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あの夏の日のこと  作者: 小日向 冬馬
3/9

~事件発覚 当日②~

 天音と塩谷の二人の脳裏に、先程見てしまったモノがフラッシュバックする。


 アレは間違いなく人間の死体だった――。


 闇の中で宙に浮いていた血の気の失せた足、力無くダラリと垂れ下がった土色の腕、水気を失いボサボサに膨らんだ髪が、その顔を覆い隠していたのが唯一の救いだった。

 それを見ずに済んだ加原と麻里佳には、死体があった事だけを伝え、多くは語らなかった。


 四人は山を降りる道中、その後の動きを確認する。

 麻里佳と加原はマンションの管理人に通報を依頼してから、各保護者に連絡。

 天音と塩谷は山の入り口で待機して、不審者の侵入を見張り、到着した警察に捜査協力する。



 無事に下山した四人が、速やかにそれぞれの役割を果たすべく行動に移る。

 加原と麻里佳がマンションへ向かう背中を見送った天音と塩谷が、夕闇迫る山の麓に居残った。

 天音が古い木のベンチに腰掛けて前屈みに体を倒すと、塩谷はその横に無言で座る。


 「伊織川……」


 塩谷の問い掛けを天音は無視する。見ると、天音の小さな体は震えているようだった。

 天音は受け止められる許容範囲を超えた恐怖を必死に抑えつけている。

 無理もない。死体を発見するなんて、普通に生きていたら、まず有り得ない。

 弱冠十歳の女の子の限界を超えるには、充分過ぎる出来事だ。


 「ゴメン……」


 塩谷が懺悔するように呟いた。

 自分達の下らない遊び心が、無関係だった天音まで巻き込んでしまった事への後悔が、塩谷の口をついて出てきたのだ。


 「何がよ?」


 気持ちを圧し殺しながら天音が言う。

 それが怒りなのか恐怖なのか天音にも分からない。ただ、塩谷の謝罪の意図を天音は知りたかった。


 「まさか、こんな事になるなんて……」


 塩谷は頭を抱えて言う。自分がこの状況でも冷静でいられるのは、天音が傍にいてくれている安心感だと自覚している。


 「これに懲りたら、もう二度とバカな事しないで」


 天音が声を絞り出す。


 「伊織川……」


 塩谷が天音に向き直り、肩に手を置く。その手に物言わぬ天音の感情が流れ込んで来る。

 寒空にさらされた仔犬のように、天音の体は震えていた。しっとりと汗で濡れたTシャツの上からでも、それが分かる。


 「触らないで!」


 天音は身を捻って塩谷の手を振り落とし、そのまま背を向けて顔を伏せる。

 いつもクールな天音が、こんなにも動揺している。


 塩谷は天音と同じクラスになってから、ずっと見続けていた。

 第一印象こそ最悪だったものの、麻里佳と仲良さげに会話する時の笑顔。

 授業中、窓の外を眺めている物憂げな顔。

 加原と共に叱られている時に見せる呆れた顔。

 そんな、同級生には無い大人びた天音に心を奪われていた。

 その天音を苦しめてしまった自分に、その天音に何もしてやれない自分に憤りを感じていた。


 「伊織川、無理するな」


 優しく語り掛ける塩谷に天音はピクッと身を跳ねさせた。


 「何よ、突然」


 天音が顔だけ塩谷に向けると、塩谷は視線を斜め上に逸らせながら、


 「……我慢とか別によくないか?背伸びしたって、俺達は子供なんだから」

 「何が言いたいの?」


 天音の貫くような視線を塩谷が澄んだ瞳で受け止める。


 「無理してるから……」


 塩谷の真っ直ぐな瞳に、天音は視線を外した。

 自分の心が見透かされた恥ずかしさからか、語気を強めて言い放つ。


 「無理なんてしてないわよ!」


 顔を背けた天音の横顔に思わずドキンとする。虚勢を張る天音の表情が、塩谷の淡い恋心をくすぐる。


 「そうは見えないけど」


 塩谷は席を立ち、天音と向かい合う。


 「ほら、してるだろ?」


 塩谷が天音を覗き込むように顔を近付ける。その気配を感じて、天音は見られまいと頭を伏せる。

 それでも執拗に顔を拝もうとする塩谷に、ついに天音がキレた。


 「うるさいっ!」


 天音が顔を上げて怒鳴った瞬間、一筋の涙が頬を伝う。

 その涙を見て塩谷が息を呑む。

 それが合図だったかのように、天音の顔がみるみる歪んでいく。


 「本…当は……ごわが…っだ……」


 『鉄の女』と言われている天音が、今、自分の目の前で泣いている。

 その状況にテンパった塩谷は自分でも何故、そうしたのか分からないが、天音の肩を抱いていた。

 そのまま、天音が塩谷に体を預けて嗚咽する。

 この予測を越えた状況の中、塩谷は「自分は泣いてはいけない」と、固く決心する。

 一頻り泣いて、抑えていた感情を吐き出し終えた天音は、何事も無かったかのような顔で塩谷を突き飛ばす。


 「……誰かに言ったら許さないわよ」


 朱くなった目で恫喝する天音の態度の変わりように、吃驚しながら塩谷が答える。


 「ワカリマシタ……」


 気まずい空気の中、数人の大人を連れて、麻里佳が走って来る。


 「天音!」


 麻里佳の先を走っていた大人の一人が手を振る。


 「母さん!」


 天音も母の方へ駆け寄っていく。母は勢いよく飛び込んでくる天音の体を受け止めて、顔を擦ってやる。


 「天音、大丈夫?」


 心配で顔を曇らせている母に、天音はニコリと笑みを見せて、


 「平気だよ」


 母は天音の目を見て、何かを察すると「そう」と笑顔を返す。

 天音の後ろにいた少年に目を向けると、少年に唇の動きだけで「ありがとう」と示す。

 それに気付いた塩谷は、照れ臭そうに頭を掻いた。


 「何であんな所に行ったの!」


 もう一人の大人が怒鳴りながら塩谷に近付き、一発ビンタする。紅くなった頬を押さえながら、塩谷は目の前で仁王立ちする女性を見る。


 「母さん、ゴメン……」


 躊躇いがちに言う塩谷を塩谷の母が抱き締める。


 「あんな場所に行って、首吊り死体まで見つけるなんて…怖かったでしょう」


 自分を気遣う母の言葉に、塩谷が「大丈夫」と強がって見せる。

 確かに怖い思いはしたが、イイコトもあった。と言いたかったが、それは呑み込んだ。


 「それなら、自殺でしょうかねぇ」


 そう呟いたのは、麻里佳の母だった。「そうでしょうねぇ」と勘繰る大人達に天音が異を唱える。


 「いいえ、あれは他殺。間違いないわ」


 瞳をギラつかせる天音に、天音の母が宥めるように諭す。


 「天音、何言ってるの?今、自分が言った事分かってる?」


 困った顔で大人逹に頭を下げる母に、天音が腹の底から叫ぶ。


 「死体の足下に踏み台が無かった!足から床までの高さから見ても、自殺は有り得ないもん!」

 「ちょっと落ち着きなさい!天音!」


 母の制止も聞かず、天音は熱弁を振るう。


 「あの部屋は床が地面になってた!死体の足は裸足だったのよ!?外で首吊る時、靴なんて脱ぐ!?」


 熱の籠った天音のディベートを唖然と聞いている大人逹に、天音は間髪入れずに続ける。


 「そもそも、靴も履かずに山なんて登る?私達すら土足で入ったのよ!」


 勢いが止まらない天音を母が肩を掴んで揺さぶる。


 「いい加減にしなさい!それは警察が判断する事!貴方がとやかく言う事じゃないの!弁えなさい!」

 「だって……」


 悔しそうに唇を噛みながら天音は俯いた。その傍らで申し訳無さそうに頭を下げまくる母に、一瞬、侮蔑に似た感情を抱いた。


 『母さんは刑事だったんでしょ!』


 そう叫びたい衝動を天音は必死に捩じ伏せる。


 私がまだ子供だから、誰も話を聴こうとしてくれないのか……。

 父さんならきっと話を聴いてくれるのに……。


 そんな悔しさが込み上げてくる。自分を一人の人間として認めてくれる父親がいてくれない淋しさも同時に襲い掛かって、天音は涙を溢した。


 「申し訳ありませんでした!!」


 大声で輪に加わって来たのは、加原の母だった。

 加原の母に引き摺られて来た加原には、頬に強く殴られた痕があった。

 涙ながらに謝罪する大人を目の当たりにして、子供達は硬直する。

 その痛々しい姿に、天音の母も麻里佳の母も慌てて宥める。


 「無事で良かったじゃないですか」

 「そうですよ。大樹くんママ、どうか頭をあげてください」


 漸く頭を上げた加原の母の横で、拗ねた顔をしている加原に天音の母が笑顔で言った。


 「加原くん!偉かったわね。お手柄よ!」


 天音の母の予想外の言葉に、加原の目がきょとんとする。


 「貴方達が見つけてあげなかったら、その人はずっと誰にも知られないままになっていたかも知れない。貴方達が見つけてあげたから、その人は家に帰れる。だから貴方は良い事をしたのよ」


 普段から怒られてばかりの加原に掛けられた賛辞は、加原の表情を一変、明るくさせた。


 「冗談じゃない!」


 和やかになりかけた空気を塩谷の母がぶち壊す。


 「そんな事は結果論で、子供が危ない事をしたのに違いはありません!」


 塩谷の母の表情が、般若のように変わっていく。


 「それを褒めるなんて、伊織川さんはどうかしてます!もし、ウチの孝文に何かあったら責任取ってくれるんですか!?」


 久しぶりに大人に叱られた天音の母が俯く。塩谷の母の暴走は止まらない。


 「もう加原くんをウチの孝文に近づかせないでください!絶対に許しませんからね!」


 母の暴言を黙って聞いていた塩谷が、拳を握って叫ぶ。


 「嫌だ!!」


 塩谷の剣幕に、場の時間が止まる。


 「俺は加原といると楽しい!友達は自分で決める!母さんには関係無い!」


 思わぬ息子の反発に、塩谷の母は、一瞬怯んだが、すぐに自分を取り戻して、


 「そんな事は母さん、絶対に許しません!!」


 澱んだ空気を蹴散らすような、けたたましいサイレンの音が近付いて来る。

 宵闇に包まれた山の麓に、赤色のパトランプが激しく反射して、ざわざわと近所の野次馬達も集まりだした。

 パトカーから次々に降りてくる警官達が、周りの野次馬逹を制止しながら、非常線を張る。


 「発見者の方ですか?」


 一人の中年の警官が、天音達に近付いて来て、声を掛ける。

 子供達が頷くと、警官は人好きする笑顔で話し掛けてくる。


 「君達が発見してくれたのか。そうかそうか、じゃあ、その時の事をオジちゃんに詳しく話してくれるかな?」


 警官が膝を折って子供達の目線まで降りる。天音はその態度に嫌悪感を催す。


 「私とこの子は死体を見ましたが、他の二人は見ていません」


 天音が塩谷を掴んで一歩前に出る。その天音の勢いに、警官は一瞬戸惑ったが、すぐに笑顔を戻して、


 「しっかりしたお嬢ちゃんだねぇ。じゃあ君達、オジちゃんにお話してくれるかな?」


 塩谷が無言で頷くと、天音も遅れて首を縦に振る。

 「まず、山に登った理由から聴かせてもらおうかな?」


 警官の言葉に声を詰まらせる塩谷に、天音が塩谷を押し退け、代わりに朗々と語る。

 山に登った理由から、まだ聞かれていない死体を見つけた経緯、死体の状況まで、詳細に話した。


 天音の叙述的で隙の無い供述に、メモを取るのも忘れて、口をあんぐりと開けて聞き入っている。


 「それに……」


 天音はふと、母を見る。母は子供逹の母逹と、何かしら話し込んでいる。


 「死体の状況から見て、他殺の可能性が高いと思います」


 天音の言葉に警官が目を丸くする。その警官の反応を無視して、天音が持論を展開する。

 一々論理的な天音の他殺論を、興味深く聴いていた警官は、天音の頭を優しく撫でて言った。


 「話は分かった。その辺も踏まえて、きちんと捜査させてもらうよ。ありがとうね、お嬢ちゃん」


 警官が自分の意見を聴いてくれた事が嬉しくて、天音はニコッと笑った。

 屈託の無い少女の笑顔に微笑みを返して、警官は訊いた。


 「お嬢ちゃん、お名前は?」


 優しい警官に、天音は無垢な笑顔のまま、ハキハキと答える。


 「伊織川天音です」


 やっと子供らしい顔を見せた天音に、安堵の溜め息を吐く警官だった。



  * * * *



 天音の詳細な供述もあって、子供逹は思ったよりも早く家に帰された――。


 天音達親子が遅くなった夕飯を済ませ、寛いでいると、玄関のインターホンが鳴る。


 「はーい」


 天音の母が玄関のドアを開けると、隙間から精悍な若い男が顔を覗かせる。


 「こちら、伊織川天音さんのお宅ですよね?」


 見知らぬ男の質問に、天音の母が不信感を露にして、つっけんどんに答える。


 「どちら様ですか?」


 警戒感を噴き出させる天音の母に、爽やかな笑顔を見せながら謝罪する。


 「失礼しました。私、新潟県警の成木と申します」


 そう言いながら、男はドアの隙間から身分証を提示する。


 「何か、ご用ですか?」


 警戒心を解いた天音の母が、成木と言う刑事に質問する。


 「変わらないですね。朝霧先輩!」


 親しげに声を掛けながら、知的な若い女性が、にこやかに現れる。


 「冴子ちゃん!?」


 女性の顔を見て、懐かしそうに女性の手を握る。


 「お久し振りです!」


 女性も天音の母の手を握り返す。騒がしい玄関の様子をリビングから、天音が覗き込む。


 「あら、貴方が天音さんね!」


 母の手を握る女性が、天音を見て微笑む。


 「どなた様ですか?」


 天音が女性を訝しげに見つめると、女性は玄関にズカズカと入ってきて、


 「私は、県警本部の園崎冴子です。宜しくね、天音ちゃん」


 園崎の顔を一瞥した天音が、興味無さげに「はぁ」と返事とも溜め息とも言えない音を発する。


 「やっぱり朝霧先輩に似てますね。パッチリした目の辺りなんかソックリ!」

 「そう?想さんは伊織川の顔だって言ってるけど」


 楽しそうに会話を弾ませる母と園崎を無視して、天音はTVに集中する。


 「朝霧先輩とは、何年振りですかね」

 「天音が産まれる前だから、十年は経つわね」


 昔話に花が咲いているのを邪魔したくないのか、天音がソファーから立ち上がって部屋へと向かう。


 「どうぞ、ごゆっくり」


 そう言って天音は部屋へ引っ込んだ。その天音の姿を見送ってから、園崎が天音の母に近寄る。


 「実は折り入って、ご相談がありまして」


 神妙な顔で、園崎が話し始める。


 「聴取の警官から、先輩のお嬢さんが他殺を論じていらっしゃると聴きまして……」

 「まぁ!あの子ったら、そんな事を言ってたの!?……ごめんなさいね。後で叱っておくから」


 眉を吊り上げる天音の母を、園崎は宥めるように制して、


 「いいんです。本当に他殺でしたから」


 園崎は耳打ちするような小さな声で続ける。


 「遺体の首に、吊った跡以外の索状痕が見つかりました。遺体の爪の間からもガイシャの皮膚が見つかっています……ただ」


 園崎が言葉を濁す。


 「靴はあったんです。玄関の下駄箱の中に……それが気になりまして」


 園崎の報告を黙って聞いていた天音の母が呟く。


 「……それで?」


 見透かすように天音の母が園崎を見る。それを察した園崎はガバッと平伏して言う。


 「先輩!恥を承知でお願いします!捜査に協力してください!!」

 「ちょっ…冴子ちゃん!私は今は専業主婦よ?」

 「それは重々分かっています!でも、先輩の背中を見て、私は現場主義で捜査して来ました!また、先輩と捜査がしたいんです!」


 固く床に這いつくばる園崎に、天音の母が優しく諭す。


 「気持ちは有り難いけど、それは出来ないわ…。貴方は貴方の本分を弁えて。それでも、何か捜査に行き詰まったら、協力出来る事なら協力するから」


 天音の母の優しい檄に、園崎はパッと明るい笑顔を向けて、


 「ありがとうございます!」


 天音の母の激励に、園崎と成木は意気揚々と帰って行った。

 その隙に入浴を済ませた天音が、リビングに戻って来て母に訊ねる。


 「何しに来たの?」


 不思議そうな天音に、母はクスッと笑って、


 「ただの昔話よ。今夜はもう休みなさい。貴方も疲れたでしょう?」

 「うん……」


 天音は淋しそうに返事をすると、部屋へ入って行った。

 天音の母も入浴を済ませて、自室の和室で床に着くと、襖がゆっくりと開く。

 「どうしたの?」


 母の視線の先には、枕を抱えた天音が立っていた。 天音は体をモジモジさせながら、小さく呟く。


 「一緒に寝てもいい?」


 枕で口元を隠し、恥ずかしがる天音に、母は優しく微笑んで布団を捲る。


 「いらっしゃい」


 天音は嬉しそうに母の布団へ飛び込むと、母の体に寄り添った。

 しばらくして、微かに寝息を立て始めた愛娘の寝顔を、愛おしく見つめていた母は、天音を包み込むように抱きながら眠りに就くのだった。

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