第16章:朔也の過去《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
それは偶然のことだった。
教師の仕事関係で調べ物をするために訪れた図書館。
その受付で集まる人々に視線を向けると神奈達だったのだ。
俺はこっそりと近づくと彼らは何かパソコンを見て調べている。
初めは気にならなかったが、ちらっと見えた一枚の写真が気になった。
それは空港の写真、あの日の悪夢を起こした最悪の日の夜の光景。
雨の降る空港で炎上する飛行機。
それが俺の人生を変えてしまった最悪の始まり。
俺は千沙子を連れて離れると彼女は俺の過去を調べていたと自白した。
最近の俺の不審な態度が気になったらしい。
俺自身が話せずにいた過去。
気になるのは当然だろうし、俺もここまできたら真実を話す覚悟を決めた。
すぐに千沙子に頼んで俺は神奈も連れてこさせる。
どうせ話すなら神奈も入れた方が面倒がなくてすむ。
俺の前に現れた神奈は気まずそうに顔を隠す。
「ち、違うんだよ、朔也? 私は別にこそこそ調べようとしたわけじゃなくて……」
「調べようとしてなくて?」
「千沙子がどうしても調べたいって言うからついやってしまいました」
「人に責任を押し付けないで。貴方が私を先に誘ったんでしょう。朔也クン、どちらにしても、私達がしたことよ」
そういう素直に認めてしまえるところは千沙子らしい。
俺に嘘をつかないところとかな。
逆に神奈はすぐに人のせいにして逃げる悪い癖がある。
「で、お前はまた人のせいにして……」
「い、いやぁ~っ。怒らないでよ。頬を引っ張るお仕置きはやだ~っ」
図書館の隅の方とはいえ、騒げば迷惑だろう。
俺は軽く頬をつねる程度で許してやる事にする。
「……それで、どこまで俺の事を調べた?」
「うぅ、痛いよぉ。朔也の過去。この町に戻る前に起きた事件について。朔也、一年前の航空機事故と関係があるんでしょう? だから、最近の朔也には元気がない。違う?」
「神奈の言う通りだ。確かに俺はあの事件に関係している」
俺は千沙子と神奈に真実を話す事にした。
俺の一年前を、嘘偽りなく、真実を告げる。
俺には大学に入ってから何度目かの恋人ができた。
千歳は大学2年の頃に付き合っていた同い年の恋人で、美人だし、性格も可愛くて、一緒にいて癒されると言うか、安心できる存在だった。
俺が教師になる夢があるように彼女にも夢はあった。
『朔也ちゃん、私、留学したいの』
それは大学3年の夏に彼女の口から出た言葉。
以前から彼女は海外で活躍できる翻訳家関係の仕事に就きたいと言っていた。
そのための語学留学。
大学卒業後にすればいいのに、彼女の気持ちは強くて、すぐにでも行きたいと言い出した。
それが彼女の夢だから俺は応援するつもりでいた。
『1年ほどだから待っていて。私がいない間に他の子に手を出しちゃダメだからね?』
そして、彼女は日本を去っていった。
月に数回は電話で連絡を取り合い、遠距離ながらも俺も頑張って彼女との恋愛関係を続けていたのだが……。
それはもうすぐ1年を迎える6月に入ってからの事だった。
『朔也ちゃん、もうすぐ戻るよ』
私立高校の教師の採用試験を間近に控えていた時期だった。
彼女からの連絡を受けた俺は再び彼女に会える事を楽しみにしていた。
恋人との再会を俺は待ち望んでいたのだ。
そして、1年前のあの日、俺は空港にいた。
その夜は台風の接近もあり、大雨が降り続いていた。
飛行機の墜落事故が起きたのは幾つもの不幸が重なった結果だ。
だが、多くの死者を出したその悪夢の光景が今も目に焼き付いて離れない。
俺は忘れる事なんてできない、あの始まりの夜を――。
「……その事故で朔也は千歳さんを亡くしたの?」
「そこをお前たちは勘違いしているようだが……千歳は生きているぞ?」
「は? う、嘘!? だって、あの事故が関係しているって」
「千歳を勝手に殺すなよ。確かにひどい事故だったが、千歳は命は取り留めたんだ。今でもちゃんと生きている。だけど、その時の事故で彼女は足にひどい怪我をした。本当にひどい怪我を、な」
あの悪夢から命は助かった千歳。
俺はすぐさま彼女の運ばれた病院に向かい、彼女と対面をした。
千歳は自力で歩けない程の怪我をして、病院のベッドに寝ていた。
手や顔の傷はかすり傷程度だが、包帯を巻いている姿を見るといかに悲惨な事故だったのかがよく分かる。
『……千歳、無事でよかった』
『朔也ちゃん……ぐすっ』
俺に抱きついて泣く彼女。
俺はこの子を守りたいと、支えてやりたいと本気で思っていた。
千歳を失わずにすんだ事が何よりも安心していたんだ。
だが、千歳の怪我は本当に状態が悪く、手術やリハビリをしても自分の足で立ち上がるのは難しいとされていた。
病院を退院しても車いす生活をすることになる。
気落ちする彼女に俺はかける言葉がなかった。
何度目かの見舞いの時、俺は婚約指輪を手にしていた。
アルバイトをしてた金で買ったもので値段は大したことがないが、俺は彼女と結婚したいと思っていた。
それが彼女にとってもいい事だって。
だが、病院には既に彼女はいなかった。
看護師に『ごめんなさい』と言っておいてほしいと伝えて、俺の前から姿を消してしまった。
連絡が取れなくなってしまった彼女の実家や住んでいた家、知り合いなど片っぱしから探したが、どこにも彼女はいない上に、大学まで辞めたと言う話を聞かされた。
千歳は文字通り、俺の前からいなくなったのだ。
俺は予定していた私立高校の教師の採用試験を受けられなかった。
夢なんてどうでもいい、千歳に会いたい……。
そう思っていた俺に一枚の封筒が送られてきたんだ。
それは俺の生まれ故郷である美浜町の高校の教師採用の募集の紙だった。
その中にもう一枚、メッセージの書かれた紙が入っていた。
それは千歳からの手紙だったんだ。
『……いきなりいなくなってごめんなさい。私はアメリカの方で足の手術をする事になりました。もう2度と自分の足では歩けなくなるかもしれない。そう思うと怖くて、朔也ちゃんの顔を見るのも辛くなり逃げてしまいました』
俺の存在が彼女にはある種の重圧だったのかもしれない。
『朔也ちゃん。私は私の未来を進みます。朔也ちゃんも自分の夢を諦めないで。自分勝手に苦しめた事は反省してるけれど、私は朔也ちゃんの教師になりたい夢を叶えて欲しい。隣に私はいなくても、遠い場所で貴方を応援し続けています』
千歳は足が悪くなった事で、俺との関係がこじれるのを避けたのだ。
そうなるくらいなら、自分から別れると……。
俺は千歳を受け入れる気でいたのに、それなのに彼女は俺の前から自ら去った。
『新しい恋もして欲しい、これは私の我がままです。朔也ちゃんと一緒に過ごした時間は楽しくて、幸せでした。さよなら、朔也ちゃん。私の事は忘れてください。貴方の幸せだけを祈っています』
それが千歳の最後の言葉だった。
千歳からの手紙、彼女も苦しんでいて、その結果が俺の前から去ったのだと知る。
彼女の覚悟、そして願い。
俺は美浜町に戻る決意をして、再びこの町を教師として訪れたのだった。
だが……千歳との出来事を振り切る事はまだ出来ていない。
全てを話し終えた神奈と千沙子は神妙な面持ちだった。
「それじゃ、千歳さんは足が悪くなったから朔也のもとを去ったの? ハンデを背負ったからって?」
「……端的にいえばそうだ。アイツは俺の負担を嫌っていた。傷害を負った、それを自分で考え込みすぎてしまったんだろう。そういう所で真面目すぎるんだよ。もっと俺を頼ってくれたらよかったのに」
「それができないから、朔也クンに別れを望んだのよ。一途な気持ち。朔也クンは千歳さんの願いでここに戻ってきた?」
「俺自身、教師になりたい夢を諦めきれなかったのもある」
そして、俺がこの町に帰って来た事は無駄ではなかったと皆の存在で俺は思い知る。
「……私、全然知らなかった。朔也がそんな過去を抱えていたなんて」
「隠し続けてた。話したくなかったからな。でも、先日、千歳から連絡が来たんだ。留守電のメッセージで俺に彼女はこう言った。『私はもう一度夢を追いかける。だから、朔也ちゃんも自分の夢を叶えて欲しい』、ってな。改めて言われて、俺は自分の事を考えていたんだ。最近様子がおかしいと思っていたのはきっとそれだよ」
千歳の声を久しぶりに聞いて、俺は心の中がスッとした。
俺自身、この町でいろんな事を体験し、感じて思う事がある。
夢だった教師にはなれたけれども、俺には千歳が大事だった。
千歳はもういない、彼女は俺に前に進んで欲しいと望んでいる。
それは恋愛においてもそうなのだろう。
「いろいろと俺も頑張らないとな」
「……朔也、辛い時は頼ってよ?」
「そうよ、朔也クン。私達も、力になれるはずだから」
ふたりの言葉に俺は微笑む、本当にいい子たちだよな。
「……それにしても、最初は俺もあの件が千歳失踪の理由だと思ってたんだ」
「あの件って何?」
それは彼女が入院中の雑談だった。
『そう言えば、朔也ちゃん。私がいない間、浮気とかしてなかった?』
『ギクッ……そ、そんな事をしてるはずがないじゃないか。俺を誰だと思ってる?』
『ふーん。本当にそうなんだ?嘘ついたら許さない。今、真実を話すなら全部、許してあげる』
『……ごめんなさい、つい、お前のいない寂しさに他の子に手を出してしまいました』
平に謝罪する俺に千歳は頬を膨らませながら、
『やっぱりしてたの? ふぅ、ひとりくらいなら仕方ないと思うけど……?』
『……ごめんなさい。ひとりじゃないです、3人です』
俺はこの際、正直に話せば許してもらえると思い、真実を告げた。
怒ってると思った千歳は俺に笑みを浮かべている。
『こんな俺でもお前は許してくれるのか、千歳……』
と、思いきや。
『――朔也ちゃん……お願いだから私の前から消えて?』
『……ですよねぇ。猛省してます、ごめんなさい』
あの時の千歳の笑顔と言う名の鬼の形相。
俺はその後、何度も悪夢で思い出した。
だけど、結果的に千歳は俺の浮気を許してくれた。
『朔也ちゃんがもう二度と他の子に振り向かないように私が見続けないとね』
千歳の優しさを知ったその時から俺は千歳との婚約を意識しだしたのだ。
もう2度と裏切らない、俺はお前だけを好きでい続ける、と。
だが結局、数日後に彼女は俺の前から去ってしまった。
「人間は過ちを犯す生き物だ。だが、その過ちを許してくれる。俺にとって、すごく救いだったんだよ。……あれ?」
俺の話を聞いていた千沙子と神奈の視線がキツイ、白い目で見られている。
「最低っ! そりゃ、千歳さんだって朔也を見限るわよ」
「……同感。朔也クンの浮気者。そんな最低人間だとは思わなかった」
「あ、あれ? 何で? ……と、待て。お前ら、待ってくれ!?」
彼女は俺の両方の頬にパチンっと平手うちをして「ふんっ」と去っていく。
「い、いてぇ……容赦ないな、おいっ」
ふたりは「話を聞いて損した」とか「朔也クン、信じられないっ」と怒ってしまった。
「……このネタをオチにしたのはまずかったか、俺的には暗い雰囲気を何とかしたかっただけなのだが?」
やれやれ……。
まったく、女の子ってのは扱いが大変だね。
俺は叩かれた頬を手で押さえながら苦笑いをする。
電話に残された彼女のメッセージ。
それは決していい報告だけではなかった。
『朔也ちゃんには私以外の人と結ばれて欲しい。私の事、忘れて前に進んで欲しいの。私はもう2度と貴方には会えない。だから、それが私からの最後のお願いだよ』
俺の幸せを願うのなら、俺は千歳に傍にいて欲しかった。
『幸せになってください』
彼女はいつだってそれだけを望んでいる。
俺たちの関係を終わらせることで、次へすすめと後押ししてくる。
「……前に進め、か。今のままじゃ俺はどうしようもないな」
俺は未だに立ち止ったままなのだから。
「さて、そろそろ帰るとしようか」
この町に戻るきっかけを与えてくれた女、千歳。
彼女が俺に望んだこと。
俺は自分の意思で前に進める事ができるのだろうか……?