第11章:縮まらない距離《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
今日は朝から釣りの約束があったので、俺は朝食後に隠れ浜へやってくる。
隠れ浜とはメインの海水浴場がある海岸から少し離れた地元住民もほとんど知らない穴場の浜辺の事だ。
入り江になっており、魚もよく釣れるし人が来ないので静かな場所だ。
最初にこの町に戻って来た時に一度だけ来たっきり、ここ一ヶ月は来ていない。
既にその場所では釣竿をたらす斎藤がいる。
「よぅ、斎藤。待たせたな」
「先にしてるぞ。お前の竿はそちらだ」
「悪いね、俺もそろそろ自分用の釣竿を買おうかな」
いつまでも斎藤の竿を借りて釣りをするのも悪い。
給料が出たらぜひ、新しい釣竿セットを買おうと決めた。
「それで、何で後ろのお嬢さんまで付いてきてるんだ?」
「何よ、美人。私がいちゃ悪いの?」
不満そうに言う神奈、実は朝からずっと俺についてきている。
朝飯を作ってもらったり、洗濯をしてくれたりと助かったのは助かったのだが。
「ホントに鳴海の妹だな、相坂は……。そんなにお兄ちゃんが好きか、相坂?」
「お兄ちゃんって何よ? べ、別に兄扱いなんてしてないし」
「そのままの意味だが。相坂は昔から鳴海の事を兄のように慕い、べったりとくっついてただろ? 今もそれは変わらない、っと、当たりが来た」
斎藤は竿に集中するが、当の本人の神奈はふくれっ面のままだ。
そんなに兄妹発言が気に入らないのか?
「別にお兄ちゃんなんて思ってないし。変な事を言うわね、美人」
「俺は何となく分かるぞ。神奈は妹みたいだからな」
「ふんっ。“妹”、ね?別にいいけど……こんな頼りないお兄ちゃんはいらない」
グサッ!?
今の地味に傷ついたじゃないか。
「言うなぁ。せっかく可愛がってあげているのに、何て奴だ。まぁいいけどさ。おっ、今日のエサはイソメか。この入り江ではこいつの方がよく釣れるからな。久しぶりだ」
「きゃっ!? む、虫……気持ち悪い」
容器に入っているのは細長いミミズのような生物。
ゴカイやイソメと呼ばれる種類の虫餌だ。
イメージとすればミミズに大量の足が生えた生き物。
水中で泳ぐ虫……本当に虫かどうかはよく知らないがこれが魚の餌としては万能だ。
魚の食い付きもいいので見た目さえ気にしなければどうということはない。
「さて、と。俺も釣りをするか」
俺はイソメを釣り針につけて海へと放り投げる。
「後は待つだけってね。……どうした、一気に大人しくなったな?」
「虫は嫌いなのよ!」
「そうなのか? お前、昔はよくこれとか掴んでいなかったか?」
俺は一匹の青イソメを手のひらに乗せて神奈に差し出す。
「きゃーっ!? や、やめて~っ!」
逃げるように後ずさる彼女。
イソメはうにょうにょと俺の手のひらを這う。
確かに見た目は気持ち悪いと思うかもしれない。
俺なんかは釣り餌として全然慣れてるけどな。
「なぁ、斎藤。神奈は虫がダメだったか?」
「俺の記憶にある限りではある程度は耐性があるはずだが」
「だよな? 何だよ、神奈。虫嫌いになったのか」
しばらく会わないうちに彼女も女らしくなったのか。
昔は男女って言うか、俺達と平気で色々と遊んでた仲なのに。
「そんなもの好きになれるはずないじゃないっ! 私は女の子なのよ?」
「自分で女の子って言うなよ、22歳。お姉さん、意地悪しないから戻っておいで」
「どうせ、そう言って私にそいつをぶつける気ね? 騙されないわよ」
警戒心強すぎだ、神奈さん。
俺はそこまで鬼畜でもなければ、子供でもない。
神奈はこちらから距離を取ってしまったので、放置。
俺は釣り竿を持ちながら当たりを待つ。
「斎藤はさっきからよく釣れているな」
「今日は波の影響か、右の方からいい流れが来ているからな」
「なるほど、そっちか。俺もそちらに移動しよう」
確かに斎藤の読み通り、移動した途端に俺の竿にもヒットした。
ぐいぐいっと魚が引っ張ってくる感覚。
魚との駆け引き、ただやみくもに竿を動かしリールを回せばいいってものじゃない。
下手をすれば逃げられる、うまく魚の動きに合わせて糸を引く。
これが釣りの魅力、楽しさなんだよな。
「よしっ、3匹目。中々いいペースだ。サイズも悪くない」
「夏にかけて魚の旬が近づいているんだろう」
「そうだな。斎藤は6匹目か。負けてられないな」
俺達が釣りを満喫していると暇そうな神奈はサイドプールの観察だ。
サイドプールって言うのは潮だまり、水たまりのように海水が小さく溜まっている池のような状態の事を言う。
小さな魚とかエビやカニなどがいて、子供の頃はよく遊んだっけ。
「アイツも物好きと言うか……」
俺が釣りをすると暇だってと分かっているのについてくるんだからな。
暇しているようなので俺は神奈を呼びだす。
「おい、神奈。ちょっとこっちにこい」
「何よ、虫もどきでも私に見せつけようっていうの?」
イソメが嫌いなのは分かったが、サイドプールでカニやヒトデを見つけては海の深い場所に放り投げると言う暴挙はやめてやれ。
潮の流れがキツイとヒトデも可哀想だ。
「そんなことはしない。ほら、こい。そこじゃ、暇だろうが」
せっかく来ているんだ、神奈にも楽しんでもらわないとな。
警戒する彼女を呼びよせると俺は彼女に釣竿を持たせる。
「何これ?」
「お前も一回くらいしてみろよ。釣りは楽しいぞ?」
「いいわよ。こういうの、別に興味ないから」
「そう言わずにしてみろって。暇なんだろ? ほら、釣竿を持って」
俺がそう言うと神奈は渋々、竿に手を伸ばす。
「釣りなんてしても面白くないし」
「何でもやってみなきゃ分からないものだ」
何とか釣り竿を持たせる事はできたが、本人は全然やる気がない。
何度か釣り糸を海へと垂らす。
しかし、慣れないせいか、ひどく竿がふらついている。
「意外と竿って重い……ぐらぐらする~っ」
それほど竿は重くはないはずだが?
ふと見れば竿先が震えている、これはもしかして?
「おい、鳴海。それって引いてるんじゃないか?」
「そうだな。おい、神奈、リールを巻いてみろ」
「へ? えっ、リール!?」
俺の言葉に彼女はリールを乱暴に巻く。
「違う、ゆっくりだ。慌てても逃げられる。いいか、タイミング良く魚に合わせてリールを巻いていけ。落ち着いていけ」
「む、無理だってば!? 代わってよ、朔也」
「ここまできて代わるのはもったいない。がんばれ」
たまには神奈にも釣りの体験をするべきだろう。
俺は彼女の後ろに回り込み、背後から抱きしめるような形で竿を握る。
手に伝わる振動、間違いなく魚は来ている。
「ちょ、ちょっと? 朔也、な、何をしている……のよ?」
重なり合う手と手に神奈は声を上ずらせる。
「いいから、リールを巻いていけ。俺が釣り竿を押さえておいてやるからさ」
「や、やぁ……朔也、くすぐったい」
神奈はそう言いながらも、リールを巻いて魚と向き合う。
「これでいいのかしら?」
「いいよ、順調だ。この当たりは大物かもしれないな」
「ホント? んっ、釣り竿が重いわ」
彼女は苦労しながらリールを巻き初めて、ようやく水面から魚の姿が見え始める。
「ほぅ、これはいいサイズの魚だな。相坂、初めてにしては良い魚だぞ」
斎藤はそう言って神奈を褒める。
「どうでもいいから、早く何とかして~っ」
本人は慌てていて、すごく落ち着きがない。
大物かもしれないのに、なんて乱暴な……。
「もう少しだ、我慢しろ」
「ふぁっ……ちょ、もうっ、耳に息を吹きかけないで。距離近すぎ~っ」
「……お前ら、傍から見たらいちゃついてるようにしか見えんな。実際にそうなのだが。相坂も喜んでないで早く釣れ。あと少し何だから。おっ、魚影が見えてきた。結構、大物だぞ」
「うっさい、美人。外野は黙ってなさい。って、確かに大きい。でも重い~」
そして、なんとか魚は釣り上った。
しかも、本日の一番大きなサイズではないか。
結局、神奈が釣りあげた大物のせいで、俺と斎藤は大きさ勝負では負けた。
「負けた、初心者の相坂に漁師の俺が負けた」
「斎藤、そう落ち込むな。俺も悔しいが。ビギナーズラックってやつだな。どうだ、神奈? 楽しいものだろ?」
「……何か疲れた。釣りって大変なんだね」
「相坂の場合は別の意味で疲れてそうだけどな」
神奈は斎藤を睨みつけて「余計な事は言わなくていい」と叱る。
「また神奈にこいつらを料理をしてもらうか」
「そうね。私はそっちの方があってるわ」
微笑する神奈だが、釣りもまんざらではなかったようだ。
うーむ、たまにはこういうのもいいかな。
そんな事を思いながら、幼馴染との時間を過ごした。