第12章:キミのために《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
潮風香る大海原。
青い空と蒼い海、蒼しかない世界が目の前に広がる。
「しかし、改めて考えると海以外に何もない町だな」
「改めて考えなくても何もない町だぞ」
本日も斎藤と釣り日和。
元々釣り好きだったので、こうして暇をつぶす事は昔からだ。
この町の娯楽と言えば釣りか泳ぐ事くらいしかない。
残念ながら泳いだりするのはまだまだ水が冷たくて無理だ。
いつも騒がしい神奈は今日は仕事の都合らしくいない。
「俺は恋人がいないから仕方がないが、お前は噂の恋人がいるんだろ?休日とはいえ、デートとかしないのか?」
「相手も忙しいからな。司書って言うのは暇に見えて時間的拘束が大きい仕事だ」
「そんなものか。休みとかちゃんと会ってるのか」
「お前に心配されなくても、平日でも会う時はちゃんと会って関係を深めているから心配しなくていいさ。おっと、エサだけ持っていかれたか?」
今日も好調、中々良いサイズの魚が釣れている。
俺は釣り糸を垂らしながら、斎藤に尋ねて見る。
「この前、水守さんにあったけど、お前はビジーさんって呼ばれているのな」
「おぅ。美人と呼ばれるよりは若干マシだろ」
「それはどうか俺に判断がつかないが、お前がそれでいいのならいいんだろ」
少なくとも俺はサクーさんとは呼ばれたくないが。
朔也というカッコいい名前でよかったです。
「現代版の鶴の恩返し、いいよなぁ」
「なんだそりゃ?」
「網にかかった美女を助けたと聞いたぞ。そして、恩返しに付き合ってくれるとは何ともうらやましい事じゃないか」
実際にそんな話があるのか、と疑いたくなるくらいだ。
俺もどこかに網にかかった美少女がいないか探したいくらいだ。
斎藤はどこか照れくさそうに言う。
「なるほど。そう言う意味か。高校時代に偶然に港付近を歩いてたら、助けを求める声がした。そうしたら、漁師の置いてた釣り網に足をひっかけて困っていた彼女がいたんだ。ドジっ子なんだよ、あの子は……」
「それで、助けて一目惚れされて、可愛い彼女ゲットってわけだろ」
「まぁな。あれだけ猛アピールされたら、どこかの色男教師ではないから、俺はあっさりと落ちるさ。人の好意を向けられて無視するほどもったいないし、縁もなかったからな。おかげで今まで仲のいい関係を続けている」
「誰が色男教師だ。俺の事を言ってるのか? 別に猛アピールされてもいないのだが」
斎藤の順調な交際はさておき、俺は別にフラグブレイカ―をしているつもりはない。
彼は肩をすくめながら、「よくいう」と失笑気味だ。
「相坂と君島。少なくとも俺の知る限り、ふたりの女から言い寄られているだろ?」
「うぐっ。ちょっと待て、あれは……」
「あのふたりから好意を向けられているのに、何もせずにいるお前のひどさはある意味、すごいと言える。よくやるよな?」
俺は「大物来ないかなぁ」と視線をそらす。
釣り竿はピクリとも動いてくれず、話題を誤魔化す事もできない。
空気読んでヒットくらい来いよ、魚。
「……別に鳴海の問題だ、深入りしようとは思わないが、相手の気持ちくらい考えてやれよ。前に言ったよな。お前がこの町を出て言って荒れた人間がいるって。相坂もそうだが、君島もそうなんだぞ?」
「は? 千沙子が?」
「と言っても、相坂ほど荒れてたわけじゃないが。何ていうか、ある意味伝説だよな。高校の時の通りは“撃墜女王”だ」
「何だよ、そのゲームにありそうな通り名は」
「そのままの意味だ。君島は見た目が美少女だからな。好きになる男もダントツで多かったが、難攻不落、誰もが挑戦してはフラれて交際を断られていた。哀れに撃墜された人間は学校の男子の半数以上とも言われている」
マジかよ、その気持ちは分からなくもないが。
千沙子は昔からとびっきりの美少女だった。
「千沙子も恋愛くらいすればいいのに」
「ずっと片思いの野郎がいるんだとよ。気をつけろ、彼女はその男の名前を常に出して告白を断っていた。『私は●●クンが好きだから付き合えない』ってな。ふとしたところで“誰かさん”の名前を聞いた野郎に恨まれているかもしれんぞ」
「……へ、へぇ。そうなのか。誰かさんは気をつけなくちゃなぁ?」
と、俺は少しビビりながら答える。
迂闊にこの町で自分の名前を語るのはやめた方がいいかもしれない。
どこで敵を作ってるか分からないからな、うん……。
「昔の話とはいえ、いきなり刺されたりするかもな。誰かさんを恨んでいた奴はかなり多かったからさ。その誰かさんは既に東京に出ていて、命拾いし続けていたが」
「ほ、ほぅ……運のいい奴もいたものだ、あははっ」
……俺、東京に出ていってよかったのか、悪かったのか?
知らない所で、人間とは恨みを買っているようなので気をつけましょう。
暑い日差しを避けて岩の影に移動した俺達は釣りを再開する。
この独特の潮の匂いをかぐと、海らしくて好きなんだよな。
「君島もそうだが、分かりやすい相坂の方も何とかしてやれよ。傍から見ているとどうにも、いたたまれないっていうか。お前の場合はわざと妹扱いのままにしている節があるからな。相手の気持ちを理解しているなら応えてやれよ」
「神奈の場合は妹キャラだし……」
「嘘つけ。それは昔の事だろ? 今はそんな気ないくせに」
俺は誤魔化す事もできず、釣り餌を交換してもう一度海へと放り投げる。
今日は魚のサイズはいいが、当たり数が少ない気がする。
「神奈は美女になったよ。本当にいい女になったと思う。いつまでも妹じゃないって思い知らされた」
「それでも、想いに応えてやれないのは東京で何かあったからか?」
東京の話はあまりしたくない。
俺自身、まだ乗り越えられていない問題だからさ。
「相談くらい乗ってやれるぞ?」
「親友相手とはいえ、躊躇する事だ。内容が内容だけにな」
「……それは引っ越しの手伝いの時に見た指輪の箱と関係があるのか?」
――指輪、か。
俺は思わぬ指摘に苦笑いをするしかない。
「見られていたか」
「あのサイズで綺麗な箱だったからな。指輪か、何かだと思ったが当たりか?」
「あぁ。もう、お前には敵わないぜ。斎藤、お前になら話せる気がする」
これまで何も言わずにいてくれた事を感謝するべきか。
斎藤は根ほり葉ほり聞いてくるタイプじゃない。
信頼できる親友だからこそ、俺は本音で応えることにした。
「俺さ、東京で婚約者がいたんだよ」
「それは初耳だ。結婚していたのか?」
「婚約者、結婚しそうだった相手だよ。大学時代から付き合い初めて、卒業したから結婚するつもりだった。結局、結婚していないけどな。あの指輪も渡せずじまいだ」
この話をするのはこの町に戻ってきてからは斎藤が初めてだ。
「その相手は今、どうしている?」
俺は静かに首を横に振る。
思い出したくもない現実が俺にはあったから。
忘れたくても忘れられない嫌な出来事が俺達を引き裂いた。
渡せずにいた指輪、それだけが俺の手元に残っている。
「……1年前に、いろいろとあってなぁ。ダメになった、と言う言うべきか」
「そうか。それでこの町に戻ってきたのか?」
「タイミングの問題さ。俺はショックを受けていて、受けるはずだった私立高校の教師の採用試験を受けられなかった。教師になるのが夢だったから、どうしてもなりたくて、それだけは諦めきれなかった」
何もかも失っても、夢はまだ諦めきれずにいたんだ。
「偶然にもこの町の高校の教師募集を知って、ここに決めた」
結局、俺は東京から逃げて来たのだ。
辛い現実を受け止めきれず、あの場所に戻ると俺は過去を思い出しそうで怖くて。
俺の好きだった千歳はもういない。
そう、もうどこにもいないのに……。
「鳴海も大変だったんだな。様子が違ったように見えたのは気づいていたが、そんなことがあったなんて思いも知らなかった」
「……自分でまだ整理がつけられない事だからな。だけど、俺はこの町に戻ってきてよかったと思っている。お前らに会えて、俺はここから人生をやり直せるって思えた」
「鳴海、俺を含めて相坂や君島、他の皆もそうだが、お前がこの町に戻ってきてくれた事を喜んでいた。だが、その喜びはお前にとっては望んでいない事だと気づいていた。それがまさかそう言う話だったとは……」
「確かに経緯は望んでいなかった現実さ。けれど、俺は夢だった教師にも慣れて、久々の生まれ故郷に戻り、親友たちと再会できて幸せだぞ? 少しずつだが、東京にいても何も解決できなかった心の整理も出来始めているんだから」
それはひとつの変化だと言える。
「……斎藤、この事は他の奴らには内緒な?」
「分かっている。ただの“失恋”ではないんだろ?」
俺の言葉からある程度の事情は察してくれたらしい。
斎藤はそれ以上は聞いてこずに一言だけ俺に言った。
「恋愛に奥手になってる事情は分かった。だけど、アイツらは何も知らないんだ。お前の気持ちが落ち着くまで、ある程度は受け止めてやれ。それくらいはできるだろ?」
「善処はするさ。俺がこの先、誰を選ぶか、どんな恋愛をするか分からないが、俺にとって誰かから思われる事は悪い事じゃないからさ」
神奈も千沙子もいい奴だ、大切にしたいって思うんだよ。
俺はようやく当たりの来た釣り竿のリールを引きながら海風を感じる。
何度でも言おう、俺はこの町に戻ってきて本当によかったと思っている――。