第1章:激突する感情《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
夏の終わりが近づく、8月の後半。
町長選が近々始まろうとしており、本格的に町が騒がしくなり始めた。
町の未来、行く末はどうなるのか。
今よりもっと美浜町を観光地化させようとする改革派。
それに反する保守派の動きも大きくなりつつある。
「嫌な感じだな。同じ町を思う人間同士がこうも対立し合う構図ってのは」
「別にそこまで深く気にすることはないわ。出る人が変わっても、毎回のことだし」
「そうなのか? そういや、前も選挙の時に揉めたって聞くぞ」
今日は千沙子とバーで一緒に飲みながら話をしていた。
この雰囲気のいい場所で飲むお酒は神奈の店とは違う。
千沙子は酔いを警戒して今日はペースを抑えめだ。
明日も仕事があるかららしい。
「……今年、少しだけ違うと言うのなら、それはきっと山の方の開拓が始まるかもしれないということね。ほら、ホテルの後ろにゴルフ場があるでしょう?」
「あぁ、無駄に広いアレな」
「他にも観光地として何かを作るかもしれないって話よ。人を呼ぶものを増やしていくのはいいけれど、それだけ自然を破壊することでもあるもの。観光地としての評価があがれば、税収だって増えるけど、自然と天秤にかけるのは難しいわ」
それが保守派には気に入らないと反発している理由の一つか。
「ホテルにもね、たまに来てるわ。保守派の人達が押し寄せる事もたまにあるの」
「あのホテルは改革派の象徴だものな。大丈夫なのか?」
「ここ数日は何もないけども、従業員の間では不安もあるわ。私も怖くなる時がある」
ホテルで働く従業員が不安に感じるほどか。
過激に動く人間がいないとは言い切れない。
「何かあれば俺の連絡しろ、千沙子」
「……朔也クン」
「千沙子が怪我をするようなことがあったら辛いからな」
「うん。ありがとう。もしもの時は呼ぶかもしれない。……でも、さすがにそこまで警戒する事はないはずよ。あのホテルもしばらくは警備員を増やすって話だから」
嫌な雰囲気、それを感じ取る千沙子。
元気がないのは気のせいではないようだ。
「何かあるのか?」
「明日、町長がホテルの方にやってくるって。そこで、もしかしたら……」
「保守派の人間がきて、ひと騒動あるかもしれない?」
「……うん。まだよく分からないけど、プラカードを持った人達がホテルの周りをうろうろしていたって話があって。それを聞いて、嫌だなって」
「マジで何か起こるかも、か。明日は仕事も休みだから、ホントに何か不穏な感じだったら連絡をくれ。俺で何かできるとは思えないけどさ」
どちらにも意見があって、対立してしまう事は仕方のない事だ。
それでも、誰かが傷付くような事が起こらないで欲しいと願う。
「……今までそう言うことで騒動が起きたことは?」
「過去に何度かあったみたい。ホテルができる前とか、大変だったみたいよ」
ホテルと一緒にゴルフ場の建設もあったので、その時が一番、騒ぎになったらしい。
最近は落ち着き始めていたのに、ここにきて、さらに開発となれば騒がしくなるわけだ。
斎藤も今回の町長選は荒れると言っていたし、警戒しておくにこした事はない。
「……ねぇ、朔也クン。話は変わるけど、この間、テレビの撮影に出たってホント?何か神奈さんがそう言う話をしてたのよ」
千沙子に尋ねられたのは1週間ほど前の出来事だ。
ちょっとした事でテレビに取り上げられた。
「あー。そう言うこともあったな。撮影に出たってほどじゃない。何か、県のテレビ局が田舎特集みたいなのをしていてさ。地方で働く若者にスポットを当てる、みたいな感じのニュース番組のコーナーがあるらしい」
「知ってる。見た事あるよ。都会じゃなくて地元で何か活動している若い人をテーマにして紹介しているんだよ。確か前に斎藤君も漁業関係で少しだけ出たって」
「らしいな。その辺、斎藤から聞いた。俺の場合はほら、東京から地元に戻って教師をしているだろう? それがどうにもテレビ的にネタになったようだ。適当に話しておいたよ」
なぜ、俺はここに戻ってきたのか。
この町に戻ることで一体、何をしたいのか。
これから先、この町の未来に不安はないのか。
色々と聞かれたが、それとなく答えておいた。
「時間にしたら10分程度のコーナーらしい。明後日の夜に放映するってさ」
「そうなんだ。絶対に見るね」
「いや、そこまでしなくても。大したことを喋ってないし」
「ううん。私は朔也クンが見たいの。録画でもしておこうかなぁ」
何て言うかここまで明らかな好きオーラを見せられるとぐらっとくるな。
俺もそろそろ本気で彼女や神奈の事を考えないといけない。
千歳のことは徐々にだが乗り越えられつつあった。
ワイングラスを傾けると、千沙子がボトルから注いでくれる。
俺はワインを飲みながら千沙子に言った。
「もうすぐ夏も終わりだな。夏が終わればまた学校も忙しくなる」
「皆、夏休みの間も先生は仕事なんだね」
「授業とは違う仕事が大変なのさ。研修とかもしてきたし。自分が生徒の頃には気づかないが、先生ってのも大変だ」
そう、あと少しで夏は終わってしまう。
「千沙子と海には行ってないよな。夏が終わる前に行かないか?」
「え? さ、朔也クンのお誘い?」
「今、忙しいのは分かってるけど、休みの日にでもどうだ?」
「うん。朔也クンとなら行きたい」
千沙子はあまり海で泳ぐ事はしないと前に聞いた事がある。
生まれつき色素が薄い白い肌、日焼けは天敵ですぐに赤くなるそうだ。
「海で泳いだりする事はないのか?」
「自分から行きたいとはあまり思わないわ。今年も1回だけ、友達に誘われて行っただけ。神奈さんはよく行ってるわよね。たまに海で見かけたりするもの」
「そうみたいだな。アイツとスキューバダイビングをしてきたが、昔は泳げなかった事は到底思えないほどに成長してる」
「神奈さんの泳ぎって綺麗に泳ぐわよね」
確かにアイツのフォームはきっちりとしている。
教えてもらった先輩の指導がよかったようだ。
さすが水泳部と言うか、俺も未だにこちらに帰ってきてから勝てない。
「泳ぎで神奈に負け続けるなんて思いもしてなかったよ。千沙子は泳げないってことはないよな?」
「泳げるけど、それほど得意と言うほどでもないかな」
俺の記憶にある限り、千沙子と泳ぎに言った事は過去を含めてほとんどない。
「意外だったが、千沙子と海で遊ぶ事は今まであまりなかったな。よく釣りをしている時に隣に座ってる事はあったけど」
「昔の話? そうね、朔也クンも泳ぐよりは釣りをしてる事が多かったじゃない」
「……俺も釣り好きだったからな。今もまたやり始めたんだ」
千沙子は釣りの邪魔をせずに隣でよく話をしていた記憶がある。
よく飽きもせずにいたっけ。
神奈なんか俺が釣りをすると、暇だからってすぐにどこかへ行ったものだ。
「釣りをしてる時の朔也クンってすごく優しくなるの。釣れている時も釣れない時も、話をしているだけで楽しかったよ」
「そうなのか。自分ではあまり意識してないんだけどな」
釣りをする時って大抵、釣れるまでは暇で静かな時間を過ごす。
それが千沙子と話していると、俺も心が落ち着くんだよな。
波長が合うって言うか、一緒にいて和むというか。
今もそうだ、お互いにお酒を飲み合うだけで何だか不思議と落ち着く。
それは他の女友達とも、幼馴染の神奈とも違う。
ある意味、俺は千沙子に“特別”を感じているのかもしれない。
「……さぁて、そろそろ帰るか」
「そうだね」
ほろ酔い気分で俺達は店を出ることにした。
夏の夜風は涼しい、と言いたい所だが、熱帯夜ってのが続いてどうにもなぁ。
「もう少し、涼しい風をくれ」
「あははっ。でも、段々と過ごしやすい気温になってきたじゃない」
「まぁ、昼間よりはマシだな。猛暑とか勘弁してくれ」
「ここ最近、すごく暑くて大変だよね。職場はクーラー効いてるけど、外に出たら唸る暑さで大変だもの」
夏の暑さが悪いとは言わないが、加減を知ってくれと言いたい。
「昔とは色々と変わったところもある町だけどさ。こういう夜に吹く海風の心地よさだけは変わらないな」
海岸沿いの道から眺める大海。
月明かりが反射する光景にふたりで見惚れる。
「……朔也クン」
そっと千沙子が指に指を絡めてくる。
隣に寄り添いながら自然と手を繋ぎ合う。
「もう少しだけ、ここにいてもいいわよね?」
俺は頷くと彼女は嬉しそうに微笑みを見せる。
この時までは何も起こるとは思わなかった。
明日、俺と千沙子の関係を変えてしまうような出来事が起きるなんて――。