第14章:初恋の涙《断章3》
【SIDE:相坂神奈】
千沙子にだけは負けたくない。
いつか朔也が帰って来た時に、恋人になるのは私でありたい。
あの日から私は元気を取り戻して、何事もやる気を見せ始めた。
水泳部に入部したのは気分転換もかねて、それまでしなかった事をしようと決めたから。
苦手だった水泳を克服する事で、私も前にに進むきっかけにしたかったんだ。
高校3年間、頑張って水泳に取り組んできたおかげで、泳げなかった私も最終的には県大会入賞という記録まで取れる程に成長した。
高校卒業後、私は実家の居酒屋を姉と共に受け継いだ。
受け継いだ、というよりも両親は私達に店の経営を任せて都会へ行ってしまった。
ちょうど、その頃、工事中だった美浜ロイヤルホテルがついにオープンした。
数年前から開発されていた高台の地区にある高級ホテル。
私の相坂という家系は地元では昔は名家だった一族。
この町で古くから不動産会社を経営しており、時代が変わった今でも、相坂一族には多くの所有する土地がある。
私の父も受け継いだ土地をいくつも持っていて、そのうちの高台地区にある土地がホテルの建設時に高値で売れたらしい。
そのお金で彼らは都会の方にお店をオープンさせるめどがたったのもきっかけだった。
『実は都会の方に2号店をオープンさせるんだよ。はははっ、この本店はお前達に譲ろう。あのホテルが立つ時に高値で土地が売れたからな。十分にお金もあるから改装ぐらいはしていいぞ。この店はお前達に任せた、頑張ってくれ』
まるで居酒屋をチェーン展開するような口調だったのがムカついた。
普通は私達、若い方を都会に行かせるのが普通でしょうが!
絶対、あの人達は都会暮らしに憧れていただけだ。
私はこの町が好き。
何もないって人は言うけども、私にとっては慣れ親しんだ場所だもの。
『私達に店を任せるって? 冗談でしょ?』
だが、美帆お姉ちゃんはお店の経営にかなり乗り気だった。
私より3つ年上で、既にお店の経営を手伝っていた彼女。
いつかは自分のお店を持ちたいと言う願望を抱いていたようだ。
『神奈、私と一緒に頑張ろうね。あの人達に負けないくらい素晴らしいお店にしましょう。目指すはこの町で一番の人気店よ』
『お姉ちゃん……。そうね、両親を見返してやらないとね?』
そうして、私もお店の副店長として高校卒業後は働き始める事になった。
最初は慣れない事で大変だった。
接客業って本当に難しいし、大変だし、面倒なトラブルで困る事も多い。
けれど、料理する事は好きだったし、やりがいもある仕事だ。
お店を改装してからはお店の売り上げもかなりあがり、料理の味も評判で地元の常連客や町を訪れる観光客でお店もそれなりに繁盛していた。
そして、あっという間に時間は過ぎ去り、4年の月日が流れていた。
高校卒業から4年後、また春の季節を迎えていた。
お昼からは煮物系の仕込みがあるので、私は厨房にいた。
お店自体は夕方から開くけども、準備はその前からするのでこれが大変だったりする。
「神奈、貴方も22歳でしょ? そろそろ結婚とか考えないの?」
美帆お姉ちゃんは野菜の皮を包丁で剥きながら私に言う。
「お姉ちゃんまでお母さんみたいな事を言わないでよ。私はいいのっ。今は恋愛とかそういう気分でもないから」
お姉ちゃんは先日、長年付き合っていた彼氏にプロポーズをされた。
今年の6月には結婚式を挙げる予定だ。
幸せいっぱいの顔をする彼女。
「……お姉ちゃん、自分が幸せだからって私にまでそう言う事を言うのはウザい」
「姉に向かってウザいって何よ?」
「きゃっ、ご、ごめんなさい。だから、包丁を向けないで!?」
「……あ、ごめん? これはそう言う意味じゃないのよ。でも、さすがに22歳になってまだ一度も彼氏が出来た事がないと言うのはお姉ちゃんとしても心配になるわ。誰か相手くらいいないの? 好きな人とか……?」
姉としての心配なんだろうけど、余計なお世話だっての。
私には私の想いがあって、無理やりどうするつもりはない。
「好きな人がいて、その人をずっと思ってるだけ」
「それって、朔也さんのこと?」
「何でそのことを!?」
彼女の口からあっさりと朔也の名前が出てきた事に私は衝撃を受ける。
お姉ちゃんは何を今さらと言う表情を見せながら呆れる。
「だって、昔から神奈って朔也さんに大好き視線を向けてたじゃない。アレに気づかない人はいないわよ? そっか、今でもまだ好きなんだ? あの子がこの町を去って、もう何年になるのかしらね?」
「今年で7年目。別にいいでしょう、私が誰を想っていようがお姉ちゃんには関係ない」
報われることのない片思い。
この想いは新しく人を好きにならない限りは消える事はない。
朔也が好き、その気持ちは今でも私の胸の中にあった。
「朔也さんから連絡とか取れてるわけ?」
「……あれからずっと音沙汰なし。年賀状すら届かないし」
何年も経たず、連絡が取れなくなってしまった。
あの薄情者め、今頃、東京ではいろんな女の子とよろしくやって私なんか忘れてしまっているに違いない。
「神奈、お見合いとかしてみる気はない?」
「ありません。私の事はどーでもいいから、お姉ちゃんは自分の心配でもしていれば?」
「私は神奈のためを想って言ってるのに。いつまでも初恋を抱え続けるのはいいけど、辛くなるのは神奈なのよ?」
お姉ちゃんはもう朔也が戻ってくる事はないと確信しているみたい。
私は頬を膨らませながら「そんなことないもの」と否定をしておく。
まだ諦めたくない、いつか朔也が帰ってくるのを信じていた。
奇跡が起きる、そんな日をずっと待ち望んでいたの。
……奇跡の気配は7年間、微塵もなかったけどね。
その日の夜、いつものようにお店を開けてお客さんが来るのを待つ。
あと少しで常連客の人達が仕事終わりによる時間が迫る。
今日は美帆お姉ちゃんは婚約者と食事するとお仕事をお休み。
なので、私とアルバイトの三木ちゃんのふたりだけでお店を回す。
「三木ちゃん。お酒の在庫、見てきてくれない? なかったら、いつものお酒屋さんに連絡して注文しておいてほしいの」
「はい、分かりましたー」
彼女に倉庫を任せて私は料理の準備を始める。
もうこのお店も4年目で私もすっかり仕事に慣れていた。
「うぃーすっ。相坂いるか?」
本日最初のお客が来たと思って振り向いたら、幼馴染の美人だった。
彼も一応はこのお店の常連客ではあるけど……。
「何よ、私のお店なんだからいるに決まってるじゃない」
「正確にいえば店長はお前の姉ちゃんだろうが」
「うっさい。細かい事はどーでもいいの。酒飲みにきたのなら、さっさと座って」
美人は高校卒業後に実家の魚屋を継がずに漁師になった。
彼のお父さん経由で、うちのお店の魚を卸してもらったりすることもある。
「まぁ、待てよ。今日は相坂にスペシャルなゲストを連れてきた」
「はぁ? アンタの恋人って言うんじゃないわよね。別に興味ないわよ?」
「……俺の恋人について興味ないって言うな。可愛いんだぞ」
「はいはい。それで違うのなら誰なの?」
相手の子も可愛いし、知ってるけども、そういう幸せオーラはお姉ちゃんだけで十分すぎるほど間に合っているからいらない。
人の幸せを妬みたくないけど、自分が満たされてないと人の幸せがムカついたりする。
そんな私の心境を揺さぶるような出来事が起こる。
彼が店につれてきたのは茶髪が印象的なカッコいいイケメン。
見知らぬ人だけど、観光客か誰かかな?
「――久しぶりだな、神奈」
彼は私と会ったことがあるらしいけど、私は知らない。
うーん、声にも聞き覚えがないし、顔も覚えてない。
こんな人と知り合いだったっけ?
「……誰? どこかで会ったっけ?」
私がそう言うと彼は傷付いたような苦い顔をする。
ホスト風な見た目と違い、優しそうな人と言った感じは受ける。
彼の事を思い出そうとするが該当する人間は記憶にいない。
「お前、何気ひどいよな。そこまで薄情者か?」
「何よ、覚えてないんだからしょうがないじゃない。誰なの?」
「散々、会いたがってたくせにそれはないだろ?相坂、ヒントをやろう。小さい頃にお前が海で溺れて泣き叫んでいた時に助けてくれた命の恩人だ」
「……はぁ? そんな昔の事……昔?」
その言葉に引っかかりを感じて、私は身動きできなくなった。
顔には見覚えがなくても、見覚えのある優しい瞳が私を見つめている。
そんな、う、嘘よ……だって、彼はここにいるはずが……ないじゃない?
「よぅ、神奈。俺を忘れているとはひどい奴だな」
「う、嘘でしょう!? な、何で……何でアンタがここにいるのよ?」
私の前にいた彼こそ、私がずっと会いたかった片思いの相手。
私達をこの町に置いて東京へ出て行ってしまった、大好きな幼馴染の鳴海朔也――。
「鳴海朔也、ただいま美浜町に帰ってきました」
「朔也っ!! 本当に朔也なの?」
驚きのあまり、私はショックで倒れそうになる。
朔也が本当にこの町に戻ってきたなんて、夢じゃないよね?
信じられない、奇跡が本当に起きたんだ。
嬉しくて、嬉しくて、私は思わず涙があふれてくる。
それは初恋の涙、私の恋が再び動き出す、確信的な始まりの合図。
「――おかえり、朔也。またよろしくね」
ずっと言いたくても言えなかった言葉、おかえりなさい。
別れから7年の月日を経て、私はようやく言葉にする事ができたんだ――。