第9章:未来の希望《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
一枚の写真が俺にある記憶を思い出させる。
思い出したくなかった。
その過去から逃げたくて、どうしようなくて。
俺はこの町に戻ってきたと言うのに――。
「……千歳?」
写真の中で笑顔を浮かべる少女。
昔はいた、今はもういない。
思い出の中にしかいない、俺の元恋人……千歳。
「ちとせ? ねぇ、朔也。この美人さん、誰なの?」
「鳴海先生? おーい、聞いてる?」
俺を問い詰める神奈と千津。
かつては写真を見るだけで辛い思いをしたのに。
だが、俺は思いの他、冷静に受け止められていた。
あれから1年と言う時間が流れてせいだろうか。
「……ぐぅ」
「寝るなっ!? 何よ、寝たふりしなくてもいいじゃない。朔也?」
「ホントに眠いんだ。昔の写真を引っ張ってくるからだろう? どこで見つけたんだ?」
「普通に段ボールの箱の上置いてたけど?」
「箱の上、そんなはずはないぞ?」
俺はこの写真を引っ越し荷物の段ボールから出した覚えはないのだが?
どちらにしても、封印指定のものを発掘して欲しくはなかった。
「それで、その女の子は誰なのよ?」
神奈がしつこく聞いてくるので俺は適当に「生き別れた妹」と誤魔化す。
「アンタに妹なんていないでしょうっ!」
「だから、生き別れだったんだって。親父の隠し子でなぁ。うむ、修羅場だった」
「はいはい。くだらない事で誤魔化すな。どうせ、元カノでしょ?」
「……分かってるならいちいち聞くなよ。気恥ずかしい。はい、没収」
俺は彼女から写真を奪い取ると再び箱の中へと仕舞い込む。
こんなものを見てしまうとどうしても、彼女を思い出してしまうから。
「気になるじゃない。その子のことを知りたい」
「神奈が気にする事はない。ほら、明日もあるんだ、ふたりともさっさと寝なさい」
「あからさまな誤魔化し方をして……先生、怪しい」
「千津も人を怪しんでないで寝ろ。子供は寝る時間だ」
俺は千津達を無理やり部屋と押し込む。
ふたりとも文句を言いながら、部屋と戻っていく。
「ったく、余計な事を……」
俺はしばらくの間、何もする事ができずにひとりリビングに座りながら時間を潰す。
別に思い出したかったわけじゃない。
千歳の事は、いろいろとあって、俺も心の整理をするのが必要だった。
もう忘れた方がいいと言うのは分かっている。
「それでも、忘れられないから辛いってな」
俺は冷蔵庫からビールの缶を取り出して、ひとり飲み始める。
酒でも飲んでさっさと寝てしまおう。
どうせ、明日は朝から千津の事で頭を抱える事になるのだ。
あちらの問題も何とかしないとな。
俺がひとり酒を初めて30分が過ぎた頃、寝室から神奈が出てくる。
「千津さんなら眠ったわ。やはり、疲れていたようね。……朔也、少し話してもいい?」
「別にかまわないが。お前も飲むか?」
「遠慮しておく。それよりも、あの子の事なんだけど?」
「あの子ってどの子だよ。千津絡みなら話してやるが、写真の相手はノーコメントだ」
神奈は俺にため息をつきながら「ちぇっ。ならば、前者よ」と答える。
俺の性格をよく知っているだけに後者の事は語らないと悟ったのだろう。
「今日は助かったよ。神奈のおかげでずいぶん千津も落ち着いただろう」
「私も、その、いろいろと役得あったもの……恋人扱いされて嬉しかったし」
「……?」
小声でボソッと何かを呟く神奈。
なぜか恥ずかしそうな顔が印象的だった。
「千津さんと話をしてみて気づいたんだけど、あの子、親が嫌いでここに家出してきたのよね? 何か、話だけ聞いてるとそうじゃない気がして」
「まぁ、家出と言うか、逃げてきただけだが。人生、思い通りに行かなくてつまずいただけだ。今、ようやく立ち上がろうとしている」
誰かの手を借りてでも立ち上がる事がまず大事なのだ。
そこから前に歩きだすのは自分の力でなければいけない。
それが一番大事なことなのだから――。
「進路の事とか親の事とか、ちゃんと当人同士で話をさせてみれば? お互いに勝手な思い込みしている気がするのよ」
「それは確かに。どうせ、明日になれば直接対決だろう。千津自身も、自分にけじめをつけることになるはずだ」
一晩、アイツなりに悩んで考えてくれればいい。
「親と、自分とどう向き合うのか。それは彼女自身の問題だからな」
「何か教師らしい台詞じゃない。朔也っぽくない」
「……失礼な事を言う、俺は教師として頑張っているのに」
「でもさ、彼女なりに答えが出るといいね」
彼女なりの答え、それは自分でしか見つけられない。
「逃げ続けて、目をそらしても何も解決しないってな。俺もそろそろ寝る。神奈も面倒をかけたからゆっくり休んでくれ」
「うん。そーする。明日、何時起き? 朝ご飯作ってあげるから」
ホント、神奈の面倒見の良さには感謝する。
「7時くらいに頼む。お前って本当にいい女だよな」
「え? な、なによ。朔也が私を褒めるなんて」
「いや、何だかんだで俺が一番頼りにしている女は神奈だって思ってる」
実際、頼りになる幼馴染として信頼しているのは神奈だ。
口げんかはよくするが、いい女だと思うんだ。
「これからも頼りにしているよ。逆に俺も何かあれば神奈の力になる」
「……うんっ」
友人としては最高なんだけどな、神奈は……。
彼女が俺に向ける想いが友情ではないのを知っているだけに反応が難しい。
だが、これからもいい“友人”でいたいと思うのは、俺だけなんだろうな。
この世の中、男と女の友情ってのはバランスが難しい。
翌朝は朝早くから村瀬先生が俺の家に来て、千津と話をした。
家では彼女の母親が話し合いをしたいと待っているらしい。
だが、一夜が経っても千津には母親と話す気はない。
朝から揉めに揉めて話が進まない。
俺は傍目に見ていただけなのだが、それ以上はダメだと感じていた。
村瀬先生は頑なすぎて、千津にとっては逆効果だ。
「先生、うるさいっ」
「……うぅ、何で黒崎さんは分かってくれないのかな」
「分かるわけないよ。あの人と何を話せって言うの?」
無理に会わせて話をしようとするからこじれるんだ。
千津の心を理解して、千津自身が母親と向き合うようにしなければいけない。
誰だって、押しつけられて問題を解決するのは嫌だろ?
「村瀬先生。俺が話をしてもいいですか?」
「……ホントなら昨日の時点で話をつけておいて欲しかった」
なんて恨めしそうに俺に視線を向ける彼女。
昨日はそれどころじゃなかったんだって。
俺は朝食作りをしてくれている神奈の方へ村瀬先生には移動してもらう。
千津はふくれっ面を浮かべながら拗ねていた。
「今さら、どんな顔をしてあの人に会えって言うの?」
「そうだよな。会いづらいよな。千津はお母さんが嫌いなのか?」
「嫌い、大嫌い。あの人達のせいで私の人生まで壊されたんだもの」
「……その事は昨日ちゃんと言ったのか?」
彼女は昨日の事を思い出したのか、不機嫌さがさらに増す。
「言ったけど、全然気にしてなかった。誰のせいで受験が潰れたと思ってるのか、理解してないわよ。ホントに最悪っ!」
俺はそっと聞き耳を立てている村瀬先生に視線を向ける。
すると彼女は首を横に振っていた。
……母親の方は母親の方なりに責任は感じている、と。
それが千津に伝わっていないから、こんなにも不満なのだ。
「千津。いいか? 人ってのはそう簡単に分かりあえないものなんだよ。例え、親兄弟でもな。自分の気持ち、想い、夢、ちゃんと話してみろよ」
「え?」
「私は外交官になりたい、だからいい高校に行きたかった。でも、ふたりの離婚のせいで行けなくなった。それが悔しいってさ。だけど、それを今さら親の責任だと言っても何も解決はしないだろ?」
「……うん」
現実問題、文句を今さら親に行ったところで意味はない。
だとするのならば、これからどうするかということだ。
「だから、もう一度高校受験をし直したいならし直したいって想いをはっきり言えばいい。それが自分の夢を叶えるための最短距離ならそうするべきだと俺は思う」
「はぁ……鳴海先生、悪い選択肢を勧めないで」
俺の背後から嘆きの言葉が聞こえるが、今は無視だ。
「千津、お前は今の学校には何の価値もないと思うか?」
「だって、田舎だし、レベルは低いし、何もないじゃない」
「本当に田舎だよな。俺が通っていた都会の高校とは大違いだ。けれど、ここにはここにしかないものがある。友人や学校環境、先生……。私立に行けば、大学に行きやすくなる。でも、あくまでも方法のひとつでしかない」
今の学校でも千津には得られるものはたくさんあるはずだ。
千津自身が、それを望めば、結果としていい方向へいくかもしれない。
もちろん、それは楽な道ではないし、甘くはないだろう。
当然、一流大学を目指すならそれ相当の環境で勉強をしなければいけない。
努力もせずに楽に入れるわけがない。
それでも、環境だけが全てではないはずだ。
「せっかく、今の学校に入学したんだ。ここから初めて見ないか?勉強だったら、俺だって補習と言う形で見てやれない事もない」
「鳴海先生が? どうせ、3流大学出身でしょ?無理だよ」
「違うぞ、千津。俺は一応、有名H大の卒業なんだ」
その発言に驚いたのは千津だけではなく、村瀬先生もそうだった。
「え、嘘!? 何で、そんな人がこんな田舎の教師になるのよ? 嘘ついてない?」
「……嘘なんてついてませんよ、村瀬先生。本当ですって」
「教師になる事もあんまり珍しくないんですけどね。私立高校とかですけど。友人なんかは教師より商社で働いた方がよっぽど給料がいいって不思議がっていましたが」
こうみえても出身大学だけは誇れるんでね。
実際に収入面で考えればいい仕事を探したほうがよかったはずだ。
でも、俺は教師になりたかったからここにいる。
「鳴海先生が本当にその大学の出身だとして……何で教師なの? それなら、別に苦労して良い大学に入らなくてもよかったんじゃないの?」
千津より、村瀬先生の方がくいついちゃった。
「えっと、無理を承知で挑戦するつもりで受けたらギリギリ合格しちゃって。実際、入学してからが大変でしたよ。自分のレベルが学校についていけなくて……それでも、卒業はできたし、こうして教師にもなれたんですが」
「……変なの。先生、変過ぎ」
「変って言うな。俺が言いたいのは、頑張れば何でも出来るってことだよ。千津は何でも挑戦してみるべきだ。自分の世界観を広げてみるのもいい事だぞ」
なりたい夢、明確な目標があれば何でもできる。
それをしないままに諦めて欲しくない。
「選ぶのは千津自身だ。好きにすればいい。まずは親とは自分の想いをぶつけてからだな。自分の思ってる事、全部吐き出してすっきりして、それから考えればいい。長い人生だ、躓く事だってあるさ」
千津は俺の顔をジッと見つめてくる。
分かっているはずなんだよ、千津だって……。
「つまずき転んだ今なら分かるはずだ。本当に大事なモノって何なのか。改めて考えてからでも、何も遅くはないだろ」
「うん……まずはあの人と話をしてみる。何が正しいのか、よく考えてみるよ」
「あぁ。相談相手になら俺がなってやるから一緒に頑張って行こうぜ」
俺はポンポンっと軽く彼女の頭を撫でてやる。
くすぐったそうに「やめてよ」と言いながらも、嫌がらない様子の彼女。
ここから先の人生、千津が選ぶ未来。
それが何であれ、応援して見守ってやるのが教師の務めだ。
ようやく彼女は立ち上がり、再び前を向いて歩きだせた――。