魔法を使えない魔女が王子を笑う
その国で使われる食材は、一般的なものから最高級品まで全て、他国の者からすれば見るだけでもたじろいでしまうような所謂『ゲテモノ』だった。
それは決して、人々の味覚がおかしいだとか美的感覚が狂っているわけでもなく、世界で一位と二位の高さを誇る山のその境に国があった為である。
凄腕の魔法使いたちによって作られた国が管理する道を進まなければ、攻め入るまでに敵軍が全滅することは必須。『世界一安全な国』という名誉と引き換えで、『世界一食欲が湧かない国』という汚名も着ることになったそこはまた、『世界一勇気を試される国』という異名さえ付いている。
一日の気温の差も、陽の入り方や夜の訪れ方だって、他国からすればまるで異世界な環境下で育った食材はどうしてか、口に入れるには到底はばかられる鮮やかすぎる色をしていたり、大人でも怯み、子供が見れば泣き叫んでしまいそうなグロテスクさをしていたり。とにかく、この国の食材に慣れていない人々は口を揃えて「これは食べ物ではない」そう叫ぶ。
忠告する程度の“言う”ではない。恐怖と共に叫ぶのだ。
さて、そんな国ではある年、姫ばかりで中々跡継ぎに恵まれなかった王家で待望の男子が生を受けた。
国を上げてのお祝いは三日三晩続き、豪華な食事が数多く様々な場所で並んだ。
この国を除いた世間一般の食事のテーブルに置かれれば、どれだけ他が豪華絢爛だったとしても全ての美しさを損なうだろう料理が、所狭しと並ぶ様は圧巻だったことだろう。それはもう、この国の料理を知らない心臓の弱いご婦人であれば、残念ながら二度と目覚めない眠りに就いてしまうほどに――
国中から歓迎された王子は、そうして健やかに成長を遂げる。
一年が過ぎ、三年が過ぎ。問題が持ち上がったのは、王子に明確な自我が芽生えてからであった。
まるで血のような真っ赤であったり、おおよそ食べ物だとは思えない鮮やかな蛍光色をしている食事を、今まで嫌がらず普通に食べていた王子が、家族が揃う食事時に突然「イヤだ!」と叫んだのだ。
初め、王も妃も、傍に仕える使用人たちですら突然のことすぎて、王子が何に対して告げたのか分からなかった。
それに子供だ。突然の癇癪を起こしても、何ら不思議ではない。
妃は今までの姫たちと同様の接し方で、優しく柔らかく問いかけた。
「どうしたの? 何がイヤだったのかしら?」
母の言葉で、ほぼ涙を流しかけていた王子が顔を上げる。その瞳はどこか怯えている様でもあった。
「いらない」
「お腹いっぱいになってしまったのね」
「ちがう」
王子はまず、妃の前に食事の入った皿を押して訴えた。
ちなみにその日の王子の食事は、とても綺麗な紫色をしていた。飾りとして、ピンクのソースが添えられている。この国では至って普通の、高級な魚を用いた料理である。
まだまだ単語しか喋れない王子の気持ちを拾うため、妃は根気良くにこやかに質問を続ける。けれど結局、王子が何を伝えたかったのか。とにかく食べたくないのだとしか分からなかった。
そしてその日から、王子は一切の食事に手をつけなくなってしまった。
大切で唯一の後取りだ。王も妃も、側近たちだけに留まらず国中が慌てふためいた。
今まで好物だと思っていた青々しい肉料理を前にしても。背に腹は変えられぬと、普段はデザートとして与えている、色も見た目も泥にしか見えない“プリン”を並べても。王子は時に怒り、時に泣いて拒絶し続けた。
口にするのは水ばかり。その水ですら、目を瞑って嫌々といった感じだ。どうにも乳白色なのが嫌らしい。あっという間に痩せてしまい寝込んでしまう。
王は急ぎ、他国にある栄養価が最も高いと噂の食べ物を入手させた。とても瑞々しい、この国の人々にとっては“色の薄い”質素な細長い形をした果物であった。
それを前にした時の王子の笑顔といったら。まるで天の救いだと言わんばかりであった。
そうして王たちは、王子が“ゲテモノ嫌い”になってしまったのだと気付くのだ。
ただ、そうと分かれば苦手を克服させれば良い。この国ではゲテモノな食材が普通の食材なのだから。
見た目は慣れればどうってことはないし、味などそこらの国には負けない美味さ。ゲテモノ扱いされてはいるが、自分たちにとっては決してゲテモノなぞではない。
しかし、王子は頑固であった。言葉の通り、その拒絶は頑なで固かった。無理矢理食べさせれば吐き戻し、懇願すれば癇癪を起こす。
二年ほどは、克服させようと努力しながら他国から食材を輸入して対処したのだが、何せ場所が場所である。唯一の安全な道が国にとっても重要な分そう頻繁に使えない上、掛かる費用だって馬鹿にならない。
結局王子は、苦手を克服できないまま六歳になったその日に、世界一高い山を越えた隣国へと留学することと相成った。ちなみに隣国からもまた、第一王子の代わりとして学者気質な第二王子が訪れる。
けれどそれは、その場凌ぎにしかならず、根本的な解決にはなっていない。
帰省の度に王子の苦手克服の策が講じられるのだが、何度も何度も繰り返した結果、初め三年程度であったはずの留学期間は気付けば十年まで伸びに伸びてしまう。
本国へ先に戻った学者気質な第二王子の方が“ゲテモノ好き”となり、舞い戻ってきてしまう始末であった。この時王は、いっそのこと姫の誰かと彼を結ばせた方が手っ取り早いかもしれないと思ったのだが、さすがにそれは王家の威信に関わると寸での所で踏みとどまったのである。
さて。しばし時を戻し、ゲテモノ嫌いな王子が生まれ国中が祝いムード一色となった日と同じくして、一人の少女が同じ国に生まれていた。
この国どころか世界屈指の魔法使いと魔女の間に生まれたその子供は、正しく魔法界のサラブレッドだ。王子の祝福度合いには負けるが、彼女の周囲でもその生を祝い大騒ぎであった。
けれど、念願だった王子がゲテモノ嫌いだったように、誕生の日だけに留まらず少女もまた同様に問題を抱えていた。
それが露見したのは、魔女がしきたりに則って魔法を習い始める六歳の時のことである。
少女は世界屈指の魔法使いの父と魔女の母を持ちながら、魔法の才能が一切なかったのだ。
どれだけ薄くとも、ほんの一滴でも魔の血が流れていれば本来使える魔法ですら使えない、未熟どころかただの人間。泣き崩れる母を前に、少女はその背中を撫でることしか出来なかった。
結局、この魔法一家の跡継ぎ問題は弟が生まれたことで事なきを得たが、それから少女は魔法を使わなくとも役に立てる薬について、それこそ死に物狂いで学ぶようになった。彼女なりに、後ろめたさがあったのだろう。
その十年後には、その名は世界屈指の薬師として若くして轟くことになるのだ。
時を戻そう。
ゲテモノ嫌いの王子はとうとう十六の青年となり、いい加減隣国で頑固を貫いていられない状況となっていた。
勉学に力をいれる国だったおかげで、多くの知識を得ることは出来たが、その代償として王子は王となる為に必要な経験全てを犠牲にしてきた。
その苦手は未だに克服できていない。それどころか、現時点で人生の半分以上を隣国で過ごしてしまい、むしろ悪化していた。
別段匂いは食欲をそそるものだといえるのに、今ではもう、自国の料理だというだけで吐き気を催してしまうほどだ。
「俺は死にに帰るんだな」
これは、王子が隣国を発つ際に放った言葉である。
なんて大袈裟なと笑う友人たちだったが、至って真面目な発言だ。
それほど王子にとって、自国の料理は食べ物として受け入れられなかった。どうしてそこまでなのかは、本人ですら分からない。
そんな王子を大袈裟ではなく死なせない為、王や妃、側近たちが何もしなかったわけがない。
帰国を喜ぶ国民たちへ手を振る王子の“悲壮”な決意を拭い去り、穏やかな生活を送れるようにと、最後の頼みの綱として一人のうら若き娘が城へ呼ばれていた。
出来ることなら本人の力で克服できるよう、今までまじない色の強い反則的な力に頼っていなかった王たちであったが、王子の命には代えられぬと決断。魔法の力を借りようと魔女を呼んだのだ。
「なんとしても王子の食わず嫌いを治してくれ。最悪、王子自身に魔法を掛けても構わぬ。お主の両親を見込んでの頼みだ。失敗すれば――分かるな?」
「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「なんぞ」
「王子は決して、味がお嫌いというわけではないのですね?」
「うむ。見た目だけが違う味の変わらない隣国の料理を、普通に食していたからな」
「拝命、仕りまして御座います」
中々に美しい娘であった。玉座の前で頭を垂れながら王と向き合う姿勢も、凛としており堂に入っている。
快い返事で、王は期待していた。なにせ、世界屈指の魔法使いと魔女を親に持つ魔女だ。本人は魔女としての腕よりも薬師として名高い娘ではあるが、策がありそうな返事。彼女が内心、焦りに焦っていたなどと気付きもしない。
そう――その魔女は、王子と同じ日に生を受けたあの子供であった。
命に関わる問題を抱えていた王子と違い、魔法の使えない娘はその事実を伏せて生きていた。
そうして現在、弟の修行をすると両親揃って付き添い家を開けていた為、彼女が王命に従い城に上がらざるを得なかったというわけだ。
断ろうにも断れず、両親に急ぎ便りを送ったが返事は来ず。結果、こうして王の前に跪いている。
――あぁ、死んだな自分。
王の話を聞きながら、どこか暢気にそう考えていた娘であったが、質問の答えを聞いた瞬間光明が差す。彼女は薬師だ。それは即ち、体内に摂取する食事とも深い関わりのある知識を持っていること。
垂れた頭と頬にかかる長い髪に隠れ、薄っすらと笑みが零れていた。
そして、王子が国民へ手を振り、娘が王と対面してから数時間後。同じ日の生まれで、似たような特質な問題を抱えていた両者は出会う。
けれどもこの時、二人共がそれぞれで必死であった為、相手に回す気など微塵も無かった。
王子は食べたら死ぬとまで考えており、娘もまた食べてくれなければ殺されてしまう。
食堂にて、王や妃、姫は勿論宰相までもが固唾をのんで見守る中、娘が王子専用の料理を運ぶ。
穏やかでも厳かでも構わない。普通はそういった雰囲気を醸し出す場で流れる緊張感は、ともすれば笑ってしまいそうな違和感も含んでいた。
王子の背後でワゴンが止まる。彼以外の全員が、娘が手に掛けたクローシュの奥に視線を集中させた。
「王子殿下のお好みに合わせ、魚をメインにご用意させて頂きました」
閉じ込められていた香りが食堂全体に広がる。王子以外の全員が「おぉ……!」と呻いたが、本人は恐怖で背後を見れなかった。
それでもしっかりと香りは届き、ごくりと喉がなった。しかし、元々問題なのは見た目なので、恐怖は治まらず吐き気だって襲ってくる。
「まずはお水を」
「いや、水は……」
「失礼致します」
後ろに立つ娘からでも、王子が青ざめ冷や汗を流しているのに気付けた。
ここまで駄目だったのかと、初めて王子の問題の大きさを知る娘だったが、まずは不憫な彼へ水をと“要らぬ気”を回す。
自分と変わらない年若さだからと、やんわり拒絶しかけた王子の前へ置かれたカップ。――グラスの中は透けていた。
「これは――!?」
「お水です。王子殿下」
水をと言ったじゃないか。娘はそう思うだけであったが、王子からすれば驚愕である。
王子の思う水、望む水は確かに透明だ。グラスに注げば歪んだ先が見える、そんな液体。
けれど、残念ながらこの国の水は乳白色であり、隣国などでその色が当てはまる飲み物なミルクは純黒である。
震える手でカップを取った王子は、ここで待てよと自制をかけていた。この国にも透明な液体があるにはある。それは、滋養強壮に効果的な薬水だ。
娘が偽りの魔女で凄腕の薬師だとは知らない王子であったが、水だと嘘を吐くよう王から命令されているのではと妙な勘ぐりをし、半信半疑なままカップに口を付ける。
「……水だ」
そして静かに驚きを零した。
「お料理が冷めてしまいますので、お並べしてもよろしいでしょうか」
「あ、あぁ……」
「では、失礼致します」
王子の反応で娘はホッとし、同時に自信が生まれた。クローシュを取った際の周囲の反応がまず、彼女にとっては良い出だしだった。
カチャリと、メインの皿を堂々と置く。
水だけではまだ不安を拭いきれていなかったらしく、その瞬間小さな悲鳴を聞いてしまったが、ここはもう一気に並べてしまった方が良いだろうと判断し、メインを中心としてスープ、サラダ、パンの全ての料理を王子に“見せた”。
カップを持ったままであった手が震え、水が跳ぶ。王子の反応を待つ周囲を他所に、彼は突然大きな動作で背後へと振り向いた。
「これはお前が作ったのか!?」
「え、あ、はい。まあ」
「どうやって! まさか魔法によるまじないかなにかを」
「いいえ。全てこの国の食材と少しばかりの薬草を組み合わせて、普通にお作り致したものにございます」
それどころか立ち上がり、王の前だというのにも関わらず強く娘の肩を掴む。
王子はそれでも信じられなかったのか、首だけ振り返り王や妃へ、彼らもこの料理が“普通”に見えるか尋ねていた。
その間に興奮しすぎて軽く引けた娘は心の中でひっそりと、広範囲の幻を見せるまじないは、準備にも儀式にも数ヶ月かかるから、今日登城したのだから無理だよと最も説得力のある言葉を呟く。一応、自分の父が魔女を呼んでいたなど、王子に教えるのは不味いだろうと思って我慢したのだ。
――まあ、そうでなくとも自分は魔法を使えないけれど。
そして、興奮するのは良いが、とりあえず自分の命の確保の為、早く味を確かめて欲しいと願った。
王子は幻ではないと周囲にしっかり確認してから、緊張した面持ちで娘の肩から手を離し席に着き、フォークを握る。
味嫌いでなければ、ある程度隣国の使うスパイスに似せているから大丈夫だろう。流石に生きていた形まで変形させるのは無理なので、サラダに使われているキノコなどは少なからずグロテスクではあったが、それでも王子の隣の姫の料理と比べれば十分なはずだ。最も嫌悪しているらしい色が、全て彼の言う普通に変わっているのだから。
娘からすれば、何故その色になってしまうのかが分かれば、それを取り除いたり影響を及ぼせる薬草を用いるだけ。味が嫌いでないのなら、手間はある程度かかっても、なんら難しい問題ではなかった。
むしろ、解消できるのだから自分よりマシだと王子へ嫉妬すら覚える。
そんなことを考えていれば、気付けば目の前で王子が自分の料理にがっついていた。
「あの王子が……!」
「お料理を召し上がっていますわ!」
周囲だって驚きでどよめいている。娘はなんだかおかしかった。
悲観に泣く母がムカついたという理由で極めた薬学の道で、まさか王子の窮地を救い、王族を驚かせることになろうとは――
自分の料理を王子が号泣しながら食べる光景がおかしくてたまらない。
「デザートもありますが」
「頂こう!」
とはいっても、さすがに王族を笑えないので、誤魔化すように用意していたマカロンを差し出す。
黄色やピンク、緑に青色。鮮やかなその色に一瞬怯んだ王子だったが、娘は手のひらでどうぞと促した。
「……おいしい」
サクリと軽い音が鳴る。
娘がデザートをこの国ではあまり知られていないマカロンにしたのは、王子が少しでも色に慣れてくれればと思ったからであった。
王子がこの国で初めて零した言葉で、食堂には笑顔が溢れた。
王が娘の計らいを褒め、妃や姫がマカロンを羨む。
深くお辞儀をし、退室をしようとした娘へ王子が言った。
「お前の料理は、人を惑わすものよりもよっぽど素敵な魔法だな」
「――っ! ありがたきお言葉にございます」
娘にとって、その言葉の方が素晴らしい魔法を呼び起こす呪文であった。
数ヵ月後――
王城の厨房にて、ゲテモノな食材と必死に格闘しながら料理を教わる王子と、薬草を駆使してまるで魔法のような料理を作り出す娘の、仲睦まじい光景が見られるようになるのだが、それはまた別のお話。
お粗末さまでした。
あらすじが大袈裟すぎる気もしますが、嘘は吐いてないのでセーフですよね、きっと。
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