第19章:愛の証《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
普段は平和で静かなこの町がどうにもここ最近は騒がしい。
「何かあるのか、斎藤?」
俺は学校帰りに斎藤の家、商店街の魚屋による。
彼は自分の愛車(軽トラの方ではない)を洗車しているところだった。
「んー。何かあるとは? おっ、そこのバケツを取ってくれ」
「はいよ。俺に水をかけるなよ」
俺は足元にあった水の入ったバケツを彼に渡す。
「しないって。スーツなんて着るとお前も立派な社会人に見えるから不思議だ」
「俺は立派な社会人だっての。それよりも、だ。美浜町がどうにも騒がしい気がしてな。もうすぐ夏だからか?」
「それも関係なくはないが、お前が感じているのとは違うものだ」
泡だらけの車を洗いながら、斎藤は例のホテルを指差す。
「お前もこの3ヶ月、この町にいて何となく分かってるんじゃないか。この町は今、二分化されようとしていることがな」
雰囲気でだけども、この町の問題は分かりはじめてきていた。
「……過疎化問題についてか?」
「そうだ。この町からの人の流出は止まる気配がない。正直、それ自体はどうにもできないから仕方ないのだが。観光地として発展させるしか道がないと思い、ホテルの誘致など突き進んでいるのが改革派だ。そして、逆に外からの人間による影響を考え、この町を守ろうとするのが保守派。どちらも町のために動いている」
「それが結果として分裂の危機ってわけか」
千津の親の問題でも俺も触れたが、この町では重要な問題でもあるようだ。
改革か保守か、難しくて微妙な問題だ。
「最近は若手の人間も積極的に改革派の支持を始めた。俺達の青年会は別にどちら側につこうと言わないが、中には改革派の考えの奴が多いのも事実だ」
「都会に憧れる奴が多い気持ちは実際に俺がよく分かってるさ」
都会と田舎では生活レベルにも雲泥の差がある。
せめて、観光地として開発して発展させたい気持ちも理解できる。
それに伴う自然の破壊、町が変わるのを恐れる人間の気持ちも理解できない事はない。
「前にも言っただろうが、改革派の象徴的な建物があの美浜ロイヤルホテルだ。実は夏の終わり頃に町長の選挙がある。今、ざわざわと町がしているように感じるのはそのせいだ。今は改革派の町長が町を色々としようと頑張ってるが、それを良しとしない保守派も町長の座を狙ってるからな」
「……なるほど。町長の選挙か」
「鳴海は君島と親しいだろう? ホテルの従業員であるあの子の事を気にしてやれ。……っと、次は、ホース、取ってくれ」
斎藤は手元を止めることなく、俺にそう言った。
「それはどういう意味だ?」
水洗いするためにホースを取ってやると、濡れないように少し下がる。
「サンキュー。どういう意味って、まだ分からないか? あのホテルは良くも悪くも美浜町の改革派の象徴だって言っただろ。そこで働く彼女達を快く思わない保守派もいるってわけだ。雇用は大切だけれど、観光客が増えだした事によるマナーの悪さや町に与える悪影響も少なからず目に見えた形で出始めている」
確かに言われる通り、この町にも観光客が増えだしていた。
ホテルの近くにはゴルフ場も温泉もある。
これから夏へと本格的になれば海目的の人が大勢やってくるだろう。
「去年もそれでずいぶん揉めたからな。他所から人が来れば経済は確かに潤う。だが、それは悪影響も一緒にセットとなるのは必然だ。仕方ない事だけど、それが気にいらないっていうのも意見としては当然だ。誰も自分の懐にトラブルを抱え込みたくはないからな」
「人が増えれば、海も汚くなるし、色々と余計なトラブルも起きるか。それ込みでの観光地誘致、難しいな」
「そう言う事だ。それくらい覚悟しなきゃ町起こしなんて出来やしない。だが、実際に地元住民にとって迷惑は被りたくない。そこが対立を深めているわけさ。何もせず楽してこの町を存続させ続ける事なんてできやしないから、皆もいろんな意見があるわけだ」
改革派には想定内の事でも、保守派はそれすら認めたくないのだろう。
「……ちなみにうちの商店街の連中は改革派の支持者が多くてな。漁業の方もホテルのおかげで今は売り上げもいい。俺もどちらかと言えば、改革派だ。流れ的には仕方ないことだと思ってるぜ」
「変化を望まないとするのがいいのか、変化するのがいいのか。バランスが大事だな。千沙子を気をつけろと言ったが、その問題が表面化して、何か悪い事でも起きそうなのか? 悪い意味で言うなら暴動とかさ」
「まだ分からん。だが、何か問題が起きれば真っ先に保守派が狙うのはホテルだろうな。その時になったら君島も危なくなるかもしれん。だから、鳴海が彼女を支えてやってくれと言う話だよ。恋愛絡み抜きでも友人を助けてやれ」
「了解。そう言う事なら、俺も対応しよう」
車についた泡を水で洗い流すと綺麗になる。
斎藤も町の変化に危機感を募らせているのだろう。
「そこまで過激なことをするとは思えないが、ざわついた雰囲気があるのは確かなようだな。町も随分と変わったんだな」
何かきっかけひとつで状況は最悪に悪化してしまう。
「過激とは言えないが、過去も色々とやりやがった団体があるんだ。そこだけが心配なんだよな。特に町長選のここ一ヶ月は警戒しておくにこした事はない。それだけをお前も頭に入れておいてくれ」
「ふーん。平和だと思っていたのにねぇ」
「それを変えたのも、あのホテルと改革派だってことだ。時代の流れもあるんだろうけど。町起こしでもしなきゃ町が潰れる。その危機感は町の住人の誰もが身を持って感じているはずなんだが、うまくいかないのさ」
利権や権力、想いだけで何事もうまくいく事はない。
ある程度の情報を手に入れた俺はそのまま、神奈の店に行こうとする。
その途中、俺は望月の姿を見つけた。
一度家には帰っていたのか、私服姿の彼女に声をかける。
「どうした、望月?」
「あっ、鳴海先生。こんにちは」
「犬の散歩、というわけじゃなさそうだな」
いつも会う時は犬の散歩をしている時が多い。
「今日は夕食の材料を買いに来ました」
「……望月って料理ができたのか?」
俺の記憶が確かならゴールデンウィークの合宿は料理は散々だった気がする。
案の定、彼女は困ったような顔を俺に見せる。
「うぅ、少しくらい女として見栄を張らせてください。お弁当を買いに来たんです」
「ははっ。料理は少しずつ覚えればいいさ。今日は両親は留守か?」
「はい。両親共に東京の方へ出張中です。料理くらいできないとこういう時に困ります。先生は自炊するんですか?」
「するはずがない。そうだ、望月さえよければ、俺と一緒に神奈の店に行くか? アイツのお店、食事も美味しいんだ」
あの店は居酒屋だが食事をする食堂としての意味でも人気の店だ。
俺が望月を誘うと彼女もついてくることになった。
「そう言えば、先生。少しお願いがあるんですけど?」
「何だ? お願いって……?」
「出来れば街中で会った時には“望月”と呼ばないで欲しいんです。どうにもその名前はこの町の人には敏感になるようで。別に何かされるとかじゃないんですけどね」
彼女の話だと改革派には大いに歓迎されるが、保守派には目の敵にされているらしい。
なるほど、彼女も難しい立場である。
もちろん、まだ子供の望月に何かをする人間はいないが、気を重くする事ではある。
「……了解。それじゃ、えっと……要でいいか?」
彼女はかなめ、という名前だったはずだ。
「はい、いいですよ」
俺が要と一緒に神奈のお店に行くと、相変わらず繁盛しているお店だ。
「……あら? 今日は要さんと一緒なんだ? 久しぶりね」
「はい、お久しぶりです」
と言っても、彼女達は朝の散歩でよく会う事があるらしい。
神奈はマラソンをしているし、要も犬の散歩を毎朝しているようだ。
「メニューは神奈に任せるよ。俺はビールで。要、飲み物は何にする?」
「ウーロン茶でお願いします」
「分かったわ。少し待っていてね」
神奈が厨房へと行くのを要はその後ろ姿を見つめていた。
「……神奈さんみたいに料理が上手な人って憧れます。先生はいつもこちらに?」
「まぁな。家からも近いし、神奈に任せておけるから楽だからさ」
「それに、先生の恋人でもありますからね。ふふっ」
……だから、それは違うってのに。
神奈の外堀埋め作戦がどうにも地味に効果があるような。
「先生にとって、神奈さんって大切な存在なんですよね」
「それなりには……。どうしてそう思う?」
「いえ、いつ会っても常に笑顔の人ですから。あの笑顔に癒されますよね。客商売だからというわけじゃなさそうですし、誰かに愛されて満たされているからかなって思っただけです」
「うーむ。神奈が元気なのは昔からだけどな」
アイツの元気の源が何か俺もいまいちよく分からん。
「……ふたりして、何のお話をしているの?」
神奈がビールとウーロン茶を持ってカウンター席に来る。
「神奈さんはいつも明るくて笑顔ですから、どうして常に笑顔でいられるのかなって」
「え? あ、えっと、それは……」
神奈が俺に方を照れくさそうに見つめてくる。
おい、何だよ、その女の子みたいな可愛い視線は?
「私の元気の源は朔也だよ、とか言ってみたりして」
「照れるなら言うな。……な、何だよ、要?」
「くすっ。先生も照れるほど仲がいいんだなぁって」
「だから、違うんだって……これには事情があってだな」
すっかりとペースを崩されてしまう。
「羨ましい関係ですよね。そういうの、いいと思います。私には無理ですけど」
「どうして? 要さんなら可愛いし、相手くらいいそうなのに?」
「……私、男の人が苦手なんです。だから、恋人なんて無理ですね。少女漫画とかでは憧れますけど、生身の男の人は本当にダメなんです。どうしても緊張してしまいますから」
男嫌いの話は過去にも聞いてたけど、本当にダメなんだな?
「あれ? 朔也は別に普通だけど、OKなの?」
「鳴海先生は先生だからですよ。私にとって苦手なのは同世代の男性です。……あまり良い思い出がないんですよ。でも、先生と神奈さんの関係みたいな理想的な恋人関係を見ていると私も恋くらいしたいとは思います」
要はにこっと爽やかな笑みを浮かべて言う。
「えー、そう? ふふっ、理想的かぁ……嬉しい事を言ってくれるわ」
「……神奈、にやけてないでお仕事をしてくれ」
俺は神奈にそう言って食事の方を集中させる。
別に困る事はないので、神奈の恋人設定はそのままにしている。
あくまでも学校関係者用の設定で、実際とは違うわけだけども。
千津とか要とかも、俺にそう言う相手がいると思った方が安心できる事もある。
「いつか私も恋をしたりするんでしょうか。想像もできません」
「そうかな。思わぬ形で運命の相手とめぐりあうこともある」
「そういうものですか。あっ、このエビフライ。すごく美味しいです」
子供には子供の悩みがある。
青春時代だが、大いに悩んで当然なのさ。
俺は食事を楽しみながら、そんなことを考えていた。




