かみつき(前編)
第一章 かみつき
三日目
俺の名前は玉宮涼[たまみや りょう]。有明高校二年の男子生徒で、今は登校の真っ最中
と、言っても。昨日は日曜でずっと家にいたし、夜中には何か変な唸り声が聞こえた気もし
たが……そんな些細な事より、俺が学校に向かう途中、薄いオレンジの長い髪に、頭の髪飾り
が桃の果肉みたいな色の、同じ高校の女子生徒、朝比奈さんが歩いているのを見かけた。
その隣には淡めの水色で、朝比奈さんより短めだがそれでも腰まで届きそうな長さの髪をし
た同じ高校の女子生徒の……確か名前は、さく……
その時、俺は何かにぶつかり少しよろけた。大した衝撃じゃなかったので転ぶ事は無かった
が朝比奈さんたちに気を取られたまま歩いていたのは反省だな。
「な、何事かと思ったではないか」
声がした方に目を向けると、俺より背の高い、ちょっと強めの緑色の髪をした眼鏡の男性が
立っていた。俺と同じ制服を着てるし、同じ高校の生徒だなと思った後、俺はすみませんと一
言謝り、引き続き学校へと向かった。
学校に着き、授業も終わり、特に部活も無いので今から帰るところだ。
廊下を歩いていると黒い髪の女子とすれ違った気もするが、よく見てなかったし、今はもう
校門を出て、時計を見るともう夕方で、俺は歩きながら今日学校で聞いた事を思い出していた
数日前、内の学校の生徒が何者かに惨殺された――
その生徒は二日前から行方不明で、昨日になって発見されたが、胴体の上の部分が無く、話
によると、その断面は切断されたと言うより、何かに押し潰されてそのまま千切られたような
形状で、ネットなどの情報では犯人は巨大なハサミを使っただの、力任せに手で引き千切られ
ただの色々と言われたり、マスコミまで取材に来たりと、結構な騒ぎで慌しい日でもあった。
そんな事を思い出していると、突然目の前に淡めのさらさらとした水色の髪が現れたかと思
うと、そのまま後ろから追い抜かれる形で、女性らしき人影が走り去って行った。
今朝、朝比奈さんの隣にいた女子と同じ人だろうか? そんなに急いでどこに行くんだろう
と気になりはしたものの、俺はそのまま歩き続ける事にしたが……その後、女性の悲鳴が聞こ
えたので、さすがにその声の方向を目指し、走り出した。
まだ日も沈み切っていないとは言え、空はすっかり夕暮れで、適度に空を覆った雲と太陽の
反射で夕日の色に雲の青と赤くなった部分が混ざり合い、なんとも不気味な空模様になってい
るが……そんな夕暮れ時の日に、一体何が起きるって言うんだよ。
咄嗟に走った俺は声の主を探したが、着いた先には淡めの水色の髪を腰の辺りまで伸ばした
今朝は思い出しそびれたが、サクラさんと思われる女子がいたので、ここが悲鳴の現場だろう
「あ……あ……!!」
サクラさんは何かに怯えるような声を出していたが、その 何か が今、サクラさんの目の
前に立ち塞がっている。最初に言っておくぞ……何だよコレ。
その 何か は身体が紫色で、あちこちに足が生えていて、腹ばいに向いたその液状の身体
の半分以上は、人間のような白い歯と赤い歯茎がむき出しで……とにかく口がでかくて目も耳
も鼻も見当たりそうにない、やや暗い紫色のおかしなヤツだった。
そんな光景を見ていると、サクラさんがこっちに向かって来たかと思うと、俺に気付く事も
無くそのまま走り抜けたので、俺も逃げようと思ったその時、サクラさんが再び悲鳴を上げた
咄嗟に振り向くと、サクラさんはさっきのように怯えて、後ずさりを始めたかと思うと、腰
を抜かし尻餅までついたが……ここで俺は首を傾げる。サクラさんの目の前には何も無いのに
一体何をそんなに恐れたんだ? そう思っていた時だった――
サクラさんの腰から上の部分が一瞬にして消え、無くなってしまった。
何が起きたんだ。俺がそう思っていると、サクラさんの身体があった部分の辺りから、じわ
じわと血が滲み始め、まるでその空間には何か丸いものがあり、その外側の部分に血が染み込
んでいっているかのようにも思え、その後、残されたサクラさんの身体が、突然持ち上げられ
逆さまの宙吊りになったかと思うと、急に足が揺れ始め、揺れる度にサクラさんの身体が腰の
方から血の滲んだ空間に飲み込まれるように減っていき……もう足の先くらいしか無いと思っ
た次の瞬間には完全に無くなってしまい、サクラさんは跡形も無くその場からいなくなった。
……そんな光景に気を取られていると、後ろの方で不気味な唸り声が聞こえてきた。
振り向くと、さっきの紫のおかしなヤツが、その液状の身体から赤い煙を上げ、身体の一部
が溶けるように崩れ始めているようにも見えたが、胴体から生えた足の一本を引っ込めたり、
新しく出したりしながら、俺の方に近付いて来た……しまった、コイツがいるのを忘れていた
気付いた時にはもう遅かったのかもしれない。その身体が液状で紫色のおかしなヤツは大き
く口を開け、今にも飛びかかって来そうだったので、俺は前を向き急いで走り出した。
血の滲んだ空間はさっきより少し透明に近付いていて、サクラさんの血が、その中に吸収さ
れたようにも感じた。俺はひとまずその空間を避け、曲がろうとしたその瞬間。突然目の前が
真っ暗になり、自分の腹と背中が何かに挟まれるような感触がしたかと思うと――
六日目
お兄ちゃんが行方不明になって今日で三日。あれから、この学校の生徒だけでなく街の人た
ちにも犠牲者が出始め、あたしはこの犯人について知っておく為に目撃情報を集めてる。今日
も学校が終わったら訪問に行く予定だけど……そもそもこの犯人、ヒトじゃないんだよね。
「玉宮さん」
そんな風に教室で考え事をしてたら、桂さんが話しかけてきた。桂眉子[かつら まゆこ]
ベージュ色の髪のポニーテールで同じクラスの女の子。でも今あたし忙しいの、バイバイ。
「あ、めいちゃん!」
教室を出ると今度は、朧月さんが話しかけてきた。金色のふわふわした癖毛なのに、よく腰
まで届くくらい伸ばしていられるね……とにかくあたし忙しいんだ、バイバイ。
そうそう、あたしの名前は玉宮明[たまみや めい]。髪の色はお兄ちゃんと同じピンク色
で、噂のツインテールにしてみたんだー……ふふ、かわいいでしょ!
さてと、今から訪問する目撃者の証言を聞く前に、この二日間集めた情報を整理しておくか
実際に遭遇して逃げ延びた人の証言だと、その犯人は黒っぽい紫色のドロドロした身体で、
その大きな口で居合わせた人間をバリバリと食べちゃう感じだけど、他の証言では飼い犬を食
べられてたり、野良ネコを食べていたりと……目の前にいた 生物 を対象に捕食していると
考える事が出来そう……さてと、ここが今日の訪問先。このお家も含めてあと3軒だね。
というわけで今日の聞き取りは全部おわり! すっかり夜になっちゃったけど何も起きずに
家に帰れたのは何か拍子抜け。でも、明日もこうとは限らないだろうなぁ……とにかく、今日
は興味深い情報が手に入ったよ。中でもカフェで目の前の友人が突然、透明な何かに食われた
ようだったという話は実に興味深いね。その後、みんな一斉にその場を離れたから被害はそれ
で収まったけど、今までの情報だと、犯人の身体の色は紫色だけど、少し透けて見えたり、泥
のようにハッキリ見えたり、色も青に近かったり黒に近かったりとバラツキがあったけど……
透明だった というのは初めて。そして、目の前にそんな化物がいるのに、周りの誰にも気
付かれる事がなかった、というのも引っ掛かる……
この犯人の身体の大きさが普通の車くらいだというのは集めた証言から共通してる。そんな
大きな図体に誰も気付かないという事は…… 身体が透明な時 は一般人には認識される事が
無いと考えて間違い無さそうだね……さて、そろそろ寝ようかな。
一日4匹 。その情報の通りなら、明日から大変だろうなぁ……そもそも十日までだし。
七日目
学校帰りの道中、遂にあたしはその犯人と遭遇。食べられている人には悪いけど、このまま
観察させて貰うね。今の内にコイツの性質と特性を把握しておかないと……
ほんと、何で昨日は遭わなかったんだか……一箇所に3匹もいるし、やっぱり身体の色の濃
さが、それぞれ違う。一番薄いのは、紫どころか透明な青い物体で、多分コイツは普通の人た
ちには見えてない。もう1匹の通行人を頭からむしゃむしゃ食べてるヤツはまさに紫色で、こ
れくらいになるまで普通の人には見えないと言ったところか……さて、問題はそこの3匹目。
さっきも言った通り、コイツらは自動車程度の大きさで、青いぼんやりしたヤツと、さっき
の人を今完食した紫のヤツも同じ大きさ。……だからこそ、そこにいる紫が更に黒くなって、
やたらと身体がドロドロしてて、他の2匹よりも一回り小さくて、赤い煙がかなり噴出してる
ヤツには注目だね……さて、後ろの方には誰もいないし、このまま観察を続けようっと、いざ
となったら 能力 もあるんだし。
思った通り、一番小さいヤツは赤い煙を出しながら身体がどんどん崩れて、それが苦しいの
か時々唸り声を上げてる……そして今や身体のほとんどが溶けて、地面には赤黒い泥のような
ものが残り、最後の赤い煙を吐き出してる。他の2匹も、青かったぼんやりしたヤツは、半透
明の紫色に近付いていて、紫色だったヤツは赤みが増して、身体から赤い煙を出しながらさっ
きよりも少し身体が小さくなってきてる……よし、今日はこんなところかな! 大収穫!
その後、無事家に着いたあたしは今後の事を考えながら眠りに就いたよ。
八日目
今日は土曜日で学校があるけど、昼休みの時間を利用して、通販の荷物を受け取り、家の中
でそれらを眺めてます。火炎瓶、硫酸、水酸化ナトリウム、拳銃、水鉄砲、手榴弾……とても
女子高生が取り寄せる代物じゃないし、本当ならこんな風に気軽に購入出来るものじゃないけ
ど……マスターがそれを出来るようにしてくれてるのは有難い話。学校が終わったら、これを
持ってアイツらを探し出して、色々とやってみようっと。
水鉄砲。表面が濡れただけで効果なし。あと透明度が高い時は当たらない。
硫酸、水酸化ナトリウム。悲鳴を上げてしばらく怯んだけど、溶けるのが急速に早まるわけ
でもなし……それなら、熱湯でもいいのかも。
火炎瓶。薬品部分が燃えただけで、ドロドロした身体には影響なし。燃えている間は足止め
にはなるけど、苦しくて暴れられるとかえって危険かもね。
手榴弾。爆発で飛び散った肉片はそのまま溶けてなくなるけど、本体は再生を始めた。口の
中に放り投げても少し膨らんで耐えたし、吹き飛んでも多分一番大きな肉片が再生し始めそう
拳銃。弾丸がめり込んで、その後は消化されるだけな気がしてきた。
ブロック。穴が3つ空いたコンクリートのアレ。その辺にあったので投げ付けてみた結果、
身体にぶつかれば悲鳴を上げてその間は動きを止められる……どうも 痛み を与えて動きを
止める事は出来るけど、倒せると考えない方がよさそうだなー。仮に倒せても、物理的なやり
方は透明度が高い時には通用しない……んー、魔法瓶に熱湯を入れて持ち歩くのが一番かな。
そんな事を考えながら、途中でヤツらに遭遇するも上手くやり過ごして、何とか家に着き、
あたしはベッドに潜り込んだ。明日は魔法瓶を買いに行こうかな。
九日目
魔法瓶をどこで買うか悩んでいたら、朧月さんから通信が入り、ショッピングに誘われた。
最終日は明日だし、今日は天気もいい日曜日。アイツらの…… かみつき に関する情報はも
う十分集まったから……今日は遊んじゃうのもアリかな。
そうと決めたあたしは、出掛けるならオシャレしたいよねと、ピンクに白のチェックの入っ
たスカートに、ライムグリーンのブラウスを着て、ココア色のショールを羽織って出発!
この街一番の大型ストアに入り、待ち合わせ場所に辿り着くと朧月さんが爽やかな青系のワ
ンピースに白い上着を羽織って待っていたけど……その隣には長い黒髪をストレートに伸ばし
グレーのフード付きパーカーに青のボトムスを履いた女の人がいて……
「あ、めいちゃん来た! 時間ぴったり!」
朧月さんこと、朧月瑠鳴[おぼろづき るな]が元気に叫んで、あたしの方に手を振ってきた
「今日はよろしく」
そして宵空さん……宵空満[よいぞら みちる]も一言挨拶して、あたしたち3人でこれか
らショッピングを始めるわけだけど……宵空さん、待ち合わせ時間より早く来てたのかな?
とりあえず魔法瓶は重たいので最後にするとして、どうしようかと考えていると……
「あのクレープ、美味しそう!」
朧月さんが指を、店の方に差しながらそう言ったので、お店のテーブルに着いた頃には、あ
たしはピンクの苺アイスとバニラアイスにパイナップルやメロンの切り身にチョコレートソー
スをかけたクレープ。朧月さんは、生クリームとカスタードクリームにイチゴの切り身を入れ
た、さっきのぼり広告にあったのと同じ品。宵空さんは、生チョコレートにキャラメルソース
にシリアルを入れたクレープを手にしていて……朧月さんが味わいながらも早々と口の周りに
クリームを付けながらも食べ終わり、それを宵空さんが拭き取っていたと思ったら……
「それにしても怖いね。最近の連続殺人事件……日が経つ毎に犠牲者もどんどん増えてる……
もしかしたら、私たちも……」
低めの大人しい声で、宵空さんがぽつりとそう言いながら、自分のクレープを食べ続ける。
そう、最近はアイツらの数も増えた分、目撃者も多くなり、犯人があの不可解な化物たちだ
と報じられてもよさそうだけど、マスターがそうならないようにしているから、こうしてみん
な平和に買い物をしていられる、そう考えながらあたしもクレープを頬張っていると……
「もー! みっちゃんってば! 今日はそういうのナシ! せっかくみんなでショッピングに
来てるんだから……いーっぱい、楽しまないと!」
少し前までクレープ美味しい美味しいと言っていた朧月さんが、その明るい声で暗くなりそ
うな空気を吹き飛ばしてくれた。
「そ、そうだね……じゃあ、次は可愛いアクセサリーでも探しに……行こっか」
そう言うと宵空さんは朧月さんに、にっこりと笑みを向け、あたしに続き宵空さんもクレー
プを食べ終えたので、あたしたちは小物売場を目指し、歩き始めた。魔法瓶を何本も入れられ
る大きめのバッグも欲しかったし……丁度よかったかな。
でもね、朧月さん。宵空さんがああ言うのも、もっとも何だよ……
マスターは言った。 かみつきは最初は3匹で、一日に4匹増える 。つまり、九日目であ
る今日は35匹のかみつきがこの街のどこかでバラバラに発生するし、かみつきは屋外、屋内を
問わず出現するのは、これまでの調査の通り……こうしてる間だって、このストアの何処かで
かみつきが現われていて、発生したばかりのかみつきは誰も気付けないから……気が付けば、
後ろにいて食べられてしまう……そんな事が今すぐにでも起きたって、おかしくはないんだよ
それとあたしは、かみつきが発生したばかりの透明なヤツでも、皆と違って見えるから……
他の 参加者 たちにバレない為にも、見えないフリをしないといけないんだよね……
そんな事を考えながらも、3人で小物売場に着いたあたしは、魔法瓶をたくさん入れるのに
ピッタリな、黄色い大きなリボンの付いたピンクのかわいいバッグを購入。宵空さんは、朧月
さんに、その金髪によく似合う、ちょっと大きめの赤い花の付いた髪留めをプレゼントしてい
て、宵空さんもそれとは色違いの青い花の髪留めを購入して、早速付けてたね。
「わーい! みっちゃんと、おそろい! おそろい!」
朧月さんが嬉しそうに飛び跳ねているのを、宵空さんは暖かい眼差しで眺めていたから、ち
ょっとの間だけそのままにした後、そろそろ魔法瓶が買いたいと2人に告げて、目的の雑貨売
場に到着。そしてあたしがひとまず、赤、青、緑、白と魔法瓶を籠に入れていると……
「そんなに魔法瓶たくさん買って、何に使うの?」
朧月さんが、あたしの方を覗き込むようにそう尋ねてきて、さすがに黒い化物に投げ付けて
怯ませてる間に逃げるんだよとは言えなかったので……
「これから来るんだよ……魔法瓶の波が……!!」
と、もっともらしく答えてみると。
「な、波が……!?」
反射的に朧月さんは納得したような何かに圧倒されたかのような表情で、そう反応した。
そういうわけで、ピンク色が無かったのが不満だけど更に魔法瓶を買い足して、合計9本を
レジに持って行くと、宵空さんがレジにいて、籠の中身は結構あったけど、金属の色のままの
がほとんどだった。宵空さん、さっきの髪飾りみたいにオシャレな所もあるんだけど……目立
つのが嫌いと言うか、前に出ようとしない傾向があるんだよね。性格がそうさせるのかな?
さて、買ったばかりのピンクのバッグに魔法瓶を早速詰めて、耐久力も問題なしと確認した
ところで、次はどうしようか、本格的に遊んじゃおうかと考えていると……
突然、男性と女性の声が入り混じった悲鳴が聞こえてきて、それも方向は一つじゃなかった
楽しい日曜日は、もうおしまい……朧月さんと宵空さん、そしてこの重たい荷物。そんな状
況でストアのあちこちで発生したかみつきたちを相手に……はたして、やり過ごせるのか……