第3章:傾く天秤《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
俺は千沙子に惹かれていた。
千歳の事を思い出にしてしまうほどに。
怪我をしてから、千沙子との距離が近づいたのが大きかったんだと思う。
こんなにも彼女を意識した事はなくて。
もちろん、神奈の事も気になっていた。
でも、千沙子に惹かれていく自分に気づいた時、答えが出た。
俺が好きなのは千沙子なんだ。
「ん、千沙子……?」
俺の隣で寝ている千沙子の寝顔。
「すぅ……」
そうだ、昨日、俺は彼女に告白されて、想いを受け入れた。
昨夜、酔っていたせいもあり、千沙子は告白の後にそのまま寝てしまった。
眠ってしまった彼女を背負い、自分の家に連れて帰ったんだ。
少し早い時間に目が覚めた俺はベッドからおりる。
「ぐっすりと寝ているな」
起きる気配がないので、俺はそのままにしておく。
「……さて、と。避けては通れない、けじめをつけに行くか」
俺は私服に着替えを終えると、まだ朝日が眩しい外へと出かける。
「行ってくるよ、千沙子」
彼女の寝顔を見つめながら俺はそう囁いた。
俺にはつけなくちゃいけない、けじめがあるんだ。
海沿いの道をしばらく歩くと、やがて、その後ろ姿が見えてくる
「神奈、おはよう」
「朔也? おはよう。どうしたの、こんな朝早くからマラソン……?」
神奈はジャージ姿で、少し汗もかいている。
彼女がこの時間にマラソンをしているのは知っていた。
だから、この時間に合わせて家を出たのだ。
「話があるんだ。場所を変えていいか?」
「いいけど?」
「……隠れ浜、あそこに行こう」
朝日を浴びながら砂浜を歩く。
「もう秋だと言うのにまだ暑さが続くな」
「9月半ばくらいじゃ、この町はまだこの暑さが消えないって。未だに海で泳ぐ子もいるくらいだもの。そういえば、包帯がとれているけど顔の傷はもういいの? 完治したんだ?」
「あぁ。一昨日、抜糸もしたし、もう大丈夫だ」
幸いにも傷跡も残らず、無事に通院を終えた。
医者である千沙子のお父さんには世話になったな。
「そうなんだ。それはよかった」
「お前にも迷惑をかけたからな。ありがとう」
「……うん。それで、話って何なの?」
昨日、同じ場所で俺は千沙子の告白に答えを出した。
一夜明けて同じ場所でその答えを神奈に告げなくてはいけないのは辛い。
だが、彼女の想いを知りながらも、見て見ぬふりをしてきたのは俺だ。
「お前に言わなきゃいけないことがあるんだ」
「……朔也が改まって言うと、何か怖い」
神奈も雰囲気を悟ったのか、表情を強張らせる。
彼女は俺にとっては幼馴染で、親友で、妹で、大事な女の子だ。
しかし、俺は……千沙子を選んだ。
それが俺の出した答えならば、最後まで責任を持たなくてはいけない。
「ごめん。神奈。俺は千沙子が好きだ……それに、気づいたんだ」
「……ぁっ……」
「だから、俺は神奈に言わなきゃいけない。俺は、お前を……好きになれない」
子供の頃から、いつだって俺の傍にいた女の子。
彼女が俺に想いを寄せているのは気づいてたけど、俺はそれには応えられない。
「朔也は千沙子が好きなの?」
「あぁ、そうだ。千沙子が好きだ」
「どうして、あの子なの? 中学生くらいまで、地味で、目立たなくて、大人しかった子だよ。朔也と親しくなったのも、そんなに年月もないじゃない」
「時間じゃないんだ。そういう事じゃない」
神奈はどうしていいのか分からない、そんな表情を俺に見せた。
「私じゃダメなのっ!? 私の方が朔也とずっと一緒にいたじゃない? 私の方が朔也を好きなのに。想いを抱いた年月は私の方が長い……。それなのに、どうして千沙子なの?」
「神奈が悪いとかじゃない。それは分かるだろ?」
「……分かりたくない。そんなもの、分かりたくないよ」
俺にしがみついて、彼女は想いを叫ぶ。
岩場に当たる波しぶきの音。
神奈はしばらく黙りこんでいたけども、俺の顔をしっかりと見つめる。
「私は朔也が好き。その気持ち、そんなに簡単に消えない」
「……あぁ」
「でもね、私は朔也の事を幼馴染としても、お兄ちゃんとしても好きなんだ」
神奈を傷つけるのは胸が痛む。
だけど、これは乗り越えなきゃいけない痛みだから。
「ねぇ、朔也。こっちに来て?」
彼女は砂浜から海を一緒に眺めるように言う。
「神奈、俺は……」
「――えいっ!」
「……へ?」
思わずまぬけな声が漏れた。
――ザッブン!!
刹那、俺は神奈に突き飛ばされて海へとダイブしていた。
「うわっぷ。冷たいっ!?な、何をする、神奈!?」
俺は冷たい海に浮かびながら神奈に文句を言う。
浅瀬なので大したことはないが、頭から海へ飛び込んでしまい、びしょ濡れだ。
「ふんっ。この私をフるなんてするからよ……いい気味だわ」
「お前なぁ、やることが子供だぞ。ったく……あっ、神奈?」
「……ぐすっ……千沙子を選んだって言うなら、ちゃんとしなさいよ? 朔也ってばフラフラしすぎだもん。千歳さんとか、他の女の子のこと、考えちゃダメなんだからね。分かってるの?」
俺は冷たい水の中で、神奈を見上げた。
「お前、泣いてるのか……?」
顔を俯かせた彼女は静かに嗚咽を漏らしていた。
「ひっく……はっ。泣くわけないしっ。そこまで子供じゃありませんっ」
涙をため込んだ瞳で精一杯の強がりを言う神奈。
「……朔也。千沙子と付き合っても、私のお店に来なさいよ?」
「もちろんだよ。利用できる時は今まで通り、そうさせてもらう」
「下手に私を避けたりしないように。私のお店の売り上げに貢献しなきゃ許さないから」
「お前の料理は俺の好みだからな」
顔を見られたくないのか、俺から背を向けた彼女は、涙交じりの声で言うのだ。
「私も……頑張るから。幼馴染として、妹としてなら傍にいてもいいんでしょ?」
その表情から伝わる想い、顔が見えなくても分かるから。
「ごめん……それと、長い間、俺を思ってくれてありがとう」
「これが最後よ。私は朔也が好きだった。本当に大好きだったの……本当なら、私を選んで欲しかった」
「幼馴染として、俺はお前が好きだぞ」
「はぁ。結局、最後まで私は妹扱いなんだ。いいよ、それでも……朔也が特別扱いしてくれるのならそれでいい」
神奈は最後にこう言った。
「次に会う時までには……朔也の前で笑えるようになれればいいな」
背を向けながら呟いた神奈はゆっくりと立ち去って行く。
俺は海に半身をつけたまま、その後ろ姿を最後まで見つめ続けた。
「本当にごめんな、神奈。俺がお前の事を好きだったのは本当のことだ。ただ、それ以上に俺は千沙子が好きなんだよ」
幼馴染へ告げた言葉は波しぶきと共に海へ消えていく。
これが俺の出した答えに対するけじめだ。
「くしゅんっ。やばい、さすがに秋の海は冷たい。風邪をひいてしまう」
俺は青空と海の青さを眺めながら、ゆっくりと立ち上がった。
「どんな夜でも明ければ朝がくる。そう、朝は来るんだよな」
朝焼けと蒼い海がきらきらと輝き、俺を照らしていた。
家に戻ると、千沙子が慌てた様子で俺を探していた。
「朔也クンっ!?どこに行ってたの?」
「悪い。俺を探してたのか?」
「昨日のこと、全部、夢じゃないかって……不安になって……。起きたら、朔也クンがいないから……夢だったのかなって」
不安そうな顔をする千沙子を俺はしっかりと抱きしめる。
「大丈夫だよ。夢じゃない。俺は千沙子が好きなんだ」
「朔也クン、私も好き……って、冷たいっ!? どうしたの? びしょ濡れじゃない?」
「とある事情で、朝から海に落ちました。すぐにお風呂に入るよ」
「うん。待っていて。お風呂いれてくる。それとタオルを持ってくるからここで待っていて」
千沙子が急いで風呂場へと駆けていく。
「夢なんかじゃない。これが現実だよ」
そう呟いた俺はもうひとつのけじめをつけるために自室へと戻る。
そして、俺は棚においてあった小箱を取りだす。
その箱の中にはかつて、俺が“千歳”に渡せなかった“婚約指輪”が輝いていた。
「悪いな、千歳。俺は前へ進むよ。お前への気持ち、今日で終わりにする」
ずっと心の奥底にありつづけた想い。
もう一人、俺には想いを伝えなきゃいけない人がいる。
「俺は千沙子が好きなんだ。お前の事、忘れたくないけど……ここで、さよならだ、千歳」
指輪にそう告げて、俺は小箱をそっと見えない場所へとしまい込む。
もう、この指輪の箱を俺は2度とあけることはないだろう。
1年間、想い苦しみ続けた、自分の気持ちにケリをつける。
これで俺はようやく望んだ未来を掴む事ができる。
「朔也クン? もうっ、濡れているんだから動かないで」
「ははっ。ごめん。ちょっとな」
「お風呂が湧いたから、もう入る?」
「あぁ。そうだ、良い機会だし、千沙子も一緒に入るか?」
俺がそう言うと彼女は顔を赤くする。
「えっ!? い、一緒に!?」
「ははっ。冗談だよ、冗談。それじゃ、風邪をひく前に入ろうかな」
だが、くいっと、千沙子は俺の服の袖を掴む。
「うぅ……。あ、あのね?」
「どうした、千沙子?」
「そ、その、朔也クンがいいなら、一緒に入ってもいいわよ?」
照れくさそうに顔を赤らめながら言う千沙子が可愛くて。
どうしようもなく、愛おしさがわいてくる。
「……おぅ」
俺まで照れくさくなりながら、そっと彼女の手を引いてお風呂場の扉を閉めた――。