第5章:嵐の夜に《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
荒れ狂う嵐の中、俺と神奈は海を前に対峙していた。
涙を浮かべ、今まで隠してきた本音をさらけ出す。
神奈の姿に俺は何も言えずにいた。
「朔也がいなくなる、その時に私は告白するか悩んだわ。でも、幼馴染の関係を壊したくなくて、怖くて結局できなかった。その事を後悔することになるなんてね。朔也が私の前からいなくなって、他の誰かを好きになるなんて」
俺はこれまで、何人もの女の子と恋愛をしてきた。
この年だ、それが普通だとも思うし、悪い事をしてきたつもりもない。
だが、その現実に傷ついている幼馴染がいる。
自分以外の異性に、想いを寄せていたのだから――。
「……朔也、分かっていたよね? 私が朔也の事を好きだって気持ち。中学の時くらいには気づいていたでしょ? 私、分かりやすいと自分でも思ってるし」
誰が見ても、神奈が俺を好きだと言うのは明確だった。
告白こそされなかったが、小さな頃から俺に向けられていた好意に気付いてた。
だけど、俺はその思いから目をそむけていた。
恋愛に発展するかもしれない。
その可能性がある幼馴染を、わざと“妹”扱いし続けて想いから目をそらした。
「私は告白できなかった。でも、あの時に勇気を出していれば……未来は変わっていたかもしれない。朔也が私の恋人になっていたかもしれないでしょう?」
それは、もしも、と言う可能性。
あの日、あの時、あの時間。
誰もが一度はあの頃に戻れればいいと一度は悔やむ、過去の時間。
もう取り戻す事はできない、失われた時に人は何を望むのか。
「朔也が私を好きだって、前提だけどね。あの時、告白していても、千沙子を好きだったかもしれないし、断られていたかもしれない。それでも、私は悔いているの。例え、断られたとしても、何もせず後悔するよりはマシだったわ」
自分が何かをして後悔するのならば、それは仕方ない。
だけど、できたのに、しなかったことを悔やむ時ほど悔しいことはない。
「そうすれば、朔也が他の女の子を、千歳さんを好きになることもなかった」
神奈は大雨にずぶ濡れになりながら、俺に抱きついてくる。
ひどく弱々しい彼女の身体。
雨に打たれ続けてとても冷たかった。
「私の好きな朔也が他の誰かを思うのは嫌。私以外の誰かと恋愛経験を持つ朔也の過去が嫌い。どうして私じゃないの? 私が初めての相手でいて欲しかったのに。こんなにも辛い思いをしなくても、すんだかもしれないっ」
泣き叫ぶように、想いを告げる。
「今の朔也は私に振り向いてくれない。でも、昔は違ったよね? 私が告白してたら、少しは今よりも可能性はあったよね?」
「それは……」
あった、可能性だけの話をするのならばきっと……。
俺も神奈は大事な幼馴染だったし、告白されていたら断らなかったと思う。
「朔也……私は、この22年間、朔也だけを想って生きてきたの」
傍にいることが当たり前、それが俺と神奈の関係で、ずっと続くと信じていた。
俺の転校がなければ、何事もなく、自然な流れで付き合っていたかもしれない。
「ただの幼馴染じゃなくて、恋人に……大切な人に……」
だけど、それは仮定の過去、現実の関係は違う。
「私は……朔也のっ……初恋の相手になりたかったよ……」
俺の胸に顔をうずめながら、神奈は泣いていた。
いつしか俺の手を離れた傘が砂浜の方へと飛んでいく。
俺は両手をゆっくりと彼女に回す。
壊れ物を扱うように、優しく神奈を抱きしめた。
「……」
今の俺に何が言えるのだろうか。
彼女にどんな言葉をかけていいのか分からない。
「朔也ぁ……お願いがあるの」
神奈は震える声で、俺に願いを告げる。
「貴方の思い出、全部、忘れて……他の子の思い出、千歳さんとの思い出を全部、忘れてよ。お願いだからっ!」
――願い事、ひとつだけ。
神奈の願いに俺は自分の過去を思い出す。
東京で、俺はいろんな女性に恋をした。
破局したけども、そのひとり、ひとりの女の人との思い出がある。
千歳もそのひとりだ、忘れられない記憶を作ってしまった。
初めて、結婚を意識した相手でもあった。
「忘れろって、そんなこと……できるはずがないだろう」
俺の人生に関わってきた彼女達の記憶を捨て去れと言うのは無理だ。
例え、それが悲しい過去でも、忘れ去ることはできない。
思い出さない事を、忘れるというのなら別だけども。
「どうしても、ダメ……?」
涙目で俺の顔を見上げる神奈。
彼女をここまで追い詰めていたのは、俺だ。
俺のあいまいな気持ちが、神奈を深く傷つけてきた。
幼馴染、妹、そんな言葉でごまかし続けて、神奈が傷ついてた事も知らず。
俺はこの数年間、東京で何をしていた?
「……神奈、そんな事はできないよ。お前の気持ちは分かるけども」
思い出を捨て去ることはできない。
これは俺の人生だから。
「そう……やっぱり、ダメなんだ。私じゃ、朔也の……1番にはなれないの?」
「そういうことじゃなくて。神奈、俺は……」
降り続く雨が俺たちを冷たく濡らす。
とりあえず、ここから離れよう。
そう言おうとした俺に、神奈は予想外の発言をする。
「東京に行った時、朔也は千歳さんに会ったよね?」
「え……?」
何で、千歳のことを神奈が知っているんだ?
まったくの予想外のことだった。
「……千歳さん、ずっと探してたんでしょう? 会えてよかったじゃない。朔也の好きな人だもん。再会は楽しかった?」
俺は確かに千歳に会った。
お盆の時に東京に帰省した時に久々の再会をしている。
……。
千歳から連絡をもらったのは夏が始まって少し経った頃。
彼女から電話をもらい、俺たちは1年ぶりに会う事になった。
久々に会う千歳、東京のとある喫茶店で俺たちはほぼ1年ぶりに再会した。
「久しぶりだね、朔也ちゃん」
「千歳……思ったよりも、元気そうだな」
「うん。朔也ちゃんこそ。そうだ、今は昔住んでいた町で教師をしているんでしょう?」
「あぁ。千歳のおかげで、あの町で教師をしているんだ」
俺が美浜町に戻るきっかけは、千歳のおかげでもある。
女が別れの手紙と一緒に送ってきた教師募集のパンフレット。
あれがなければ、教師の夢を捨て今頃は東京で適当な職についていただろう。
「千歳はこの1年、何をしていたんだ?」
「私は……リハビリと翻訳のお仕事。こう見えて、ちゃんと翻訳家の夢を叶えているんだよ? まだまだ新米だけどね」
翻訳家ってのは結構、大変な仕事だと聞く。
そのための留学だったからこそ、夢を叶えていることに俺はほっとした。
「そうか。夢、叶えているんだな」
「……うん。翻訳家なら、この足でも出来るもの」
いまだに満足には動かせない両足、車いす姿は相変わらずのようだ。
彼女は俺を呼んだ本当のワケを話した。
「私はアメリカに行くことになったの。本格的に向こうで仕事をするから」
「それで……最後の別れを言いに来たってか?」
「うん。我がままだけど、最後に会いたかったの。朔也ちゃん、貴方から逃げてごめんね。でも、私は今でも、この選択肢を選んで後悔していないの。貴方を傷つけても、私は傍にいられないから。……今、お付き合いしている人はいるの?」
千歳に言われて思い浮かんだのは神奈の顔だった。
「似たような子はいる。幼馴染で、向こうの町でずっと仲が良かった女の子だ。今は一緒に暮らしているんだ」
「そうなんだ。……なんて名前の人なの?」
「相坂神奈っていう同い年の女の子だ」
俺は先ほど現像してもらってきたデジカメの写真を彼女に見せた。
写真を見せながら、俺は説明をする。
「この子が神奈。真ん中の元気そうな子だ」
「相坂神奈さん、とても可愛らしい人だね。朔也ちゃんの幼馴染の子なんだ? 話は何度か聞いたことがある子だよね?」
「そうだったか? だから……千歳、俺は、お前をもう選べない。俺にはもう他に大事な子ができてしまった」
俺の言葉に彼女は答える。
「うん。分かってる。それに、それは私のセリフなの。私は朔也ちゃんを選べない。それに言ったよね。私以外の女の子と幸せになってほしいって。私の人生に貴方を巻き込みたくない。朔也ちゃんの気持ち、嬉しかった。でも、ごめんなさい。これだけを言いたかったの」
事故でハンデを背負ったことが、彼女と俺の人生を狂わせた。
だが、話し合えば解決できたことかもしれない。
それでも、今の俺たちにはそれはできなかった。
既に時は流れ、互いに違う道を進み始めていたから――。
「朔也ちゃん。神奈さんとお幸せに……」
千歳は最後に俺に笑顔を浮かべてそう言ったんだ。
俺が幸せにしてあげられなかった彼女。
その事を悔いながら、俺は「ありがとう」と頷いた。
……。
あの日の出来事をなぜ、神奈は知っているんだ?
ずっと神奈には話そうと思って、話せなかったのに。
「朔也。私ね、東京で千歳さんと偶然会ってるの。話も全部、聞いてる。アメリカに行くことになったんだってことも……」
偶然の怖さ、神奈と千歳が会っていたなんて思いもしなくて。
それが神奈の最近の様子がおかしかった原因だった。
「朔也は、神奈さんと会ったことを話してくれなかった。隠し続けていた。それは千歳さんのことが好きだからでしょう? 今でも忘れられないんだよね? 大好きな女の子、結婚しようって決めた女の子だもの」
彼女は俺を突き放すと、指輪の箱を嵐の海へ向ける。
「そんなことはない。千歳とはけじめをつけたかっただけだ。今の俺に、あの子を想う気持ちはもうないんだ。忘れられない、それはそういう意味じゃない」
思い出を忘れたくないだけで、想いを忘れたくないわけじゃない。
千歳との事は既に終わったことで、俺が本当に好きなのは……。
「……だったら、私が終わらせてあげるよ。貴方の想いを私が、壊してあげる」
荒れる海に彼女は、その指輪を投げ捨てようとする。
俺が追い込んでしまった、神奈をここまで傷つけて……。
「――神奈っ!?」
俺の言葉は大雨にかき消された――。