~事件発覚 三日目~
翌、日曜日の朝、また灼熱の暑さが帰ってきた。
ジリジリと照り付ける陽射しの下、昨日の公園の木陰で、三人の児童が何やらヒソヒソと密談している。
「……でね。天音は毎週日曜日は図書館に行くの」
「何で、わざわざ図書館なんて行くんだ?バカなんじゃねぇか?」
「バカじゃないからだろ?」
間抜け面の加原に、塩谷が冷静なツッコミを入れると、麻里佳が眉をつり上げて牙を剥く。
「そうよ!大樹とは違うのよ?天音は」
「あぁ……そうかよ!」
腕組みをして加原を見下す麻里佳に、加原が拗ねたように顔を背ける。
「……で、それからオレはどうすればいいんだ?」
険悪なムードを察した塩谷が空気を変える。
「塩谷は、そこに行って告白するのよ!」
麻里佳が恋する乙女のように瞳をキラキラさせて、うっとりいるのを、塩谷は苦笑しながら見つめる。
「告白って……」
笑顔を引き攣らせる塩谷に流し目を向ける加原が、口を尖らせてボソッと呟く。
「あんなサイボーグ女の何処がいいんだよ……」
「確かに、佐藤みたいに優しくないからな?伊織川は」
加原の口撃に塩谷が負けじと応戦する。思わぬ反撃に、加原が「くっ」と声を詰まらせた。
「何、コソコソ喋ってんのよ!アンタ達、真面目に聞きなさいよ!」
お姉さん口調の麻里佳にうんざりした顔で「へいへい」と加原が嘆息すると、麻里佳の雷が落ちた。
「大樹!何よ、その態度は!ちゃんとしないなら、帰りなさいよ!」
鼻息荒く加原を睨み付ける麻里佳に戦く加原を、塩谷は憐れんた。
「どうやって伊織川を呼び出すんだ?ちょっとやそっとで伊織川は動かないだろ?」
塩谷が計画の不安な箇所を指摘すると、麻里佳は塩谷に親指を立ててニカッと笑う。
「頑張って!」
大事な所がノープランな麻里佳に愕然とする塩谷が、麻里佳に眉を顰ませて縋る。
「そりゃ無いだろ?伊織川は任せろって、佐藤が言ったんじゃないか」
泣き付く塩谷の両肩をがっしり掴んで、麻里佳は見つめる。
「アンタ、男でしょ?何でも人に頼るんじゃない!」
麻里佳は塩谷を諫めた。まるで、面倒事を丸投げしている訳じゃないと言わんばかりに。
「さぁ、作戦も決まった事だし、図書館に行くわよ!」
意気込む麻里佳を先頭に、三人は図書館へ向かう。
天音が図書館にいるくらいしか話し合っておらず、何一つ対策が決まっていないのにも拘わらず、行動に移る麻里佳に『ただ面白がってるだけなんじゃないのか?』と言う不信感を抱きながら、男子二人は麻里佳の後に続くのだった。
徒歩十分ほどで、天音の行き付けの図書館に到着した三人は、その大きな建物の前に立つ。
重厚な雰囲気を醸す二階建ての建物に、優しげな円みを帯びた屋根が乗った図書館は、一階部分が大きなガラス張りになっており、開放感あるエントランスがよく見える。
三人が緊張しながら入りあぐねていると、エントランス内に見知った女の子の姿を見つける。
「景ちゃんだ!」
麻里佳が指差す方には、肩までの栗色の髪を揺らしながら、大きな本を抱えた縁なしメガネの女の子が歩いている。
その女の子を見つけた麻里佳が足早に中へと入って行くと、男子二人は慌てて麻里佳の後を追った。
「景ちゃん!」
麻里佳が大声で呼び止めながら近寄ると、驚いた顔で麻里佳を振り返り、人差し指を自分の口元に押し当てた。
「麻里佳ちゃん、図書館では静かに、ね?」
クリクリの瞳をメガネの奥から覗かせて、優しく麻里佳に注意する景に、ばつ悪そうに頭を掻く麻里佳。 その後ろに男子二人も駆け付ける。
「珍しいね。麻里佳ちゃんや塩谷君はともかく、加原君は図書館なんて、一生来ないと思ってたのに」
景が加原をからかうと、加原も「そのつもりだったんだよ」と返す。
「ところで景ちゃん、天音来てない?」
麻里佳が景に訊ねると、景は輝く笑顔を見せる。
「天音ちゃんなら来てるよ。いつもの特等席で本を読んでるわ」
景の答えに安堵する三人に、景は円らな瞳を向けて訊ね返す。
「天音ちゃんがどうかしたの?」
景の探るような眼差しにたじろぐ三人は、声を揃えて「別に」と笑う。
挙動のおかしい三人に、景は「ふーん」と言いながら懐疑的な目で三人を見比べると、
「何だ……てっきり塩谷君が天音ちゃんに告白しに来たのかと思ったよ」
景の核心を突く一言に、三人は体が硬直する。その様子を見て、景は「図星か」とメガネを光らせた。
「読書中の天音ちゃんは声を掛けても聴こえないからなぁ……」
見かねた景が話を逸らせてやると、三人は時間を取り戻したかのように動き始める。
「そこを何とかならないかなぁ……」
四人が天音を呼び出す策を練っていると、景がハッと名案を思い付く。
「これ!使えないかな」
景が抱えていた本を三人に見せる。
「本か……」
三人が景の本に目を落とすと、厚みのある装丁の表紙に、鮮やかな色彩で描かれた女の子が神秘的な表情を湛えていた。
「ファンタジーなんだけど、私が天音ちゃんに勧めたら、今、喜んで読んでくれてるの」
「天音がファンタジー……あの天音が……」
麻里佳は意外そうに、その本を見つめる。
可愛らしさの中に儚げな脆さを含んだ女の子の表情は、麻里佳の興味を惹くのに充分だった。
タイトルの『フェイヴァ ―旧世界の天使―』にも好奇心を掻き立てられる。
「景ちゃん、それ面白そうだね」
麻里佳が言うと、景は大きく頷いて、
「うん。私、大好き!」
屈託の無い笑顔を見せる景に、塩谷が訊ねる。
「その本をどう使うんだ?」
塩谷の質問を予想していた景が、美しい栗色の髪を掻き上げて、耳に引っ掛ける。
「この本は連続物で、天音ちゃんは今、三巻を読んでいるの。私が持っているのは五巻だから、天音ちゃんは必ず四巻に手を伸ばすはず」
「ほうほう」
景の筋の通った予測を感心しながら聴く三人に、景は人差し指を立てながら、得意気に続ける。
「つまり、四巻の棚の前で待っていれば、本を読んでいない天音ちゃんと話が出来るはずよ」
「なるほど!」
景の論理的な行動予測に納得した三人は同時に膝を打った。
「そこから先は塩谷君次第だけど……じゃあ、私は帰るね」
そう言って手を振りながら去って行く景の後ろ姿を見送り、微かに残る芳しい花の香りに励まされた三人は、瞳に炎を燃やす。
「探すわよ!四巻」
「あぁ……ここまで来たら後には退けない」
「タイトル何だっけ?」
みなぎる士気を、加原の間抜けな一言がぶち壊す。
「フェイヴァよ!フェ・イ・ヴァ!大樹、カタカナ読める?」
「読めるわ!バカにすんじゃねぇ!」
怒りに声を荒げる加原に麻里佳と塩谷がジト目で「シーッ」とジェスチャーを送る。
そして、目立たぬようにコソコソと奥へ進む三人は、そこにいる誰よりも目立っていた。
図書棚のある広い室内を覗く三人は、怪しい事この上無いが、それも仕方が無い。
彼らには重大なミッションがある。
しかし、その前に大きな難関を越えなければならなかった。
そう、図書棚の前に設置された読書スペースにいる天音に見つかってはならないのだ。
天音は入り口側の一番奥の窓際に座って本に読み耽っていた。
三人は、人の通り歩きが少ない端を選ぶ天音に心からの『グッジョブ』を送ると、足音をさせない早歩きで最寄りの図書棚に身を隠した。
三人は膨大に並ぶ書物の壁に圧倒されながら、目的の本を探し始める。
まずはジャンルの棚を探し出し、そこから五十音順で探すと言う案は、塩谷の提案だ。
事は窮を要していた。
天音は超人的な速さで本を読むのだ。
モタモタしてると、天音は四巻に到達してしまう。
三人は棚に記されたジャンルを見ながら、すぐにファンタジーの作品群の棚を探し当てた。
そこから手分けをして、『フェイヴァ』の四巻を探し始めた。
「フ…フ…フ……」
三人は小さく口に出し、指を差しながら、フの作品を探す。
「何してんの?」
突然掛けられた聞き慣れた声に、三人の体に電流が走る。
恐る恐る声の方に目をやると、怪訝な顔の天音が仁王立ちしていた。
「あ……あれぇ?天音も来てたんだー。奇遇ー」
白々しく惚ける麻里佳を天音の鋭い眼光が貫く。
「私が毎週来てるのは、麻里佳なら知ってるわよね?」
「そ…そうだったかなぁ……エヘヘ」
空惚ける麻里佳から場違いな二人の男子に視線を変えた天音が、まずは加原に標準を合わせる。
「加原、特に貴方がいるのが分からない。アンタ、字が読めるの?」
「読めるわ!オレを何だと思ってんだ!?」
加原の「読める」の言葉に驚愕の表情を向けながら天音が呟く。
「虫……じゃないの?」
天音の確認するような言い方に憤慨する加原に、ギャラリーの冷たい視線が集中する。
「実はね、景ちゃんに面白い本を教えてもらったんで、借りに来たのよ」
麻里佳が咄嗟に思い付いた言葉に、天音が反応する。
「それ……フェイヴァじゃない?」
「そうそう!それ!」
麻里佳が上手くはぐらかした言葉を、すっかり信用した天音が書棚から一冊取り出して渡す。
「これよ。この図書館でも人気だから、各巻、数冊ずつ置いてあるのよ」
「へぇー…そうなんだ。じゃあ私達はこれで……ありがとう天音。……ほら、大樹!行くよ!」
麻里佳は加原の奥襟を引き摺りながら、その場を無責任に去って行った。
場に残された塩谷が去って行く二人を恨めしく見送っていると、天音は不思議そうに塩谷を見つめる。
「アンタは行かないの?」
自分を見つめる澄んだ瞳に、塩谷の心は奪われてしまった。
「あ……いや、オレは」
言葉を詰まらせる塩谷を無視して、天音は持っていた本を入れ換えて、席へ戻ろうと背中を向ける。
「オレは伊織川に用があるんだ」
塩谷が投げ掛けた言葉に天音の動きが止まる。
「私は無いわ」
振り向きもせず、そう返した天音の背中に向かって、塩谷が大きな声で叫んだ。
「僕は伊織川天音さんに話があるんですっ!」
静かな館内に塩谷の声が響き渡った。
衆目に晒された天音が慌てて塩谷に飛び掛かり、口を塞ぐ。
「アンタ、ここが何処だか分かってんの?」
凄味のある目で塩谷を睨み付ける天音に、塩谷が半ばヤケクソに、口を塞ぐ天音の手を解いて、
「僕は!」
「分かったわよ!分かったから、止めて!」
塩谷の根性に負けた天音は、本を小脇に抱えて館内を出た。
外に出た二人は、近くの木陰のベンチの前に立つ。
「何?話って」
苛立ちを露にした天音が塩谷を見据える。
「う、うん。実はオレ……」
そう言いかけて、目線を逸らすと、その先に麻里佳と加原が植え込みに隠れていた。
「ぶっ……」
思わず噴き出す塩谷に顔を顰める天音が、後ろを振り向く。その瞬間、パッと植え込みに隠れた二人は、間一髪で天音に見つからなかった。
「何よ、用が無いなら私は行くわよ」
天音が図書館内へ踵を返すと、塩谷は意を決して叫んだ。
「引っ越すんだ!」
塩谷の言葉で動きを止める天音に、塩谷が続ける。
「夏休み中に母さんの実家に引っ越す。転校するんだよ……オレ」
暫しの沈黙の後、天音が「そう」と呟いた。
「元気でね」
目を合わせる事も無く立ち去ろうとする天音に、塩谷が叫ぶ。
「明日、一日付き合ってくださいっ!!」
精一杯の声で塩谷は叫んだ。
届かなくてもいい。断られたって構わない。
自分の気持ちを、自分の気持ちだけは、どうしても天音に伝えたかった。
「いやよ」
天音は冷たく言った。
塩谷もその言葉を予想はしていたが、やはり、直接言われるのは正直堪えた。
「だよな。悪かった」
塩谷は悲しみを隠した笑顔を向けて、好きな女の子に強がってみせた。
そこに、天音が横顔だけ向けて一言付け加えた。
「半日ならいいわよ?でも、一日はダメ」
天音の想定外のレスポンスに、塩谷は固まった。
「半日ならいいの?」
目を点にして聞き返す塩谷に、天音が照れ臭そうに無言で頷く。
塩谷の心は成層圏を突き抜けた。
「本当に?」
デレデレの顔で確認する塩谷に、天音はいつものクールな口調で突き放す。
「くどいわね!やっぱり止めにするわ」
「ウソウソ!伊織川の事、信じてるから!明日、お願いします!」
慌てて取り成す塩谷に、天音は「ふん!」と鼻を鳴らして図書館に戻って行った。
去り際に一瞬見えた頬を朱に染める天音に、益々キュンキュンした塩谷は、足取りも軽やかに図書館を後にする。
その一部始終を植え込みから盗み見ていた麻里佳と加原も、植え込みから飛び出し、急いで後ろを追い掛けていった。
一方、図書館内に戻った天音だったが、何だか読書の気分になれず、そのまま家に帰ってしまった。
天音とのデートの約束を取り付けた塩谷は、明日のデートで天音に渡すプレゼントを買うために、商店街にやって来た。
その後ろに控えた野暮な二人が、塩谷を労う。
「いやー作戦通りだったわねー」
「佐藤は何もしてくれなかったじゃないか」
「バカねー。ちゃんと見守ってあげてたじゃない」 「そうですか……」
麻里佳のテンションに疲れた塩谷が、溜め息を吐きながら白旗を上げると、加原が脇から割って入る。
「何でお前が伊織川にプレゼントやるんだ?逆だろ普通……」
腑に落ちない顔をする加原を、麻里佳が指差しながら蔑んだ。
「アンタ、救えないバカねぇ……『好きです!何かください!』って言うヤツが何処にいるのよ?何処の国の風習よ?言ってみなさいよ!虫が!」
麻里佳にマシンガンのように捲し立てられて、言葉を失う加原に同情する塩谷が、肩を叩いて頷いた。
「うっせーババア!」
「何だとぅ!誕生日はアンタの方が先でしょうが!クソジジイ!」
いつもの痴話喧嘩が始まったが、塩谷はこれも見納めかと思い、感慨深げに見守っている。
「アンタ達、相変わらず仲良いのねぇ」
ふいに声を掛けて来たのは、ふくよかなオバサンだった。
「高橋のおばちゃん!」
加原が声を上げた。
高橋のおばちゃんは、クラスメイトの高橋君の母親で五人の子を持つ猛者である。
「昔から喧嘩ばっかりしてるのに?」
麻里佳が高橋のおばちゃんを見上げると、おばちゃんは笑って言った。
「だからよ。本当に嫌いな人とは喧嘩する事すら、嫌なモノよ。だって口聞きたくないじゃない?」
高橋のおばちゃんに言われて、イマイチ納得していない麻里佳の頭を撫でて、おばちゃんは言う。
「大人になりゃ、嫌でも分かるわよ」
ガハハと笑う高橋のおばちゃんは、塩谷に目を留めて話し掛ける。
「貴方は確か……新高の塩谷先生の息子さん?」
高橋のおばちゃんの質問に塩谷が「はい」と素っ気なく答えると、おばちゃんはニコニコしながら言う。
「やっぱり!家の長男坊の担任だからね。しかし、貴方のお父さんは立派よねぇ。毎日、家の買い物して帰るんだから。奥さんは幸せ者だわ。家の旦那に爪の垢でも……」
高橋のおばちゃんの言葉で居た堪れなくなった塩谷は、その場を走り去った。
何が幸せなモンか!家の両親は離婚してしまうんだから……。
「あ、ちょっと……」
高橋のおばちゃんが突然の出来事に戸惑っていると、加原もその後を追って走り出した。麻里佳は高橋のおばちゃんに頭だけ下げて急いで二人の後を追う。
その場に残されたおばちゃんは、ただ呆然として三人の後ろ姿を見送った。
* * * *
図書館から戻った天音は、何処と無く元気が無かった。
自分でもよく分からない気持ちに悩むあまり、挨拶にも覇気が無い。
「何かあったの?」
天音の母が心配そうに天音を覗き込むと、天音は悟られまいと空元気で装う。
「何にも無いよ!」
ニッと白い歯を見せる娘に、母が膝を折って目線を下げると、
「そんな事無いでしょう?天音、帽子は?」
母の指摘でハッと頭を押さえる天音が、帽子を図書館に忘れた事に気付く。
「天音が彩愛ちゃんからもらった帽子を忘れてくるなんて、よほどの事があったのね」
元刑事の勘なのか、母親の勘なのか分からないが、母に隠し事は出来ないんだなぁと観念した天音は、事情を母に話した。
「デート?デートなのね!」
「違うよ!そんなんじゃないってば!」
勝手に盛り上がる母に、天音が釘を刺す。
「ちょっと出掛けるだけだよ!勘違いしないで!」
「それを一般的に『デート』と言うのよ?天音、覚えておきなさい」
母の一言に照れ臭さが頂点に達した天音が、手足をバタバタさせて暴れた。
「じゃあ止める!塩谷には断るよ!」
「天音!」
突然声を荒げた母の剣幕に、天音がビクッと体を跳ねさせて母を見る。
母はいつもの優しい口調で天音に言って聞かせた。
「塩谷君は勇気を振り絞って、天音に言ったんだと思う。一緒に過ごせる時間が僅かだからこそ、天音に言ったんだよ」
天音は母の話をジッと目を見て話を聴く。
「貴方は貴方の出来る事をしなさい。塩谷君が別の所でも楽しくやっていけるように、思い出を作ってあげるのよ。その上で、貴方の正直な気持ちを伝えてあげなさい」
母の話を聴き終えた天音は無言で頷いた。
自分の気持ち……。
塵ほども考えた事も無かった事柄に、天音は頭を擡げた。
白い天井を見上げながら、独り、物思いに耽る天音だった。




