第2章:心の在り処《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
千沙子を守るために少しだけ無茶をした。
事故により、俺はまぶたと額を数針を縫う怪我をおった。
幸いにも目の上であり、さほど深くは切っていないので3週間ほどで治るそうだ。
「……鳴海くん、話は娘から聞いたよ。私の娘をかばうために怪我をしたのだ、と。親として、こんな事を言うのはどうかと思うがあの子を守ってくれてありがとう」
手術を終えた後、俺は千沙子の父親である先生からお礼を言われた。
開業医をしていると言う彼とは中学時代に何度か会っている。
俺の事も覚えていてくれていたようだ。
「いえ、千沙子に怪我がなくてよかったですよ。特に顔に傷なんて、ね」
「中学の頃からあの子は少しずつ変わった。千沙子とは交際を……?」
「そう言う関係ではありません。友人として付き合っているつもりです」
親相手に言うのも何だが、俺達は別に付き合っているわけじゃない。
だが、彼はどこか意外そうに言うのだ。
「違ったのか。てっきり、娘の彼氏だと思い込んでいた。あの子の気持ちは貴方に向いていると思っていたんだが、違ったのかな」
君島先生は微笑をすると、俺の顔をしっかりと見た。
「貴方のような男の人なら娘を任せられると思う。鳴海くんさえよければ、あの子の事を考えてあげてくれ。千沙子が男の話をするのは常に貴方の名前ばかり出ていた」
「はい……」
何だか彼には認められたようだ。
俺自身、千沙子と交際するのならば乗り越えなければいけないものがある。
「見た目ほどは深くなかった。無理せずに治療に専念すれば3週間ほどで治るよ。傷跡もこの程度ならさほど残らないと思う」
「そうですか。分かりました」
やれやれ、こういう傷は厄介だよな。
俺は鏡を見て自分の現状にため息をつく。
片目と額は包帯に覆われている。
なんかいかにも怪我してますって感じが痛々しい姿だった。
部屋を出ると、待合い室で斎藤と神奈が待ってくれていた。
「朔也っ!?」
「よぅ、神奈。来てくれていたのか。斎藤も待たせたな」
「構わないさ。千沙子はホテルに戻った。後で連絡してやれ」
「あぁ。そうするよ。って、神奈?」
神奈は俺の顔を見るや、「痛いよね、それ?」と少し引いている。
「傷は深かったのか?」
「何針も縫ったが、さほど深くはないそうだ。あとはゆっくりと治すだけ。見た目ほど、今もそんなに痛くないから大丈夫だよ」
当然、触ると激痛が走るが、普通の状態は耐えられない程ではない。
「朔也、これからまた教師として学校も始まるのに……大丈夫そう?」
「あー、そうだな。片目だけってのはどうにも方向感覚と言うか、遠近感が変な感じで歩いたり、触るのが変なんだよ。しばらくは気をつけるとしよう」
歩くのだけでも意外と不安定な感じが慣れない。
俺は神奈に手を引いてもらいながら斎藤の車で家まで送ってもらう。
車内で神奈は俺にある事を尋ねていた。
「……千沙子を守るために怪我をしたんでしょ?」
「あの場合は仕方なかったんだよ。千沙子に怪我をさせるわけにもいかないだろ」
「朔也が怪我をしてもしょうがないけどね」
「どうしようもなかったんだって。あれからホテルはどうなった?」
俺が斎藤に尋ねると彼は皆川経由で情報を得ていたようだ。
「ホテルの騒動は何とか終結したようだ。他に怪我人もなく解散だってさ。お前のおかげだ。あの時、無理をしてでもお前が発言した言葉に改めて考えさせられた」
「俺は外に出てる人間だからな。ずっとここに住んでいる人間には分からない事もある。当たり前が違う、と言うか、人の考え方って色々とあるんだろうけど。ああじゃない、こうじゃないって悩んでもいい。それがいい方向に向かうならな」
「話し合いに再び応じたと言うだけでも大した進歩だ。どうなるかは別としても意味はある。言い争うだけで町を分断する事は回避できそうだ」
斎藤はそう言うと、俺の家の前に車がつく。
「助かったよ。それじゃ、またな」
「おぅ。さっさと怪我を治してくれ」
「そうするよ。神奈もここで降りるんだろ」
「朔也を放っておけないもの。ほら、行くよ」
家に帰ると神奈は身の回りの世話を適当にしてくれる。
「お風呂がダメならこれだよね」
と、水のいらないシャンプーを買ってきてくれたり、神奈はホントに気がきく。
他にも色々としてくれる彼女に感謝する。
神奈は本当に家庭的な子だと褒めてやりたい。
「……夕ご飯も作っておいたから食べてね。また何かあったら連絡して」
「何から何まで悪いな。神奈、ありがとう」
「こういう時くらい、幼馴染として頼ってもらわないとね……。あと、どうせ千沙子が朔也の怪我を気にして、この家に来るだろうし。朔也、あんまり千沙子を頼らず、私を頼りなさい。いいわね?」
彼女はため息をついて「お大事に」と家から出て行った。
本当に仲がよくないな、神奈と千沙子って……。
夕方になり、千沙子が仕事を終えて家にやってきた。
「今日は本当にごめんなさい、朔也クン。貴方を巻き込んでしまうなんて」
「何度も謝らなくていい。千沙子、気にするな。それで、ホテルは?」
「うん。もう大丈夫みたい。あっ、支配人が治療費の方はホテル側が負担するからって。今回は事故に近いけども、ホテルの問題でもあるからね」
向こうも向こうで問題をこれ以上大きくしたくないと言うのもあるんだろう。
今回の事は“偶発的な事故”でおさめるのがいい。
ホテルのイメージ的なモノや、反対派や改革派にとっても問題を広げないためだ。
ここは素直に話に乗っておくとしよう。
「そういや、千沙子のお父さんに世話になったよ」
「昔、病院にいた頃は外科が専門だったって言っていたから縫うのも上手でしょ」
「かもな。数週間はお世話になることになる」
「私からもお父さんに言っておくわ。朔也クンの怪我をしっかりと治してって」
彼女は俺の包帯姿の顔を見つめてくる。
千沙子はそっと俺の手に触れた。
「……朔也クンに守られた時、私はすごく嬉しかったの。でもね、貴方が怪我をさせてしまった時にはすごく辛かった。本当に怖かったの」
「千沙子……?」
「ねぇ、朔也クン。私にできる事があれば何でも言って。私にさせて欲しい」
そう言うと俺はふと神奈の言葉を思い出していた。
ホントに神奈の言うとおり、だな。
「そこまで気にしなくてもいいんだぞ」
「私にさせて欲しいの。朔也クンのために、何かしたいの」
千沙子の好意を無視するわけにもいかず、俺は頷いておく。
「……朔也クンは私にとって恩人なの。昔からずっとそう。貴方に出会って私はいい方向に変われた。貴方のおかげで友達も増えて楽しい学生生活を過ごせた。貴方のおかげで私は恋をする事ができた。本当に朔也クンは私の特別な人すぎるわ」
そう言った彼女は俺に身をゆだねていた――。