序章:君に出会った夏
一色千歳ルート、大学生編です。
【SIDE:鳴海朔也】
それは大学2年の初夏のこと。
大学の中庭で俺は暇な時間を潰していた。
携帯電話を片手に、登録されていたアドレスをひとつ削除する。
その相手は、昨日まで俺の恋人だった女性の名前だった。
「この前の恋愛よりはマシですけどね」
前々回は相手と揉めに揉めた修羅場だった。
それを思えば今回はお互いに納得した円満破局だった。
「……今度の恋はまともにするか」
お互いに相性がいいと思っていたのだが、いつの間にか気持ちが切れた。
そうして破局を迎えてしまった恋に未練もない。
これが初恋というわけでもない。
大学に入ってから気が合う子がいれば付き合う。
そんな恋愛を続けていても、意味はないことに気付いてはいた。
「昔はもうちょっと良い恋をしていたんだけどな」
忘れられないような恋をしたい。
そんな純愛なんて俺のキャラじゃないが。
それでも、ふと、俺は昔の自分を思い出しながら苦笑する。
「そういや、田舎にいた頃は恋愛もしてなかったな」
中学卒業後、東京に来るまで、俺は地方の田舎に住んでいた。
そこでは可愛い幼馴染や同級生はいたが、彼女達とは恋愛関係を結べなかった。
神奈や千沙子たち、今は何をしてるんだろうか。
ふたりとも良い女に成長してるに違いない。
「……本気で恋なんて俺にはできないのかね?」
女と付き合う日常は楽しければそれでいい。
そんな考えでは長続きもせず、ここ最近はほぼ一カ月も交際が持っていない。
「お子様みたいな純愛がしたいわけじゃないけどな」
そこまでの純愛ではないにしろ、人を愛している実感を持てる恋をしたい。
俺はそんな事を考えながら、のんびりとベンチに寝転がっていた。
時折通る学生や教授を眺めながら、初夏の太陽の日差しを浴びる。
「これがしばらくしたら暑苦しくて嫌になるぜ」
今は心地よくても、夏はもうすぐそこまで来ているのだ。
夏の暑さは嫌になるね。
その時、俺の視線に入ったのは可愛らしい白色のワンピースを着た女の子。
「~っ~♪」
一見すると、女子高生くらいの女の子に見える。
とはいえ、ここは大学、きっとああ見えても大学生なんだろう。
「ロリフェイス、可愛くていいねぇ」
童顔な少女は中庭の花壇に植えられている花を眺めていた。
花を見つめ、にこっと微笑む彼女は可愛い。
だが、まだ蕾のひまわりの花など見て何が楽しいのだろうか。
「……乙女だな」
見た目相応に純粋っぽい。
俺の周囲にはいないタイプでどこか心を惹かれた。
「ああいうタイプの女の子も悪くない。俺みたいな男には寄りつかないタイプの子だけどな。純粋系や清純系には全く縁がない」
恋愛したいなら、今度、友人の合コンに参加でもするか。
時計を眺めると、お昼の12時過ぎ。
この時間、取っていた科目が休講だったので暇を潰していたのだ。
「腹も減ったし、飯でも食べに行くか」
俺は寝転がっていた身体を起こして、昼食でも食べに行こうかと思った。
「……?」
視線の先にいたのは先ほどの少女。
彼女は俺に気付いたのか、こちらをじっと見ている。
改めてみると綺麗な子だと思う。
澄んだ瞳に真っ白な肌、そして少し色素の薄い茶色の髪。
誰から見ても美少女な彼女だが、いきなりの俺の方に近づいてくる。
あまりにジッと見ていたせいか。
「……私のこと、気になる?」
綺麗な声だった。
見た目通りに声色もいいようだ。
「何をしてるのかなって思って。花を見てるのは楽しいかい?」
「うんっ。この子たちは毎日、成長してるから」
「……成長、ね? 花だから放っておけば育つだろ」
「そういうものでもないんだよ。私も家でお花を育ててるけど、しっかりとお世話をしないと枯れちゃうもん。愛情かけて育てると、ちゃんと成長してくれるから嬉しくなるの」
花について楽しそうに語る彼女。
今時の大学生にはない純真さ。
「この子たちは夏に向けてもっと大きくなるんだよ」
花の蕾を眺めながら可愛い笑顔を浮かべる彼女。
不思議な魅力のある子だな、それが俺の第一印象だった。
数日後、同じ場所で俺は昼食を取っていた。
今日は講義が終わるのが遅かったせいもあり、食堂に出遅れたのだ。
人が多い中で食事をとるのが好きではないので、売店で適当にサンドイッチを買って中庭のベンチで食べていた。
「あっ、こんにちは~っ」
「え?」
挨拶をされたので振り向くとこの前の女の子がそこに立っていた。
「あぁ、この前の子か。こんにちは」
「また会ったね。今からお昼なの?」
「講義の教授につかまってな。雑用させられてお昼が遅くなった。キミは今日も花を見に来たのか?」
「うんっ。そうだよ」
彼女は花壇に植えられた蕾から花が咲き始めたひまわりを見つめる。
まもなく綺麗な花が咲きそうだ。
「飽きないね。そんなに花が好きなんだ?」
「んー。今はこの子達が綺麗に咲いてくれるかなって気になるの」
俺はさっさとサンドイッチを口に放り込むと、コーヒーで流し込む。
この女の子に近付くチャンスではないか。
そんな下心もあったが、それ以上に俺はこの子に興味を抱いていた。
「キミはどこの学科の子なんだ?」
「私は文学科2年の一色千歳(いしき ちとせ)だよ」
「千歳か。俺も文学科の2年、鳴海朔也だ。よろしく」
正直、同い年とは思わなかった。
こんなに可愛い子が同じ学部にいたとはねぇ。
ほんわかとした天然系の美少女、千歳。
無邪気な笑顔を浮かべながら彼女は明るい声で言う。
「それじゃ……朔也ちゃん!」
「この年でちゃん付けされるとは思わなかった」
「ダメ?」
「いや、呼び方なんて何でもいいけどさ」
俺のベンチの横に座る千歳は俺に視線を向ける。
近くで見れば本当に美少女っぷりがよく分かる。
さらさらとした長い髪に、少し子供っぽい童顔な容姿。
意外にも話をすればすぐに打ち解けることができた。
彼女はのんびりとした口調で語る。
「そっかぁ。朔也ちゃんは先生になりたいんだ」
「あ子供のころからの夢でさ。私立の高校教師にでもなろうかなって思ってる」
「そっかぁ。いいね、学校の先生。大変そうだけど、やりがいはありそうだもん」
「千歳は何かなりたい職業はあるのか?」
文学部だと選択肢はいくらでもあるが……。
「私はね、翻訳家になりたいの」
「翻訳家? 英文学か?」
翻訳家って言うのは外国語の本や文章を日本語訳する仕事だ。
英語能力はもちろんのこと、日本語の文章能力が高くないとできない。
「うんっ。もともと英語は得意なの。将来的にはアメリカとか海外の小説を翻訳したりするお仕事に就きたいなって思ってる」
「へぇ、いい夢を持ってるじゃないか」
「でも、私はフラワーアレンジメントのお仕事にも憧れてるの。お花好きだからね。どっちもなりたいけど、今は翻訳家が一番なりたい夢かな」
いくつもの夢を持つ彼女は、俺に夢を語る。
「お互いになりたい職業につけるといいな」
「そうだねっ。朔也ちゃん」
こんな会話を同じ大学生とする事はあまりなかった。
千歳の持つ純粋さに俺は惹かれていたのかもしれない。
「また会ってお話してくれたら嬉しいな」
ほぼ初対面ながら俺は千歳に気にいられたらしい。
彼女はしばらく向日葵の花を眺めていたが、やがて授業があるかと去っていく。
「俺もそろそろ行くかな」
俺は次の講義に向かうと、その教室で友人に声をかけられた。
「鳴海、お前さっき、一色って言う女の子と一緒にいただろ?」
「知っているのか?」
「うちの大学では、天然系のお嬢様として有名なんだぞ? お嬢様ってステータスは別にこの大学じゃ珍しくはないが、あの子の実家は一流の大手商社。一族経営企業で、まさに御令嬢って立場らしい。兄と姉も優秀らしくてな、たまにテレビに出てるくらいだ」
「正真正銘のお嬢様か。確かにあの雰囲気はそういう所があるかもな」
純粋さは生まれ育った環境か。
箱入りのお嬢様として大切に育てられてきたんだろう。
「一色が有名なのは天然な性格の方が大きいけど。かなりの美少女だから俺の知り合いも何人かアタックしたんだが、それを見事に天然な性格でかわす、と。お前も狙ってるなら覚悟しておけよ」
「んー。そうだな」
天然な性格に見えるが、しっかりとした夢を持ったりもしている。
常識知らずのお嬢様というわけではないらしい。
「お近づきにはなれたからな。狙ってみるのもいいかもしれない」
「鳴海は女を落とすのうまいからな。でも、あの子は難易度高いぞ?」
「ははっ。それは確かに。でも、俺にはああいう女の子こそ必要なのかもな」
後に俺の人生に大きな影響を与える事になる、一色千歳と出会った夏。
大学2年の夏はいつもとは違った夏になりそうだった――。