第17章:青空の下で《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
梅雨のさなか、千歳の件があり、多少は幼馴染達とぎくしゃくしたが、それも日が過ぎれば忘れたように気にしなくなる。
「朔也の最低男。浮気とかするなんて信じられないっ」
と、平然と罵っていた神奈が機嫌を直してくれたのはつい最近の事だ。
「朔也クンって、可愛い女の子なら誰でもいいのね? 私も気をつけないと」
と、平然と俺を軽蔑していた千沙子はまだ機嫌を直してくれていない。
……違うんですよ、あの事件は……本当に過去の話だったのに。
そんなワケで俺は未だに不快感を示す千沙子の機嫌を伺うのであった。
休日の日曜日、今日は千沙子が休みだと聞いていたので彼女を駅前に呼び出す。
文句を言いつつも俺の誘いを断らなかった。
「……朔也クン、最低」
顔を見るなり俺の存在を全否定する千沙子。
「朔也クンだけは男として信じていたのに」
「過去の事で、元カノとの出来事であり、千沙子には関係ないのでは……?」
「ふんっ……それでも、やっぱり、嫌なモノは嫌よ」
ツーンと拗ねる彼女。
千沙子が俺にこういう姿を見せるの初めてなので困る。
そりゃ、俺が過去にした事は男としては最低かもしれない。
ここまで千沙子の機嫌を損ねるとは思わなかったんだよな。
「朔也クン、私はずっと朔也クンが好きだったわ。でもね、今、私は考えているの。このまま貴方を好きでい続けてもいいのかって。本気で考えなおしている最中なのよ」
答えにくい質問、キター。
しかも、何だか俺ってば見放される寸前!?
「千歳も神奈も俺の過去を許してくれたのに」
「……っ……」
「俺も悪かったけどさ、本当に寂しさに負けた行動であって普段ならしないんだ」
「……ぅっ……」
千沙子が怒る理由は最もだが、俺だってあの当時を思い返せば……。
しまった、浮気を正当化できる理由なんてないぜ。
世間の皆さんが浮気問題で苦しんでいる理由がよく分かった。
「ごめんなさい、許してください」
俺は駅前で人通りも多少あるその場で頭を下げて謝る。
やっぱり、これしかないわけで……。
「……ふんっ」
千沙子は相変わらず拗ねたままだ。
よほど俺の信頼が崩れた事がショックだったらしい。
こればかりは俺の自業自得、過去の行いが今の信頼を失墜する事なんて普通にある。
「ごめんな、千沙子。はぁ、しょうがない。それじゃ、神奈と一緒に出かけるとするか」
「……はい?」
「いや、実は新しくバイクを手に入れたんだけどな。誰か一緒に出かけようと思って千沙子を誘ったんだが、今の俺じゃ一緒にいるだけ辛いだろ? 俺も反省するから、千沙子はまた今度誘う事にするよ。今からなら神奈もいるだろうし」
俺は携帯電話を取りだすと千沙子は慌てだす。
ここまで不機嫌ならば、千沙子はしばらく時間を置いて許してもらうしかない。
「ま、待って。それって、一番最初に私を誘ってくれたということ?」
「……そうだけど、千沙子にとって俺と一緒に好ましくないなら諦める。千沙子とデートしたいと思ってたんだが、俺の過去を不満に思う千沙子の気持ちを考えると、それも甘い考えだったと悔やんでいる。すまない、千沙子」
「そんなことない……うぅ、朔也クンはずるいのっ」
彼女は軽く俺の背中を叩いてくる。
千沙子と神奈、どちらかを比べたら、彼女達は放っておけなくなる。
例え、それが喧嘩中であったとしても、だ。
「……一緒に行くわよ」
「でも、千沙子は俺を許してくれないんだろ? 無理にとは言わないさ」
「む、無理にでも言ってよ。誘ってくれたのは嬉しいわけだし」
「それじゃ、俺の事を許してくれるのか?」
千沙子は首を横に振って答える。
「それとこれは話が違うから。許さないけど、デートはしたい」
「……今日の行動次第では許してくれると?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
千沙子は顔を赤らめてそう言う。
気持ち的には許せないけど、ほとんど許してくれている気がする。
「そう言う事なら、俺も信頼回復を頑張るよ」
俺はバイクの予備のヘルメットを千沙子に手渡す。
「バイクなんていつ手に入れていたの?」
「知り合いからね。大型連休中にバイクは手に入れたんだけどな。ここ最近は雨が続いてたから使う機会もなくて。今日はせっかく晴れているんだから使おうと思ってさ」
村瀬さんにもらったこのバイク。
何度か試運転をかねて、彼女と一緒にツーリングした。
それ以来、仕事に行くときにしか使わず、プライベートでは使えなかった。
ようやく夏に向けて、バイクも本格投入というわけだ。
「……それじゃ、行きますか。俺にしっかりとつかまってくれ」
「うん。そうさせてもらうわ」
とりあえず、海沿いの道を走らせる事にした。
背中越しに千沙子の存在を感じながら、二人乗りのバイクは風を切るようにして走る。
空は雲が穏やかに流れる快晴。
梅雨の中休みと言ったところか。
「そういや、女の子を後ろに乗せるのは何だかんだで初めてかもしれない」
「……嘘つき」
グサッ。
既に千沙子の中での俺の信頼度はかなり低い様子。
「い、いや、これは本当だって。学生時代に学校に行く時にバイクは使ったけど、女の子とどこかへ行く事はなかったからさ。ほら、東京ってバイクとか車より、電車を使った方が何かと便利なんだよね」
「ふーん」
千沙子は拗ねた口調のまま、俺の背中にしがみついている。
「……信じてませんか?」
「朔也クンの事、どこまで信じればいいのか、よく分からない」
千沙子はそう寂しそうに呟く。
「私、その浮気話だけで怒ってるわけじゃないから」
「……え?」
俺は彼女の不機嫌な理由が過去の浮気話だけではないと知る。
もっと本質的なモノ。
最初に彼女を裏切ったのは俺だと言う事。
「……朔也クン。約束したよね、ここに必ずもう一度戻ってくるからって。私、それをずっと信じていたわ。いつか貴方が戻ってくる日が来る。だから、私はそれまでもっと魅力的になりたいって思っていた」
「千沙子……」
「だけど、朔也クンは私の事なんて忘れて都会で女の子と結婚までしようとしてたんだ? それを聞いた時から、私の7年間は何だったのかって本気で凹んでいるわ。何か言いたいことはありますか。裏切り者の朔也クン?」
千沙子が不機嫌な理由は最もで、俺は彼女の信頼を本気で裏切ってしまっていた。
……この町に戻りたい、その気持ちがいつしか薄れていたのも事実だ。
「挙句の果てに町に戻るきっかけすらも他の女の子が原因でしょ。もう、何を信じればいいのか分からなくなる」
「ごめんなさい。返す言葉もございません」
千沙子の怒りはもっともで、俺は謝罪するしかない。
しばらくは無言のままバイクのエンジン音だけが響く。
綺麗な海が一面に広がる光景。
この町では普通だけど、一度町を出た俺にとっては海の蒼さは特別に思えていた。
俺はバイクを砂浜の近くに止める。
「いい景色だろ。千沙子にも見せたくてさ」
この辺りは普段、来ることのない地元から離れた海岸だ。
同じ海と砂浜なのに、見なれていない光景はどこか新鮮に感じる。
千沙子は俺の横に座りながら、想いを語る。
「私は……朔也クンが好き。その気持ちは今も変わらないわ。どうしても、貴方以外を好きになんてなれなかった」
千沙子は7年前と同じように俺に告白をしてくる。
「7年前、朔也クンはこの町から出て行くのを理由に断ったよね? 今は……?」
千沙子の2度目の告白。
想いを抱かれているのは気づいていた。
あの日から変わらない瞳を俺に向けてくれていたから。
だけど、2度目の言葉にしての告白は予想していなかった。
「……答えて、くれないの?」
「千沙子、俺は……」
何と言えばいいのだろうか。
俺自身、千歳の問題を心のけじめとして片付けていない。
今は誰とも恋愛を出来ない状況で、答えを持っていない。
「朔也クンはまだ千歳さんが好きなの?」
「それは分からない。アイツに俺はフラれたワケだし」
「……そう、なんだ。だったら、今は誰も好きな人がいないって思っていいの?」
俺は失礼だと思いながら頷くと彼女は笑う。
「そっか。だったら、まだ私にもチャンスは残されているってわけよね?」
千沙子は潮風に自分の髪をなびかせて俺に迫る。
「朔也クンが戻ってきた、この“現実”だけを私は信じる事にする」
刹那、柔らかな唇が俺に触れていた。
香水の香り、甘く切ない千沙子の表情。
千沙子の綺麗な顔が間近に迫るだけでも、男とすれば気恥ずかしい。
「……千沙子?」
「さて、質問です。これは何度目のキスでしょうか?」
「え? 何度目って……初めてではない?」
俺はあの日のことを思い出す。
「あの、千沙子? それってどういう意味だ? あの時のは何でもなかったんじゃ……」
思い当たるのは再会の一夜のあの事件。
何もお互いになかったであろうと信じていたかったのだが。
「さぁ、どうでしょう? 朔也クン。これだけは言っておくわ」
俺の唇にひとさし指を触れさせる魅惑たっぷりの彼女。
「……私はもう誰にも遠慮せずに、貴方を狙うって事。もう誰にも貴方は渡さない」
千沙子の宣言。
穏やかな波を打つ海とは裏腹に何やら波乱の予感がした――。




