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あの夏の日のこと  作者: 小日向 冬馬
6/9

~事件発覚 二日目②~

 さっきまで心の中を暗く霞ませていた不安の雲が掻き消され、スッキリ晴れ晴れとした気持ちで、麻里佳はマンションのエントランス前に立っていた。


 心の中と同じように澄み切った空に、時折吹く涼やかな風が心地好い。


 麻里佳は晴れ渡った青空を見上げて、大きく伸びをした。

 いつも見慣れた風景が、今日は何だか違って見える……。


 麻里佳は買い置きのノートを買うため、近くの文具屋へと力強く歩き出した。

 暑さの続いた7月だったが、今日はとても過ごし易い日になっていた。

 すれ違う人も何処か、にこやかで、つられて自分も嬉しくなる。


 麻里佳が商店街へと歩いていると、通りかかった公園で、ショボくれた男の子が一人、ブランコに揺られていた。


 「大樹!おーい!」


 麻里佳が手を大きく振って呼び掛けると、麻里佳に気付いた加原が、とても神妙な顔で近付いて来る。


 「麻里佳、頼みがある」


 麻里佳はいつに無く真剣な表情の加原に、思わずドキッとする。


 「何よ……急に」


 唐突に投げ掛けられた加原のお願いに、麻里佳が戸惑いながら身構える。


 「ちょっとオレと付き合ってくれ」

 「なっ!……」


 あまりにも突然過ぎる加原の言葉に、麻里佳の顔から火が出る。


 確かに加原の事は憎からず思ってはいるし、気にはなるが、それはそう言う意味ではなくて……。


 麻里佳の頭の中が急速回転し、混乱する。


 「ちょっ…待っ……大樹にそんな…私……そんな」


 顔から煙が立ち上ぼりそうなほど熱くなっている麻里佳が、しどろもどろになりながら、返事にまごまごしていると、加原は麻里佳の両肩をがっしり掴んで、瞳を見つめる。


 「一緒に塩谷の家に行ってくれよ!お前は学級委員だから、塩谷の母ちゃんも塩谷に会わせてくれると思うんだ!頼むよ!」


 切実な加原の言葉を聞いて、一瞬で我に返った麻里佳が、今度は別の意味で発熱する。


 「うわああぁぁぁっ!」


 突発的に繰り出した麻里佳の右ストレートが、加原の鼻に直撃する。

 それをモロに喰らった加原はそのまま後ろにバタンと倒れた。


 「い、いいわよ!別に」


 照れ隠しで、つい出してしまった右拳を抑えながら麻里佳が言うと、倒れている加原が痛む鼻を押さえながら、「お…おぅふ……」と今の状況を把握出来ないまま頷いた。


 さっきの今で、加原の顔を見る事が出来ない麻里佳が、仏頂面でずんずん先を歩いて行く。


 「お前、塩谷ン家の場所知ってんのかよ?」


 麻里佳にもらったティッシュを両鼻に突っ込んで、くぐもった声の加原が、麻里佳の背中に話し掛けると、麻里佳の、やや殺気を孕んだ声が返って来る。


 「知ってるわよ!私に話し掛けんな!虫っ!」


 その迫力のある返答に、加原は麻里佳の二発目を恐れて、「おぉぅ…ふ」と漏らしたきり、口を噤んだ。


 公園から歩くこと数分、二人は塩谷の家の前に到着した。

 加原は近くで身を隠し、麻里佳が玄関に立つ。


 「じゃあ、頼んだぞ麻里佳!」


 加原が信頼した目で麻里佳を見つめると、麻里佳は突っぱねるようにツンと清まして、右手をヒラヒラとさせる。


 「フンッ!分かってるわよ!いいから、さっさとどっかに隠れてなさいよ」


 加原が近くの電柱の陰に隠れたのを確認して、麻里佳は塩谷家のインターホンを押した。

 しばらくの間が空いて、塩谷家のドアが開いた。

 中から顔を出したのは、優しい顔のメガネの男性だった。


 「はい」


 男は麻里佳にきょとんとした目を向けて訊ねる。


 「どちら様かな?」


 とても穏やかな口調で麻里佳に話し掛ける男に、麻里佳が丁寧にお辞儀をして自己紹介する。


 「孝文君のクラスメイトの佐藤麻里佳と言います。孝文君いますか?」


 そう言うと、男は何か思い当たったかのように頷いて、麻里佳に頭を下げる。


 「あぁ!学級委員の?ウチの孝文がお世話になっています。孝文の父です」


 丁寧な挨拶の後、塩谷の父は中に向かって大声で呼ぶ。


 「孝文ー!お友達だぞー!」


 父が呼んでから少しすると、塩谷が不機嫌そうな顔をして出て来た。

 表情的には具合が悪く見えなくも無いが、血色は良い。


 「塩谷……」


 普段見せない顔の塩谷に戸惑う麻里佳が、絞り出したような声を掛けると、塩谷は微かに笑みを見せた。


 「来てくれたのか」


 塩谷の険しい表情が和らいだのを見て、麻里佳も顔を綻ばせた。


 「ちょっと……いいかな?」


 麻里佳が外に誘うと、塩谷は二つ返事でOKして、父を避けながら外へ出て来る。


 「孝文!」


 父の呼ぶ声を背中聴きながら、それには答えず塩谷が歩き出す。麻里佳は塩谷の父に軽い会釈をして、足早にその後ろを追った。


 「よぅ」


 塩谷の眼前に加原が姿を現すと、塩谷は驚いたように目を見開いて、加原の顔を指差す。


 「大樹、どうしたんだ?その鼻」

 「麻里佳に殴られた」


 加原の意外な答えに更に驚いた塩谷が、質問を重ねる。


 「何で?」


 塩谷の当然の疑問に、返す答えを知らない加原が、首を傾げて言う。


 「さぁな、オレが訊きたい」


 そう言い捨てて背を向けた加原の背中に、塩谷の疑念は深まるばかりだった。



 さっきの公園に着いた三人は、ベンチを囲んで立った。

 複雑な気持ちの加原が、塩谷を見つめて訊ねる。


 「何で学校に来なかったんだ?」


 胸中を支配する不安を振り切るように、加原が塩谷の返答を待つが、塩谷の態度は要領を得ない。

 煮え切らない塩谷に痺れを切らせた加原は、自分の不安の元凶である言葉を塩谷に投げつけた。


 「オレの所為なのか?」


 そう叫んだ勢いで、両鼻に詰めていたティッシュが飛んだ。

 本当は訊きたくない答えを口を真一文字に結んで、加原は待っている。

 そんな加原を「ふふっ」と笑って、塩谷が青空を見上げて呟く。


 「違うよ、大樹。お前の所為なんかじゃない」


 そう言う塩谷に納得のいかない加原が、明確な答えを求める。


 「じゃあ、何でだよ!」


 加原が塩谷の肩に掴み掛かると、塩谷は加原の肩を掴み返して言った。


 「オレ、転校するんだ」


 想定の遥か上を行く答えに時間が凍り付く。

 麻里佳も加原も次の言葉が見つからず、ただ狼狽えていた。


 「そんな……急に」

 「お前の父ちゃん高校の先生だろ!何で今なんだよ!」


 すっかり狼狽する二人に、塩谷は悲しい笑みを見せる。


 「親が離婚するんだよ。オレは母さんに付いていくから、引っ越さなきゃならない」


 塩谷の哀しみを含んだ瞳を見つめ、言葉を失う二人。

 子供にはどうする事も出来ない現実に、ただ無慈悲に突き付けられた事実を前に立ち尽くした。


 「塩谷……いつ引っ越すの?」


 そう問い掛ける麻里佳の潤んだ目に、塩谷は声を詰まらせながら答える。


 「夏休みが始まったら、ここから引っ越す。それまでは学校にも通うよ」

 「そうか……」


 加原が寂しさを滲ませた声で塩谷に言うと、塩谷は二人に向き直った。


 「この事は二人だけにしか言ってない。だから、他の皆には秘密にしておいてくれ。頼む!」


 塩谷が二人に深々と頭を下げる。親友からの頼みに加原は首を縦に振った。


 「分かった……」

 「待って!」


 麻里佳は頭を下げ続ける塩谷に向かって叫ぶ。


 「天音にも伝えないつもりなの!?」


 麻里佳の問いに、塩谷が息を呑んだ。


 「……そうだ」


 塩谷の無理やり絞り出した声に、麻里佳が声を震わせながら塩谷に訊ねる。


 「どうして?こんな大事な事、何で天音に伝えないの?」

 「伊織川は関係ねぇだろ?」

 「大樹は黙ってて!」


 話に割り込む加原に怒りをぶつけ、加原の発言を抑止してから、麻里佳は塩谷に語り掛ける。


 「ねぇ、塩谷。天音には一番知らせなきゃいけないんじゃないの?」


 返事をしない塩谷に、麻里佳の怒号にも似た叫びが心の中で谺する。


 「私、知ってるんだよ?塩谷が天音を好きな事!」


 麻里佳の衝撃的告白に、一番驚いていたのは加原だった。


 「マジか!?」


 加原の確認に否定も肯定もせず、塩谷は黙って麻里佳を見つめていた。


 「本当にこのままサヨナラでいいの?ねぇ!」


 麻里佳の悲痛な問い掛けに、塩谷は少し間を空けてから、


 「……いいんだ」

 「いい訳無いっ!」


 塩谷の決断を即座に突っぱねる麻里佳の瞳には、涙が滲んでいた。


 「こんな別れ方、私は絶対に認めない!アンタ何、カッコつけてんのよ!アンタにとっての天音はそんなモノだったの?」


 麻里佳は叫んだ。


 大事な親友の別れがこんな形で終わるのが悔しくて、悲しくて、とても納得なんて出来なかった。


 麻里佳は出せる限りの大声で、塩谷に訴えた。


 「きちんとサヨナラしてあげてよ!私の親友に……お願い……」


 麻里佳の瞳から大粒の涙が落ちて、地面に吸い込まれた。そのまま崩れ落ち、両手で顔を覆いながら嗚咽する麻里佳に、塩谷が近寄って優しく肩を叩く。


 「分かった……当たって砕け散ってやるよ」


 そう言って自嘲する塩谷の顔を、ぐしゃぐしゃに濡らしたまま見上げて微笑む麻里佳が、ぐずぐず鼻を鳴らしながら立ち上がる。


 「明日は日曜日、学校は休みだからチャンスよ」

 「麻里佳、伊織川が怒ったらどうすんだよ!」


 加原がビビりながら麻里佳に詰め寄ると、麻里佳は不敵に笑った。


 「天音が何に怒るのよ?塩谷がけじめをつけるだけじゃない」


 加原を一笑して塩谷に視線を向けた麻里佳が、塩谷を励ます。


 「天音はちゃんと話を聞いてくれるわ。アンタは想いをぶつければいい」

 「おぅ……」


 根拠の見えない麻里佳の自信に、一抹の不安を抱く男子二人を他所に、麻里佳は喜色満面の笑みを見せる。


 「天音の事なら私に任せなさいっ!」


 天を指差し仁王立ちする麻里佳の背中を、恐ろしさを抱きつつ見つめる男子二人を尻目にしながら、麻里佳の高笑いは青空に吸い込まれていった。




  * * * * 




 一方その頃、天音は刑事二人を引き連れて、山道を登っていた。


 「分かっている事を話せる範囲で教えてもらえますか?」


 天音が後ろの刑事達を振り返ると、成木が手帳を取り出してメモを見ながら話し出した。


 「被害者の目撃情報が幾つかありました。数日前の事ですが、付近の住人が被害者を見掛けたと証言しています」

 「直前の目撃情報はありませんでしたか?」


 成木は天音の質問に首を横に振った。


 「いいえ。直前の情報は残念ながら上がって来ていません」


 天音は「そうですか」と呟いて、思案のポーズを取る。その姿を見つめる園崎が大きな期待を寄せる。


 「天音さん、他に必要な情報はある?」


 園崎のキラキラした視線を無視して、天音は「いいえ」と素っ気無く答える。 そんな連れない天音のリアクションに、残念そうに肩を落とす園崎を見て、成木も同じ心境になった。


 それきり言葉を交わす事無く歩き続け、一行はようやく現場に到着した。廃屋には厳重に非常線が張られている。


 天音は、まず廃屋の周りを見て回る事にした。


 玄関から左に向かい歩き出す天音を、遠目から眺める刑事達。


 天音が周回を始めて最初に目に留まったのは、割れたガラス窓だった。

 足下に散らばる破片に混じって、陶器の破片もみえる。窓に目をやると、鋭利に尖ったガラスが光っている。

 そのまま壁伝いに歩くと、褪せたベージュの壁が続き、その先に錆び付いた鉄製のトタンの壁に突き当たった。

 朽ちたトタンには所々に小さな穴が開いていた。

 穴を覗いたが、中には暗い闇があるだけで、窺い知る事は出来ない。


 「ここが遺体のあった場所ね」


 天音は一言呟いて、歩を進める。

 トタン伝いに歩くと、錆び付いたトタンがしばらく続き、また褪せたベージュの壁に戻る。

 トイレの窓や浴室の窓等は無傷で残っており、特に変わった様子は見受けられず、玄関へと戻って来た。


 「中を見せてもらえますか?」


 玄関を指差す天音に、園崎はニカッと白い歯を見せて言う。


 「もちろんよ。さぁ、中に入って」


 園崎は玄関に張られた非常線を捲り上げ、天音を中へ通す。


 天音が玄関の中に立つと、後ろから刑事達も続く。


 「その下駄箱に被害者の靴が入っていました」


 成木が右の壁に備え付けられた下駄箱を指差すと、天音は「ふん」と息を漏らして一瞥した。


 「もしかして……」


 そう呟いた天音が土足で上がり込み、左手の壁のスイッチを入れる。

 すると、天井の電灯が二、三度点滅して、明かりが灯った。


 「やっぱり……」


 勘が当たって更なる疑問が湧いた天音は、刑事達を置き去りにして足早にキッチンへ入る。

 食器棚等にも注意を向けながら流しに行くと、少し背伸びをして、おもむろに蛇口を捻った。

 蛇口から綺麗な水が出て来るのを眺めながら、天音は確信する。


 「園崎さん!」


 天音が振り返ると、既に園崎が後ろに立っていた。


 「どうしたの?天音さん」


 園崎が天音を見下ろすと、天音は自信を湛えた瞳で園崎を見上げる。


 「被害者はここで生活していました。間違いありません」


 天音の断定的な言葉に目を見開く園崎を見据えて、天音が事実から導き出した結論を披露する。


 「被害者の目撃情報が数日前までしか無かったのは、ここで生活していたからです。その証拠がこの室内にあります」

 「この部屋の中に?」


 園崎の問い掛けに、天音は食器棚を指差して言う。


 「食器棚に二人分の食器が揃ってます。それ以前に、この廃屋は綺麗過ぎる。ライフラインも使えますし、贅沢を言わなければ無理じゃありませんよ」

 「なるほど」


 そこまで語ると、天音は廊下に出て、奥向かいの襖を開けながら成木を呼ぶ。


 「成木さん、この部屋から何が見つかりました?」


 天音は暗い室内に目を凝らし、押し入れの存在に気付いた。


 「布団……ありましたよね?」


 天音が推論の裏付けを確めるように訊ねると、成木は頷いて答える。


 「はい、一組だけ見つかっています」


 成木の報告を受けて、天音は再び思慮のポーズを取る。


 天音は確認した事実を反芻しながら、まるでパズルを組み合わせるように、事実と推理を織り混ぜ、一つの仮説を立てた。


 「園崎さん、多分、被害者はここで生活しながら、ある人物とここで会っていた。そして、その人物はこの付近に住む妻帯者。更に転勤族である可能性が高いです」


 自信に満ちた天音の言動に目を見張る刑事達が、天音に解説を求める。


 「その根拠は?」


 天音は予想通りの台詞に極めて冷静に話し始めた。


 「まず、食器から二人で食事を共にする仲なのは、想像出来ますよね?」

 「そりゃ……まぁ」


 天音は刑事達が頷いたのを確認しながら、優しく解説を続ける。


 「しかし、布団は一組。いくら何でも寝る場所くらいは分けるはずです。冷房も窓も無い部屋で、二人で寝るのは無理ですよ。真冬じゃあるまいし」

 「なるほど!寝るのは別々だったのか」


 園崎は膝を打つが、成木の方はピンと来ない様子で首を傾げている。

 それを見かねた園崎が、苛立ちながら、成木の頭を叩いた。


 「バカね!ヤる事ヤッたら、男は家に帰ってるって事じゃない!」


 明け透けに話す園崎に、天音は少し赤面しながら、話を続ける。


 「被害者が女性である以上、相手は男性と考えるのが妥当です。勿論、LGBTの可能性が無いとは言いませんが……」

 「付近に住む妻帯者は分かったけど、転勤族の件はどうして?」


 園崎は天音の持論を興味深く聴きながらも、疑問点は流石に無視する事は出来なかった。

 それを当然のように感じている天音は、凛とした口調で答える。


 「これは推測でしかありませんが、被害者がこんな人里離れた場所でいつまでも納得するとは、私にはどうしても思えません。相手は『近々、転勤するから、それまで辛抱してくれ』とでも言い含めたんじゃないでしょうか」

 「それが、転勤族の理由な訳ね」


 園崎は感心しながらも、それは参考程度に止めておこうと思った。

 強すぎる先入観は、逆に捜査を混乱させる事を経験から知っているからだ。


 「発見現場も見させてもらって良いですか?」


 天音が廊下の奥を指差して園崎を見上げると、園崎は笑顔で「もちろん!」と返すと、天音はスタスタと奥へ歩いていった。

 角を曲がり、ドアに手を掛けると、天音の脳裏にあの時の記憶が甦り、背筋に悪寒が走る。


 沸き上がる恐怖の感情を振り切り、天音は勇気を奮い立たせてドアを開けた。


 目の前の闇に怖じ気付く天音の後ろから、刑事達が天音を追い抜いて、ライトを片手に闇の中へ入る。

 何かを探すように刑事達のライトがあちこちに動いた後、突然、部屋の明かりが点灯する。


 闇に隠されていた室内が露になる。


 小石混じりの地面が広がっており、中々の奥行きがあった。

 錆び付いたトタンで囲われた壁には、数本のくすんだ板が横に走っている。

 四メートル程の高さの天井も鉄製のトタンで出来ていて、中央から左右に向かって下がり、三角形を描いているが、三角形の底辺に当たる所から手前に向かって、丈夫そうな梁が入っている。


 「死体はその辺りですか?」


 部屋の外から天音が指差すと、園崎は部屋の中央より、やや手前に立って天音の方を向いた。


 「ここよ」


 意を決して天音も中へ入ると、入り口の壁の死角になっていた場所に、手作りの簡素な棚が左右に一つずつある事に気付いた。


 「梁までの高さは三メーター強でしょうか」


 そう呟くと、天音は思考モードに入った。


 梁はきれいな円柱状、梁までの高さ、遺体の首に掛けられたロープ、壁に走る横の板。


 あらゆる情報から推理を組み立てていく。


 「死体のあったこの場所からは、犯人の足跡は発見出来なかったのよ」


 園崎の疑問を天音は容易く解決する。


 「それなら、後から足跡に水をかければ消せます」 「……そうね」


 天音に論破され、口をすぼめて肩を竦める園崎。


 「そうか!」


 天音の頭に稲妻のような閃きが走る。


 「成木さん、ちょっと」


 天音は成木を呼び寄せ、棚を指差す。


 「あの棚をここに」


 成木は天音に命じられるままに軽々と棚を動かす。

 棚の一つを壁にくっつけるように置くと、天音は逆サイドにある棚を指差し、成木に命じる。


 「それはこの棚に寄り掛けて置いてください」


 成木は素直に棚を寄り掛けると、園崎の目が光る。


 「これは……」


 棚が階段の役割をするようになるのを見て、園崎がほくそ笑む。


 「なるほどね。犯人はこうやってロープを梁に掛けたのね」

 「これがその跡です」


 天音が斜めになった棚の一部を指差した。

 僅かだが、棚の角に真新しい傷が付いている。


 「成木!鑑識呼べ!」


 園崎に命じられ、急いで電話をかける成木を見つめている天音に、園崎が肩を叩く。


 「天音さん!本当にありがとう!」


 嬉しそうな園崎に天音が一言呟く。


 「被害者はこの廃屋の持ち主の知っている人だと思います」

 「でも、持ち主には確認を取ったわよ?」


 園崎が言い訳すると、天音は厳しい口調で反論する。


 「それは遺体の写真ですよね?遺体は生きていた時と印象が変わります。時間が経っていたら尚更です。CGで生きていた時の想像を合成した物で確認し直してください」

 「……分かったわ」


 天音の迫力に圧され、園崎が再確認を約束すると、天音は更に一言付け加える。


 「被害者の近しい人……例えば、尊敬や敬愛する人物の中に、この付近に住む人物がいたら、多分、その相手が被害者の相手です」

 「それも調べてみるわ」


 園崎は天音の発想力、推理力に感嘆した。


 天音の推理通りなら、被害者をこの場に留め置く事も可能だろう。

 相手を尊敬し、信頼しているなら、多少の無理な言い分でも聞く事は想像に難しくない。


 あくまでも可能性の域を出ないが、捜査をする理由として何ら問題が無い。


 「もう良いですか?」


 天音が円らな瞳で見上げると、園崎はニコッと笑って肩を抱く。


 「送るわ」


 園崎が天音を連れて外へ出ると、成木は梁を見上げて呟いた。


 「でも、わざわざ棚を動かさなくてもロープを投げれば済むのに……」


 確かに棚は丈夫で軽く、動かすのは簡単だが、身長百七十超えの自分なら、ロープを投げ上げる。

 その方が早いし簡単だ。


 「犯人は何故、そうしなかったのだろう……」


 山を降りて行く天音と園崎を見送りながら、独り思案する成木刑事だった。

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