第2章:蒼い海が見える町《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
ただいま、早朝の4時半過ぎ。
まだお日様も上らずに真っ暗な海が少し怖い。
俺は今、揺れる波を突き進む船の上に乗っている。
「おい、船酔いは大丈夫か?」
「全然、平気だ。今日は波も荒くないからな」
「ふーん。大抵、初めて船に乗る奴はすぐに船酔いするがお前は強いな」
斎藤はそう言うと、もう一人の青年に指示をだす。
「加藤、進路はそのままだ。今日は波の様子もいいし、いけそうだぜ。おい、澤田。いつまでそうやってるつもりだ」
澤田と呼ばれた若い方の男は船酔い気味か顔色がよろしくない。
「おうよ。お前もさっさと船に慣れろよ。漁師が船酔いしてたら話にならない」
「が、頑張ります」
俺が乗っているのは沖合いの海上に浮かぶ漁船である。
春の海上はまだ肌寒い。
どうして俺がこんな所にいるのか、その話は昨日の夕方に遡る。
……。
昨日の夕方、俺の家を訪れた斎藤は漁の話をしていたのだ。
漁師である斎藤は毎朝、早くに出港して漁へと出かける。
ご苦労な事で、朝早くから漁に出掛けるのが日常らしい。
「先月卒業したばかりの若い新人の教育係でな。そいつを連れて、毎朝出かけるんだ。体力はあるんだが、まだまだ海に慣れてなくてな」
「そりゃ、大変だな。今は何が釣れる?」
「そうだな、旬の魚で言うと……」
この美浜町は漁業が盛んな町だ。
年間を通して温暖な気候と豊富な海の資源。
古くから漁業で栄えた町、というイメージがある。
とはいえ、今の時代はどことも後継者不足。
新人の若者を教育することが未来を繋ぐ。
そういう新人教育に熱心なのが斎藤たちだった。
「高卒の奴らは体力があるから使える。身体で覚えさせればすぐに慣れるだろう。漁師なんてものはやる気が一番だ。やる気がないと苦労するだけの職業だからな」
それに天候や波の状況にも左右されやすい。
給料面でも、体力的にも楽な仕事ではないが、彼らは頑張って漁師を続けている。
「今、俺の相方してる加藤は3年目の奴でさ。船の扱いもうまくて助かってるんだ。もうひとりの新人、澤田はまだ船酔い気味で慣れてない」
「お前も最初は船酔いしてたのか」
「まぁな。この船っていうのは身体に来るからな。こればかりは相性だ」
男3人の乗る若手の船、この船はなんと斎藤のものだという。
この若さで船持ちっていうのはすごいな。
「それにしても、漁師ってお前の実家は魚屋だが漁師ではなかっただろ?」
斎藤の実家は商店街でも人気の魚屋だが、漁師の家系ではないはずだ。
「あぁ、祖父ちゃんもしていなかったけどな。俺は魚好きだからさ。売るより、釣る方が魅力に思えたんだよ」
「あえてキツイ方を選ぶってのも、斎藤らしいな」
「まぁな。我ながら無茶をしている。朝の早起きってのは最初は地獄だったからな」
早寝早起き、生活リズムも全然違うだろう。
「去年、ようやく自分の船を手に入れた。やっぱり漁師にとって船持ちは夢だからな。実感の意味で大きく違うよ。ここから始まる、みたいな覚悟も決めたし」
そんな夢をかなえた親友に俺はふと思った事を告げた。
「俺もたまには釣りがしたいな」
「ん?釣りか。お勧めスポットならあるぞ」
「へぇ、どこの浜だ? 隠れ浜か?」
隠れ浜って言うのは子供の頃によく遊んだ場所だ。
岩に囲まれた浜で人気もなく、魚もよく釣れる秘密の場所だった。
「隠れ浜? ははっ、そうだな。お前にとってはそこが限界だ。だが、しかし、本当の釣りスポットはそこではない。大海原、海上こそ最高の釣りスポットだ」
「……それ、スポットって言わないから」
本格的な魚釣りをするには渡船に乗ったりする方法があるが、万単位でお金がかるのだ。
俺も釣り好きだが、そーいう趣味の釣りはまだした事がない。
「そうだ、斎藤。一度でいいから船の上で釣りをさせてくれ」
「お前、俺の愛船を釣り船と一緒にするな。燃料代もかかって高いんだぞ」
「まぁ、無理とは言わないけどさ。邪魔はしないからお前の仕事が見て見たいんだよ」
俺の発言に斎藤は嬉しそうに笑う。
「おおっ、それはいいな。それなら、ついでに釣りくらいさせてやってもいいか。と、言ってもここ最近、不漁でな。波の影響で魚も釣れにくいんだ」
自然に左右される漁師の仕事。
苦労も絶えない彼は苦笑いをしながら、
「とりあえず、明日の朝も漁だからついてくるか? お前もまだ学校が始まらないから暇だろ。いける時に来てくれよ」
「そうさせてもらおうか」
船釣りにも興味があり、俺は二つ返事をした。
そんな呑気な気分で発言したのが昨日の話だった。
そして、今、俺は未体験の海上の船の上にいる。
思ったより振動は少ないが、揺れる波は不安定だ。
もうすぐ夜が明ける、その前が彼らの勝負だと言う。
「間もなく漁の場所につく。俺達は仕事で忙しいから邪魔にならないところで釣っていてくれ。おい、網の準備をするぞ。澤田、気合いれろ」
「は、はい。任せてください」
「お前、気合だけはいいんだけどなぁ」
まだ夜明け前だが彼らは仕事を始める。
俺も斎藤に借りた釣り道具を用意し始める。
邪魔にならないように船の前の方で釣りをする事になっていた。
「先輩、今日は釣れますかね?」
「うーん。ここの所、調子悪いからな。そろそろ釣れてくれないと困る」
「そうすっねぇ。天気もよくなってきたから、釣れる時期に入って来たはずですけど」
後輩と仕事話をする斎藤はいつもと雰囲気が違う。
普段は気さくな奴だが、その内面は熱血的な所がある。
それが彼の良さだと思うし、昔に比べて責任感も強くなっているようだ。
「漁師らしい、いい顔してるじゃないか」
俺はそう思いながら親友の真剣な顔を眺める。
船が停止して、しばらくはこの区域に留まるらしい。
のんびりと俺が釣りが出来るのはそのわずかな間だ。
「さぁて、俺もはじめますか」
釣りは俺の趣味であるので慣れた手つきで餌をつける。
「そっちの端を掴んでくれ。行くぞ」
「うぃっす。今日は雰囲気がいいんでいけそうな気がしますね」
「いい潮の流れだし、今日は大漁の予感がするぜ」
あちらはあちらで戦いを始めた、他人の仕事の邪魔はしない。
眠さと戦いながら俺も静かに海へ釣竿を垂らす。
波の上って言うのは不安定なので、この感覚は初めてだ。
「海釣りなんて初めての経験だぜ」
リールを巻きながら糸を見つめていると、クイッと何かがくいついた。
「おっ、さっそく当たりがきてくれた」
俺は落ち着いて魚がしっかりと食いつくのを待つ。
本日も快晴、真っ赤な朝日が昇ろうとしていた。
ちょうど昼前に俺と斎藤は神奈の店へと向かっていた。
帰港してから、魚をおろしたり、後片付けの手伝いやらセリの見学を終えてから、昼飯を食べようと考えていたのだ。
「この時間だと神奈も家の方にいるだろうからな」
「いつも、あの店にはお前が魚を持って行ってるのか」
神奈の店は居酒屋なので夕方から店を開く。
通常の営業時間ではない今の時間は自由な時間だと聞いている。
「おーい、相坂。魚を持ってきたぞ」
「ん、美人か。ありがとう。あれ、朔也? アンタも美人と一緒だったの?」
神奈はエプロン姿でお店の厨房で何か作業をしている。
鍋をかきまわしながら料理の最中のようだ。
「まぁな。神奈は何をしているんだ?」
「いろいろと下準備しているのよ。あっ、今日はお魚がいっぱい。大漁だったの?」
魚の入ったトレイを見て彼女は言う。
結構な量、よりどりみどりの魚が並んでいる。
「大漁だったが、それは俺が漁で釣った魚じゃない」
「はい? 拾って来たの?」
「そんなわけあるか。朔也が釣りをして釣った魚だ。こいつ、人が仕事している横で釣り竿で魚釣りをしていたんだがな。見事に釣れる、釣れると大漁だったんだよ」
「あれだけ釣れるとは思ってなくてなぁ。楽しかったぜ」
良い具合に群れが来ていたのか入れ食い状態だった。
箱いっぱいに詰まった魚がそれを物語っている。
「ふーん。昔から朔也って魚釣り好きだったものね」
「神奈。この魚で、俺達の昼飯を作ってくれないか?」
「……調理代金、いただきますけど?」
「他の魚は全部あげるからお願いします」
俺が頼み込むと神奈は「ギブアンドテイクね」と魚を受け取る。
俺達は店内で料理をする彼女を待つ。
「それにしても、今日は久々の大漁だった。昨日までの不漁が嘘のようだ。売上的にもよかったからな。これで今月の支払いは何とかなる」
「案外、真面目に仕事をしていた斎藤に驚いたぜ」
「あははっ。よく言われるよ。こーみえても、仕事は真面目なのさ」
頼りになる兄貴分って感じは変わってなかった。
「ほら、料理が出来たわよ。はい、どうぞ」
あっというまに、釣って来たばかりの魚のお刺身と煮つけが出てくる。
釣りたての魚の刺身も煮つけも美味くて箸が進む。
「んー。この煮つけは美味いな。やっぱり、神奈の料理は最高だ」
「な、何よ。朔也が私を褒めるなんて……褒めても何も出ないわよ」
「ホントにそう思ってるだけだって」
賑わいながらの昼食を楽しみながら俺は思う。
神奈も斎藤も自分の仕事をしっかりしている。
俺も負けずに教師を頑張ろうと心に決めたのだった。




