第6章:想いの指輪《断章1》
【SIDE:相坂神奈】
嵐の夜に私は大きな罪を犯す。
それは己の弱さが招いた出来事。
「私が忘れさせてあげる。朔也の思い出、すべてを――」
私は指輪を暗い海へと放りなげようとする。
こんなものがあるから、朔也は前に進めない。
思い出なんてなくなってしまえば……。
そうすれば、私のことも見てくれるよね?
きっと、そうに決まってるもの。
「これさえなければ、朔也は私に振り向いてくれる」
幼馴染以上の関係になることができるはず。
ずっと好きだった朔也が私を愛してくれる。
千歳さんの思い出さえ、消えてしまえばいいんだ。
私は彼の思い出を破壊しようとしていた、その時――。
『お幸せに、と。それだけを言わせてください』
脳裏に千歳さんの言葉がよみがえる。
あの優しい笑顔を、思い出す。
『神奈さん、貴方には朔也ちゃんを幸せにしてほしいんです。私にはできなかったから』
彼女の気持ち、託された想い。
私の行為はその気持ちすらも否定することになる。
「うっ……ぁああぁあっ」
私は泣き叫ぶことしかできなかった。
自分の気持ちがただの嫉妬だと気付いていた。
とめどなくこぼれ落ちていく涙。
自分の愚かな行為、その罪の重さを思い知る。
「……ひっく……できるわけ、ないよぉ……」
私は膝から崩れおちて、座り込んでいた。
できないよ、こんなこと……出来るはずがない。
「神奈……」
「ごめんね、朔也」
千歳さんがどんな気持ちで言ったのか。
あの一言を、想いを踏みにじって私はどうするの?
朔也の過去を消したい、なかったことにしたい。
それは私自身の我がままだ。
勇気がなくて告白できなかった私の我がままで、他人の想いを否定する権利なんてない。
「ぐすっ……うぁあ……ぁっ……」
この指輪に込められているのは、朔也の千歳さんへの想い。
その人の想いのこもった指輪を他人が否定するなんてできない。
どんなに羨ましくても、どんなに悔しくても。
千歳さんを朔也が愛した形だから。
「……ごめんなさい」
「神奈が悪いわけじゃない。悪いのは中途半端な態度だった俺だ」
「私は千歳さんが羨ましかっただけ。朔也に愛されて、想われている彼女が……」
嫉妬、羨望、私の中に入り混じる感情。
誰だって好きな人に振り向いて欲しい。
好きな人に愛されている人がいると羨ましい。
どうして、私じゃないのって思ってしまう。
告白できなかった私が悪い。
彼に好かれることができなかった自分が悪いの。
それを他人のせいにするのは間違いなんだ。
「……朔也、これを」
嗚咽を漏らしながら、私は朔也に指輪を返そうとする。
これは私が持っていて、いいものじゃない。
けれど、吹き荒れる風が私の邪魔をする。
「きゃっ」
強い風が私の手から指輪の箱を奪い、海へと舞う。
「だ、ダメっ」
私は思わず叫んで手を伸ばそうとする。
あれは朔也の大事なもので、失うわけにはいかない。
でも、届かずに箱は荒れ狂う海に飲み込まれていく。
「……っ……!!」
私はそのまま海に飛び込もうとする。
あれだけは、朔也に返さなきゃいけないのにっ!?
「神奈!? 何をするつもりだっ」
だけど、朔也が私の腕をつかんで止めた。
「だ、だって、あれは、朔也の大事なものなのに」
「バカか、お前は!? 今の海に飛び込もうとするやつがあるかっ」
「でも、あれは……朔也の、思い出で……ひっく、私は……」
こんなつもりじゃなかった。
本当に海に捨てるつもりじゃ、なかったのに。
「神奈。もういい、もういいんだよ」
「よくないよ。だって、千歳さんへの想いが……」
もう取り戻せない、暗い海に消えてしまった指輪。
その喪失感は、彼だけじゃなく私の心も傷つける。
私が朔也の思い出を奪ってしまった罪の意識が私を苦しめる。
「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
私はあふれる涙を隠すように両手で顔を覆いながら、朔也に謝ることしかできない。
取り返しのつかない事をしてしまった。
私の嫉妬が、朔也の思い出を壊してしまったの。
身体を震わせる私を朔也が抱きしめてくる。
「バカ。ホントにバカだよ、神奈。あんなものより、お前の方が大事に決まってるだろうが。思い出は大事だけどな、今の時間の方が俺は大切だって思ってる。指輪なんかよりも、神奈の方が大事に決まってるだろう」
「……朔也」
「分かっていたんだ、本当はアレを捨てなきゃいけないって。でも、俺にはできなかった。千歳への想いを捨てきれなかった。それが神奈に誤解を招いて、お前を傷つけているなんて思いもしなくて……謝るのは俺の方なんだよ、ごめんな」
子供のように泣きじゃくる私をなだめるように。
優しく温かい手が私の頭を撫でる。
それは、小さな頃から泣いてる私を慰める時の朔也の行動。
昔と何も変わらない、朔也の優しさ。
「……俺が過去を振り切れなかったせいで、神奈を傷つけてきた」
「そんなことないよ。私が悪いんだもの」
「神奈は何も悪くないんだよ。不安にさせたのも、すべては俺のふがいなさだ」
違うよ、幼馴染の関係を乗り越える事を怖がっていたのは私だもの。
恋人になりたいと願いつつも、本当はいつまでも都合のいい関係でいたかった。
「答えは最初から出ていたのに。この一言が言えずにいた。遅いかもしれないけどさ。言わせてくれよ、神奈……」
激しい雨の中で、彼は私の耳元でその言葉を囁く。
「俺は神奈が好きだ。愛しているんだ」
「朔也……?」
「東京に行って、千歳に会ったのは俺の覚悟のつもりだった。アイツと完全な形で別れて、神奈に想いを向けるつもりだった。騙すつもりも、隠すつもりもなかった」
朔也の告白が夢か、現実か私には分からなくて。
それでも、それは私の人生で一番嬉しい言葉。
ずっと望み続けていた彼からの「好き」と言う言葉だった。
「……幼馴染の関係、今日で終わりにしよう」
朔也の言葉に私は「うん」と頷く。
ようやく長い時間をかけて、私達の関係は変わる。
「お互いにびしょ濡れだな。さっさと家に帰るぞ」
「あ、あの、朔也……指輪の事は本当にごめんなさい」
「もういいって。あれは、これでよかったんだと思う」
海に沈んで行ってしまった指輪は当然ながらもう見えない。
「思い出を捨てるのは嫌だって言ったけどさ。思い出ってのは人の心にあるものだろ? それに今の俺には、もう必要のないものだから。神奈が気にする事はないよ」
千歳さんとの過去を、朔也は振り切った。
その横顔を私はただ寄り添い見つめるだけ。
「これからは神奈との思い出を作っていきたい。幼馴染じゃなくて、恋人の思い出を」
「……私も、作りたいよ。もっと、たくさんの思い出を作りたい」
「それにしても、こんな変なシチュエーションで告白し合ってるのって俺らぐらいだろ? まったく、台風のど真ん中で告白するとは思っても見なかったよ」
彼は苦笑い気味に言うと、私の手をしっかりと握りしめる。
いつしか、私の瞳から涙は止まり、笑みが浮かべるようになっていた。
「神奈、手が冷たすぎ。ずっと雨に打たれてただろ。まったく、風邪をひいたらどうする。家に帰ったら、シャワーを浴びるぞ」
「……何で、朔也がにやけてるの? ……え? ちょ、ちょっと待って!?」
彼の表情から私は変な事を想像してしまった。
彼はしれっとし態度で当然のように、
「何を言ってる? 俺も濡れて寒いんだから一緒に入るのは当然だろうが」
「そ、そっちこそ何を言ってるのよ!? 朔也のエッチ!」
「別に恋人なら普通だと思うんだけどなぁ」
恋人モードに変わった朔也は私に遠慮がなくなりすぎてびっくりだわ。
……それが彼の特別な人の扱いなのかもしれないけども。
「俺の恋人になるってことは、神奈もお子様から卒業するってことだし。その辺、覚悟しておいてくれよ」
「なんだか私が不安になる意味深なセリフなんだけど?」
「言葉の通りだ。まぁ、俺も年頃な男なわけで。その辺、ちゃんと理解してるよな?」
「――り、理解したくない~っ」
幸せなのに、私の身に危険がせまってるのは気のせいなの?
朔也はそんな私を見て「ホント、神奈って反応が可愛いよ」と笑っていた。
その笑みに私もついつられて笑ってしまう。
嵐の夜に、私達の心は初めてちゃんと繋がりあえたんだ――。




