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クスリ売りの行商人

作者: なづき海雲

クスリ売りの行商人






とある世界のとある場所で、それはとても奇怪に珍しい姿をした商人が売り歩いていた。

だが西洋にも似た街並みを過ぎる人はその存在に目を向けるでもなく、まるでそこに『ない』かのように通り過ぎるばかりだ。

身の丈は幼い子供ほどだろうか、ゴシックな帽子を被って古風な探偵にも似た衣装。

和風な緑の風呂敷に包んだ荷物を大事そうに背中に背負う彼―――いや、そのオス猫である。


「やぁれやれ、人間の世界は相変わらずごちゃごちゃしてますねぇ」


ふと見上げれば、太陽はいつの間にか過ぎていた。

代わりに姿を見せ始める夕闇が確認でき、彼の金色の目も本領発揮だとばかりに光り始めていく。

路地裏に進めば幾らでも食糧が調達できるが、この人ごみだけはどうにかならないだろうか―――そんな呑気な事を考えながらも、現金な体はポリバケツに半身埋めるように残飯の美味を味わっていた。


「おい、そこのヨソ者。おめぇ、この辺の野郎じゃねぇな?」


うん?と口周りに食べかすを付着させたまま声のする方向へ見やるも、背負った荷物が重すぎたのかそのまま地面に後ろから落ちてしまうのだった。

それには声の主も呆れたらしく、軽快な音で降り立ち、傷の目立つ野生の目で行商人の彼を眺める。恐らくはこの辺を縄張りにしている野良猫だろう。

「あぁ、いい星が眺められるなぁ。人間の世界もまだ大丈夫そうなんですけどねぇ」

「いいから起きろよ、おめぇはよ」

「いや、それがですね?起きれないと申した方が早いとでも言いますか」

「そんな重そうな荷物を首に括ってっからだろ。その紐を解けばいいだろうが」

「もう少し待ってください。もう少しで、今頂きました栄養素が体内に行き届きますので」

「あん?」

ガラの悪そうな、けれども根からの悪人でもなさそうな相手は不思議そうな表情を広げている。そして行商人の恰好をした彼の言葉通り待つ事1分弱。

突如としてその金色の目がビームのように光り輝いたのだ。

「とぉっっ!!」

そして、先程まで倒れていた体勢から華麗に回転ジャンプを披露。

星の輝きを背後に、それはまるで幻想的な風景の一つにすら魅せるだろう。

―――そして華麗なる動きのまま、無駄な動きは一切なく着地に到る。

そのハイレベルな動きには野良猫も感嘆詞を洩らすばかりで、猫の端くれでもここまでの技術を持つ奴はいないだろう。

「す、すげぇな、おめぇ!サーカスの飼い猫か!?」

「・・・」

着地のポーズのまま、俯いては無言のその様子が気になったのだろう。声をかけてみるも、返事は唱えられないままだ。

「お、おい?どうしたよ?」

「・・足首を痛めてしまいました。薬を頂けませんか」

なんとペースの乱される奴だろうか。

呑気が売りの小動物でも、ここまでマイペースに他人を疲れさせる奴も珍しい。

「薬だったら、てめぇの背中にあるだろうがよ!行商人だろう!?」

「ああ、これは薬ではありませんよ」

「あ?薬売りじゃねぇのかよ?」

「クスリ売りですが、薬売りではありません」

「・・は??」

そしてコホンと一つの咳払い。


「荒んだ社会に救世主はいつでも求められている!心の隙間を些細な笑いで救おうという趣旨の元派遣された『クスリ』売りのロク介と申しますっ!」


新手のヒーローショーだろうか。

細かく大振りで動くポーズだが、元が猫なのだからこれといった効果は見えない。

呆然とそれを見守るのだが、目の前のロク介はやり切った感で満ちている。

「ロクな目に合いそうもない介?」

「ロク介です!なんならテイク2いきましょうか?」

「いや、やめてくれ。色々と痛いから」

「そうですか?結構楽しいんですけどねぇ」

「まさか、その自己紹介シーンは自分で考えたのか?」

「はい。人間はこういうアクションヒーローものが流行っていると聞いたので。オーバーなアクションと豪快な設定説明、それだけで盛り上がるそうですよ」

「・・・で、薬が何だって?」

「クスリ、です。間違えないでください」

「だから―――」

「僕の姿が見えるという事は、貴方も窮屈な心を生かされているのでしょう。本来は人間しかお客にしないのですが、声をかけてくださったお礼に一クスリお聞かせしましょうか?」

「・・・・」

思う所があるのか、彼は少し目を細めて無言が包み込む。到ってマイペースに明るいキャラを崩さないロク介は返事待ちといった所か。

「派遣だとか荒んだ社会だとか・・・本当の話なのかよ?」

「嘘は申しません」

「どこから派遣されて、誰に依頼されてるんだ」

「う~ん、その辺りのシステムを説明するのは些か面倒ですねぇ。何せ、流浪人のようなもので、出会った土地で活動しているようなものですから」

「旅人って事か?」

「はい、人の心を救済しながら」

「だったら話がおかしいだろ。派遣ってのは雇い主が仕事先に人材を寄こすもんだ。お前の話を聞いてると、自分勝手な気まま旅行にしか聞こえねぇ」

「ですから、些か面倒だと申したんですよ。世界の人口はどれぐらいかご存知ですか?」

「猫が知るわけねぇだろ」

「何万人、なんて数ではありません。億単位です。その中で、どれぐらいの人が『満足』を得ていると思います?生活の不満、社会の欺瞞、不条理な都合、誰もが社会の歯車に振り回されて生きているんです」

「なんだ、急に哲学かよ?」

「ですから、全ての人を救済する為にはこうやって地道に売り歩くしかないんです。そして、心に救済を求めている人にしか僕の姿は見えませんから、鴨がネギ背負ってやって来た~って具合に」

「最後のセリフがなけりゃいい話なんだがなぁ」

「まぁまぁ、そう仰らず。ともかく、僕の姿が見えている以上は救うのが僕のお仕事」

「・・いや、俺はいいんだ」

「?」

仕事を始めるかとばかりに風呂敷を下しかけた時、どこか言い難そうにする表情が目の前に広がっていた。ロク介の話を信じたのか、勢いに流されたのかは分からないが―――

「俺は飼い猫なんだ。その、どうせやるなら飼い主の娘さんにしてやってくれないか」

「飼い猫さんだったんですか?それにしては随分と横暴な態度で出てこられましたけど」

「内猫だが、基本的に出入りは自由な家なのさ。夜まで住人は帰ってこないし」

「はぁ、成る程。その間に縄張り争いに精を出しているんですね」

「一言多いんだ、てめぇはよ」





※※※





一見、普通の一軒家に連れて来られた頃には住人も帰宅していたようで、香ばしい夕食の匂いがご満悦な表情を誘ってくれる。

場所にしてどの辺りだろうか、先程の路地裏から猫の足で15分程度の郊外の一角である。住宅街のような風景を見渡す限り、随分と落ち着いた雰囲気で満たされた場所だ。

家族持ちが集った場所だけに、子供の甲高い声が時々夜空に響き渡る。


「ほぅ、これはこれは。普通すぎる程に普通な一軒家」


ガレージには1台の車、門周辺には色とりどりの花が添えてあったりと、見た目的には本当に普通だ。プレートを見やれば『岩谷』と記されていた。

「いわたに・・・・ではガンちゃんですね」

「おい、それはもしかして俺の名前か?」

「名前がないと不便ですから。それより、そのお嬢さんに僕の姿が見えてもらわないと困るんですが」

「おめぇの話が本当なら、絶対に見えるだろうさ」

心に溜息を持っている人にしか見えない、というなんとも大雑把な説明だけでは納得のしようもないのだが、こんなにも胡散臭い行商人を招き入れるガンは藁にも縋る気持ちなのかもしれない。

「ありさちゃん、っつーんだけどな。まだ6歳の女の子だ」

「ポニーテールが似合いそうな名前ですね。・・・いえ、続けてください」

正面玄関ではなく、家の囲いに沿って歩きながら裏庭へと進む。

1階からは少しの光も漏れていたが、どの窓もベランダもカーテンで遮られている為、中は窺えない。そしてガンはその脚力で2階のバルコニーまで上り、ロク介も続く。

「あぁ、これはこれは可愛らしい女の子で」

どうやら、降り立ったベランダ沿いが女の子の部屋らしかった。

母親の趣味なのだろう、淡い色で染め上げられた一室。そしてベッドには、ふさぎ込むようにして微動だにしない少女が座り込んでいる。

「1年前に親父さんの浮気がバレてからというもの、家族内は会話なんて一切ありゃしねぇ。親父さんも最初は反省の色を見せてたんだが懲りずに同じ相手と浮気を繰り返し、おふくろさんは完全に見切っちまったらしい。それでも両者共に離婚はしないの一点張り、まだ6歳の娘に毎日旦那の愚痴を語る母親、最悪だろ。おかげでありさちゃんは滅多に笑わなくなって言葉も減り、ずっとあーやって塞ぎこんでばっかだ」

「聞いてるだけで胸が痛いですねぇ」

「俺も、その母親から度々八つ当たりを受けてる」

そう言いながら目を細めれば、ガンの目を縦に走る傷が痛々しい。

「まぁ浮気にせよなんにせよ、両親の事情に振り回される子供、というのはよくある話ですよ」

「そうなのか?」

「ええ、僕も色んな所で仕事をしてきましたけど、浮気真っ最中の現場や殴り合う夫婦、果てには身辺整理中に御邪魔したものです」

「本当に邪魔だな、お前」

明日の生活を考え直さなければならない時に、クスリ売りなどというワケの分からない猫商人を相手する人間がどこにいるだろうか。

ただでさえ、二本足で歩き会話すらしてみせる猫だ。不審以外の何物でもない。


「さて、ありさちゃんにご挨拶を」

「あ?あぁ、そうだな―――」


出入りが自由と言ったのは本当の事らしく、窓が数センチだけ空けられていた。つまりはそこを通って出入りしているらしい。

だが大きな風呂敷を背負っているロク介は多少苦労しており、行儀が悪いが足で大胆に開けて中へと進む。


「あ、パプ~!お帰り!」


ロク介が窓を空ける音で気がついたのだろう、ベッドの上の少女が待ってましたとばかりに明るい声で出迎えてくれる。

そして恐らくは、その微妙な愛称がガンの名前だと思われる。

「こんなにも似合わない名前に遭遇したのは初めてです」

「お前はクスリを売りに来たのか喧嘩を売りに来たのか、どっちなんだ!」

「巧い事言いますねぇ。落語家になれますよ」

「猫が噺屋になってたまるか!」

「パプ~、そっちのニャンコは御友達??」

「あぁ、良かった。僕の姿が見えていますね」

「わぁ、喋った!喋ったよ!」

はしゃいで喜ぶ少女の目にはロク介の姿が確かに映り、そしてその言葉すらも聞こえているようだ。

勿論、案内人のガンは少女にとってはただの猫のままである。

まだ疑っているのかガンは不審な視線を寄せ、それに気づけば風呂敷を背負った派遣猫は苦笑した。

「そこの鏡を見れば一目瞭然ですよ。僕の姿は映ってませんからね」

「・・!」

6歳の少女の部屋には似つかわしくない全身鏡。そこには、ベッドからおりてカーペットの上に座り込むありさと、ガン、その二つの存在しか映り込んでいなかったのだ。いや、角度が悪いワケでも何でもなく、本当に鏡の中にロク介は住んでいない。


「さて」


納得してくれた頃を見計らい、ロク介はわざとらしい咳払いをした。

その瞬間、何故か嫌な予感が走る隣のガンは―――これほど野生の勘が当たった事はないだろう。

しかしガンが止めに入る隙もなく、そのアクションヒーローものを真似たらしい自己紹介は勝手に展開されていた。


「荒んだ社会に救世主はいつでも求められている!心の隙間を些細な笑いで救おうという趣旨の元派遣された『クスリ』売りのロク介と申しますっ!」


場所が室内の為か、裏路地で見せられた時のように跳ねたり飛んだりはしなかったが。

そして一定のポーズのまま固まる事数秒。

ようやく聞こえてきた少女の拍手でようやく固定ポーズを収めるのだった。

「わぁ!すご~い!ねぇねぇ、私とお話してるのっ?」

「勿論でございます、お客様。こちらのガン―――もとい、パプ~・・ぷぷっ・・に、依頼を受けまして、貴女へクスリを売りに参った次第で御座います」

「・・おいロク介、今てめぇ笑っただろ」

彼はツッコミ体質なのだろうか―――と脳裏で考えるが、口にすればまた怒られそうなのでやめておく。

「くすり??くすりって、お薬の事?」

「心のお薬でございます、お客様」

まるでどこぞの貴族のように、軽い風のように優雅なステップで会釈する。

「クスリと一笑いで心に風穴が開き、クスリともう一笑いで花が咲く。3・4がなくてもう一笑いで蝶の舞う花畑となりましょう」

ペコリ、と綺麗なフォームでお辞儀をし、多分はこれも用意されていた芸の一つなのだろうとガンは一人思う。

ツッこむのも疲れたのか、ここからは観客に興じる姿勢でベッドの上に軽く乗り、そのまま体勢を崩していく。どうせ自分の言葉はガンにしか通じないのだ、何を言っても少女には猫のうるさい声にしか聞こえない筈である。


「ガン・・じゃなかった、パプ~から聞いた話ですと、そのお歳で大変苦労なさっているとか」

「いいなぁ、パプ~とお話できるんだ!・・えっとね。私さえいなかったら、こんな家さっさと出て行くのにって」

「・・・それはそれは」

まだ6歳の子供にその意味がどこまで理解できているのか―――だが、それでも子供に植え付けられるのは孤独以上に寂しい排除的存在感である。

「ねぇロクちゃん、お父さんとお母さんの仲を良くして?」

「僕はただのクスリ売りですから。その本格的な悩みは当人同士で解決して頂かないと」

「え~?だって、ニャンコが喋ってるんだから神様の御遣いじゃないの?可哀相な私の願い事を叶えに来てくれたんじゃないの?」

「結構したたかに我儘ですね」


被害妄想の欠片を感じる辺り、恐らくは母親から影響を受けているのだと思われる。情操教育に悪い環境だ―――と頭痛を感じるのは他人だからできる事であり、本人達は自分達の事で一杯一杯に違いない。

周囲に気を配る余裕がないからこそ娘に不満をぶつける母親と。

自分は恵まれていないと見せ付けられる家庭の中で耐えるしかできない少女。

そしてまた、その中で飼われている猫も随分と荒れた性格だ。

全く以ってどこまでも崩壊を進むしか道のない家庭だ。例えここで父親が改心したとしても、最早家庭の中に信頼感などないだろう。

一度離れてしまった心は簡単に取り戻せる筈もない。


「ねぇねぇ、ロクちゃんは一人で来たの?お父さんとお母さんは?」

「いえ、僕の両親は―――」


気まずそうに、ロク介にしては珍しく顔を俯けていた。

さすがのガンもこれには驚いたらしく、ベッドの上から興味津々だとばかりに身を乗り出してすらいる。


「あ、ごめんなさい。もしかして、死んじゃったの?」

「すこぶる元気に生きてます」

「生きてんのかよっ!!」

けろっと即答され、傍観を決め込んでいた猫は勢い良くベッドからスライディングを決めるように転倒するのだった。

「今の、笑えませんでしたか?」

「どこがだ!」

「う~ん、やはり感性の適合は難しいですね」

「―――・・っ・・」


何か、息の詰まるような―――かみ殺したような息の欠片が聞こえたような気がする。

さすがは猫の耳と称するべきか、二人―――二匹は顔を見合わせるようにした後、今の掠れた音の主を探す。

だが、それは探すでもなく次の音声で真正面から届いた。


「ぷっ、あははは!ロクちゃん、おもしろ~い!あははは!!」

「・・ありさ、ちゃん?」

これはガンだ。

突然腹を抱えて笑い出す少女に、ツッコミも忘れて目を丸くしている。

そして隣の商人を見やれば、どこか安心したような暖かい眼差しで少女を見守っていた。

「・・・やっと、笑って頂けました」

「おいロク介、まさかお前」

「僕はクスリ売りですから。クスリを買って頂くには会話しなければ始まりません。尤も、今回は相手が子供だけに警戒心もなくてやりやすい仕事ですよ」

「やっぱりおめぇは一言多いんだよなぁ」

感心しかけたのも束の間、シビアな商人だ。


「ちょっと、ありさ!!何してるの!!」


ドアの向こうから、階段を激しく踏みながら怒声が届いてくる。

そしてこの部屋の前でドアを数回殴ったかと思いきや、遠慮なくそれは開かれた。

「下まで聞こえてきたわよ!母親が大変な時に、何一人で笑ってるの!」

「ひ、一人じゃないもん・・・」

「ああ、パプ~もいたのね。まったく、誰かさんに良く似て、そこらじゅうに出かけては巣を作って帰ってくるんだから!」

「人間は縄張りを巣と呼ぶんでしょうかねぇ」

「俺が知るか。・・ったく、また始まったぜ」

喧嘩腰のガンにしては珍しく、呆れた表情でベッドの上に寝転がる。

ありさは母親の遺伝をそのまま受け継いだのだろうという事がよく分かる程に、母親にそっくりだ。もちろん、性格や中身でなく風貌が。

子持ちにしては少し派手な衣装を身に纏い、酷く尖った表情。神経が異常に敏感なのか、些細な事すらも我慢できない性格。

ありさの視線から見れば、これでは自らに劣等感を感じてもおかしくはない。

全く以って、子供に悪影響な環境である。

「パプ~じゃないよ、ロクちゃんが―――」

「ワケの分からない事言わないで頂戴!これ以上私を困らせたいの!?私をこれ以上苦しめるのが、そんなに楽しいの!?アンタさえいなけりゃ良かったのに!!!」

「・・・・ごめんなさい・・生まれてきてごめんなさい・・・」

ベッドの上のガンを抱き寄せ、堪える腕を交差して抱きしめる。少し苦しそうな表情のガンだが、その耐え得る心が痛いだけに鳴きはしなかった。

だが、上から落ちてくる涙だけは、無数に降り注ぐ雨のように止まりはしない。

悲しみという熱を持ち、罪悪感という背徳を懺悔し、世の中でただ一人喜んでくれる筈の母親が自分の存在を全否定しているのだ。

6歳の少女には重すぎる。

―――多分、いつもこんな感じなのだろう。


「やれやれ、これは想像以上ですねぇ」


母親には姿が見えていないらしいロク介は、一人傍観気味な重い溜息を一つはく。少し暑いのか帽子を団扇代わりに風を作ったり、ともかく第三者的にも痛い光景のようだ。


「なぁ、ロク介」

母親からの痛すぎる視線を受け、まだ俯き泣いている少女の腕の中からガンは話しかけてくる。なんだろうと首を傾げれば。

「お前のクスリ売りは、ただの気休めじゃないのか?実際問題、何かが解決するワケじゃねぇ。荒んだ社会を改善しようという趣旨は立派だが、おめぇのそれは些細も役に立たねぇ。そういうの、偽善者っつーんだ。馬鹿っつーんだ」

「知っています」

「だったらなんで、そんな無駄な事を」

「でも、無駄なんかじゃない。事実、ありささんはお腹を抱えて笑ってくれました。滅多に笑わないと伺ったのでどんな堅物かと思いましたが、何て事はない普通の女の子です」

母親の怒号はまだ続いている。

少女はただ泣きじゃくるばかりで、それが余計に苛々するのかとうとう手まで出してしまった。さすがのガンも傍観を決め込められないようで、弾かれた瞬間に牙を剥き母親の右手に噛み付く。

「この、何をするのよ!!飼われている分際で!!」

こちらからの言葉は通じないが、牙を剥くその態度だけで意思表示はできている。

そしてありさの盾になるように、ヒステリックな母親を野生の眼光で睨んだ。

「普通の女の子が!こんな事されてたまるかよ!毎日泣いてるんだ!追い込まれて殴られて、それなのにこんなクソくらえな両親に気に入られようと必死なんだ!それが、お前に分かるか!!」

「分かりますとも」

その返事が、その即答が意外すぎたのか―――ガンが母親から目を逸らした瞬間にヒステリックな態度のまま彼女はドアを荒々しく閉めて出て行ってしまう。

だがそれを追う気は当然なく、どちらかと言えばロク介の言葉の真意を知りたい所である。

勿論、ロク介のこのキャラを思えば適当にはぐらかされそうな気もするが。

「ごめんね、ロクちゃん。ほんとはね?もっと優しいお母さんなの。今日はちょっと苛々してるだけなの」

殴られた左頬を抑えながらも、必死に弁明する姿が痛々しい。

そしてロク介は、ずっと背負っていた包みをゆっくりとカーペットの上に置き、風呂敷の結び目を解いていく。

「僕がクスリ売りになったのは、僕自身の為です。僕の我儘の為だけに、我儘な願いの為だけに流浪の行商人をしています」

「我儘な願い?」

まるでその時だけは言葉が通じたかのような―――ガンとありさは同じような表情で見つめ返してくる。

「先程、言いましたよね。僕の両親は生きていると」

「まさか、嘘だったのか?」

「嘘は申しませんと言ったでしょう。ちゃんと、生きてます」

だが、ロク介は再び悲しそうな瞳で俯いてみせる。

先程と同じく、その辛そうな顔だ。

そして、衝撃的な発言はゆっくりと届けられる。


「・・僕の親は、両親共に人間なんです」

「―――ッ!!?」


人間が猫を産むなど、有得ない。

そんな不可思議な顔をしてしまったのか、目の前の商人は風呂敷をゆっくりと解きながら苦笑してみせた。

「だから、僕は猫だったから捨てられたんですよ。人間に言葉が通じるのも、多分そのおかげなのでしょうね。けれど、神様は残酷な事をなされた。その時は、恨んだものです」

「神様の悪戯、なのか・・?いや、人間からお前が生まれてくる現象そのものが世の秩序から大きく外れて―――」

時に哲学に、現実的な発言をするガンだ。

ツッコミ体質だけに頭の回転もいいのだろう。

「けれど捨てられて間もなく、不思議な事が分かりました。全ての人に僕の姿は見えず、それはとある条件を持つ人にしか見えないのだと」

「それが、心を窮屈な思いをしている人間、なのか」

「だから僕は、神様にお願いをしたんです。・・・どうか僕を、人間にしてくださいと」



悪戯をしたのが神様なら、願いを叶えるのも神様か。

誰よりも一番残酷に振り回されているのはロク介ではないか。

それでも彼は、可笑しそうに笑うのだ。


「そしたらその晩、夢に神様が出てきたんです。その為には人を知らなければならない、もっと色んな人に出会って色んな人と触れ合い、傲慢な世の中を沢山知りなさいと」


猫の姿をした行商人。

それに出会った人間は、まずどんな反応を示しただろうか。

決していい事ばかりではなかった筈である。

それでも、歩み寄る努力を怠らずに懸命に頑張ってきたのだろう。

―――そう考えると、ロク介のこの無駄に明るいキャラも理解できる。


「だから人間になる為、その願いを叶える為に、人の幸を集めて旅しているんです」

「?ロクちゃん、さち、ってなぁに?」

「幸せ、という意味ですよ。貴女も先程笑ってくださった、それこそが最大の幸に他ならりません」

「・・笑う門には福来る、か?」

「ガン、君の言う通りかもしれません。僕は馬鹿かもしれません。でも、それは無駄じゃない。僕にとって無駄なんかじゃないんです」


あのオーバーアクションな自己紹介を思い出せば慈善事業かと思ったが、そうでもない。

度々にシビアな発言が届いたのも、それがロク介にとって何よりも意味を見出すものだからだろう。

焦らずゆっくりと、けれども目的は決して薄れず誇示し続けたままで。


「ですからありささん、貴女が耐えるのも決して無駄ではありません。耐えているのは自分の為、そしてそれは貴女を仲介として両親の為でもある。いつの日か、きっと分かって下さる日が来るはずです。人の間に人として生まれたのです、貴女は幸せになる権利があるのですから」

「ロクちゃん・・」

「ありきたりな事しか言えなくて申し訳ありません。笑わす事には自信があるんですが、どうにもしんみりした雰囲気は苦手と申しますか・・」

らしくない自分を自覚しているのだろう。視線もどこか泳ぎ、照れ臭そうに頭を掻いてすらいる。そして自分の身の上話も持ち出したのだ、今更だが恥ずかしくなってきたらしい。

それを見てからかうのはガンである。

「へぇ。お前も結構ウブなとこあんだな」

「僕はウブの固まりですよ。いつまでも少年の心を忘れない行商人です」

「結局は商売かよ!」

「当然じゃないですか。―――さて」

ひと段落ついた、とばかりにロク介が開けてみせたのは、大事に背負っていた風呂敷の中身だ。何てことはない、少し分厚いただの箱である。

だが、その箱の中には細々と色んな物が詰め込まれていた。

「わぁ、この手鏡かわいいっ!」

「何だ?ガラクタか?」

手鏡から化粧グッズ、ペンダントにロザリオ、衣服に書籍―――まとまりのないそれらがただ詰め込まれているだけの中身を拝見し、ガンは思ったままの事を口にする。

「これらは全て、幸ですよ」

「??」

「物には心が宿ると云います。それは愛着があればあるほど魂で満たされ、大事にしていればしている分、その物には幸が宿っているのです。勿論、真逆を申せば憎しみを込めた物には邪悪な物しか呼ばないワケですが」

確か、人間が伝える逸話にも似たような話があった―――そんな事を思い出しながらも、ロク介の話は続く。

「僕が集めている幸、というのは、お客様から頂く『大事な物』が報酬となっております。幸を集め歩いているとはいえ、形なきものですから」

「待て待て。それじゃおめぇ、ただの押し売りだろ」

「お金を寄こせと申しているのではありませんよ」

「そうじゃねぇ。そういうのは、最初に提示し合ってから交渉が始まるもんだろ。お前の場合、勝手に笑わせただけで―――」

「何でもいいのです。愛着があって大事にしているものならば。決して肌身離さず持ち歩いている物を懇願している訳ではなく、見つめれば微笑む事のできる髪飾り一つでも充分なのですから」

先程から箱の中にあった手鏡を離さないありさは少し考える仕草を見せ、そして困った表情で鏡の中に映る自分を見る。

「あのね、私大事なものなんてないの。この御洋服もお部屋の中にあるものも、全部お母さんが買ってくれたものだから。お母さんの趣味だから、私のものじゃないの」

それでもあるとしたら―――と言葉を続け、ありさは隣の猫を見る。

さっきは自分を守ってくれた騎士猫を。

「お、俺かっ!?」

驚くのも無理はない。

だがガン同様、ロク介も目を丸くしている。

「これは困りましたね。ナマモノを差し出されるのは初めてですよ」

「ナマモノ言うな!」

「パプ~はね、私が泣いてる時もいつも傍にいてくれるの。泣いてる私に何か言ってくれてるけど言葉は分からなくて、でも―――」

彼女がガンと言葉を交せるとしたら、きっと驚くだろう。イメージしていた猫とは違い、言葉遣いの悪い荒れた性格の猫で間違いない。だがロク介はその言葉を押し留める事に成功したようで、少女の言葉の先を催促した。

「でも、何でしょう?」

「守ってもらってばかりだから、強くならなくちゃって。いつもパプ~に甘えてばかりだって本当は分かってるの。今日もお母さんに噛み付いてくれて、本当は私が立ち向かわなきゃいけない事なのに」

「何言ってんだ、ありさちゃん。まだ子供にあんな真似する方がおかしいんだ!」

「ごめんね、パプ~。何を言ってくれてるのか分からないの。きっと、慰めてくれてるんだよね?」

「おいロク介!通訳しろ!!」

「・・・・」

「ロク介!」

無言のまま首を振るのは、否定の意思表示に他ならないだろう。だが、今一番伝えたい言葉を否定されて黙っているガンではない。勢いのまま掴みかかろうとするも、ありさの両腕が背後から伸びて抱きとめられてしまった。

「私ね、甘えちゃうの。優しくされるとその気になって、難しい事とか全部捨てちゃうの。でも、それじゃ駄目なんだよ」

強くなりたい、けれど少しでも甘い囁きがあると依存してしまう―――そう言いたいのだろう。

「だって、ロクちゃんに比べたら私なんて全然恵まれてるもん」

「それは人それぞれですから、境遇など比べるものではありませんよ」

「ううん、ロクちゃんは強いよ!だって、そんな酷い事があっても、それでもお母さんやお父さんを恨まずに人間になる為頑張ってるんだもん!」

「これは、僕のただの我儘ですから。それに、恨んだ事がない、とは申しません。けれど、父と母がいてくれたからこそ僕はここに存在できている。そう考えると、恨む事などどうしてできましょう。何があっても、何が起こっても、この世で両親と呼べるのは僕をこの世に産んでくれたあの人たちだけですから」

「私も、いつか・・そうやって感謝できる日がくるかな?ありがとうって、言える日がくるかな?」

「貴女さえ元気に生きていれば大丈夫ですよ。子供が可愛くない親など、この世にはいませんよ」

自分は例外だが―――と言いかけたようだが、ロク介は明るく努める。

その心境が痛いのか、ありさの腕の中のガンは何も言わなくなった。だが、呟きたい事はある。

「・・俺はもう、不要なのか?」

「彼女の決意です。受け止めておあげなさい。君も荷が軽くなるでしょう?」

「ふざけんな!安心できると思うのか!俺がいなけりゃ―――!」

「それ、ですよ。それが、ありさちゃんにとって重荷なんです」

「・・・くそ・・っ・・」


過保護、とはまた違うだろう。

放っておけなくて、だからこそ傍にいてやりたくて、少女の身に何かが襲ってきたらこの身でいつだって助けてきた。

だが、それが邪魔だと言われたら、ガンにとってここは居場所ではなくなる。


「―――ですが、僕が頂く幸にしては彼は価値がありすぎるようです。その差し引きといっては何ですが、そちらの手鏡を差し上げましょう」

見た目にも到ってシンプルなデザインで高価なものとは思えないが、随分と使い込まれているような、きっとこれの持ち主は大層大事にしていたのだろうと思われる一品。

ありさが先程から握っているその手鏡を目線だけで指し、少女は驚く。


「鏡には自分が映り込みます。悲しい事や辛い事があれば、映りこむもう一人の自分に話しかけるといいでしょう。『自分』は甘やかす事もできますが、叱咤する事だってできる唯一の存在ですからね」

「あ・・」


自分が弱いと思うのも自分であり、甘い誘惑に乗るのも立ち止まって棘の道を選ぶのも、全ては自分だ。

まだ幼い6歳の少女にそこまで出来るかはさておき、それでも拠り所にしていたパプ~を差す出す覚悟なのだ、その資格は充分に備わっているはずである。

「あのね、また遊びに来てくれる!?」

「う~ん、どうでしょう。明日はどこを歩いているかも分からない流浪の旅ですから」

「でもね、一つだけ約束して!」

「?約束、ですか?」

明日からの希望を得た少女の小さな手は、更に小さなロク介の猫の手を取り、指きりげんまんを誘う。

「あのね、人間になったら一番に会いに来てね!その時、もっと強くなってるから!強くなった姿を、ロクちゃんとパプ~に一番に見て欲しいの!」

健気な少女は嬉しそうな笑みを溢し、それを見てはロク介は自分の価値を少し幸せに思う。

この流浪の旅の途中に出会った事は、彼女にとっても無駄ではなかった、のだと。


「―――約束しましょう」


はにかむように、幸せそうな笑みでロク介もその指を絡める。

そして何も言わずに、その上をガンの手が乗せられた。

「その時は俺も、誰もが知るボス猫として知られているだろうさ」

「素直じゃないですねぇ」

「うるせ。・・・縄張りが広がるのはいい事だしな」

内猫のくせに不良魂が根付いているガンである。

勿論、今後は頼もしい護衛になってくれる事だろう。


「では、名残惜しいですが―――」

「うん、近くまで来たら絶対寄ってね!」

「社会人が頻繁にお世話になっている社交辞令のようですね」

風呂敷を首に結わえ付ける頃、ロク介もいつもの調子が戻ってきたらしい。尤も、その意味のまま寄ったとしてもその時彼女の目に映る事ができなければ意味はないだろう。だがそれを語る事はしなかった。

そのまま去ろうとする後ろを続くのはガンで、ありさによって開け放たれたベランダの窓付近で夜風を楽しむ。

「ガン、君を包みの中に入れる訳にはいきませんから、歩いてくださいね」

「入れられてたまるかよ」

「あと、僕は喧嘩が弱いのでその時は宜しくお願いします」

「あ~あ~、こりゃ重労働だな、おい」


ぶつくさ文句を言うのも、彼が一番この別れを名残惜しんでいるからだろう。

そして顔の位置だけを変えてチラリと後ろのありさを見やり、そのまま明日へ繋がっている空を見上げ―――ロク介よりも先に飛び出した。

後ろでありさの声が聞こえた気もしたが、それすらも気にならない様子で一人さっさと出てしまうのだった。

「いっちゃった・・」

「やれやれ、なんでああも可愛げがないんでしょうかねぇ」

「パプ~って、照れ屋さんなの。褒めると顔を逸らしたりするの。でもね、本当は嬉しいんだよ?尻尾をぱたぱた振ってるんだもん」

「猫は分かりやすいですからねぇ」

自分も猫なのにその言い分は何だろうか―――ガンがこの場にいたら、同様のツッコミを頂いた事だろう。


「では、次会える時を楽しみにしていますよ―――お客様」


帽子を軽く浮かせ会釈し、ロク介もそのまま夜の向こうに消えていく。

―――残された少女の手には一つの手鏡。

この出会いと別れが夢ではない事の証拠。

そして何よりも、自分が自分で決めた決意とけじめの証だ。



「がんばるからね、私」



気持ちのいい夜風が入り込む窓を閉めずに、ただ旅人が去っていった足跡を見つめるばかりだ。

そして聞こえてくるのは、2匹の猫の喧騒。

やっぱり何を言っているのか分からなかったが、多分はこれからの事で言い争いでもしているのだろう。

そう考えると楽しくて可笑しくて、思わず クスリ と笑ってしまうのだった。


「あ、今のはお代いらないよね?」



人間になる為に自ら過酷な旅を選んだ一匹の流浪商人。

それに付き合う一匹の不良猫。


だが、ありさは知る由もない。

自分と別れた後の彼らの最初の仕事が、残飯漁りだという事を。




 クスリ売りの行商人 / 完

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