第1章:好きになっていく《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
千歳との出会い。
不思議ちゃん、と世間からは認識されているお嬢様。
天然系でのんびりとした彼女。
いつしか俺は千歳に惹かれつつあった。
その日は2時限目の授業を終えて昼でも食べようかと悩んでいた。
「朔也ちゃん~っ」
すると向こうからこちらに手を振る千歳を見つける。
向こうから会いに来てくれている。
そう思うくらいに最近はよく会うのだ。
「ん? おぅ、千歳か」
「朔也ちゃんはこれからご飯を買いに行くの?」
「そうだけど。千歳はいつもお弁当だっけ。俺も適当に買ってくるから一緒に食うか?」
千歳は明るい声で「うんっ」と返事をする。
俺は千歳を待たせて、売店でサンドイッチを購入してくる。
戻ってきたときには彼女は中庭のベンチで俺を待っていた。
「もうすぐ、試験だな。それが終われば夏休みになる」
「試験かぁ……。勉強しないといけないね」
俺にとっては毎度のことながら死活問題だったりする。
元々、こんな一流大学に来れるほどの頭脳がないのに、受かってしまった。
身の丈以上の大学に入ったおかげで大変なのだ。
入学以来、試験のたびに大変な苦労をしている。
「……いただきます」
憂鬱な目先の現実よりも今は食事を優先しよう。
俺はサンドイッチを食べ始める。
隣の千歳はお弁当箱を開けるといかにも高そうなお弁当が広がる。
……普段は意識しないけど、この子もお嬢様なんだよな。
実家は一流の大手一族企業、そこの御令嬢で何不自由のない生活をしているらしい。
「朔也ちゃんはずっと東京育ちなの?」
「いや、昔は海が見える田舎の方に住んでたよ。東京なんて都会とも縁がなくてね。中学卒業と同時に、父さんの仕事の関係で東京に引っ越してきたんだ」
「海かぁ。いいね、私はお魚さんとか大好きだから海は好きだよ」
千歳は花、鳥、動物、魚……と、生き物が何でも好きだ。
俺が昔住んでいた町には自然もたくさんあったので千歳が喜びそうだな。
「はい、朔也ちゃん。どうぞ」
彼女は小皿にお弁当を取り分けてくれる。
最近になって、食事が一緒の時は俺にも分けてくれるのだ。
わざわざ、箸と小皿まで用意してくれる。
「ありがと。いつもながら、千歳は美味そうなものを食べてるな」
「でも、量が多いから食べきれないけどね」
お弁当はお抱えシェフの手作りで、千歳は小食のためにいつも残してしまう。
量を減らしてもらうように言えばいいだろうに。
小皿には高そうな生ハムやら、お肉などがのってる……どれも美味しそうだ。
「ん!? この生ハム、マジで美味いな。これってやっぱり、高いのか?」
「さぁ? 私は気にした事ないけど」
「くっ、そんな事が気にならないとは生まれ持ってのお嬢様め」
「えへへ」
これだけふんだんに高級食材を使った料理を毎日食べられるのは羨ましい。
いいところ育ちのお嬢様はそのことに無自覚でいらっしゃるようだ。
「千歳は自炊とかしないのか? いや、させてもらえないのか」
「うん。でもね、私もお料理くらいは覚えなきゃって思ってるんだ。いずれは海外で一人暮らしするつもりなの。お父様からは反対されてるんだけどね」
「そりゃ、千歳を心配しているんだろう。あらゆる意味で」
天然だからなぁ、ぽやっとしているし、ドジっ子属性もあるし。
親としてもいろんな心配で一人暮らしなんてさせられないんだろ。
「ひどいよ、朔也ちゃん。私はこれでも20歳なんだからね」
「……そこに一番疑問を抱くんだよなぁ」
見た目と精神年齢的にどう考えても女子高生程度にしか思えない。
千歳は子供みたいに「むぅ」と頬を膨らませる。
……可愛い。
なんて言うか、千歳と話していると、不思議と落ち着くんだよな。
「うぅ、私は子供じゃないよ。大人なんだからね? お酒は飲めないけど、飲める年齢なんだからっ。ホントだよ」
「そんなに怒るなよ。お酒どころか炭酸飲料も苦手なのは知ってるし」
「ツーン。怒ってないもんっ。朔也ちゃんの意地悪ぅ」
千歳は怒ってるところを見た事がない、拗ねてるだけか。
俺はご機嫌伺いをしながら、話題を変えてみる。
「……なぁ、千歳。休日っていつもは何をしてるんだ?」
「休日? 家で本を読んでるか、大きな本屋さんにお買い物をしにいくくらいかな。あんまり繁華街とかの雰囲気が苦手で……」
翻訳家になりたいというだけあって、千歳の趣味はかなりの読書家だ。
小説家になる程度の語学力が翻訳家には必要らしいからな。
部屋にはかなりの蔵書があるらしい。
「友達とかと出かけたりしないのか?」
「お友達と遊びに行っても、私はいつも、ふにゅってなっちゃうから」
……ふにゅってなんだ。
千歳は時折、変な擬音語を使うがよく分からない。
「ふにゅっの意味がよく分からないが、友達とは遊びの趣味があわないってことか?」
「ペースが違うから、疲れちゃうんだよ。それじゃ、相手も私も楽しめないから、あんまり一緒に遊びに行ったりしないかな」
ふにゅ=疲れたときの擬音語らしい。
なるほど、千歳は人よりものんびりとしているからな。
服とか買い物をしていても、友達とは波長が合いにくいのかもしれない。
別に友達がいないわけじゃないだろうが、千歳が学校内で友達らしい相手と一緒にいるところを見るのも少ない。
「……朔也ちゃんとなら一緒に遊びたいな」
千歳が何気なく呟いた一言。
「俺と? それじゃ、今度の日曜にでもどこかに行くか?」
俺の一言に千歳はなぜか顔を赤くした。
……なぜだ?
「え? え? で、でも……」
「千歳、用事でもあるのか?」
「う、ううん。ないよ、全然予定は入ってないの。でも、それってデートのお誘い?」
デートくらいがどうしたって言うのやら……ん?
俺はその時、恥ずかしがっている千歳の理由に気付く。
別に特別に意識することのないデートでも、千歳は初めてなのかもしれない。
そういや、千歳って誰とも付き合ったこともないって言っていたからな。
「そうだな。千歳がいいなら、俺とデートでもする?」
「うんっ。したい……朔也ちゃんと一緒に遊びに行きたいよ」
満面の笑みで答える千歳が可愛くて。
何だか俺まで照れくさくなってしまう。
「朔也ちゃんとデート。楽しみにしてるねっ」
ほんの少しずつだが、俺と千歳の関係が近付きつつある。
そして、俺も人に恋をするという昔の感情を千歳との触れ合いで取り戻しつつある。
ただ……千歳が純粋すぎて、こちらも対応しにくいのが問題ではあるが。