第15章:一途な想い《断章3》
【SIDE:君島千沙子】
朔也クンが美浜町を引っ越してから7年の月日が流れていた。
私は高校卒業にホテルの従業員として働いていた。
美浜ロイヤルホテル。
高級ホテルなどをいくつも展開する望月グループが建設したホテルだ。
美浜町の観光地化計画、それは過疎化の進むこの町を救う最後の手段。
海など自然が綺麗なこの町を観光スポットとして都会の人々を呼びこむ。
人口の過疎化に歯止めをかけて、若者の雇用を生み、観光地としての収入もあげるという、理想的な計画ではあるけれど、人は簡単に変化には慣れるものではない。
だけど、町が急に変わり過ぎた事に反発する地元住民もおり、今は町議会も巻き込んで観光地化の反対派と推進派が真っ二つに分かれて言い争っているありさまだ。
古くから自然とこの町を愛する住民にとっては、自然を破壊されないかが心配なんだ。
ホテルが出来た時にはゴルフ場として裏山は大きく開拓されて、海水浴場を含めた海側も開発が行われようとしている。
それに不満を持つ住民からは美浜ロイヤルホテルは敵視されてもいた。
過激派はさほどいないので身の危険は感じないけども、何かきっかけひとつで町が分断してしまいそうな危うさはある。
そんな春のある日、私は思わぬ情報を得た。
町を出て行ったはずの朔也クンが再び戻ってきたんだ。
朔也クンは私に町を出ていくときにこう言ってくれた。
『この町にいつか、大人になってからでも俺は戻ってくるよ』
それは誰かと結婚してからという意味合いを含めていた事に気づいたのは20歳を超えてから。
それまでは素直に自分のために戻ってきてくれるんじゃないかって信じていた。
私以外の誰かと付き合うなんて嫌だ。
そんな私の不安をよそに彼はこの町に7年ぶりの帰って来た。
お花見会、皆と一緒に楽しんでいる彼がいたの。
最初、その話を聞いた時は信じられなかった。
「おかえり、朔也クン。7年ぶりだね、すごく久しぶり」
「あぁ。君島も元気そうだな」
あの頃と違う容姿、知らない人がいるような気がして……。
でも、中身はほとんど変わっていなくて、あの頃の朔也クンのままだったの。
歓迎会の夜、私は彼をわざと深酔いさせていた。
次々とお酒を飲み与えていき、彼はやがて飲みつぶれてしまった。
今にも眠りそうな彼の肩を抱いて私は夜道を歩いていた。
「もう少しだよ、朔也クン」
「アンタがお酒を飲ましすぎるからでしょ、千沙子」
「だって、久しぶりでつい……。神奈さんだってお酒を飲ませていたじゃない」
神奈さんと斎藤クンも朔也クンを運ぶのを手伝ってくれている。
「わ、私は……だって、その、うぐっ」
「おい、相坂。足元をふらつかせるな。危ないだろうが」
「うっさい、美人。ふらふらするのがお酒を飲んでる証拠でしょう!」
「……開き直れても困る。やはり、相坂の扱いは鳴海にしかできんな」
彼は大変そうに肩をすくめる。
神奈さんもすっかりと酔って顔が真っ赤だ。
私が彼を独占してたから拗ねてたみたい、いい気分だわ。
朔也クンのいない空白の7年は私と神奈さんにとっては敵対の7年間。
お互いにライバルとして朔也クンの事を思い続けてきた。
いつか会えるその日まで、私は彼を好きでい続けると決めていたの。
夜道を歩いていると、斎藤クンがある事を告げる。
「それにしても、鳴海が戻ってきてくれて嬉しいだろ?」
「えぇ、それはとても嬉しいわ」
心の底から私は今の再会を喜んでいる。
諦めかけた中学3年の告白から7年。
彼はちゃんとこの町に戻ってきてくれたんだもの。
「……朔也は何でこの町に帰って来たのかな」
ふと、ポツリと呟く神奈さん。
彼女も再会を喜んでいるはずなのに。
「皆は不思議に思わないわけ? この町には何もないのよ? 私達に会いたいから戻ってきた? そんなのは言い訳だと思う。だって、朔也は引っ越ししてからちゃんと連絡を取ってくれなかったんだもの。私達の事を忘れていたの」
誰よりも近い場所にいたからこそ、神奈さんはそう言うのだろう。
確かに引っ越し後に連絡が来る事はなく、言いたくないけど縁が切れていた。
「朔也の通っていた大学だって一流だったって聞いた。それなのに、この町の教師になるために戻ってきたなんて理由は信じられないよ」
「……彼が戻ってきた事が気に入らないわけ?」
「そう言う事じゃないの。私は知りたい。この美浜町にわざわざ帰って来た本当の理由が知りたいの。帰ってきてくれたのは嬉しいよ、でも、理由もないのに都会を捨てるなんてありえないもの。千沙子は納得してるわけ?」
「それは……私も何か理由があるんだろうって思っているけど」
彼女の言葉は何度も別れを経験してきたからこそ言える。
朔也クンが出て言ってから、予想通りにこの町からは私達と同い年の若者が次々と都会の方へと出て行ってしまった。
私の友人も何人もこの町を去り、戻ってくる事がなかった。
田舎は若者にはつまらない。
都会の方が楽しいし、仕事もあるので、それは必然的な流れだった。
夜の風が私達の間を吹き抜けていく。
月明かりに照らされながら、私は呟く。
「……確かに朔也クンには何か理由があってこの町に戻ってきたのかもしれない。それでもいいじゃない、私はそれでも帰ってきてくれた事が嬉しいの。今はそれでいいじゃない」
「甘いわね。絶対に何かあったんだよ。朔也の性格からして、それを口に出す事はないだろうけど……」
神奈さんも何とも言えないもどかしさを抱いている。
私も気にならないわけじゃないけど、この嬉しさと同じくらいに不思議でもある。
望めばここより十分すぎるくらいのいい暮らしもできるはず。
それを捨て、戻ってくるにはあまりにもメリットが少なすぎるから疑問なの。
「私は知りたい。朔也に何があったのか、知りたいのよ。私達にできることなら、彼を支えてあげたいの。だって、私達は“親友”だもの。友達なら辛い時に支えてあげるものでしょ」
「親友、ね……」
朔也クンのおかげで、私は中学時代を明るく過ごす事ができ、皆とも溶け込め、友人も多く増えて、幸せな日常を送れた。
暗くて地味な私からさよならできた、その感謝は感謝してもしきれない程だ。
「美人も何か分かったら言いなさいよ? 特にアンタなら朔也も話しやすいんだから」
「そうだな。アイツが抱えている物があれば、協力くらいはしてやりたい」
「……千沙子もオッケー? ここは共同戦線よ。この朔也の過去に絡む案件だけは情報の共有をし合いましょう。いいわね?」
「分かったわ。その代わり、朔也クンを私の物にするのはいいわよね」
朔也クンの事にたいしては慣れ合いたくない。
お互いに引くことのできない問題だもの。
「くっ。そんなわけないでしょ~っ!! 朔也はずっと昔から私のものにゃんだからっ」
神奈さんはろれつが回ってない。
再び酔いが回って来たらしい。
「はぁ。しっかりしろ、相坂。もうすぐだから。君島は鳴海を頼む」
「えぇ、任せて。しっかりと面倒を見るわよ」
「……へんにゃことしたら、絶対に許さないんだから!!」
最後まで叫んでいた彼女に私は思わずクスッと笑みをこぼした。
酔っぱらっている朔也クンを家に連れて行く。
「おかえりなさい、朔也クン」
私は彼の寝顔を見つめながら、そう呟いた。
無防備な彼に私は内心、湧きあがる気持ちを抑えられない。
ずっと思い焦がれてきた相手がこんなに傍にいるんだもの。
「少しくらい、いいわよね――?」
私はそっと、彼の顔に自分の唇を近づけて。
そして、その日の夜は忘れられない夜へと変わる――。
あの日からもう2ヶ月、私はいつものようにホテルの仕事をしていた。
ホテルのフロント係として、もう4年目になり仕事もずいぶんと慣れている。
観光客の目当ては温泉や海、ゴルフ場と様々だ。
それでも6月になれば、客足は落ちる。
「外は雨みたいね。嫌な天気だわ」
特に梅雨時ともなれば客はグッと減り、稼働率も下がる。
ホテルにとっては辛い時期だけど、あと1ヶ月後の夏にはこの美浜町が最もにぎわう夏が来るので、それまで少しだけの休息と言ってもいい。
……あまり長く続くと困るのだけど。
溜まりに溜まってる有給が使えるのもそれの時期くらいなの。
雨が降り続く夕方の時間帯に、私は思わぬ人に会う。
ホテルの受付に顔を出したのは朔也クンだった。
「朔也クンっ!」
「よぅ、千沙子。また温泉の方に入りに来たぞ」
「外は雨でしょう? よく来たわね」
「温泉に入るには問題ないからな。この雨はしばらく続くらしい」
時々、このホテルの温泉を利用する彼。
ここのホテルの温泉は設備もよくて、私も気に入っている。
「千沙子の仕事っぷりを少しだけ見ていてたが、頑張っているな。日曜日でもおかまいなしに働くのは大変そうだ」
「それがホテル業だもの。皆がお休みの時は忙しくて、皆が忙しい時は暇なのよ」
夜勤も普通にあるし、休日も変則的で大変な仕事だ。
私も生活リズムがすっかりと変わっちゃったもの。
「頑張ってるな、千沙子。えらいぞ」
「え、あ、あぅ……」
いきなり彼に頭を撫でられて私は頬を紅潮させる。
「子供じゃないんだから、もうっ。そう言う事をして、喜ぶのは神奈さんだけよ?」
「そうか? 千沙子もそういうの好きそうだけど?」
嫌いじゃない、むしろ、そう言うのは好きだ。
誰かに認められる、褒められる事が嫌いな人はいない。
……頭を撫でられるのも、朔也クンに触れられるのは嬉しすぎる。
顔がにやけそうになるのを耐えながら、私は温泉の受付を終える。
「はい、朔也クン。ごゆっくりどうぞ」
私は彼にお釣りを渡す。
朔也クンは「また今度、どこかに遊びに行こう」と私を誘ってくれた。
この町に戻ってきてから、それまで以上に彼との距離が近づいてきた気がする。
「うんっ。楽しみにしているわ」
「お仕事、頑張ってくれ。じゃぁな」
彼が温泉の方へと去っていくのを私は後ろ姿を眺めつづける。
大好きな彼の背中、私はこの恋する気持ちを抱き続けていた。
「朔也クンと恋人になりたいな」
その気持ちを叶えたい。
だけど、私はまだ知らなかったの。
この時から朔也クンにある一つの変化が起きていた事に――。
……。
「やっぱり、温泉はいいなぁ。最高だ」
お風呂上がり、雨の道を傘をさしながら帰った朔也。
「千沙子の顔も見れたし。ああいう純粋そうな反応は昔と同じで可愛いぜ」
家に戻った彼は、置いて行った携帯電話が点滅しているのに気付く。
「ん? 誰か着信か? 携帯はなくすと面倒だから置いて行ったんだよな」
濡れた髪をタオルできっちりと拭きながら彼は携帯のディスプレイに注目する。
そこには見慣れない番号が表示されていた。
「何だこれ? 市外局番でもないし、公衆電話か?」
そこには留守電が一件、入ってるようだ。
「誰か知らないが再生してみるか。俺に何の御用ですか、っと」
何の気もなしに彼はその音声を再生する。
『こちらは留守番電話サービスです。1件の伝言をお預かりしています』
「ホント、誰からだろう? 神奈は携帯持ってるしな。他に思い当たるのは……」
色々と考えながら留守番電話を聴く彼は、その相手の声に身体を強張らせる。
『……朔也ちゃん』
「――え?」
女性の声、彼にとってこの町に戻ってきてから忘れかけていた相手。
『……朔也ちゃん、久しぶりだね。私、千歳だよ』
顔面を蒼白させる彼は携帯電話を持ちながら身動き出ずに立ちつくす。
「嘘だろ……ちとせ?本当に、千歳なのか?」
雨が一層の激しさを増して、窓を叩きつける音が響いていた――。