第1章:故郷の仲間《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
「――朔也、ホントに行っちゃうんだ?」
それは俺が美浜町から去る前日のこと。
友人たちが俺のお別れ会を開いてくれて、盛り上がっていた。
「別に行きたくて、出ていくわけじゃない」
「それなら出ていかなきゃいいじゃない」
「無理を言わないでくれ。親父の仕事の都合なんだ、仕方ないだろ」
神奈は不満そうに唇を尖らせて拗ねていた。
この年でひとりで町に残るのはキツイだ。
「悪いな。まさか俺が一番最初にこの町を出ていくなんてさ」
「別に謝らないでもいい。何ていうか、こうやって、皆が町から出ていっちゃうのかなって思ったら寂しいじゃない」
大人になればこの町から去る人間は多い。
それを誰もが子供心に感じながらこの町で暮らしている。
「私はずっとこの町にい続ける。去る事はないからね」
実家の居酒屋の後を将来継ぐ事になる。
神奈以外にも実家の家業を継ぐ奴らは少なくない。
だが、このお別れ会に来てくれている十数人の中で、半分くらいは美浜町をいずれ去るかもしれない
その初めのひとりが俺なんだという事実に感傷深くなる。
「また戻ってくる?」
「どうかな……痛いっ!?」
「バカっ! そう言う時は冗談でも、その気がなくても、戻ってくるくらい言いなさいよ」
俺を小突く彼女はいつもの覇気がなく、寂しそうだ。
「朔也。必ずこの町に戻ってきなさいよ?」
「約束できねー」
「くっ、こいつ。ひどい奴」
「こ、怖いぞ、神奈。約束はできないけどさ……でも、いつかは戻ってきたいな」
俺はここからいなくなる、その寂しさは本物だった。
「ふんっ。戻ってくるなら早く戻ってきなさいよ? 待っていてあげるからさ」
神奈が素っ気ないフリをして言う姿が印象的だった。
普段は強気で文句ばかり言う妹のような女の子。
神奈のそういう姿を見るのは初めてだったから――。
あの別れから数年が経ち、再びここに帰ってきた。
「おーい、入ってきていいぞ」
斎藤が俺を呼んでいるので、店内へとのれんをくぐって入った。
「――久しぶりだな、神奈」
数年ぶりの再会。
すっかりと成長していた神奈に俺はまず驚いた。
短かった髪も肩ぐらいまで伸ばしていたし、子供っぽかった印象は薄れ、大人らしさを兼ねそろえている。
美人さんになってるじゃないか。
だけど、その雰囲気は昔の神奈と変わりはない。
彼女は俺の顔を懐かしそうな表情で見つめて言う。
「――えーと、誰だっけ? どこかで会ったことがある?」
「うぉ、完全に忘れられてるっ!?」
地味にグサッと突き刺さる一言。
さすがにそれは予想していなかった。
「ま、マジか……」
「相坂、冗談きついぜ。そこまで薄情者かよ。さすがにその冗談はこいつが可哀想だ」
「何よ、覚えてないんだからしょうがないじゃない。誰なの?」
斎藤も呆れつつ、同情的な視線を俺に向ける。
「やめてくれ、俺も悲しい」
「その気持ちは察するよ」
幼馴染に忘却されてた、この心の痛みはどこにぶつければいい?
「散々、会いたがってたくせにそれはないだろ? 相坂、ヒントをやろう。小さい頃にお前が海で溺れて泣き叫んでいた時に助けてくれた命の恩人だ」
「……はぁ?そんな昔の事……昔?」
彼女はいきなりこっちに詰め寄ってきて俺の顔をまじまじと見つめる。
「よぅ、神奈。俺を忘れているとはひどい奴だな」
「う、嘘でしょう!? な、何で……何でアンタがここにいるのよ?」
どうやらようやく俺だと気づいてくれたらしい。
震えた声から察するには本気で驚いてるな。
「鳴海朔也、ただいま美浜町に帰ってきました」
「朔也っ!! 本当に朔也なの?」
そのままの勢いで彼女は俺に抱きついてくる。
以前にはなかった胸のふくらみを直接押し付けられるとさすがに照れる。
大歓迎の抱擁を受けて、俺は微笑をしておく。
「ずいぶん、見た目変わってるけど、性格は変わらずか?」
「そ、それは私のセリフっ! 何よ、声も違うし、身長も高くなってるし、顔だって昔よりカッコいいし、誰か分かんなかったじゃない」
「そりゃ、どうも。お前も美人になったな。ちなみに斎藤、お前のことじゃないぞ」
赤く頬を染めて照れる神奈。
その後ろで「だから、名前ネタ言うな」と斎藤が抗議する。
懐かしい幼馴染3人がようやく揃った瞬間だった。
身体を離した神奈はようやく落ち着いてきたのか、
「朔也が帰ってくるなんて思わなかった」
「……お前に会いに来たって言ったら驚くか?」
「――ぇっ!?」
彼女は完全硬直で動かなくなった。
その綺麗な顔をぱちくりとさせてしまう。
「おいおい、鳴海。東京でずいぶん軟派な野郎に成長したようだ。師匠であるこの俺を超えた事を誇るべきか、悲しむべきか……。師匠越えとは中々やるな」
「斎藤を師匠と思った事は一度もない。おい、神奈? 冗談だから固まるな」
むしろ、ノーリアクションは恥ずかしいだろ。
「冗談!? も、もうっ! からかわないでよ、バカっ」
ようやく再起動の神奈は俺をグーで殴りに来る。
俺はそれを手で受け止めながら「悪いな」と謝罪しておく。
「お前、昔とほとんど変わらないのな」
「うっさい。心が純情なだけよ」
「自分で言ってるし。ったく、中身は変わっていないのに驚くべきか?」
「アンタは変わり過ぎ。昔の真面目クンはどこ? 東京は人を開放的で軟派にするの? それとも経験の差ってやつ?」
「どうかな、俺としては後者だと思うけど」
確かに俺が東京で性格が変わったのは事実なのだ。
「……いろいろと体験してきたからな」
「うぉっ、何だ、その意味深な台詞は。聞いたか、相坂? 体験だとよ」
「美人は変な妄想するな。黙ってなさい」
「ふははっ、気になる所はスルーかい。鳴海が都会でどういう相手とどういう体験してきたか、気になるくせに。おっと、いつまでも立ち話せずに座ろうぜ。相坂、お酒を持ってきてくれ。俺達は飲みに来てるんだ」
斎藤に促されて俺もカウンター席に座る。
子供の頃、食事は何度かしにきたが昔とは店内の雰囲気が違う。
かつてはいかにも居酒屋という店内だったが、今はちょっとしたオシャレなお店のような雰囲気がある。
「このお店、改装したのか?」
「うん。私とお姉ちゃんが受け継いだ時にね。3年くらい前かな。内装全部変えちゃった。全然、雰囲気も変わったでしょ」
「あぁ。おばさん達はどうしているんだ?」
「両親はこの店を私達に譲って町から出て行ったわ。憧れの都会暮らしするんだーって。娘達を残していくってどんな親なのって思わない? 普通は逆でしょうが、もうっ」
親のほうが町を出ていく、新しいパターンだな。
とはいえ、神奈は嫌がる素振りを見せていない。
「お前はついていかなったのか?」
「都会なんてすぐに飽きる。私は美浜町が好きなのよ」
「という、言い訳をして実際は出ていくのが怖いだけなんだろ」
斎藤が軽い口調で言うが、神奈は「うっさい」と不満そうに頬を膨らませていた。
彼女はこう見えて、意外と引っ込み思案な一面もあるからな。
「都会には田舎にないもが、田舎には都会にないものがある。どちらを選ぶのかは神奈次第だろ。まだ若いんだからさ」
「アンタも同い年でしょうが。何を達観してるのよ? ……それで、一時的に旅行気分で戻って来たの? いつまでこっちにいるつもり? お仕事、何をしているの?」
「しばらくはここにいるさ。なぜなら、俺はこの町の高校の教師になったからな」
俺のセリフに神奈は「教師?」と疑う声で返してくる。
「疑問形にするな。本当に教師なんだって。この町で就職したんだ」
「ということは、ずっとこちらに本格的に戻って来たということ?」
「まぁ、そういうこと。しばらくはこの町で暮らすよ」
いつか去る可能性は捨てないが、数年の間はここで暮らすだろう。
「……そうなんだ。……ぁっ、本当に帰って来たんだ」
斎藤も俺も思わずビクッとしてしまう。
なぜなら、あの気が強くて高飛車だった神奈が目に涙を浮かべていたから。
「お、おい、神奈? 何だよ、泣くことないだろ?」
「本当に戻ってきてくれたんだなって……。知り合いとか町から去るばかりで帰ってきてくれた人なんて全然いなかった」
「うむ。それは言えてるな。鳴海は町を出ていった側だから、分かりにくいかもしれないが、残されたものには残された者なりの寂しさがあるものなんだ」
斎藤も神奈の意見には同意らしい。
同じ事を俺は今日、他の人たちからも言われている。
正直な話、出戻り的な俺を歓迎されるとは思っていなかった。
本当にここに戻ってきていいのか、それを疑問視したこともある。
「……俺は戻って来た。その選択肢は正しかったのかな」
「当たり前じゃんっ! 友達でしょう、私達……」
「そう言ってもらえると素直に嬉しい」
俺はここに戻ってきて正解だった。
それを確認できるから。
「おい、神奈。いつまでも泣いてないで、仕事してくれ。俺達も腹減ってるんだ」
「あ、うん。そうだね、よしっ。今日は朔也も戻ってきてくれたお祝いに腕をふるってあげる。……そうだ、言い忘れていたわ」
神奈は顔をあげて満面の笑みを浮かべながら言うんだ。
「――おかえり、朔也。またよろしくね」
「ただいま。こちらこそよろしくな」
斎藤も神奈も、俺の大事な幼馴染達からの歓迎に心が和む。
故郷に戻って来た実感を味わいながら、その日は仲間たちと遅くまで酒を飲みあかした――。




