が何やら」
玉宮がそう言いながら頭を抱え始めた…… まがつき は収縮する事を忘れ、膨らんだ部分
の一部が更に膨らみ、それが幾重にも起こり……沸騰した泡の表面が更に沸騰すると言えば、
解り易いが……その泡の表面の一部が更に膨らむ上に、元の泡よりも大きくなったりと出鱈目
にも程があるぞ……そんな現象が まがつき の至る所で相次いで発生している……最初は赤
かった身体が、どこまでも歪な形状をした青黒い塊の群れに埋め尽くされた、この生物は……
今も、 まがつき と言えるのだろうか? そんな疑念を他所に まがつき の成れの果ては
余りに歪で暴力的な変形を続ける中、全身を辛うじて輝かせる赤と青の光を微かに放っていた
「何にせよ奇怪な悲鳴は今も継続しておるな……朝日が余程、苦しいと見える……まだ膨らむ
か? まがつき よ……ぬ、膨らみが収まったか……次は何……をぅおぉう!!」
鶴木が最後の方で驚きの声を上げたようだが……かき消された。最初に聞こえた時からずっ
と、 まがつき が悲鳴を絶やす事は無かった……それは男性の叫び声であり女性の叫び声で
あり、獣が唸る声でいて金属音のような鳴き声であった……それらが今、圧倒的な声量となっ
て発せられていた……どれくらい人間の男女がいれば、ここまで高低音が入り乱れた断末魔を
放つ事が出来るのだろうか? どれくらい巨大な獣が吼えれば、この鈍く重厚な咆哮を成せる
のだろうか? こんな身の毛のよだつ金属音を出す生き物は果たして存在するのだろうか……
そんな疑問を滅多刺しにする確かな存在感を不気味に放つ音が、新しく聞こえるようになった
「何……これ、は……? 身体が……皮膚が、引き千切られるような……これは、声なの?」
玉宮が言及した その声 は一連の悲鳴の中で最も全身を駆け巡っている事を痛感する音で
今にも破れそうなほど肌を震わせ、腕どころか身体までもが吹き飛ばされそうな感覚に陥る音
であり、身体中の全ての組織を脅かし、脊髄にヒビが入りそうな、この感触が何よりも恐ろし
く、この音は生物が発する有機的なものなのか、人工物などの無機質な物体が出せるものなの
か……俺には解りそうにない……このまま浴び続ければ、身体が吹き飛ぶ前に命が吹き飛びそ
うだな……こんな悲鳴を発している、 まがつき 自身も命が削れているだろう……そう思っ
た次の瞬間、 まがつき が真上から真っ二つに分かれ、それと同時に悲鳴は止んだが、水分
を蓄えた肉の塊と、その筋繊維を無理矢理引き千切ったような不気味な音が、耳にこびりつく
ように聞こえた……真っ二つと言っても、下側の部分がある程度残り、分かれた部分は重みで
反り返り、開かれた断面からは大量の血が……出ていない。今まで散々出血を続けた為、遂に
全ての血液を出し尽くし、空になっていた……剥き出し状態の、 まがつき の身体の内側に
朝日が入り込むと、 まがつき は水晶のように透明になったり、不透明で金属のような質感
になったり……これは木材……いや、プラスチックか? これは動物の皮膚……果ては半透明
のゼリーになったり……質感が変化する順番に法則性は無いようだが、いずれの状態も固体で
青黒い色自体は維持されている……質感の重複が目立ち始める中、 まがつき は落下して行
き、変わり果てた光溜まりの広がる地面が迫るに連れ、身体の表面がかなり溶け、液体に近付
いているように思えた……そして血管のような形状が放射状に広がり、赤い血液を吐き出し傷
口が青黒くなった岩盤の上に落下するも、 まがつき はその衝撃で岩盤を突き破る事無く、
傷付いた岩盤が まがつき との接触部分を、腐って柔らかくなった果実を押し潰すかのよう
に着実に変形させて行く…… まがつき の質感変化は今も続いているが、どの状態も酷く溶
けている印象が強く、 まがつき が今まで維持していた形が崩れ始めると、全体が歪み始め
たが……これは変形ではなく陽炎と同じ現象だな…… まがつき の今の質感は金属……表面
は液状になり、体積を急激に減らす勢いで溶けているが音は一切しない……どうやら、 まが
つき は透明な気体になり、その気体が まがつき の姿を歪ませているようだな……あれ程
暴力と狂気で満ちた音を放っていた まがつき が……音を出さない。もう、 まがつき は
何も叫ばない、自ら身体を変形させる事は二度と無い、身体からトゲや血を吐き出していたの
も過去の話だ……さっきまで何らかの 生物 だと認識出来た まがつき は最早、 静物
であり、得体の知れない 物体 に過ぎない……地面である岩盤は、まだ活発に泡立ち、赤い
血液を吐き出し、それが まがつき にも掛かった時の音が、微かに響き渡った…… まがつ
き の液状化もかなり進み、今は水晶か……もう身体と言える部分は僅かだな……残っている
部分も、まもなく見えない気体となって消えて行くだろう……そして まがつきだった何か
が完全に蒸発した後、そこに広がる何も無い空間を眺めながら、俺はこう呟いた。これが……
「 まがつきの最期 ……か」
「最後の最後まで……狂ってた……何もかもが、おかしかった……そんな存在、だった……」
俺と玉宮の言葉は同時で、玉宮の言葉が終わっても鶴木は何も言わなかった。理解が追い付
かないのか、驚き疲れているのか……その後は俺も玉宮も、言葉を発する事は無かったが……
「この……音……は……」
まがつき が まがつき で無くなり、 この世界 から消え失せるまでに起きた出来事
の余韻に浸るには十分な時間が過ぎた頃、音が聞こえて来た……玉宮に続き、鶴木が発言した
「何故……今、この音が……だが、なかなか……懐かしいものよ……」
同感だな……疲れ切った頭と身体に流し込むには、いい音だ……俺も玉宮も鶴木も……何度
も聞いた事のある音だ……最後に聞いてから、そこまで時間も経っていない…… ステージ3
あかつき と このゲーム 終了の合図に相応しい金属の音色が、心地よく辺りに響き渡った
「このいつまでも続くと思える鐘の音の旋律よ……最初に聞いた時、私は感動を覚えた……」
「一体……どこから……? 何で…… 有明高校のチャイム が……? でも懐かしいなぁ」
鶴木と玉宮がそう述べた……4時間ほど前なら同じチャイムを鳴らす学校が、あったんだが
な……チャイムは一番長い時のものか……俺も玉宮も鶴木も空中に浮かんだ状態だが、徐々に
高度が下がっている……落下する速度とは程遠く、俺ら3人の間隔を調節していて地上までの
距離がまだある中、チャイムが終わると同時に降下を停止……再びチャイムが鳴ると、右側か
らブロックノイズが現れ物体を形成しながら左側へ広がって行き、床と壁……つまり 部屋を
描画 し始めた……今度のチャイムは一番短いもので、鳴り終わると同時に部屋の描画も収ま
った……その床と壁には見覚えがあり、右側の壁の両端にはドアが2ヶ所……天井と前方の壁
は描画されず、床と壁が左上の角へ行くに連れブロックノイズのまま描画が途中で止まってい
るのに対し、下から上に線で走査するように描画された黒板と教壇は完全な形状か……俺から
見て部屋の右後ろの隅には掃除用具を入れるロッカーがあるが、その周辺の描画は完全で、後
ろの壁は左側が斜めに途切れた形状……要するに、この部屋は箱の6面の内、底と右と後ろの
3面だけが描画されている……黒板は浮かんでいるが左側は窓すら無い……さて鶴木が言った
「な、何だ……? 鐘の音が終わったと思えば……ここは 教室 ……? いつの間に……」
チャイムの音に聴き惚れていたとはいえ、自分の体が動かされ、何も無かった場所に部屋が
形成されたのを今まで全く気付かなかったのか……まぁここまで来れば、それくらい油断して
もいいが……そんな感知力でよく 生存 出来たな……玉宮は床が途切れた場所まで足を運び
空中部分に足が進まない事を確認すると鶴木の背後に移動し……腕を大きく引いて鶴木の後頭
部目掛け拳を放ったが……後頭部手前でその拳が動かなくなったのを見て玉宮は、こう言った
「やはりここは 参加者同士が互いに危害を加えられない空間 のようですね……大人しく席
に座ってますか……内の 学校の教室 と内装は同じですが、広さ自体は一回り小さい……」
「久方振りの再会に随分と乱暴な挨拶をするではないか玉宮よ……最後まで別行動だったな」
鶴木がそう返したが、ここでは互いの姿が見えていて危害を加える事が出来ないんだな……
俺は今も《潜在》を発動中だが、いい加減解除しようと思いロッカーに入った…… 身体のど
の部分にも障害物が重なっていない状態 が解除の条件で、こうして狭いロッカーの中で直立
し、身体の一部がはみ出た状態では解除出来ず、身体がロッカーに収まった状態なら解除可能
……背の高い俺にこの体勢は少々辛いが、これで条件は満たした……ロッカーに入らなければ
こんな小細工をせずとも解除出来たが、《潜在》の消費を見せない為だ……会話は続いていた
「5時以降は鹿々身さんから連絡が無くて、 まがつき 自身が放つ 赤いトゲ や かみつ
き団子 などを吐き出す頻度が増えた程度で、たまに鶴木さんと連絡を取ってはいましたね」
「なかなか会話する時間の確保が叶わなかったが、鹿々身が 死亡 していた場合、 報酬
の分配に関して相談するという所まで進めていたな……しかし、この様子では鹿々身は……」
玉宮の後に鶴木がそう言い始めた頃……俺は《潜在》を解除しロッカーの扉を手で押し始め
問題なく開く感触を確認すると、少し大きめの声でこう言いながら、思い切り扉を開け放った
「それは出来ない相談だな……見ての通り、俺は 生存 だ。降下中に横移動出来ないか試し
ている内に妙な方向に引き寄せられ……こんな狭い場所に押し込められる羽目になったがな」
「 死亡 したと見せかけて、あたしが鶴木さんを仕留める展開を狙う事にしたんじゃないか
と思ってましたよ……これで、 参加者3名の生存 が確定……ですね」
玉宮が間髪入れずにそう返している間に俺は席に座ろうとした……机と椅子は最初から出現
していて黒板側に3つ、後ろの壁側に2つ並んでいた……俺は一番近い、壁側右の席に座ろう
としたが…… 席に近寄れなかった ……隣には鶴木、黒板側右の席には玉宮が既に座ってい
る為、2席の間を通り黒板側中央の席に俺は座った……もっとも、ロッカーの中に移動しなけ
れば俺はずっと、この席にいたがな……そう、 各参加者が座る席は決まっている ……着席
した俺は玉宮に返答を始めようとしたが……突然、教室のドアが開き……何者かが入って来た
「席に着いていますね。あいうえお順で出席を取りますので呼ばれた生徒は返事を元気よく」
勢いよく開かれたドアが閉められ、教壇の前に来てそう発言したのは、白いブラウスの上に
茜色のスーツを着て 有明高校 の学ランボタンと同じ白さと輝きを放つ銀縁眼鏡を掛け、濃
さも光沢も強い赤紫色の髪を後ろに束ねた 女性教諭 の姿をした人物で、女性は更に言った
「出席番号2番《寄生》。鹿々身剣也[かがみ けんや]くん」
この人物の正体が判っていなければ、余りにも唐突な事態だが……ここは素直に返事するか
「はい」
ステージ1かみつき の時はマユもこんな感じで返事をしていたな……そして点呼は続く
「次の生徒は飛ばして……出席番号3番《操作》。玉宮明[たまみや めい]さん」
「はい」
玉宮も状況を把握し、即座に返事をしたが……さっきまで俺の推測の域でしかなかった情報
があっさり公開されてしまうとはな……だが、これで席には番号が振られている事が判ったぞ
「出席番号4番《分裂》。鶴木駆[つるぎ かける]くん」
「は……はい!!」
鶴木なら、いかにもと眼鏡を直しながら答えそうだったが、そんな余裕は無かったか……こ
の目付きの鋭い女性は、真面目で冗談の通じないベテラン教師といった雰囲気だが、その手の
おふざけを何よりも好むヤツが動かしているのに気付いていないようだな……さて次の生徒は
「出席番号1番……」
呼ばれる 参加者 は、あいうえお順……1番は俺の左の席で、今まで会った 有明高校の
生徒 で次に呼ばれる可能性のある男子生徒もいる……その 参加者 自体に会った事が無く
初めて聞く名前の可能性もある……何しろ残る2つの 能力 は《流浪》と《潜在》……放浪
のし過ぎで行方不明、潜伏が過ぎて誰とも遭遇せず……それすら有り得る 能力の持ち主 だ
「《潜在》。宵空満[よいぞら みちる]さん」
俺がこうして 生存 出来たのは、あの時《潜在》の 能力 があったからだ……《流浪》
にも散々助けられたが、まさか既に会った生徒だったとは……だが宵空の席には誰もいないぞ
「宵空満さん……そこにいるのは判っています。6時間経ったのに 能力 を解除していない
のは感心出来ませんよ。もう一度言います、出席番号1番《潜在》。宵空満さん……返事を」
女性は1回目で返事をしなかった ペナルティー として、 《潜在》を弱化している情報
を公開 し、 強化した能力が他にある 事が判る発言をすると、俺の左の席に 有明高校の
制服 を着た長い黒髪の女子生徒が現れた。教師の表情から険しさが薄れている……解除は自
ら行ったな…… ステージ3あかつき で 制服 の着用が半ば強制されていたのは、こうし
て 参加者を教室に集める 都合もあったわけか……しかし宵空が《潜在》だったとはな……
今も顔を上げずに、うつむいたままの宵空は塞ぎ込んだ空気を漂わせながら静かな声で呟いた
「はい……」
宵空の表情は前髪に隠れ見えないが……今から6時間前に《潜在》を発動したなら、俺と玉
宮が、かみつきに食われている朧月瑠鳴[おぼろづき るな]を発見した時刻と概ね一致する
……玉宮もそれを察した様子で、宵空が 参加者 だった事にも驚きを隠せていない……容疑
には上がったが確証は無いに等しかった上に、《潜在》を発動してから6時間ずっとあの状態
だと思うと……特に玉宮と宵空は親しかった……マユを通して、ある程度交流のあった俺でも
この気分だ……玉宮の表情は見えているが、どこまで深いショックを受けているかは判らない
「それでは授業を始めます」
そんな空気を他所に女性がそう発言すると、チョークを手に取り黒板の方を向き、何かを書
き始めるかと思いきや、すぐにチョークを置いて黒板を背にし……再びキツめの口調で言った
「さてこうして、 いかにもキャリア積んでますオーラを放つ女性教諭 の姿で来ましたが」
その言葉が終わると女性の姿形が変化して行き……次の瞬間、 男性の声 が聞こえて来た
「 体育会系のマッチョな男性教師 の方がよかったかー? お前らぁ!!」
一目で金髪とは違うと判る濃くて光沢の強い黄色の短髪で、茜色のジャージ越しでも筋肉質
に見える体格をした大男が威勢のいい声で叫んだ……ジャージの線は異様な輝きを放つ白だが
玉宮と宵空が着ている 制服のスカーフ と同じ色合い……そう考えている間にまた姿形が変
わって再び女性教諭になったが……さっきより背がやや低く少し細身で、眼鏡も違うものだな
「そ、それとも…… 新任でまだ自信の持てない気弱な女の先生 の方が……よ、よろしかっ
たです、かぁ……?」
不安げで頼り無い声でそう言った女性は、濃い水色で光沢の強い長い髪を編んで右肩に流し
服装はさっきの女性教諭の時と同じだがブラウスのボタンを掛け間違えていて落ち着きの無い
性格が表れ、紫のアンダーリムの眼鏡が不意に落下し拾い上げようとした時、姿形が変化した
「それともかみつきの姿で大きな眼鏡を掛けた かみつき先生 の方がよかった、かみぃ?」
また眼鏡キャラか……と言いたいが、人間以外になるとは驚きだ……この かみつき先生
は ステージ1 のかみつきが発生した直後と同じ、やや淡い青紫色……眼鏡は最初の女性教
諭の金属製の銀縁眼鏡を茜色にし、自動車並みの体躯から更にはみ出す大きさまで拡大したも
のだな……次々と姿形を変える得体の知れないヤツだが、正体なら判り切っている……一連の
事態に鶴木は驚きもせず漠然と眺めていた……玉宮はすっかり意表を突かれたようだがな……
「ちょ……!!」
笑いを堪え切れず一気に吹き出したが余程ツボだったのか……玉宮は腹を抱えながら続けた
「か、かみぃ……って。かみつきだから語尾にかみぃって……もぉ マスター 安直過ぎ!」
玉宮はいい声と表情で笑い続けている…… かみつき先生 の方は口を上側にし、持ち上げ
られたように浮かび上がっているが……ここで、 かみつき先生 とは違う声が辺りに響いた
「ではでは改めまして…… ステージ3あかつき クリアおめでとう。 参加者 の皆……」
かみつき先生 が若干潰れた感じのやけに高い声だったのに対し、聞こえて来たのは男性
とも女性とも取れる 中性的な声 ……相変わらず鶴木は驚かない…… 平常時の声 だしな
「人間の世界はどうだった? ゲームの目的もいいけど……せっかくだから遊べる時は遊んで
欲しかった…… 参加者同士の殺し合い が全然無くて、この席には2名どころか4名が座る
結果になっちゃって……でもやっぱり、ここまでゲームに参加してくれたんだから嬉しいな」
続けて響いた声を他所に、大きく膨らんだ かみつき先生 の身体の所々に入ったヒビから
赤、緑、青の3種類の光の筋が出て、ヒビと筋は今も増え……更に膨れ上がったと思った次の
瞬間、この教室どころか今は無き 有明高校 の校舎を派手に吹き飛ばしそうな規模の大爆発
が巻き起こり、辺りが激しく燃え盛る赤い炎に包まれ……次第に氷のように冷たく眩い青い炎
へと変化して行く……未だに青の爆風に覆われる中……また例の 中性的な声 が響き渡った
「最初に説明した通り、 参加者が2名以下になるまで、このゲームは終わらない ……でも
まぁ今は、ゆっくりしてて……椅子も机もあるんだし」
その言葉が響く中、青い炎は弱まりながら金色に輝く火の粉へと変わり、霧が晴れるかのよ
うに消えて行くと教室や俺たちの姿が露になったが……あの大爆発にも関わらず一切の負傷や
損壊が無い……さて、この爆発に関しては色々と言いたい事があるが……鶴木が言ってくれた
「 普段の姿に戻る演出 なのは解るのだが……あれほど大袈裟な爆発をする必要性には疑問
を抱く……そして何なのだ? 今の間抜けな音は? あの爆発に相応しいとは思えぬぞ……」
鶴木の言うように今の大爆発の効果音はアニメで狐などが変身を解く際に出る煙に使うよう
な音だった……見た目と勢いは派手でも、要は煙を大量に出しただけか……さて返事の内容だ
「効果音までガチなのは普通過ぎな気がして……確かに、もうひと工夫してもよかったかな」
こうして姿を現した為、さっきまでエコーが掛かっていた 中性的な声 も普通に聞こえる
な…… この姿 なら ゲーム開始前 に、よく観察していた……まずは挨拶と行こうか……
「おかげで退屈な時間が全く無かったな……ありがとうしか言えないよ ゲームマスター 」
そう俺の目の前にいる存在こそ、俺たちが 参加 している、 このゲームの主催者 ……
ゲームマスター だ…… ゲームの定員は5名 ……俺が誘われた時は残り4名……俺の次
に 参加登録 したのは玉宮……いや、出席番号3番《操作》だな…… ゲームマスター の
髪は地面を引きずる長さだが、常に下から風に吹かれるような動きで浮き上がっていて、正面
から見て左側が白く右側が黒の2色に分かれた色味の無い完全な白と黒のツヤのいい髪だ……
右目はライムグリーンのように明るい黄緑色で左目は濃く深い紫色……どちらも透明感が目を
引く宝石のような輝きを放つ瞳だが、右目側の白い前髪は腰に届きそうなほど伸びていて顔半
分が隠れているが ゲーム開始前のキャラクター設定 の際に俺が右目辺りに視線を注いでい
ると髪をずらして見せてくれたので判った…… ゲームの参加者 同士での事前の顔合わせは
無かったが、俺が設定している間は姿形を何度も変え、 ゲームマスター が教室に入って来
てからの行いに鶴木は無反応同然……玉宮と鶴木の前にも個別に現れ、何度も変身していたな
「さてさて本題に入る前に……」
再び発言した ゲームマスター が腕を伸ばし手の甲を下にすると……手の平の上で内側の
金属部分から外側のカバーの順で機械を生成するように何かを創り始めたが……服装の説明を
しておこう……前後が2色に均等分割されたローブで袖は長く、今も手首が辛うじて出ている
……正面は黒に近い黄緑色、背面は白に近い紫色で、色の境界線は正面から見て右側が手前に
来るように傾いている為、左腕側には背面の色もある……ローブの裾には、やや縦長の菱形の
タイル24枚が隙間無く1周して並んでいてタイルの光沢は強く、見る角度によって色が変化す
る銀色だ……俺がタイルの枚数を数えようとした時は1枚目を目立つようにしてくれたな……
ローブの中身だが このゲーム では、 その世界の主な住民と同じ姿になって活動 し、今
説明中の姿も このゲーム用の姿 …… 人間形態 だと言っていた事から察しは付く……さ
て手の平から少し浮かんだ位置に生成された、その物体を見た鶴木が唖然とした表情で言った
「 蟹 だと……?」
造形がリアルで本物の蟹のようだが間接などの隙間から見えるプラスチックの骨組みや色の
塗りムラから、作り物の玩具と判る……髪と服装を終えたので次の説明だ……絶えず値が変化
する0と1の数字だけで構成されたリングが ゲームマスター の胴体から広がったような幅
で浮遊し……リングを横から見た縦軸の回転頻度の方が多いが、胴体を正面から見たZ軸にも
回転している……数値の色は単一だが徐々に変化して行き……赤、橙、黄、黄緑、緑、青緑、
青、青紫、紫、赤紫そして赤に戻り1巡だが……同じ回転挙動をするリング状に浮かぶ物体の
群れがもう一組ある……たまに軌道上の回転が逆行したり停止同然まで速度が弱まるのも一致
するが……トランプや花札などの 札 。けん玉、ルービックキューブ、積み木などの1人遊
び用の 玩具 。将棋盤、チェスボード、ビリヤード台などの 盤 ……それに使う 駒 の
4種類に変化する物体が並び、変化の規模と頻度はバラツキが激しいが4種の比率は常に札、
駒、玩具、盤の順を保ち、盤などは縮小サイズで変化する……身長の話もしよう……俺が一段
と高く、鶴木、宵空、玉宮と続くが……マユの背は鶴木よりも少し高かったな…… ゲームマ
スター は宵空と同じくらいの身長で、顔も手も俺たちと変わらない 日本人の肌の色 だな
「やや、何やら元気が無いでござるな? しかし、吾輩が来たからにはもう安心でござる!」
そんな ゲームマスター が創りたての蟹を片手に宵空の所まで出向き……自分の顔の前で
蟹を揺らしながら、そう言った……演技が込められた男性の声になっていたが、この声は……
「さぁ、気持ちが沈んだ時こそ、気晴らしが大事でござる! その役目……吾輩が承ろう!」
続けて発せられた、この声はローニン・リザードの上映期間中に公式サイトで無料配信され
ていたローニン・クラブの主役である……ローニン・クラブを担当した役者の声だ……宵空も
動画を観ていたのは判っているが……台詞の度に画面中央を陣取るローニン・クラブが手で揺
らされ、結構な頻度で役者の親指が映っていたな…… ゲームマスター が宵空の机の上に蟹
を置くと教壇の前に戻って行き……宵空がその蟹の玩具に目を向ける中、ある声が響き渡った
「宵空さん」
呼び掛けたのは玉宮だった……蟹を見つめる宵空の目は空虚で、再び玉宮が声を注いだ……
「せっかくだし、さ……その蟹の玩具で遊んでみようよ……どんなに辛い事や悲しい事があっ
ても、玩具は遊び相手になってくれる……それにね、玩具だって持ち主に笑顔で遊んで欲しい
元気でいて欲しい……楽しい時間を一緒に過ごしたい……そう思ってたら、素敵だよね……」
玉宮がこんなにも優しい声を放つのは夏祭りのあの夜以来だろうか……その言葉の端々には
感情が込められていた……それが届いたのか宵空は蟹に手を伸ばすが表情は虚ろなままだった
「吾輩はローニン・クラブである」
蟹の玩具から先程の男性役者と同じ声が再生された瞬間、ハサミや脚に触れていた宵空の手
は止まったが、悲しく塞ぎ込んだ表情に変化は無く……再び動かし始めた手付きも寂しそうだ
「吾輩はローニン・クラブである」
どうやら蟹の身体のあちこちに柔らかい部分があり、そこを押す度にこの台詞が再生される
仕掛けのようだな……これで4回目か……玉宮が微妙な表情をしながら、この件を尋ねていた
「 マスター ……他に台詞、入ってないんですか……?」
「一見すると仕掛けの乏しい飽きやすい玩具……でも目を凝らして行くと……あ、気付いた」
この ゲームマスター が本気を出せば、どれほど凝った代物を作り上げる事が出来るかは
俺が まがつき の中で やみつき の操縦に使った黒いコントローラーの出来を見れば判る
…… ゲームマスター が発言を終える頃、宵空が蟹のハサミの部分をネジの要領で回すと、
硬い物が軋むようで、どこか爽快感のある音が断続的に発生し……やっと違う台詞が流れたか
「悪代官め。そちの悪行も、これまででござる!」
宵空がハサミを回し続ける間、この台詞を何度か聞く事になった……そちは公家が使う言葉
だ……浪人なら、おぬしにしないとおかしい……そんな間違いが至る所にあるのがローニン・
クラブだ……思えばローニン・リザードはその辺はしっかりしていて、発声もこんなわざとら
しい怒鳴り声ではなく、芯のある力強い声だったな……ハサミを限界まで巻いた宵空が手を離
し、緩やかにハサミが逆回転を始めると音が流れ始め……少し困惑した顔で鶴木がこう言った
「何だ……? これは? お経のような雰囲気ではあるが……歌なのか?」
さて、この音だが……ローニン・クラブが悪代官を成敗すると御用だという声が聞こえ始め
……御用と書かれた提灯が次々と現れ、画面を埋め尽くすまで増えて行き……やがて御用だの
声は音量を上げ過ぎた状態で連呼され、音量が下がり始めると画面も暗くなって行き……次に
映る場面ではローニン・クラブは釜茹での刑に処されていて、観衆達の話し声が一通り聞こえ
た後……突如、ローニン・クラブが辞世の句を短歌のように読み上げ始め、それを映したまま
白い文字でスタッフロール……最後に映る完の文字は力強い筆のタッチが無駄に迫力があった
……今、蟹の玩具から流れているのは、その辞世の句だ……映画の視聴が進むに連れスナック
を口に運ぶマユの手は鈍くなり……視聴後に響いたスナックの砕ける音が、実に虚しかったな
「吾輩はローニン・クラブである」
辞世の句が流れ切った後、宵空はこの台詞を再び流すと蟹の玩具を机の上に置き……塞ぎ込
んだ表情で大きな溜め息を吐いたが……胸の中に溜め込んだ重たいものまで吐き出すかのよう
に暗い表情が和らいで行き……長い溜め息が終わると、そこには……どこか物悲しくも多少の
明るさは感じられる、そんな表情の宵空がいた……その表情を玉宮に向けた後、 ゲームマス
ター にも見せると宵空は口を動かし始め……息が漏れ出るように微かだったが、こう言った
「ありがとう……」
その言葉で空気が静かに揺れると……宵空は再び口を動かし、低めで落ち着いた声で呟いた
「少しは……気持ちがラクになった……かな」
完全にとまでは行かないが宵空らしさは十分、戻っているな……ここで宵空とは違う声……
「大丈夫になった感じかな? それじゃあ本題…… ステージ3あかつき が終了したという
のに参加者が4名も 生存 という事態……最初に説明した通り、 参加者が2名以下になる
まで参加者同士で命の奪い合いをする のが、このゲーム…… 参加者の命が3つ以上無いと
ゲームの報酬を生存した参加者に与える事が出来ない ……あ、心配御無用……だって――」
「待つのだ。 ゲームマスター よ」
宵空の様子を見て ゲームの今後 に関する告知を始めようとした ゲームマスター の言
葉を遮ったのは鶴木だった……説明を中断された ゲームマスター は機嫌を損ねるどころか
鶴木の次の言葉を待ち望む顔になった…… ゲームの進行にトラブルは付き物 ……そのトラ
ブルさえ楽しみだという事か……やがて鶴木が発した質問は俺も疑問を感じていた内容だった
「 生存 したのは《分裂》《寄生》《操作》《潜在》の4名……となると 死亡 したのは
《流浪》の1名のみ……その《流浪》が誰だったのか未だに判らぬ……情報開示を願いたい」
もう《流浪》が誰か判ってもゲームへの影響が無い…… 能力の持ち主が死亡しても他の参
加者には引き続きその能力が使える が…… ゲーム中に参加者の安否を知る術は無い ……
こうして ゲームの主催者 が現れた今、直接聞くのは大いに有効だ……返事もすぐだったな
「じゃー……実際にその《流浪》の姿になってみようか……ゆっくり、遠回りに変身するね」
教壇の後ろにいた ゲームマスター がそう言いながら教壇の前に移動し……前述の複雑な
姿をある程度まで浮かび上がらせ瞳を閉じると、やがて姿形を変えて行き……また喋り始めた
「移動系の 能力 は回数を気にせず使えるようにしたかった……ほら、移動速度とかが一気
に上がる 能力 って、いざという時に発動出来ると格好いいし」
声は中性的なままだな……長かった髪は頭頂部を目指して引き上がるかのように縮んで行き
周囲を回る2種類のリングは消え失せ、顔の輪郭も変形し……今では 有明高校の制服 姿の
人物になっている……背丈は俺と鶴木の間くらい……今も変形中の髪が何色になるかが問題だ
「《流浪》の 能力 はその移動系だったけど……使用条件を見れば判る通り、 ゲーム用の
能力にする のは苦労したー……楽しかったけど」
全体の変形も大分収まり、髪は紫色で長さは俺くらいか……学ラン越しに見ても筋肉質な体
格だ…… こいつがこのゲームに参加登録した事でゲームが始まった んだな……これが出席
番号5番《流浪》の 参加者としての姿 ……初めて見る、その姿を俺が眺めていた次の瞬間
髪が背中を覆う長さまで伸び、色まで変わり、背も一気に縮み、筋肉質な体型から細身の身体
に変貌を遂げた……学ランだった 制服 も一瞬でセーラー服になり……男性だった性別も今
は女性だ…… この姿なら 見覚えがある……玉宮に至っては唖然とし、声を上げていた……
「え……?」
フェイントとはやってくれるな……変形する際の勢いか胸元で揺れ動く不気味な白さを放つ
スカーフを静かに輝かせては教壇の前で少し浮かぶ、その姿の ゲームマスター は閉じた瞳
をおもむろに開き始め……完全に見開くと声マネはせず、中性的な自分の声でこう言った……
「はい、これで変身完了……その様子だと結構、意外だったかな?」
浮き上がっていた長い髪も落ち着き、紫色だった髪が淡さのある水色に変わり……背は朧月
よりあるが、この低さでは俺と同じ 有明高校二年生 には見えない……クラスも一緒だった
な……《流浪》は俺も玉宮も鶴木も、 知っていた人物 だったわけか……ここで玉宮が呟く
「さく……ちゃん……?」
目の前にいるのは ゲームマスター が変身した姿に過ぎない……《流浪》が誰かを劇的に
伝える為、こんな演出をした……だが変身により現れた、その姿は間違いなく……
朔良望[さくら のぞみ]そのものだった。




