第5章:嵐の夜に《断章1》
【SIDE:相坂神奈】
朔也の家に住み始めてから私はあることを感じていた。
そろそろ、私も幼馴染を卒業したい。
彼の恋人にしてもらいたい、ずっと願い続けてきたことだ。
朔也には告白しているし、後は彼の気持ち次第。
けれども、答えを急かすわけにも行かない……。
だからこそ、不安にもなる。
本当に私を選んでくれるのかな。
朔也の本当の気持ちはどうなのかな?
まだ、朔也の中には千歳さんがいるの?
何度も悩み続けてきた小さな不安が大きくなり始める、それには理由もある。
彼は東京で千歳さんと再会したことを未だに私に話していない。
まだ揺れ動いている気持ちがあるんじゃないかなって。
その辺を疑いたくなってしまうのも事実だった。
カレンダーを見ると8月も、あと数日で終わる。
『朝のお天気です。今日はお昼過ぎまで曇り空、夕方からは台風による影響で大雨の予想です。大型の台風が接近しています。本州に上陸するのは夜の9時頃と予想されて、激しい大雨が降るでしょう』
テレビから台風の情報が伝えられている。
「台風か。家の周りのモノ、片付けておかないと」
久々の台風直撃コース。
しっかりとしておかないと危ないもの。
『特に海側の地域に住んでいる方は要注意です。波が高く、暴風や大雨にご注意ください。この台風は既に沖縄では……』
ちょうど、今日は金曜日。
朔也も明日は学校がお休みだ。
教師は夏休みも学校に行く用事があるらしくて大変ね。
「神奈、今日は台風が来るって?」
「うん。天気予報でもそう言ってたよ」
「マジか。今日は仕事が終わったら、すぐ帰ってこようかな」
「美人とまた何か話があったんじゃないの?」
最近、朔也は美人とよく何かを話している。
内容までは知らないけども頻繁なの。
「いつも斎藤が相手ってわけじゃないぞ。アイツとは釣りの話をしてるだけで」
「……いつも?それじゃ、他にも誰か?」
「い、いやぁ。まぁ……たまに、ごくたまに、千沙子とも話くらいはするが」
私の知らない所で朔也は千沙子と……?
まただ、私はそんな2人を知らない。
「……朔也って、秘密が多そうだよねぇ」
「待て。俺がなんか怪しい事をしてるみたいじゃないか」
「別に、全てを話せとは言わないけどさぁ」
彼を束縛する資格はないし、情報を全て話せとも言わない。
けれど、大事なことは私にも話をしてほしいの。
それくらいの権利は今の私にもあるよね?
「なんか、最近の神奈、変だぞ?」
「私が? 私のせいなの?」
「今まで別に俺の事、何にも言わなかったじゃないか?」
それはこれまでとは事情が違うからでしょう。
朔也と同じ家で暮らしている身としては気になるのも自然だと思う。
今までみたいに、ただの幼馴染ならまだしも、少し違う関係に入ってると思うもの。
どうして、朔也に私の気持ちを分かってくれないのかな。
「……神奈?」
「朔也なんて知らない。千沙子といちゃラブしてればいいじゃないっ」
「い、いたっ。ティッシュ箱を投げるな!? なんで千沙子の話が……?」
「朔也に女心を理解しろなんて無理よね」
彼は結局、その後、逃げるように学校へ出勤して行った。
お昼過ぎ、朔也がいなくなった家で私は掃除をしながらため息をつく。
朝の喧嘩を思い出したせいだ。
花火大会の後くらいから、小さな喧嘩をしてしまう事が多い。
しかも原因を作るのは大抵、私だ。
朔也の態度が気に入らないとか、発言のあげあしとりとか。
些細なことで文句ばかり……つい喧嘩してしまう。
今はまだ大喧嘩はしてないけども、いずれ亀裂になるような喧嘩をしそうで怖い。
「私が悪いのに……朔也と喧嘩なんてしたくないのに、どうして?」
情緒不安定、とまでは言わないけども心が疲れてるのかな。
リビングを掃除を終えた時、インターホーンを鳴らす音に気付く。
「はい?」
私が外に出ると美帆お姉ちゃんがいた。
「やっほ。神奈、今はお暇?」
「お掃除中。今日はどうしたの?」
「んー、近くまで来たから報告しに来たの。朔也君はお仕事?」
「えぇ。夏休みでも、学校へ行くみたい。教師って地味に大変なのね」
彼女を家に招き入れる。
お姉ちゃんは何やら真面目な顔をしている。
「それで報告って何?」
「神奈。しばらく、お店の方を休んでもらうから」
「どうして? せっかく改装も終わったのに? 次はどこを改築する気!?」
「どこも改築はしないわ。神奈、貴方個人だけをお休みにする」
突然の宣告に私はつい叫んでしまう。
「どうしてなの? ワケが分からないから説明して!」
「昨日、朔也君から相談されたの。最近の貴方の様子がおかしい。疲れ気味に見えるから休ませてあげてほしいって」
「朔也が? 関係ないよ、私は別に疲れていないし」
疲れているのは心の方だ。
別にお仕事に影響を与えているわけじゃない。
「……ふぅ。私も気づいていたのよ。貴方、最近、様子がおかしいじゃない。イライラしてたり、かと思ったら変なテンションの高さだったり。夏バテとか、疲れているんじゃないの? ゆっくりと休みなさい」
「違うから。そんな疲れじゃない」
朔也も朔也だ、私に話をせずにお姉ちゃんと話すなんて。
おかげでお店にも出られなくなっちゃう。
「疲れは自分では気づかないこともあるわ」
「……違うの。私が変だと思うのなら、それはすべて朔也のせいなのよ」
私はついお姉ちゃんに抱えていた悩みを話してしまう。
朔也が私の心を分かってくれないこと。
千歳さんと会って話をしたのに、私に話をしてくれないこと。
それらの話を聞いてくれたお姉ちゃんは私に言った。
「神奈は朔也君のことが全て分かっていないと嫌なのね」
「え? どういうことよ?」
「彼のすべてを知る、それって必要なのかしら? 朔也君が判断して、貴方には、その前の恋人との話をしていないとは考えないの? それに、彼は神奈の心配をしてくれている。決して、貴方の心を分かろうとしていないんじゃない」
お姉ちゃんに話してもダメだ、朔也の味方ばかりする。
「悪いの? 好きな人のこと、全部知っておきたいって思うの悪いことなの!?」
「神奈。朔也君に気持ちを分かって欲しいのなら、貴方が彼の事を分かってあげなきゃダメでしょう? 彼が望んでいるのは……」
「朔也はずるいのよ! いつだって、いつだって、自分は隠し事ばかりするの。千歳さんの事だって最初はずっと隠してたもん。それだけじゃない……私が告白しても、答えを先伸ばして、あいまいな関係のくせに、私を家においたりして」
期待しちゃうじゃない。
私は彼の特別なんだって。
ただの幼馴染じゃなくて、恋人に近い存在なんだって。
だったら、彼の事を全て知りたいと思うのは普通でしょう?
「……貴方に不満があるのは分かる。でも、彼もちゃんと考えてる」
「どうしてお姉ちゃんにそれが分かるの!?」
「それは……」
「お姉ちゃんには何か話してるの? 私には話してくれていない、何かを?」
朔也は私を信頼していないの?
考えれば考えるほどに、不安だけが大きくなっていく。
「……違うのよ、神奈。彼はね」
「もう何も聞きたくないっ。帰って……帰ってよ!」
私は姉を強引に玄関に追い出して、ドアを閉める。
もう何も考えたくなくて、私はその場にへたり込んでしまう。
「……朔也のせいだ、全部朔也が悪いのよ」
私の不安も、苛々も、全部……朔也が……。
違う、彼が悪いんじゃないって分かってる。
悪いとかじゃない、私は怖いのよ。
千歳さんの想いを知った。
その思いを前にした朔也がどうなったのか、それを知るのが怖いんだ。
私じゃ勝てないから、彼を失うかもしれない事が怖い、今の日常が崩れ去るかもしれないのが怖い。
「そうだ、アレを探しに行こう」
私は朔也の部屋に行き、辺りを探す。
そして、それは簡単に見つかった。
綺麗な箱に入った、千歳さんに送れなかった婚約指輪。
「優しい記憶なんか、千歳さんの思い出さえなければ、全て……捨てちゃえばいいのに。そうすれば、私を選んでくれる」
私はその箱を手にすると、今まで抱えていたものが胸からあふれ出てくる気がした。
「そうよ。これさえなければ、朔也も私を認めてくれる。恋人だって思ってくれる。だって、もう思い出なんだもの」
大切な想い出があるから、忘れられないんだ。
「私が忘れさせてあげなきゃいけないの。こんなものなんて……壊しちゃえばいいんだ……」
その指輪を睨みつけて、私は朔也と千歳さんの思い出を破壊したいと思った。
窓の外はいつしか雨が降り、強い風が吹き、嵐が目前まで迫っていた――。