第11章:縮まらない距離《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
俺の人生で忘れる事の出来ないあの日は強い雨が降っていた。
地面を叩きつけるような大きな音を立てる豪雨。
その雨の中で燃え盛る赤い色の炎。
雨の中で燃え続ける炎は消えずに、黒い煙を出していた。
『……何で、こんなことになったんだ』
俺は愕然として目の前の光景を信じられずにいた。
空港のロビーには同じように窓際のガラス窓越しに光景を眺める人々が溢れる。
あまりの悲惨な光景に誰もが叫び、声をあげて動揺する。
『嘘だろ……?』
誰もが目の前の現実を疑った。
豪雨の中、真っ赤に炎が燃え盛るのは一機の墜落した飛行機だった。
空港で炎上する飛行機、慌ただしく動く多くの人々。
その中で俺は何もできずに現実を受け止められない。
『何を……しているんだよ、早く助けてくれよ』
絞り出すような声を出しながら俺はそう呟くしかできなかった。
あの飛行機の中には……俺の恋人が乗っているのに。
俺は無力だ、何もできず、目の前の光景を見ていることしかできず。
『千歳……俺は……』
ただ、立ちつくすことしかできなかったのだから――。
……。
嫌な夢を見た気がする。
ひどく寝汗をかいた俺は目が覚めてため息をついた。
「最悪の寝ざめだ……」
時計を見ると朝の6時過ぎ。
通常でも少し早いが、ゴールデンウィークに入ったばかりの俺にはもう少し寝ていたい気分だった。
教師にもよるが、うちの学校では部活などがない限りは土日、祝日は休みだったりする。
「もう一度寝て、嫌な夢を見るよりはマシか」
俺は布団から起き上がると身体を動かす。
最近、少しなまり気味だし、運動でもしてこようか。
大学時代、俺は早朝はマラソンブームに乗っかり、ランニングをしていた。
ここ1ヶ月ほどは慣れない教師生活に疲れてそんな余裕もなかったが。
「確かこの辺に前にきていたジャージがあったような」
俺はランニング用のジャージに着替えて、さっそく、早朝の町へと出る。
「……海沿いでも軽く走るか」
朝日が眩しいので目を細めながら俺は海沿いの道を走ろうとする。
さすが、漁業で成り立つ美浜町。
朝から活動する人は多いため、人通りはそれなりにある。
皆、忙しそうに港の方へと向かっていく。
これからセリとかがあるんだろうか。
「おや……あの髪型は、もしや?」
よく見慣れた後姿の女性が同じように海沿いの道を走っている。
俺はその子に追いついて声をかけた。
「何で、神奈がここにいるんだよ?」
「朔也? 朝から珍しい所で会うわね」
神奈は立ち止ると驚い顔を俺に見せた。
俺と同じようにジャージ姿、マラソンをしているのか?
「……お前も朝からランニングか?」
「これも日課の一つなの。高校時代はよく水泳部の体力作りで走っていたからその名残で今も毎朝、海岸沿いを走っている。朔也こそ何でここに? 普段は走ってないわよね? 今まで見たことないもの」
「大学時代は健康ブームでよく走っていたんだが、ここ最近なまりきっていたんでな。朝早くに目が覚めたからこうして久々に走ってる。そうか、神奈もマラソンをしていたとは意外だ」
元々、彼女は体力はある方だから不思議ではない。
「人間、健康な生活が一番でしょ?」
「とか言いつつ、ダイエットしているだけだったりして」
「――ぎくっ!?」
あからさまな動揺を示す彼女。
おいおい、本当かよ?
「ダイエットしているのか?」
「べ、別に太ってないもの。失礼な事を言わないで。バナナダイエットとかマイタケダイエットとか試しても微妙な感じがするからやっぱり運動をしようと思ってるわけじゃないんだからね」
「俺はキノコが好きじゃないからどうでもいいがアレは低カロリーなものを食べるよりも運動をすることが大事なんだ。それより、神奈ってダイエットするほどか?」
俺は彼女の腹部を軽く指で掴んでみる。
むにっとした感覚、さほど肉はついていない。
むしろ、もっと胸の部分に肉はつけた方がいいと思うぞ。
「ふにゃ!? な、何をするのよ!?」
「ん? あ、すまん。セクハラじゃないからな」
お腹の肉付きを確かめただけだ、それほど太っているとは思えない。
「私じゃなかったから普通にセクハラだからね!そういうこと、誰かれかまわずしちゃダメなのよ。ホントに朔也って東京に行ってから嫌な意味で変わったわ」
「はいはい。神奈は痩せている方だろ。むしろ、もっと肉をつけるべきでは?」
俺は胸の部分を見ながら言ってやる。
控えめというか、寂しいと言うか、成人女性にしては凹凸が低い。
彼女は「なっ、どこ見て言ってるのよ」と頬を膨らませる。
「朔也のエッチ。ホント、最悪……純粋だった頃の朔也はどこに行ったの?」
「あのなぁ、俺は心配して言ってやってるんだぞ?」
「私はスレンダーボディだからいいの!」
「……千沙子には勝てそうにもないな」
とあえて、嫌がるセリフを言ってやると、案の定、彼女は怒りながら、
「他人と比べるなんてひどくない? 喧嘩売ってる?」
「そう怒るな。朝から元気だな……っと?」
「誰のせいで怒ってると思ってるのよ? って、何、どこへ行くの?」
俺は神奈を放って海岸の方へと降りる。
砂浜で犬が駆け回っている。
その飼い主に俺は声をかけた。
「おはよう、望月。こんな朝早くから犬の散歩か?」
「鳴海先生、おはようございます。先生は散歩ですか?」
「そんな感じだな。少し早く目が覚めてね。この犬は望月の犬か?」
俺の足元にすり寄ってくるまるでぬいぐるみのような子犬。
いわゆる、お座敷犬ってやつだが、何だこの犬は?
「はいっ。トイプードルのスピカって名前なんです。とっても可愛いんですよ」
彼女はスピカを抱き上げると、犬は舌を出して俺の方を見る。
くっ、可愛いがバカにされているとも思える。
「それにしても、ぬいぐるみのような犬だな?」
「ふふっ。それが可愛いんですよ。あら?」
望月が俺の背後に目を向けると、息を荒くする神奈がいた。
「いきなり、私を放って行くなんてひどくない!? ……うわぁ、可愛いっ」
俺を怒ったと思ったらすぐに犬の方へ視線を向ける。
神奈は「触ってもいい?」と望月に許可を求める。
「いいですよ。噛みつかないので心配しないでください」
「トイプードルよね? 本当にぬいぐるみみたい~っ。私は実物を見るのは初めてなの」
スピカを抱き上げて撫でまわす彼女。
神奈って動物好きだったっけ?
「……先生の恋人さんですか?」
「いや、ただのお……ぐほっ!?」
幼馴染と言おうとしたら、いきなり背後からの軽い蹴りにバランスを崩す。
「朔也の“恋人”の相坂神奈よ。貴方は朔也の生徒さんかしら?」
「はい。望月要と言います。先生には部活の顧問でお世話になっています」
神奈は「望月?」という名字で少し気になったようだが、態度には出さない。
そもそも、誰が恋人だっての。
何で望月相手にも恋人設定を貫こうとする?
千津は事情があって誤魔化すためにもしょうがなく、恋人設定をしているが……。
というか、外堀から埋められているのは気のせいか?
「この子の名前はスピカ。星の名前なんです。スピカって言うのはとても美しい星で真珠星って呼ばれているんですよ」
「そうなんだ。可愛い名前だね。さわり心地もふわふわで可愛いなぁ」
神奈がスピカと戯れている間に俺はちょうどよかったので望月に尋ねて見た。
「そういや、望月は外部からこの町に来た人間なんだって?」
「はい、そうですよ。4年前にこの町へ来ました。その前は東京の方にいたんです」
「色々と聞いているが、何でこんな田舎町へ? 都会の方が暮らしやすいだろ?」
「……私は美浜町が好きですよ。都会なんかよりもずっと過ごしやすいです。心地よい風、澄み切った青空とどこまでも広がる海。星は綺麗に見えるし、うるさい人々の喧騒もなく、落ち着いたところですから」
望月は人が苦手なんだろうか?
言葉の端々にそのようなモノを感じる。
「都会は苦手だったのか?」
「そうですね。どちらかと言えば、そうです。物や人は溢れていても、そこに自然も温もりもない。私にとってはあまり居心地のよくない場所でした。空気もよくありませんからね」
都会がいいか、田舎がいいか、それは人それぞれだ。
俺なんかは遊び場所も多い都会の方がどちらかと言われれば好きだけどな。
「私、自然が好きなんですよ。海も山も大好きです。だから、ここに引っ越しが決まった時はすごく嬉しかったんです。実は小学生の時に一度だけここに来た事があるんです。前に言いましたよね、小さな頃に七つの森公園に星を見に来たことがあるって」
「あぁ、そういや、そう言ってたな。ということは、引っ越してきたのはその後か?」
「えぇ。それから、中学に入る時にこちらへ親の都合で引っ越してきました。多少、不便な事があっても、それに勝る自然の魅力、星が美しく見える事がとても素晴らしい場所です。私はここにずっと暮らしていきたいです」
望月にとっては美浜町は環境的にも良い場所なのだろう。
だが、その町を変化させつつあるのが望月の親が経営するロイヤルホテルと言うのは何だか皮肉のような感じがする。
……望月が悪いわけじゃないけどさ。
俺達はスピカと戯れる神奈に混ざりしばらくの間、砂浜にい続けた。
青い海に吹く風はまだ早い初夏の気分を体験させてくれていた――。