第2章:あと少しだけ《断章2》
【SIDE:相坂神奈】
朔也の家でお世話になって2日目。
目覚めの良い朝を私は迎えていた。
軽くランニングをしてから、シャワーを浴びて朝食作り。
普段の生活と変わらない毎朝の日課。
「そろそろ、朔也を起こそうかな?」
時計が7時半を過ぎて、朔也を起こしてもいい時間になった。
「今日はいいお天気だし、海に泳ぎに行こう。朔也も誘ったら来るよね」
昔は苦手だった泳ぎも今は朔也に勝てるほど泳げるようになった。
スキューバダイビングの免許をとるくらいになれるとは、幼いころの自分は想像もしていなかったに違いない。
「スキューバでもいいかな。朔也に決めてもらおうっと」
彼の部屋をノックするけども返事はなし。
「朔也? まだ寝ているの?」
扉を開けて覗き込むと布団の中にまだ彼は寝ていた。
「……朔也、起きて。もう朝だよ」
声をかけても反応せず。
ぐっすりと熟睡している様子。
「お仕事が休みの時ってダラけるのは仕方ないか。ほら、起きて」
声をかけながら、軽く体をゆすってみる。
「ん……」
わずかに反応は示すけど、起きるまではいかない。
「優しく起こすという考えが甘いのかな」
とはいえ、このまま寝かせてあげる気にもなれず。
「朔也~っ。起きて、ご飯もできてるの。起きなさい~っ」
強めに揺らすも効果なし。
ここまで眠りがいいとは予想外だった。
「よほど良い夢でも見てるのかな?」
楽しい夢を見てる時、夢から目覚めたくないものだもん。
私だって朔也との楽しい夢を見ていると目が覚めたくない気になる。
「……朔也? まだ寝てるの?」
起きる気配がないので、私は彼に顔を近づけて囁いてみる。
心に芽生えた悪戯心。
「起きないならキス、しちゃうよ?」
んーっと唇を近付けながら私は朔也に迫る。
眠ってる彼の寝顔を見つめながら、
「……あと少しだよ? キスしちゃうけどいいの?」
もしも、今、彼が目覚めたらすごく恥ずかしい。
朔也が寝ているからこそ、こんな風に迫れるわけで。
起きてる時には自分からこんなこと、したくてもできない。
雰囲気にも流されない限り、ね。
「キスしてもいいの?」
「……」
「くすっ、沈黙を肯定してキスするよ?」
私がそう言って、彼の唇にキスをしそうになった、その時――。
「――千歳」
はっきりと聞こえる声で彼はそう呟いたの。
ちとせ。
その名前は私にとっても大きな意味がある。
私は浮かれていた気分が冷めて、ハッと彼の顔を見た。
千歳さんは朔也がずっと好きだった女の子。
今でも忘れられない思い出の人。
「……っ……!?」
私はあと少しで触れそうになった唇を離す。
たった一言、それでもその一言が私の胸に突き刺さる。
「そんな反撃、ずるいじゃない……」
例え、寝言でも彼の口から聞きたくない名前。
私は自分の唇をきゅっとかみしめていた。
「どうして……?」
今でも彼の中には彼女しかいないの?
私は、朔也の一番にはなれないの?
複雑な心境、私の胸を締め付ける痛み。
私は立ち上がって、彼の部屋から出ていく。
「……寝言よ、あれは寝言なんだから」
自分に言い聞かせるように、心を落ち着かせようとする。
朔也の夢に彼女がでてきているのかな。
彼は千歳さんの夢を見ている。
「負けない。だって、千歳さんは夢でしか会えない人なんだよ」
今、近くにいる私にもチャンスはあるはず。
「……頑張らなきゃいけないな」
ただでさえ、幼馴染という壁が邪魔しているのに。
それに加えて、彼がまだ心の奥底で千歳さんを思ってるなんて。
私は自信を失いながらも、頑張るしかない。
「……なんだ、こんな所で何をしているんだ、神奈?」
「は、はい!? さ、朔也?」
いきなり背後から声をかけられてビクッとしてしまう。
いつのまにか起きていた朔也が不思議そうな顔をして私を見ていた。
もうっ、びっくりしたじゃない。
心臓に悪すぎ!
「神奈……?」
「なんでもない。朝ごはんできてるからすぐに来てね」
私は適当に挨拶をしてから逃げるように彼の傍から離れた。
キッチンにたどりつくと深呼吸をひとつする。
「うぅ、びっくりしたよぉ」
変に考えてしまうのは避けられたけども。
「私は私なんだから、私らしくやるしかないよね」
私は千歳さんにはなれないもん。
意識する相手ではあるけども、彼女はここにはいない。
「……下手に考えたら考えるだけ落ち込むからやめよう」
私は考えを振り払い、キッチンで朝食の準備をする。
「ふわぁ。まだ眠いぜ。神奈、泳ぎに行くのは何時に行くんだ?」
「9時過ぎでいい? 今日はスキューバをしたいの」
「OK。それまでに準備する。ふわぁ……」
あくびを繰り返す朔也はいつも通りで、私は心の中で彼をずるいと思った。
こっちは朝から泣きそうになるくらい辛いっていうのに。
朔也が近くにいるのに、どこか離れているような感覚。
近くて遠い、私たちは心の距離がまだ近づけていない気がした――。




