第2章:心の在り処《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
学校も再び授業が始まり、俺も教師として忙しくなる。
「先生の顔の怪我ってすごく痛そう」
「地味に傷が痛む時もある」
副担任としての始業式のHRの挨拶。
その時に千津は壇上の俺にそう呟く。
他の生徒も顔を覆う包帯姿に驚いていた。
だが、狭い町だ。
俺がどうして怪我をしたのかは皆、知っているようだった。
「奥州筆頭みたいに、カッコよく眼帯でもしてみたらいいのに」
「おい、千津。俺の年齢を考えてくれ。俺の歳でそれをするとかなり痛い人だ」
「むしろ、某ロボットアニメのヒロインみたいかも」
「……ヒロイン扱いもやめなさい」
俺達のやり取りをクラスの子達は笑って見ている。
「と、俺みたいに怪我をした奴もいなくてよかったよ。夏休みから大変だろうが気持ちを切り替えて新学期も頑張ってくれ」
最後は普通にまとめて俺の挨拶は終了。
夏休みを終えた彼らには真面目な話は形だけしか意味がない。
教室を出た後、職員室に向かう途中に村瀬先生からも、
「鳴海先生。その傷、痛むの?」
「痛みはほとんど今はないですね。ただ、片目だけだと遠近感が取りにくくて、たまに壁にぶつかったりするのが怖いですよ」
「バイクにも乗れないんだ?」
「さすがに今は無理です。怪我が治るまでは大人しくしておきます」
この状況では無理はできない。
今は傷がさほど痛まないのが救いだ。
「早く治るように祈ってるわよ」
先生に励まされながら、俺達は職員室につく。
すると、職員室には意外な人物が待っていた。
「斎藤、何で、お前がここにいるんだ?」
斎藤がこんな時間に学校にいるのはおかしい。
「おぅ、鳴海か。教師として頑張ってるか?」
「あぁ。頑張ってるけど、何で斎藤がここに?」
「懐かしい先生達に会いに来た、と言うのは冗談だ」
ちらっとこちらを見た年配の教師達が苦笑をしている。
斎藤は昔から斎藤だったようで、彼らの記憶にも残っているらしい。
そういや、斎藤たちはこの学校の出身者だ。
彼らにとっては3年間、慣れ親しんだ校舎だろう。
「実は青年会の方で、ちょいとこの学校と連携してみようとする事案があってな。それの話し合いで教頭に会いに来たんだ。どうやら、今は校長と話をしているらしく、ここで待たせてもらっているわけだ」
「なるほどね。お前って意外とすごいよなぁ」
皆川と斎藤のふたりが青年会を引っ張っている。
彼らの行動がこの町の若者にとって影響を与えてると言えるだろう。
俺も来年くらいには青年会に参加させてもらう予定だった。
今はこっちに戻ってきてからずっと自分の事で精一杯の所があるからな。
「別に大したことはないさ。こんな狭い町だと色々と付き合いもあるってだけだ。お前もさっさと今の生活に慣れて、こっちに参加してくれ。皆川達もお前が加わるのを待ってる。と、そういや、話は変わるが……」
斎藤は俺に耳打ちするように小声で言う。
「……町長選も終わって、ひと段落したから反対派の事はもう気にしなくていい。結局、今回の町長選も改革派の町長が勝利した。時代は変わるってのは止められない」
「これで彼ら、反対派は諦めたのか?」
「手段を変えて、アピールはするだろうが、当分は目立った行動はしない。それに、お前の行動もあるからな。いい方向に向かって変われているよ」
「そりゃ、よかった。地味に痛む怪我をした事が無意味じゃなかったってわけだ」
俺は軽く包帯を押さえて苦笑する。
「これで、お前の抱える問題はあとひとつだけになったな?」
「あとひとつだけ……?」
「君島か相坂、どちらを恋人にするかって話だよ? そろそろ、決めてやれ」
そちらの方も決断の時が迫っていた。
まったく、人に好かれるってのは大変なことだな。
俺は家に帰り、神奈の店で夕食をとった後、家に帰ろうとしていた。
そのメールが俺の携帯に入ったのはちょうど家に入ろうとした直後。
『朔也クン、今すぐ貴方に会いたい』
千沙子からのメール。
俺は「どこにいる?」と尋ねてみると『隠れ浜にいるわ』と文章が帰ってくる。
「隠れ浜。千沙子からあそこを待ち合わせにするなんて珍しい」
夏を終えて、ようやく熱帯夜から解放されつつある。
秋の涼しさが迫ろうとするこの時期の海の風はとても心地よい。
俺は隠れ浜につくと、岩場を歩いて千沙子の姿を探して見る。
「そういや、前にここで神奈を探しに来たっけ」
あの時も夜で、真っ暗な中にひとり神奈がいた。
それを思い出しながら千沙子も同じ場所にいるのではと思ったが、
「……いない?」
浜辺にはおらず、俺は携帯電話を懐中電灯代わりに照らして千沙子を探す。
「千沙子? どこにいるんだよ」
俺は海の方に声をかける。
すると、暗闇に隠れるように座る千沙子がこちらを向いた。
「遅いよ~っ、朔也クン……」
そこにいたのは軽くお酒に酔った千沙子だった。
「お、おい、千沙子!? お前、酔った状態で海に来るって危ないじゃないか」
「別に酔ってないわよ。少しお酒を飲んだだけ」
「……酔ってないと言うレベルではないな。ほら、手を貸すから」
彼女は俺が差し出した手を軽く掴む。
けれども、立ち上がろうとする気配はない。
「朔也クンの事を考えていたの」
「何かあったのか?」
「ここで、初めて……私は朔也クンの事を異性として認識をしたわ」
初めて千沙子と会った場所。
それがこの隠れ浜だった。
そういや、幽霊騒ぎで知り合ったのがきっかけだったな。
「あれからもう何年になるのかな。私の中にはずっと朔也クンだけが男の子で、他の誰かが入り込む余地なんてなくて。今もこうして、私は――」
千沙子がこちらを見上げてくる。
お酒に酔っているということもある。
彼女の瞳は艶っぽくて魅力的なものに見えた。
「ねぇ、朔也クン」
「ん? 何だ?」
「――今でも、まだ……千歳さんの事が忘れられない?」
千沙子の一言に俺はドキッとしてしまう。
それは俺にとって避けられない試練のようなものだった。
「その顔は、まだあの人を忘れられないんだね」
暗闇の夜、うす暗い海を背に俺は立ち尽くしていた。