第17章:青空の下で《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
「……え? 私が朔也に幻滅しなかった理由?そんなの簡単だよ」
俺が夕食のために神奈の店に来た早々に彼女は俺にそう言った。
千沙子同様、神奈も何か俺に不満を抱えているような気がして、尋ねてみたのだ。
先日の件では相当な文句を言われたが、神奈は言うだけ言ったら許してくれた。
でも、千沙子と接して思ったが、俺って何気に悪い奴な気がして反省している。
「簡単ってどういう事だよ?」
「朔也はどうしようもない女ったらしだと言う事。朔也の本性を知っていたもの。幻滅しようがないってね」
「……俺ってそこまで信用がなかったのか?」
神奈は俺の前にまずはビールを運んできた。
それはいつもと変わらない表情、怒ってるわけではなさそうだ。
「信用というよりも、私の立ち位置の問題かもしれない」
「……は?」
「朔也には分からないよね。いいの、私は別に……。どうせ、私は朔也にとっての妹的存在だもの。ずっと、ね」
「何の話だ? あ、おい……神奈?」
神奈はそう言って厨房の方へと行ってしまう。
「立ち位置の問題って何だ?」
その様子を見ていた美帆さんが呆れた表情で俺に言う。
「神奈って普段はものすごく気が強いくせに、恋愛絡みになると極端に消極的よね。はぁ、私の妹ながらなんて弱気なの」
「美帆さん? あ、この間、結婚式をしたそうですね。おめでとうございます」
しばらくは美帆さんも新婚旅行でこのお店を休んでいたのに、今日から復帰なのか。
「ありがとう。新婚旅行も楽しんできたわ」
「確か、海外旅行だったんですよね?」
「フランスのパリよ。すっごく楽しかったけど帰ってきたら帰って来たで妙に神奈がマジ凹み中。何をしたの、朔也さん?」
疑惑の目を向けられて俺も苦笑い。
「……過去について、ちょっといろいろとありまして」
やっぱり神奈もショックだったのか。
俺にはあまり変化を見せないけどな。
美帆さんに事情を離すのはためらったので適当に誤魔化す。
「あの子も自分に素直になればいいのに。それができないから。朔也さんから見れば神奈ってただの妹みたいかもしれないけど、ちゃんと考えてあげて欲しいの。あの子って基本は攻めなくせに恋愛においては受け身なのよ」
「……神奈が?」
「そう。時には自分から攻めなきゃダメなのに。彼女はそれができない。今も無理に自分に言い訳をして我慢しようとしているように見えるわ」
神奈が先ほど言っていた『私は朔也の妹みたいなものだし』という台詞を思い出す。
言われてみれば神奈はあまり恋愛絡みでは積極的ではない気がする。
……それを俺自身が言うのもアレだが、俺から見てもそう感じるのだ。
しばらくすると、拗ねてた神奈が厨房から戻ってくる。
「お姉ちゃん、今日は別にお店に出なくていいって言ったのに」
「しばらくいない間にこのお店を乗っ取るつもり? そうはさせないわよ、このお店の店長は私なんだから、神奈にはまだまだ店長は早いわ」
「はいはい。……ていうか、お姉ちゃん? 結婚しても本気で続けるの?」
美帆さんが結婚して家庭に入ると俺も思っていた。
「しばらくは相手と同居できないから。今、あの人も仕事が忙しくて出張も多いのよ。今年中には安定するからって、一緒に住む話はそれからよ。だから、少なくとも今年中はこのお店は神奈には渡さない」
「……さっさと私に渡してくれたらいいのに」
虎視眈眈と神奈はお店の実権を狙っているらしい。
というか、美帆さんのためを思って言ってるんだろうな。
結婚すれば家庭と仕事、どちらにウェイトを置くかは重要な事だ。
「美帆さんの旦那さんって隣街の企業に勤める人でしょう?」
「うん。いずれは私も彼についてこの町を出て行く事になるけど、まだ先の話よ」
いずれは神奈がこの店を引き継ぐ予定らしい。
そうか、神奈もこの町でひとりになるのか。
美帆さんは彼女の勧めで家の中の方へと戻ってしまう。
「神奈はこのお店の店長になりたいのか?」
「……ん? まぁ、そうだけど。お姉ちゃんが出て行くのは前から分かっていたから早めに慣れておきたいの。この一週間、お姉ちゃんがいなくて苦労したから余計にそう感じているわ。お店の経営って案外、大変なものなの」
「そりゃ、そうだろうな」
「特に経理とかその辺は私も勉強不足。これから頑張らないとね」
店の経営ってのは大小なりとも苦労があって当然だ。
神奈が作ってくれた刺身とフライが俺の前に運ばれてくる。
そのタイミングで思わぬ声が店内に響く。
「――朔也クン、いるかしら……?」
お店に入ってきたのは千沙子だった。
千沙子と神奈はあまり仲が良くなく、彼女がこの店を利用する事はほとんどない。
それに千沙子の通う店は沢渡さんのバーが主だからな。
「千沙子、アンタ何しに来たの?」
「……別に。ここは居酒屋さんなんでしょう? 誰が来てもいいはずじゃない」
「それは、そうだけど……」
神奈も千沙子が来るのは予想外のようで戸惑っている。
千沙子は当然とばかりにカウンター席の俺の横に座る。
「チューハイのレモン、お願いできる?」
「はいはい。食事はいいの?」
「軽めの物をお任せするわ」
彼女は注文をすると、すぐさまに俺に微笑みかける。
「……朔也クンが毎日、ここにいるって聞いてたけどホントなのね?」
「毎日ではないけど、週のうち、ほとんどは通っているかな」
この店の定休日の日曜日とかは別のお店や、沢渡さんの店に行ったりする。
夕食を自分で作ることがないので外食が多い。
仕事がある日はいつも家に帰ってから、この店を利用する事がほとんどだ。
「それで、わざわざ千沙子が神奈の店を利用しに来た理由は……?」
「たまには同級生のお店を使う事もある」
「……卒業以来、一度もプライベートで利用した事はないくせに」
厨房の方から神奈の声が聞こえてくる。
「そうなのか?」
「そうね。正直に言うわ。朔也クンに会いに来たの。この前、言ったはずよ。私はもう貴方を狙う事に躊躇しないって」
千沙子が積極的になったのは俺にとってどう対応するべきか困る。
小悪魔的っていうか、千沙子も昔と違ってずいぶんと明るくなったな。
「何それ? どういう意味よ?」
チューハイを運んできた神奈が千沙子と睨みあう。
何だろう、一気に気温が低くなったような気がする。
睨みあうふたり。
気まずさを感じていると千沙子から今日は折れる。
「……まぁ、いいわ。ここで神奈さんと睨み合ってもしょうがないし」
彼女はチューハイを飲みながら普通の雑談を始める。
「そういや、この町っていつの間に花火大会なんて出来たんだ?」
千津達から聞いたのだが、俺が昔いた頃にはなかった祭りが出来ていたらしい。
「祭りと言えば片倉神社の祭りくらいしかなかったのに」
「ロイヤルホテルが出来てから、観光地としてのために花火大会をするようになったのよ。海水浴場の美浜海岸を主な会場として規模は2000発くらいの花火大会よ。4年ほど前から始まったの」
あのホテルが出来てから、町も本格的に観光地としての対策に乗り出している。
自然あふれるこの町を観光化するのは悪い事ではないと、俺自身は思っている。
無理な事は否定だが、ある程度は町が生き残るためには仕方ないのだろう。
「そうなのか? へぇ、花火か」
「片倉祭りは7月の中旬、その美浜海岸花火大会は8月の上旬くらいに予定されているはずよ。ねぇ、日にちも近い片倉の祭りに私と一緒に行かない? その日は私もお仕事が休みだから。さすがに美浜の花火大会はホテルも忙しくて無理だけどね」
「えっ……?」
「せっかく、朔也クンがいるんだもの。誘わないワケがないでしょう? それとも、既に誰かと予定でも入れてしまっている?」
そのような予定はないが、俺は思わず神奈の方を向いてしまう。
話を聞いていた神奈だが、俺と視線が合うとプイッと視線をそらす。
「行きたければふたりで行けばいいじゃない」
「そう? ふふっ。神奈さんからまさか許可が出るなんて。神奈さん、いいの?」
「いいのって何がよ?」
「私も本気で動くってこと。貴方がどう思っているのか知らないけども、もう遊んでる時間はない。後悔しても知らないわよ」
千沙子の挑発に神奈がムスッと唇をかみしめる。
「べ、別に私は……朔也の事なんて……」
……あれ、これ何ていう修羅場?
俺はいつのまにか修羅場のど真ん中にいるのは気のせいだろうか?
「と言うワケで、私と約束よ? いい、朔也クン?」
「あ、あぁ。俺も予定に入れておくよ」
「くすっ。楽しみにしているわ」
千沙子の微笑と不満そうな神奈。
対照的なふたりに囲まれながら俺は愛想笑いを浮かべるしかできなかった。
その日の真夜中、俺は明日の仕事の準備を終えてテレビを見ていた。
今日の神奈は何だか様子がおかしかった気がする。
いつもと違って消極的な彼女、あんな風に何も言えなくなるアイツは初めてみた。
「……神奈が元気じゃないと妙に調子が狂う」
俺がそう呟くと、誰かが家の扉のチャイムを鳴らす。
時計を見ると11時過ぎ、こんな時間に誰だろう?
「はーい。すぐに開けます」
俺が玄関に向かって、扉を開けるとそこにいたのは……。
「あ、あの、朔也……こんばんは」
気まずそうな顔をする神奈がそこにはいた。
「あれ? 神奈? どうした、仕事は終わったのか?」
「……う、うん。終わったばっかり。そ、その、突然だと思うんだけど、朔也にお願いがあって……来たんだけど……」
顔を赤らめて彼女は声を上ずらせながら言うんだ。
「今日、朔也の家に泊めてくれない?」
「……はい?」
神奈からの思わぬ提案、というかお誘い?
何となく続いていた幼馴染の一線を越えてしまうか、しまわないのか。
俺は様子のおかしい神奈を家に招き入れる事にする。
本当に変だぜ、神奈……どうしたんだ?