第18章:戸惑いの海《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
千津からの情報、神奈が昨日の夜に泣いてたと言う話を聞いた。
彼女が涙を見せるなんて珍しい、こともないか。
小さな頃はよくお化けが怖い、幽霊が怖いと泣いてた事もあったし。
感受性が強い子なので、何かの影響を受ければ涙もよく流す。
だが、街中で泣くなんて何かあったに違いない。
「それが俺絡みではない事を切に願おう」
俺絡みで何か神奈を泣かせているとしたらそれは辛い事だ。
俺だって幼馴染として大切には思っている。
「……さて、今日は神奈は店にいるかな?」
俺が居酒屋に入ると忙しそうにしている美帆さんがいた。
アルバイトの女の子とふたりだけ、神奈の姿はそこにはない。
「あっ、いらっしゃい。朔也さん」
「どうも。神奈はいないんですか?」
「あー、神奈? それがねぇ、何ていうか昨日からどうにも調子が悪いというか、様子が変なのよね。今日もお仕事を休むって言いだして。あんな風に落ち込んだ姿、すごく珍しいから……何かあったのかも」
美帆さんも心配そうに言う。
やはり、本気で何かがあったらしい。
「季節の変わり目で風邪をひいたとか?」
「うーん。それもあるかもしれないけど、もっと何かあったような……朔也さんには心当たりはないの? 大抵、あの子が変になるのは朔也さん絡みだもの」
千津と同じ事を言われてしまった。
俺と神奈の関係がそれだけ親密と言う事だ。
「違うと言い切れる?」
「それは……まぁ、全くの無関係だと言い切れる自信はありません」
俺の過去を知ってから、神奈が俺を見る目が変わった気がする。
ただの幼馴染でもなく、妹でもなく、何と言うか、俺と一緒の時の雰囲気が変わった。
「神奈にとっての朔也さんはとても大きな存在なのよ。それは、兄と妹みたいな強い絆みたいなもので繋がれている。子供の時はそれで満足できたかもしれない。けれど、大人になってそれだけじゃ満足できなくなった」
「……どう、なんですかね」
曖昧に答える俺に美帆さんは特に自分から言うことはないようだ。
その辺が神奈のお姉さんと言うか、ちゃんと見守ってるんだよな。
神奈が行方不明のまま、俺は食事を終えて店から出て行こうとする。
「そうだ、朔也さん。ひとつだけあの子が行く場所に心当たりがあるかも」
「どこですか?」
「何ていうんだっけ? 隠れ浜? ほら、朔也さん達が小さい頃からよく行ってた砂浜があるじゃない。あの子がよく拗ねたりしてた時にはよく行く場所なの。多分、今日もそこにいる気がするわ」
隠れ浜か、なるほど、あそこは神奈のお気に入りの場所でもある。
「分かりました、そちらにも寄ってみます」
「うん。神奈の事をよろしくね。何なら家に連れて帰っちゃってもいいから」
「……それは姉としてどうかと思いますが」
姉自らお持ち帰りOKと言うのはどうなのだろう?
それだけ俺は信頼されていると言う事かな。
お店から出ると、その足で海の方へと向かう。
今日は満月なので、明かりがなくても薄暗いだけで見通しが聞く。
「ここに神奈がいるって聞いたが、本当にいるのか?」
神奈はあまり暗いところが得意ではない。
あの年でも怖がりだから、独りでこんな場所にいるはずがない。
辺りを見渡しながら砂浜を歩き続ける。
岩場の影、昔から俺達の使っていたテントにその人影はあった。
海を静かに見つめる女の姿。
月明かりに照らされてどことなく神秘的にも見える。
「……神奈?」
俺は声をかけるが届いていない様子だ。
夜の海は静かに波を打つだけ、さざ波の音を聞きながら俺は神奈に近づく。
「おい。神奈……?」
「え? 今、朔也の声がしたような気がする?」
「気がするじゃない。俺だ、朔也だ」
神奈は俺がここにいるとは思わなかったらしい。
驚いた顔も束の間、すぐに海へと視線を戻した。
「何だ、朔也か。びっくりさせないでよ」
「それはこちらのセリフだ。お前こそ、こんな場所で何をしている? 人気もないこんな場所だと危ないぞ?」
「そう? 別に言うほど危なくないでしょ。都会じゃどうかは知らないけどね」
俺は神奈が泣いていたという千津達の話が気になる。
その事を尋ねようとしたが、どうにも彼女はテンションが低めだ。
「……お前、何かあったのか?」
「どうして、そう思うの?」
「千津が昨日、お前が駅前で泣いていたと言っていた。店も今日は休んでいると聞いたし、神奈の事が気になってな」
「ふーん。だから、こうして探しに来てくれたんだ?」
夜の海は月明かりに照らされながら輝く。
水面に月を写しながら、暗闇の深い黒色に包まれている。
「……朔也って、優しいの?」
「俺は優しい奴だと思うが……?」
「はい、嘘。ホントに優しい人はそんな事を言いません」
彼女は軽い口調でそう言うと、立ちあがって俺の方を見つめる。
寂しそうではあるが今は泣いていない。
「ねぇ、朔也? 本当に優しいって言うなら、私を抱きしめて」
「……はい?」
「いいから、何も言わずに……抱きしめてよ」
それは甘えるものではなく、癒して欲しいと言う意味だろうか。
「何も言わず、ね?」
俺はそっと神奈の身体に腕をまわして抱きしめてみた。
女の子らしい華奢な身体。
そういや、小さい頃はよく泣いてばかりだった神奈をこうやって抱きしめてた。
慰めてやると、すぐに機嫌もよくなったよな。
「……昔と変わらないわね、私っていつも朔也に甘えてばかりいる」
懐かしさを感じているのは俺だけではないようだ。
「何か悩みがあるなら言ってくれ」
「この前、掃除してたら朔也の部屋で怪しい本を見つけたわ。あとDVDも……」
「――ナンデストッ!?」
それは男として避けては通れない宿命みたいなものなんだ。
「……意外とマニアックな趣味をしているんだ?」
「そ、そんなことはナイデスヨ」
「制服プレイとかコスプレとか好き?」
「好きです」
普通に答えちゃった!
部屋の掃除なんて頼まずに自分でするべきだった、と後悔中。
「と言うのは冗談。見つけただけで、中は見てない。見たくもないから戻して置いたから……朔也も男だよね」
その配慮はありがたいようで有難くないような。
帰ったらすぐさま隠すことにしよう。
独り暮らしだと普通に隠す事もないから油断していたのだ。
「見たくもないものを見てしまった時ほど、悲しいものはないよね」
「……?」
それは何か別の意味も含めている気がした。
見たくないもの、か。
それは現実と言う意味も含めているのかもしれない。
「……それが泣いてた理由?」
彼女は首を横に振って、ようやく俺から身体を離す。
「泣いてたのは別の理由だけど?」
彼女の話は意外な真実だった。
実は高校時代に仲が良かった親友が結婚をして町を去ったらしい。
その別れが悲しくて、つい泣いてしまったらしい。
それを千津達に見られてしまったと言うのが真実だった。
「そう言う事か。俺が何かしたんだと思っていた」
「それはちょっと自惚れすぎ?」
「……うぐっ!?」
全く持ってその通りだ、神奈に俺が関係しすぎてると言うのは思いこみにすぎない。
「あはは。確かに朔也は私に一番、影響力がある相手なのは事実よ」
「それで、その子はどこに行ったんだ?」
「国際結婚でイタリアに住むんだって。イタリアだって、すごいよねぇ」
「……それはこの町から出て行くと言うより、違う意味では?」
意味的には間違ってないけど、日本からも出て行くわけだし。
どちらにしても、ほとんど会えなくなると言う意味では正解だ。
神奈が悲しむ理由には違いない。
「またいつか会えるといいな」
「そうね」
俺は神奈の髪を撫でてやるとくすぐったそうに笑う。
普通ならもう俺達の年齢で、こんな真似をするのは恥ずかしいのだが。
やっぱり、どんなに年齢を重ねても神奈は俺の妹みたいなものなのだ。
悲しい顔より楽しく笑っていて欲しい。
「それにしても、何で夜の海なんて眺めていたんだ?」
「ここは好きな場所だもん。海風も心地よくて、波音も静かで、考え事をする邪魔は何もない場所。独りになりたい時はよくいるよ。特に夏の夜の海って好きなの。これからの季節はここに来る時間も増えるかもね」
「……昔、この場所で恋人に捨てられた女が水深自殺を図ったと言う噂が」
「きゃーっ。嫌だぁ、変な話をしないで」
ホラー系がまるでダメな彼女は怖がってみせる。
耳を押さえて嫌がる彼女に俺は「冗談よ、冗談」と神奈の耳元に囁く。
「うぅ、やっぱり朔也は意地悪なの」
この場所は俺達もたくさんの思い出がある場所だ。
いつまでも変わらないでいて欲しい、大切な場所。
ふたりで夜の海を眺めながら、初夏の訪れを感じていた。
ちなみに、お持ち帰りOKと言われていたが、ちゃんと責任を持って神奈は家に送り届けました。
俺って真面目な子です。