第6章:想いの指輪《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
神奈との交際から数日後。
台風は過ぎ去り、夏の終わりの海で俺と斎藤は釣りをしていた。
機会と暇さえあれば釣りをする。
俺たちの共通の趣味だからな。
今日も隠れ浜で釣り日和、釣り竿を持ちながら餌を海へと放り投げる。
俺はそこで斎藤にある報告をしていた。
「ほぅ、ようやく相坂とくっついたか」
「お前に言わせれば、今さらか?」
「そうだなぁ。相坂と鳴海の付き合いを考えると、今さらだな。でも、幼馴染同士で交際まで発展するのは難しいものだとも聞く。そういう意味ではいい事だろう」
彼は俺に「おめでとう」と祝福の言葉をくれる。
親友の斎藤だからこそ、俺たちの悩みも分かっていたはずだ。
傍目に見守ってくれていたからこそ、俺も真っ先に報告しようと思っていた。
「だが、あれだけ台風の海に近づくなと言っておいて、堂々とそこで交際って流れは気にくわん。危ない所だったんだぞ」
「それは反省するよ。ここで神奈を見つけた時は俺もドキッとした」
あの夜、神奈を隠れ浜で見つけた時ほど怖かった事はない。
アイツを失うんじゃないか。
そんな恐怖があったのも事実だ。
「無事だったからいいけどさ。それにしても、相坂もやるな。例の指輪を海に放り投げるとは。事故とはいえ、お前にとってはいい踏ん切りになったんじゃないか」
「そうだな。あれはいずれ、手放すべきものだった。心の整理のためにも、いつかは……。でも、自分ではできなかった。結果的に俺はこれでよかったと思う」
この海のどこかに沈んで消えていった指輪。
想いを断ち切る意味では、あの行為は結果としては悪くない。
「この海のどこかに指輪はある。鳴海達の話はどこかロマンチックだな。いい話じゃないか、ちょっと感動的に思えたぞ」
「ロマンチックねぇ。あの夜の事はロマンチックよりもただの修羅場だったけどな」
それに神奈はあの事故をものすごく気にしていた。
指輪を事故とは言え、海に放り投げてしまったのだから。
でも、なくなったものは仕方ない。
「指輪もなくなり、過去を振り切れたか、鳴海?」
「あぁ。これでいいんだ、と思えるようになったよ」
俺は海を眺めながら思うんだ。
あの指輪はもうないけども、あれは元々、千歳に渡せなかったものだ。
海に消えたことで、過去を気持ち的に振り切ることができた気がする。
「……思い出は思い出だ。俺は過去よりも今を、未来を大事にしたい」
「そうか。鳴海がそう思うのなら、いいんじゃないか。おっ、俺の方に当たりが来たぞ」
「何!? くっ、今日の勝負は俺の方が負けてるからなあ。差を広げられるわけにはいかない。俺の方にも早く来い。場所が悪いのか?」
斎藤が魚を釣り上げて、俺は悔しい気持ちになりながら糸を垂らす。
今日は良い波が来てるし、俺の方もそれなりに釣れているのだが。
「そういや、相坂は何をしているんだ?」
「お店の下準備だ。美帆さんも妊娠してるし、お店の方はアイツが当面は仕切るんだとさ。いずれは神奈もあの店を追い出されるかもしれないって嘆いていたが」
その辺は今後、美帆さんともゆっくり話し合っていけばいいと思う。
神奈もまだ若い、これから先も居酒屋だけが選択肢ではない。
そう言う気持ちで、美帆さんは店から離れるように勧めたんだろう。
姉妹の想いというか、優しさからくる言葉だ。
でも、神奈もやめたくないって言ってるんだし、話し合いをしていけばいい。
もしも、神奈がお店をやめて別の道に進んでも、俺は支えていくつもりだ。
「おっ、ついに俺の方にも当たりが来た」
釣り竿のしなりからすると、小魚っぽい。
俺はリールを巻き上げていくと、何やら魚じゃないものがつりあがる。
「……」
「……」
俺と斎藤は思わず絶句してしまった。
俺が釣り上げたのは……どこかで見たような小さな箱。
針と糸に絡みついて面倒なことをしてくれるぜ。
いや、問題はそこではなく……。
「なぁ、鳴海。その箱、俺はどこかで見たような気がするんだが」
「あぁ。俺も、数日前まで自分の部屋にあった気がする」
そう、俺が釣り上げたのはまさかの指輪の箱だった。
中身も確認……海に沈んでいたが、ちゃんと中身もあった。
神奈が海に落としてしまった、あの指輪が……目の前に再び現れたのだ。
「ぐはぁ!? な、なんだ!? あの指輪がここに!? なぜに俺はこれを釣り上げた!? 今さらいらないよ、これ。もう、過去の思い出で消えてくれていればよかったのに」
「ははっ……運命の再会ってやつか?」
「やめい。逆に怖いわ。呪われた指輪か、これは!?」
まさか再び自分の元に帰ってくるとは思わなかった。
「確かに。偶然だとしても、ありえなさすぎる。鳴海、俺の感動を返せ」
「そのセリフは俺が言いたい。はぁ、なんで今さら戻ってくるかね? 神奈が投げてもう二度と会うことないと思ってたのに」
俺はずぶ濡れの箱は捨てることにして、指輪だけは回収する。
もう一度放り投げてもいいのだが、俺にはできそうにない。
これを放り投げるのはかなり勇気がいるし、自分で出来ることでもない。
「まったく、指輪が戻ってくるとは。運がいいのか悪いのか」
「それはお前が持っているべきもの、と言うことじゃないのか」
「なるほど。千歳の悪戯か、これは……まったくあの子らしい」
指輪を見つめながら、ありえそうで俺は思わず微笑した。
神奈が知ったら、それはそれで揉めそうなので、この指輪は海に消えた事にする。
「さぁて、釣りもそろそろ終わるか」
「結局、3匹差で俺の負けか。今度は負けないぞ、斎藤」
「おぅ。そろそろ、秋の魚もこの海に来るかな。これからの時期も楽しみだ」
隠れ浜での釣りを満喫し、思わぬ拾いものをした。
嵐の夜の海に消えたはずの指輪。
……これもまた思い出になるのだろうか。
俺たちはそのまま家に帰ることにした。
家に帰ると、神奈が夕食をキッチンで作っていた。
「おかえり、朔也。何か釣れた?」
「魚が適当に。店でも使える分はあるぞ」
「ホント? ありがとう。もらっていくね……って、何かあったの?」
俺の顔色で何かに気付いたのかもしれない。
まさか、あの時の指輪が見つかったとは言えないよなぁ。
俺は笑顔で誤魔化す。
「いや、何でもない。シャワー浴びて来るよ。……覗くなよ?」
「覗きませんっ。変な事を言ってないで、さっさと浴びてくれば?」
「はいはい。そうしてくるよ」
俺はとりあえず、自室のタンスの奥に指輪を隠すことにした。
できることなら、永遠に見つからないように。
そう願いながら、そして、俺は別れの言葉を告げた。
「千歳、俺は神奈を選んだ。お別れだ。俺は今を生きるから」
東京で本人と会った時には言えなかった言葉がある。
「――俺は幸せになるよ。だから、千歳も幸せになれよ」
そう呟いて、俺は指輪を見えない場所に仕舞う。
千歳との過去を振り切ること。
俺にとって一番大事なのは神奈なのだから……。
シャワーを浴びてすっきりした後は、神奈の作ってくれた夕食を食べる。
時間は5時半、そろそろ神奈もお店に行く時間だ。
「なぁ、神奈。店に行く前にちょっといいか?」
「ん? なぁに、朔也?」
俺は最近、買ってきたばかりのモノを取り出す。
俺が取りだしたのは指輪の入った箱。
もちろん、例の千歳との思い出の指輪じゃない。
神奈にプレゼントするために、数日前に購入していたものだ。
「これ、渡そうと思って」
「え? 指輪? ホントに? 私にくれるの?」
嬉しそうに目を輝かせて彼女は俺から受け取る。
薬指にあうサイズの指輪。
まだ婚約指輪ではないけども、恋人としての指輪をプレゼントしたかった。
「あぁ。ちゃんとサイズも合うはずだぞ。前々から美帆さんに聞いていたからな。買ったのは数日前だけどさ」
「お姉ちゃんに……あっ。そう言うことだったんだ」
神奈は何やら納得した顔を見せる。
「朔也は私を気にしてくれている。お姉ちゃんがそう言ってたの。これはそういう意味だったんだね。……朔也、ありがとう。大事にするから」
「って、言っても、恋人記念のもので婚約指輪とかじゃないけどな」
「それはまた期待してる。いつの日か、もっと高いものをくれるんだよね?」
うぐっ……さり気に値段UPのアピールがきた。
これは俺も婚約指輪の時は覚悟をしておこう、マジで。
「そ、その時はその時と言うことで」
「うん。朔也を信じてるからね。うわぁ、綺麗。この石は何の宝石なんだろ?」
「ただのガラスだったりして……嘘です、ちゃんとした宝石だって」
「もうっ。そういう冗談はやめてよ。感動が薄れるでしょ!」
神奈が薬指に指輪をはめているのを眺めながら俺は思った。
そう遠くない日に、本当の大切な意味を込めた指輪を俺は送る日が来るんじゃないか。
未来を予想しながら、未来に期待をする。
「――くすっ。朔也、愛してるわ」
神奈の満面の笑み、今の俺にはそれだけで十分だ。
長い時間の積み重ね。
過去、現在、未来……俺たちはたくさんの思い出を作ると決めた。
これからも、大事な人と、大事な記憶を作り出していくのだと――。