第1章:激突する感情《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
人と人の争いごとってのはどこにでもある。
意見の違い、考え方、物事の捉え方……あげればきりがないほどに。
「……なぁ、斎藤。この町の改革反対派ってのは問題がある連中が多いのか?」
今日は漁がなかった斎藤に俺は朝から彼の家を訪れていた。
彼の部屋に久々に上がった俺は彼に問う。
「いや、さほど過激なことはしないぞ。保守派と言っても所詮はこの町の人間だ。大したことはしない。改革反対って言うだけの連中が大半だ。今まではそうだったんだけどな」
彼らはただのこの町の自然環境を守りたいと言う考えの人間。
これまで衝突はあっても、大きな騒動となってはいないらしい。
「とはいえ、どうやらプロ市民って言うのが後ろにいる連中が出てきた。それが気がかりだな。人間のやることだ。時には行き過ぎた行為ってのが起きないとは言えない」
「千沙子が怯えていたんだ。ホテルで働くのが怖いってな」
「なるほどな。町長選が近いせいだろう。君島も大変だ」
すべてはホテルが悪いと決めつけている反対派との衝突があるかもしれない。
まだ連絡は来ていないが、あとで顔を見せる程度はしよう。
「鳴海が気にするのは分かるが、君島と今、そんなに仲がいいのか?」
「彼女も俺の友人のひとりだからな」
「神奈よりも君島に対する接し方が違うだろ。お前の気持ちは神奈に向いているんじゃないかと思っていたが、どうやら違うようだ。お前の本命は決まりかけているのか?」
実際に俺の心が千沙子に傾いていると言うのはまだ自分ではよく分からない。
千沙子に対して、俺の感情は未だに明確なモノではない。
「さぁな。人間、そう簡単に心を変えられないものだ」
「……女はその辺、かなり切り替えが上手だよな。案外、過去の恋愛を引きずるのは男の方だってのは本当のようだ」
「切り替え方がうまいかどうか、だろ」
俺達がそんな話をしているとひとりの男がいきなり駆けこんできた。
「斎藤さん、大変ですよ!」
「ん。どうした、澤田? 誰かの釣り船でも沈んだか」
「縁起の悪い事を言わないでくださいっ。それなら大問題ですよ」
彼は何度かあった事がある斎藤の後輩だ。
高校卒業して、漁師になった彼は将来有望な若手だと斎藤が言っていた。
「皆川さんが斎藤さんを呼んで急いで美浜ロイヤルホテルに来てくれと。青年会のメンバーには招集かけてます」
「だから、何があったんだっての。皆川が俺を呼んでる理由は?」
皆川は俺も知ってる、中学時代の同級生だ。
斎藤と一緒に今は地元の青年会を率いている。
「ホテルで大騒動ですよ。町長と反対派の連中がぶつかりあって、やばい事になってるみたいです。かなりの揉めてる様子で大きくぶつかるかもしれないから、すぐに来て騒動を止めてくれって。警察の方もすぐに来てくれるそうです」
「……鳴海、どうやら俺達の予感は最悪な方に当たったようだ。すぐに行こう」
「分かった。俺は千沙子と連絡をとってみる」
すぐに連絡をしようとしたが、千沙子の携帯には繋がらなかった。
斎藤の車で急いでホテルへと3人で向かう。
ホテルの入り口を取り囲むように数十人の人が集まり、大きく揉めていた。
プラカードや旗みたいなものを持つ集団はこの町では珍しく異様な雰囲気だ。
俺たちは皆川と合流することにした。
「おっ、鳴海じゃないか。久しぶり、あの花見以来だな」
「あぁ。皆川、お前も元気そうだ……って呑気に挨拶してる場合じゃないな」
「確かに。ったく、毎度のことだが、どうにもこの問題は町を不安定にさせやがる。町をよくするか、自然を守るか、俺はどっちでもいいが、住んでいる人間同士がいがみあうのだけはやめてくれと言いたいな」
皆川が集めたという青年会のメンバーは彼らの間に入って、直接ぶつかりあうのを防いでいるようだ。
警備員の数も多く、ホテルも普段とは違う雰囲気だ。
一触即発、とはまさにこの事だな。
町長である改革派の人達も彼ら反対派と睨み合いをしている。
「……斎藤、ここは任せた。俺は千沙子を探してくる。」
「分かった。とはいっても、これはぶつかり合うのは時間の問題だな」
斎藤と皆川にそちらは任せて俺はホテルの内部に入り、千沙子を探す。
ホテルの従業員達も不安そうに外を眺めているしかない。
幸いにも千沙子はすぐに見つける事ができた。
フロントの近くで従業員同士で話をしていた。
「あっ、朔也クンっ!」
こちらに気づくとすぐに近寄ってくる。
「何とか大丈夫だったようだな」
「まぁね。それにしても最悪よ。彼らのせいでお客は一時的に外に出られないの」
「……もうすぐ警察も来るそうだ。それまでの辛抱だろう」
「彼らがその程度で収まってくれるなら、ね」
過去にも何度かこのホテルと衝突していると聞いている。
「君島さん。町長がこちらに降りてくるらしいわ。従業員は下がるように言って」
「分かりました。皆にも伝えてきます」
どうやら、衝突は避けられそうにもない。
ホテルの従業員達はそれぞれ仕事を中断して、フロントの方へと集まり始める。
問題の町長は姿を見せると、彼らを一蹴した。
「まったく、分からん奴らだ。何度言えば理解してもらえるのやら」
「……彼らには彼らの言い分があるのでしょう」
髭面の町長の横の男の人はもしかして?
「あの人ってホテルの支配人か?」
「……あ、うん。そうよ」
と言う事はあの人が望月要のお父さんか。
要もホテルの事では少し悩んでいるようだったからな。
「おや、キミは確か……」
その望月さんが俺に気づいて声をかけてきた。
「高校教師の鳴海先生でしょう。私は望月要の父親です、娘がいつもお世話になっております。話しでよく聞いていますよ」
「初めまして、鳴海です。要さんの部活の顧問をしています」
「えぇ、理解のある若い先生がいて、娘が頼りにしているとよく話してくれています。貴方の事は写真を見て、顔を覚えていたんですよ。しかし、こんな時になぜ、貴方がここに?」
望月さんは不思議そうに言うと隣の君島に気づく。
「おや、これは失礼。君島クンとは親しき仲だったようですね」
「……まぁ、それなりに。中学の同級生でもありますから。それより、大丈夫なんですか? どうにも、嫌な雰囲気なのですが」
俺はそう呟くと彼も苦い顔をする。
「このホテルが出来てから頭を悩ませる問題ですよ。変化と言うモノは常に騒動になるものです。彼らには彼らの言い分があり、こちらにもこちらの考えがある」
「難しい問題ですね」
ホテルの経営者とそれ望まない住民の対立という構図。
答えは簡単に出るものではない。
「だからこそ、こちらは話しあいをしたい。それでも、彼らは聞く耳を持ってくれていないようで困ります。何とか話し合いの席にだけでも付き合ってもらいたいのですが。ああいう行動を起こされるのもね」
彼はそう言って、「娘を今後もよろしくお願いします」とだけ言って再び、町長の方へと歩いて行った。
「人当たりのいい人なんだな」
「支配人はとても優しい人よ。思いやりもある。けれど、このホテルの経営者側の人間としては決断もしなくちゃいけない。グループからもさっさと問題を解決するように言われているみたいで板挟みなのよ」
大変そうだと思うがこれも仕方のない事なのだろう。
「そうか。前に車を持ってはこれないか」
「ここを突破するのは難しいでしょう。従業員の入り口ですが、裏に回りましょう。そちらの方が安全に出ることができます」
待ち受ける大衆から逃げるように、町長と望月さんが反転して、再び、中へと入ろうとする。
その時だった、それまで緊迫していた均衡が崩れる。
「――町長が逃げるぞ、追えッ!」
誰かがそう言った。
その誰かの一言がきっかけで、ドッとホテルの中に人々がなだれこんでくる。
「まずい、さがるぞ。千沙子っ」
「え?」
戸惑う千沙子は足をすくませて動けない。
そうこうしているうちに町長の元へと人々が向かう。
「町長、今日という今日は逃がしませんよ。例の開発の件、きっちり話してもらいましょうか。アンタたちが一体何をたくらんでいるのかを」
「そうだ、そうだ。あの森を切り開いて何をするつもりだ」
人の流れは急には止められない。
斎藤と皆川達、それに警備員達が何とか物理的に壁となって止めようとする。
それでも、止めきれなかった何人かが町長達の方へと詰め寄ろうとする。
ホテルが出来てからの観光客増加はこの町の収入に繋がりいいことだろう。
商店街の人間は活性化することで、人々の賑わいを取り戻しつつある。
それでも、変化を嫌う人間はいる。
町に人が増えると言う事は必ずしもメリットばかりではないのだ。
その恩恵を受けない人もいるし、デメリットの部分だけを味わう人もいる。
……そうして、積もり積もった不満は爆発する。
「お前らのせいで町がおかしくなったんだ!」
「……私から言わせればお前達は温すぎるっ。自然を守る、今の暮らしを守る。そんなのはただの綺麗事だよ。何もせずに、この町を守る事はできぬっ!」
「守るだと!? 迷惑行為ばかりするよそ者をかき集めるのが守ることか!」
「ホテルを誘致し、観光地としてしかこんな町は生き残れない。観光地としての開発が必要なのがなぜ分からぬのだっ」
町長の怒鳴り声がロビーに響き渡る。
どちらもいい分があり、考え方の違いがそこにある。
意見が衝突する中で、そのアクシデントは起きてしまった。
詰め寄った人々のせいで、千沙子のすぐ近くにあった大きな花瓶が倒れたのだ。
ゆっくりと千沙子の方へと倒れて行く花瓶。
「きゃっ!?」
その場の人間は一瞬、静寂さを取り戻し、彼女の方へと視線を向ける。
――危ない。
誰もがそう思ったに違いないが、どうする事もできなく、花瓶は音を立てて砕け散る。
ガシャンっ!!
目の前で、無惨にも砕けた花瓶にその場の誰もが息を飲むように静まり返る。
「……さ、朔也クン?」
砕けた花瓶の破片が俺の服に突き刺さる。
俺は千沙子に覆いかぶさる形で身を呈して彼女を守っていた。
ギリギリ守れることができたが、俺も無傷ではない。
俺の肩に当たり、砕け散った花瓶の破片が顔の額を切り、血が溢れだしていた。
「ぐ、ぅっ……千沙……子っ……」
顔面から滴り落ちる血の雫に彼女は顔を真っ青にさせていた。
「――朔也クンッ!?」
彼女の悲鳴だけがホテルの中に響き渡った――。